第2話 大野長治

 このあたりは、別荘地として有名になったのは、今から40年くらい前だっただろうか? 信州から少し入ったところ、もう少しいくと、越後のあたりで、冬ともなると、雪がかなりつもり、少しいくと、スキーができる感情で、スキー場のかなり建設されたところだった。

 あまりたくさんのスキー場が密集したために、いくつかは、共倒れのような結果になり、数年で、今くらいの数に落ち着いたが、最初から、ある程度設けたところで、うまい具合に見切りをつけ、撤退していったところもあった。

 レジャー総合の会社などは、両極端で、引き際がうまかったところもあるが、下手に客が多かったので、二匹目のどじょうを狙ってしまい、引くに引けなくなったことで、破産医追い込まれたところもあった。

 こういう事業は戦争と同じで、

「始める時はそうでもないが、問題は終わらせ方である」

 つまりは、完膚なきまでにやっつけてしまうと、その後の統治の問題にかかわってくることもあり、いかにうまく引くかということが問題になるのだ。

 そういう意味では、第二次大戦の連合国は、勝利したあとの仕置きのことまで、終戦前から話し合っていたのは、さすがであった。

 もっとも、ベルサイユ条約の失敗から学んだことだったのだろう、第二次大戦の原因は、一次大戦の後始末に失敗したからだと言えるからである。

 終わらせ方を誤ると、

「辞めても地獄、進んでも地獄」

 ということになる。

 そこは判断になるのだろうが、ほとんどのところは、そのまま突き進んで、結果、破産の道を歩むことになるのだ。

 考えることとして、

「このまま辞めると、結局何も残田ないが、先に進んでみると、ひょっとすると、起死回生もあり得るかもしれない」

 と思うことだろう。

 ただ、それは、商売人であったり、実業家としての考えに立つから思うことであって、普通なら、少しでも危険があるなら、進まないだろう。

 たとえば、観光地などで、吊り橋があったとしよう、気のつり橋で、風が吹けば危ない吊り橋だったとして、最初は危険はなかったが、途中くらいまでいくと、急に危なくない、場所を見ると、ちょうど中間くらい。

「どっちに行こうと考えるか?」

 ということである。

「せっかくここまで来たんだから、この先に目的の場所があるのだから、ここまで来て諦めるのは嫌だ」

 と思う人もいるだろう。

 しかし、ほとんどの人は来た道を戻るのではないかと思う。

 確かに、

「ここまでくれば」

 という気持ちもある。

 しかし、実際には、先に進むと、どうなるか?

 ということである。

 要するに、向こうまで行ってしまって、それで終わりだと言えるのだろうか?

 つまり、

「帰り道のことを一切考えていない」

 ということである。

 ちょうど、半分まで来ているのであれば、向こうまでは、同じなのだろう。しかし、実際に帰るには、もう一度同じ道を通らなければいけないということで、それを、橋の途中の恐怖の中で、そこまで感じるだろうか?

 逆に、

「恐怖の中の方が、そこまで考えるのかも知れない」

 と思った。

 それだけ、普段から冷静に感じるということを、

「自分の中で習慣づけるようにしているのかも知れない」

 と思う。

 それを、ルーティンと言ったり、習性のようなものであったりすると考えると、このお話の最初の部分に戻ってくることのなるのだろう。

 その間に、

「意識と無意識の狭間」

 があるのだとすれば、もし、戻ろうとする思いを抱くのであれば、それは無意識に感じることができるもので、ある意味、本能に近いものなのかも知れない。

 逆に、意識するのであれば、本能を感じる前に、意識が先に来ることで、

「楽しみを棒に振っていいのか?」

 という恐怖を通り越す気持ちになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「スキー場を畳まずに、営業に踏み切るのは、本能よりも前に、自分の考えが優先する人たちが、玉砕した結果なのかも知れないな」

 と感じるのだった。

 確かにスキー場などの経営は、土地や整備の問題などで、莫大な費用が掛かる、人件費もバカにならないので、個人でできるものではない。

 つまり、企業というものをバックに、自分が代表者になるという、恐ろしくプレッシャーがかかるもので、一歩間違えると、最期には、

「責任を取って、辞めるか、あるいは解雇されるかのどちらかかもしれない」

 ということを、覚悟しなければいけないことになるだろう。

 大企業における、レジャー関係の会社は、それだけ大いなるプレッシャーを持っているのだろう。

 自分の判断一つで、かなりの数の従業員が路頭に迷い、自分の家族も含めて、皆を道連れにしてしまうかも知れないという重圧に、果たして皆耐えられるのだろうか?

