青い瞳のウミ2.5 ~ウミの時間~

千曲 春生

第1話 Live And Let Live

 病院の診察室。

「うん、大丈夫。たいしたことないよ」

 医師はベットに横たわるヒナミの足を触診して、そういった。

「よかったです」

 そういったのは、ヒナミではなく付き添いで来てくれていた立花先生だ。

「軽い捻挫だね。湿布だけ出しておくよ」

 医師はそういって紙になにかを書き込む。

 ヒナミは上半身をおこして、タイツを履いた。近くにいた看護師さんが手伝ってくれた。


 今日、学校は五限目までの日だった。

 五限目の授業は理科で、理科室で実験をするとのことだった。ヒナミははやいうちに、ゆっくりと移動をはじめた。

 その途中で、階段から落ちてしまったのだ。

 見ていた人達がすぐに先生を呼びいってくれて、保健室に運んでくれた。

 足首が、赤く腫れていた。

「どう、痛い?」

 保健室の先生にそう尋ねられたが、首を横に振った。

 痛くなかった。


 ヒナミは二年前、交通事故に遭い、それから両方の足がほとんど動かなくなっているし、感覚も鈍くなっている。

 歩くときは、腕にバンドで固定するタイプの杖を使うか、手すりなどに掴まらないといけいない。それでも、他の人よりずっとゆっくりだ。

 痛いとか、動かしづらいとか、そういう感覚で深刻さが判断できないので、一応病院で診てもらったほうがいいという先生の判断で、ヒナミは五時間目を休んで病院にやってきた。担任の立花先生がついて来てくれた。