 完全に、感覚がマヒしていて、余計なことを考えてしまう人には、絶対に不可能なことではないだろうか。

 それを思うと、

「まるで、軍人が人を殺すことに感覚がマヒしてくるのと同じなのではないか?」

 という、少しトンチンカンな発想になりそうに思えてきたのだ。

 大げさであるが、話のたとえとしては、分かりやすいのではないだろうか?

 そんなことを思っている自分の発想がずれていることに、簡単には気づかないものであった。

 そんなスキー場も、最初の頃はうまく経営できている会社もあった。

「完全に、勝ち組と負け組に分かれてしまったな」

 と、一人勝ち状態の会社に、一時期は、まるで時代の寵児でもあるかのように、もてはやされた時期もあった。

 それは、バブルの時期に、たくさんの会社が列挙してスキー場の建設に走ったが、うまく最初で引き下がった会社もあれば、一定の利益を得たところで、撤退した会社もあった。しかし、そのうちにバブルが弾けて、完全に土地が焦げ付いてしまったことで、持っているだけで、金がかかるのに、今度は売ろうとしても、売れるものでもない。

 何しろ、スキーシーズンしか活用できないようにしか考えていなかったのだから、それも当然だろう。

 しかし、それ以外の会社で、

「夏の時期には、避暑地として、バンガローや別荘に使えるようにしてあった会社」

 もあり、その会社が、いわゆる、

「勝ち組」

 と言われたが、

 そのうちに、その勝ち組神話が、崩れてしまう事態に陥ったのだ。

 それが、異常気象だった。

 冬のスキーシーズンには、雪がまったく降らない。しかし、シーズン終盤になると、それまで待っていたかのように、豪雪となり、大雪が何日も続き、しかも、それが吹雪となると、スキー客どころの話ではなく、施設の保全すら危ないくらいになっていたのだ。

 そんな状態で、客はまったく来ることもなく、夏の別荘の貸し出し代金だけでは、とてもやっていけるものではない。

 ここまでくると、スキー場は廃止し、別荘地隊は、地元不動産会社に売却することで、何とか負債を減らすしかないという、散々な結果だった。

 これが、ちょっと前まで、

「勝ち組」

 といって、もてはやされていた会社なのだろうか?

 それを思うと、例のつり橋の話で、

「少しでも危険があるなら、先に進まないのが、懸命な手段だ」

 といえるのではないだろうか?

 スキー場は、もうこの土地では営業は不可能になった。夏の間の別荘くらいはいいが、これが冬ともなると、とても暮らせる状態ではない。

 冬の間の半分くらいは、吹雪に襲われる地域で、それも、定期的に起こるのであればいいが、いつどうなるか分からない状態で、まるで雪山のようであった。

「ここの山は生きているんだろうな」

 と言われるようになったのである。

 このあたりは、避暑地ということもあり、山岳地帯に囲まれていた。

 盆地というわけでもない、盆地であれば、気温が上がってしまって、避暑地としては、向かないからだ。

 そんな地帯ということもあるのだが、このあたりには、

「自然の環境でできあがったものが結構あるようだった。

 近くに火山があるせいか、このあたりには、花崗岩があったり、花崗岩に包まれた、洞窟があったりもした。

 そういう意味で、昔このあたりの戦国武将は、城の建築も独特で、

「山の気候が変化しやすいことを狙って、変幻自在な城を作り上げた。

 曲輪の中には、

「形が変わるもの」

 があったり、それぞれの曲輪や櫓は、似ているようで似ていない構造になっていて、敵が入り込むと、敵は、

「自分たちの手で入ってこれた」

 と思っているのだろうが、実際には、相手の細工に騙されて、入り込まされたことに気づかず、気が付けば、集中砲火を浴びることになることだろう。

「あっと、思ったら殺されていた」

 というほどの電光石火で、相手は下手をすると、やられていることに気づかされることなく、奥に進んでいる。

 実際には、騙されて誘い込まれているのに、自分たちが進軍していると思うと、

「こんな城、あっという間に攻め落とせる」

 と思っていると、すでに、まわりは敵だらけであることを思い知らされ、どうすることもできなくなっていることであろう。

 そんなことができるのも、城のまわりが、天然の要害になっていて、錯覚を相手に与える環境になっているということである。

 実際に、有名な城というと、カラクリのようになっていて、実際の入り口だと思ってそちらから行くと、実は罠であり、閉じ込められて、集中砲火を浴びてしまったり、先に進んでいると思いながらも、角度や、進路の購買によって、実は天守から遠ざかっているような構造になっていたりする。

 それだけ、攻城というのは難しい。

「籠城に比べて、攻城には、その3倍の人数を必要とされる」

 という話のようだが、実際にその通りなのだろう。

 さらに、地の利であったり、城下にたくさんの兵を潜り込ませていた李、城中に、普段は百姓をしている人の屋敷を構えさせ、戦になれば、足軽として戦わせるように訓練をしていたりするところもあっただろう。

 戦国時代は、

「食うか食われるか。いくら自分が主君であっても、部下から謀反を起こされることがある」

 と言われる。

 そう、いわゆる、

「下克上」

 というものだ。

 戦をするにも、いろいろな兵法があったりする。すでに古代から言い伝えられている兵法が伝わっていて、今の時代にも本当は通用するような話もあるのだろうが、今の人は、平和ボケをしているので、昔の話など聞く耳を持たないというのが、本音であろう。

 このあたりの攻城戦や籠城の話を勉強していれば、スキー場の経営にも役立てたというものだったのかも知れないが、それも結果論というもので、答えが見つかるかどうか、分からないというものだ。

 こんな田舎街に、他に類を見ないような場所が築かれていたなど、誰が分かることだろう。

 そんな火山が存在していた街ということで、この奥に森があるのだが、その森が山の麓に続いているようで、山の麓のあたりは、地元の人でも、めったに入り込んだりはしないということだった。

 実は、このあたりの森は、

「迷い込んだら、慣れていないと出ることのできない樹海」

 だというのだ。

 まるで、

「富士の樹海」

 のようではないか、

 富士の樹海も似たようなものだったと記憶しているが、このあたりは、火山の影響で、火山による岩石がいくつも残っている。

 そのためと、森の中の特殊な地形とが、微妙に絡んできているのか、磁気が利かないようなのだ。方向を示す、方位磁石がいうことを利かない。そのせいで、迷い込んでしまうと、出られなくなると言われている。

 だが、最近では、研究が進んで、

「コンパスが通じない場所はすべてではなく、一部の限られた場所だけである」

 ということが分かってきて、しかも、コンパスが利かないところでも、別の岩石を持っていれば、磁力のバランスを中和することができるようで、コンパスが狂うことはないのだという。

 しかし、どうしても昔からの言い伝えが強いせいか、科学的な根拠を示されても、地元の人は、決して、中に入ろうとしない。

 実は、まだ、戦前の頃の話ということであるが、ある子供がこの樹幹に迷い込んで、2日ほど、彷徨った挙句、これはあくまでも、偶然に救助隊が見つけることができ、かなり弱ってはいたが助けることができたという。それからというもの、

「あの樹海の中には絶対に入ってはいけない。祟りがある」

 と言われてきたのだった。

 今の人がたたりを信じているかどうかまでは分からないが、一度は、ひどい目にあった人がいるという話を聞くと、どうしても警戒してしまう。

 だから、いくら科学的な根拠を言われても、樹海の中に入ることは街の人は絶対にしなかった。

 だから、中に何があるのかまったく知らずにいたのだが、研究員が、

「学術調査のため」

 という名目で入るものを、街の人間が止めるわけにはいかなかった。

 しかも、その理由が、

「入ってはいけないという伝説を、打ち破るため」

 ということだったので、街もむげに断るわけにもいかなかったのだ。

 だが、街の人は、あまりいい気分ではない。

「余計なお世話だ」

 と思っていた。

 ただ、中には、真剣に祟りを恐れている人もいて、オカルト的な発想をいくつか持っていた。

「中に入ると、出てこれなくなる」

 あるいは、

「妖怪に出会うかも知れない」

 さらには、

「何があるか分からないが、結果として、死体として見つかるかも知れない」

 などという、すべてが都市伝説でしかないのだが、そんなことを真剣に考えている人もいた。

 ただ、その人には、特殊能力が備わっていたのだ。その人は決して中に入ったことがないはずなのに、中の様子を一部知っているかのようだった。

「この森の奥の、山の麓のところに屋敷が建っていて、その裏には、どうやら洞窟があるんだよ。その奥の洞窟には無数のコウモリが住んでいて、そこは、コウモリ屋敷といってもいいようなところなんだよ」