 診察が終わって、ヒナミは立花先生と病院のロビーに来た。

 適当なベンチに座る。

「じゃあ、ヒナミさんの家に連絡してきますので、ここでちょっと待っていてくださいね」

 立花先生が離れていくと周囲を見渡した。

 この病院に来るのは以来だ。

「……チサトちゃん」

 ヒナミはつぶやく。

 森松チサト。

 ヒナミの友達だった。

 一緒にお出かけにいった日の夜、彼女は体調を崩し、この病院に入院した。

 ヒナミはクラスメイトのミホと一緒にお見舞いにいって、その日の夜、チサトちゃんは死んでしまった。

 自分の中で、受け入れ、折り合いをつけたはずなのにここに居ると色々思い出す。

 そのとき、服の裾を誰かが引っ張った。

 視線をむけると、ヒナミの横に女の子が座っていた。五、六歳くらいだろうか。銀色の髪をおかっぱにしていて、瞳は青色。水色のワンピースを着ている。

 この女の子を、ヒナミはよく知っていた。

 事故に遭ったときから、時おりヒナミの前に現れるようになった。

 大抵困っているときに助けてくれる。ヒナミは彼女のことをウミと呼んでいた。

 ウミは笑顔を浮かべると、廊下の先を指差す。

「あっちに、なにかあるの?」

 ヒナミが訊くと、ウミははっきりとうなずいた。


 ウミに導かれながら、ゆっくりと廊下を歩く。

 捻挫はそれほど痛く感じないし、足が動かないのは元々だし、特別歩きにくいことはなかった。

 コツリ、コツリと杖が床を叩く。

 そしてやって来たのは、ある病室の前だった。

「ここって……」

 そこは、チサトちゃんが以前入院していた部屋だった。

 チサトちゃんの苗字は『森松』だった。

 今、刺さっているネームプレートはもちろん違う苗字だ。

 それでもウミは遠慮するそぶりを見せず、ドアを開けた。

「あ、ちょっと」

 ヒナミは止めようとしたが、間に合わなかった

 ドアのむこうがわに一床あるベット。そこに横たわっていた少女と目が合った。

 少女は高校生くらいの年齢で、短髪で、ベットにペタリと寝そべったまま、顔だけを動かしヒナミを見ていた。

「どうしたの。病室、わからなくなっちゃった?」

 少女は静かに、優しく、そういった。

「いえ、違うんです。その……」

 なんていえばいいだろう。頭の中で言葉を探す。

 周囲を見渡すと、いつの間にかウミはいなくなっていた。

「もし、時間があるなら少し話し相手になってくれないかな? 動けないと、暇で」

 言葉を見つける前に、少女はいった。

「はい」

 ヒナミは小さくうなずくと、病室に入った。

 消毒液の匂い。

 心電図モニタが、規則正しい電子音を発している。

「その椅子、使って」

 ヒナミは少女の言葉に従い、ベットの脇の丸椅子に座った。

「あなたはもう学校にいってるの?」

「四年生です。十二歳ですけど、交通事故に遭って二年間、眠っていたので」

 ヒナミがいうと、少女は驚いたような表情になった。

「二年も⁉ じゃあ、先輩ね」

「先輩?」

 ヒナミは首をかしげる。

「私は、三カ月前にこんなになっちゃったから。体が不自由の先輩。あなたは、足?」

 ヒナミは小さくうなずく。

「交通事故で腰をぶつけて、それからほとんど感覚がないんです」

「あなたは、学校には通えてる?」

「はい、一応」

 体育などは別の内容になることもあるが、基本的にヒナミはクラスメイトと一緒に、同じ内容の授業を受けている。

「そう……。私はね、左手と首から上だけなの。無事なのは。後は動かなくなったり、無くなっちゃったり」

 少女の体は薄い掛け布団で覆われているが、その盛り上がりから、五体満足でないことがうかがえる。

「私も、交通事故だったの。家族で旅行にいくことになって、パパの運転する車で山道を走ってた。そしたら、イタチが飛び出してきて、パパは咄嗟にハンドルを切った。その先が崖だったの。ほんと、パパったら優しいんだから」

 少女は一度、息を吐いた。

「パパと、ママと、弟と、私。生き残ったのは私だけ。私って、昔から運がいいから」

「運が、いい?」

 ヒナミにはそういえる少女が不思議だった。

「とっても悲惨な事故だったのよ。新聞の端っこにも載ったくらい。でも、私は生き延びた。正直にいうと、家族も死んで、私もこんな体。これからどうなるだろうって不安なんだけどね。でも、やっぱり幸運だよ。私、生きてる」

 少女は笑った。

 その笑顔を見た途端、一瞬、本当に一瞬、その一言がヒナミの頭をよぎった。


 可哀想な人。


 ヒナミの頬を、一滴の水滴が伝った。涙だった。

「どうしたの。大丈夫?」

 少女が心配そうに尋ねる。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 ヒナミは次々とあふれ出る涙を手で拭う。

「私、今幸せだって思っちゃった。あなたみたいにならなくてよかったて思っちゃって、あなたよりマシでよかったって、一瞬、一瞬だけど、思っちゃって……私、他人を見て自分の幸せを感じるような人間にはなりたくなかった。なのに、なのに……」

 少女の表情がフッと和らぐ。

「あなた、名前は?」

「……ヒナミです……高浜ヒナミ」

「ヒナミちゃん、ちょっと顔を近付けてくれる?」

 ヒナミは少女の言葉通り、顔を近付ける。

 すると、少女は左の指先でヒナミの頬の涙を拭った。

「ヒナミちゃんは優しいね」

 ヒナミは何度も、首を横に振る。

「ないです。そんなこと、ないです。私は、酷い人間です」

「私は、嬉しいのよ」

 ヒナミはうるんだ瞳で少女を見た。口の中で「嬉しい?」と訊き返す。

「うん。私はね、嫌いな人間がいるの。自分がどれほど劣っているか、そればかり語って、自分の手の中にあるものを見ようともしない、ううん手の中に握り締めているものがあることにすら気付いていなくって、あれがない、これがない、っていってばかりの人が本当に嫌いなの。嬉しいな。ヒナミちゃんはそんな人じゃなかった」

 少女の瞳が、ヒナミをうつす。

「ヒナミちゃん。学校は楽しい? 仲良しのお友達はいる? お父さんとお母さん優しい?」

「……はい」

 ヒナミは首を縦に振る。その勢いで、涙の滴がキラキラと舞った。 

「じゃあ、自分がまだ持っているもの、自分の手の中にあるもの、大切にしてね」

「はい。また、会いに来ていいですか?」

 ヒナミは笑顔になり、尋ねた。

 少女はうなずく。

「私の方こそ、お願い。ヒナミちゃん、時々、本当に暇なときだけでいいから、会いに来て、私とお喋りしてくれないかな? 学校であったこと、家であったこと、なんでもいいから、ヒナミちゃん見たこと、聞いたこと、いっぱい教えて。ヒナミちゃんの感じた幸せ、私に分けて」

「はい」


 ロビーに戻ってくると、立花先生が待っていた。

「ヒナミさん、どこへいってたのですか?」

 先生は怒っている風ではなく、純粋に尋ねているようだった。

「ちょっと、トイレに」

 ヒナミはそう応えた。

 そのとき、近付いてくる二人の姿が見えた。友達のミホとイチカちゃんだった。

 二人ともランドセルを背負ってやってくる。学校が終わってから、直接病院にやって来てくれたようだ。

「ヒナミ、どうだった?」

「ヒナミちゃん、大丈夫?」

 ミホとイチカは順番にそういった。

「うん大丈夫。ありがとう」

 ヒナミはそういって笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る