 といって、自慢げににやりと笑うのだった。

 この人の言っていることが本当であることを、調査団が目撃したことで分かった。そのために、この人には、

「特殊能力が備わっているのではないか?」

 と言われるようになったのだが、他にこれといった能力は見受けられない。とにかくこの男が薄気味悪い人だということだけは皆認識しているようで、あまりいい雰囲気は誰も持っていなかったのだ。

 この男の名前は、大野長治と言った。

 父親が歴史好きで、大野治長のファンだったことから、

「さすがにそのままつけるのは、おこがましい:

 ということで、名前を逆さまにつけたようだ。

 大野治長というと、一番注目されたのは、大阪の陣での大阪城を取り仕切っていたというところからであろうか、

 彼の母親の大蔵卿局は、淀殿である茶々の乳母であった関係から、幼少の時分より、淀殿とは、仲が良かったことは分かっている。

 最近の時代小説などを見たりしても、そのような話も結構散見され、昔から言われていた、

「秀頼の父親は、本当は、大野治長ではないか?」

 という話も、実しやかに囁かれるようになっていたのだ。

 というのは、まず秀頼が、秀吉のかなり高齢になってからできた子供だということ。

 そして、長男であった、鶴松が、幼少の頃になくなっているにも関わらず、秀頼はすくすくと育ち、あの時代にしては、かなりの高身長だったという。

 二条城における会見で、家康が秀頼を一目見て、

「天下を治めるほどの技量を十分に持ち合わせていると思わせるほど、高圧的だった」

 という話から、

「豊臣家を生かしておくわけにはいかない」

 と感じたほど、秀頼は、凛々しい大人になっていたということだ。

 がっしりとした大柄で、

「あの時代としても、小柄で華奢だった秀吉」

 から生まれるというのは、ちょっと考えにくいと言われていたほどだった。

 それを思えば、身体ががっしりとしていたと言われる、

「大野治長の息子が秀頼なのではないか?」

 と言われるのも無理もないことだっただろう。

 それだけの治長が、歴史の表舞台に出てきたのは、正直、この時くらいのものだっただろう。

 執務などのほとんどは、三成が行っていたし、大野治長は、歴史の表舞台には出てくることもなかった。

 ただ、一度、秀吉亡き後、

「家康暗殺計画」

 が明るみに出て、流罪となったが、許されて、今度は、関ヶ原で東軍につく。

 しかし、淀殿の側近になってからは、そこから、大阪の陣まで、突っ走ることになる。

 どちらかというと、治長という人物は、悪役的な評価が高かった。

 頭が悪いと言われてみたり、淀との密会のウワサなどもあったりしたが、大阪の陣の前に、

「真田信繁を九度山から下山させて、大阪方につかせる」

 という考えを示したり、兵を与えて指揮を取らせたことを考えると、愚かな人間ではなかったということだろう。

 それを愚か者の評価にしたのは、

 江戸時代に入り、徳川の時代に入ったことで、

「家康に逆らった人物」

 ということで、淀殿を中心とした大阪方の武将が、あまりよく言われないというのも、無理もないことなのかも知れない。

 家康の作戦に引っかかって、大阪を追われた、

「賤ケ岳七本槍の一人」

 である、片桐且元なども同じであろう。

 大蔵卿局に対してと別のことを言って、家康が信用できないということを言って、混乱させようとしたとして大阪を追われたのだ。

 しかも、その先には、家康に保護され、大阪城のどこがどうなっているかなどという情報が筒抜けになってしまった。

 何しろ、堀はすべて埋まっていて、

「難攻不落」

 だったものが、あっという間の裸城になってしまったということもあって、もう、その時点で勝敗は決していたのだ。

 大阪城落城までのカウントダウンの中で、

「大野治長は何を考えていたのだろう?」

 と、長治は子供の頃、考えていたようだった。

 普通なら、苛められそうな名前なので、子供心にこんな名前をつけた親を憎みそうなものだが、長治自身も、大野治長のことに興味を持っていたので、決して嫌いな名前ではなかった、

 むしろ、好きな名前だと思っていたので、まわりから、何と言われようとも、

「気にしなければいいだけだ」

 ということで、受け流していた。

 そんな彼は、ある日から、ある動物に興味を示すようになった。

 それが、普通の人の感覚では、到底理解できないものなので、そんな彼を皆気持ち悪がって、近づこうともしない。

 もう、名前の由来どころの話ではなくなっていたのだ。

 その動物というのが、コウモリだったのだ。

 彼があの屋敷に、コウモリがいることを知っていて、あの場所を研究していたのだとすれば、何も長治に超能力が備わっていたわけではなく、自分で見て知っていたことを話しただけなのだ。

 それが分かっても、長治に超能力のようなものが備わっていると言われているのは、それだけ長治の雰囲気が、気持ち悪いように見えるからだったのだ。

 長治は確かに超能力者でも何でもない。どちらかというと、ただの変わり者だった。

 しかし、まわりの人間は、そんな掴みどころのない長治を見て、

「あの雰囲気は、何か持ってないと出ないよな」

 と言われるようなもので、それが何なのか分からなかったところに、コウモリ屋敷の話が出てきたことで、

「ほら、こんな能力を持っていたんだ」

 と、ばかりに飛びついたのだ。

 それが事実であろうが、ウソであろうが関係ない。

 長治に何か備わっているということにしてしまえば、長治を気になっている連中は納得するのだ。

 ただ、長治に何かが備わっているからといって、別に怖がることもない。むしろ今まで怖がっていただけに、逆に親近感がわくというものだ。

 その親近感は勝手に出てきたもので、自分から話しかけるつもりもないし、話しかけられても、気持ち悪いことには変わりない。

 何といえばいいのか、

「一種の必要悪のようなものかも知れない」

 というものであった。

 人間というものは、誰もが自分の中に、矛盾を抱えて生きている。そして、そんな自分に対し、少なからずの自己嫌悪を持っているものだ。

 だから、感情として、

「自分は、少なくとも誰かよりも、マシなのだ」

 という比較対象を求めるようになる。

 そこで、自分にとっての必要悪を作ろうとするのだ。

 世の中には、いくつもの必要悪があると言われている、

 悪というものにも、いろいろな解釈があり、

「本当は、悪というほどではないのだろうが、人に迷惑をかけてしまったり、自分を狂わせる可能性のあるものを、悪と呼ぶ場合がある」

 例えば、

「ギャンブル」

 などがそうであろう。

 カジノなどのような、一瞬にして、人生を終わらせてしまうようなものは完全に悪なのだろうが、パチンコやスロットなどはm適度に遊ぶ分には、気分転換になっていいだけなのに、嵌ってしまう人が多いことから、

「あんなものは、百害あって一利なしだ」

 という人もいる。

 そういう意味では、

「人によって、気分転換として必要なものだという人もいれば、嵌ってしまって、本当に悪になってしまう人もいる」

 ということで、合わせて、

「必要悪」

 と言われるのではないだろうか?

 これは、

「一人にとって、必要なものだが、悪である」

 というよりも、

 「社会生活上、必要な人もいれば、悪となる人もいる」

 という意味での必要悪である。

 しかし、長治という人物は、前者ではないだろうか? 長治自身は一人しかいない。それなのに、

「本人の中に、必要な場合と、悪とが共存しているように見える」

 という、不可思議なものに見えるのだ。

 長治自身、自分がどんな人物なのか、分かっているのだろうか?

 いろいろ聞いてみると、

「あいつと話なんかしたことなかったな」

 と、近所に住んでいる人は、そのように話していた。

 だが、その人がいうには、

「そういえば、あの人に限らず、最近、人と話をする機会がめっきり減ってしまって、だから、他人のことも気にすることはなくなってきているので、あの人のことだけを、特別に意識することはなかったですね」

 といっていた。

「でも、人と話をすることがなくなると、寂しくなったりしないんですか?」

 と聞かれて、

「いいえ、却って一人の方が気が楽でいいですよ」

 と言っている。

 それも、その人だけではなく、この街の、それも、この街の

「樹海」

 と呼ばれているその周辺に住んでいる人のほとんどが、似たような話をしていた、

 だからと言って、皆、そのことをいちいち意識しているわけではなく、

「聞かれたから、話をしただけだ」

 と、終始、面倒臭そうに話す。

 実際に聞いている方も、正直、気分のいいものではない。なぜなら、言いたくないと思っている人間の気持ちをこじ開けて、強引に聞こうとしているのと同じだからである。

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