【第四章:ターゲット発見(4)】

次の週の月曜日の放課後、保健室には真中しずえと空木カンナの他に四人の生徒がいたため、保健室はいつもよりも少しせまく感じられた。


「えっと、何で僕はここに呼ばれてるんだろうか」と、田中洋一(たなか・よういち)が戸惑とまどいながら真中しずえに聞いてきた。


「えー、さっき説明したのに理解できなかったの?血糖値を測定するんだよ。けっ・とう・ち。血の中の糖、シュガーのことね、がどれくらいか測るんだよ。」

「それは何回も聞いたからわかってるよ。僕が聞いてるのは、何で僕が呼ばれたのかってこと。」


「人数が多い方がサンプルすうが多くなって確かなデータが取れるんだよ」と、先週の土曜日に研究室見学のときに聞いた『サンプル数』という専門用語せんもんようごを使って真中しずえは田中洋一に答えた。サンプル数とは、わかりやすく言えば、実験に使うデータの数のことである。今回の例で言えば、血糖値を測る人間の数になる。


「それ、答えになってないと思うんだけど・・・」と、田中洋一が食い下がったが、となりにいた沢木キョウ(さわき・きょう)が「たぶん僕らが科学探偵クラブの一員だからだと思うよ。だってほら、こないだと同じメンバーがそろってるでしょ」と田中洋一をなだめる。事実じじつ、その場には先日の幽霊ゆうれいさわぎのときにいた相葉由紀(あいば・ゆき)と羽加瀬信太(はかせ・しんた)もいた。


「まあ、楽しそうだから一緒に血糖値を測ってみようよ」と沢木キョウが言うと、「さすがキョウ君。話がわかるね」と、どこかで聞いたやり取りが、再び真中しずえと沢木キョウの間で行われた。


そんな会話をしていると、彼ら・彼女らの担任の先生であるである池田勇太が保健室に入ってきた。


「お、みんなそろってるな。あれ、でも美香先生がいないね。」

「私たちが来たときはいたんですけど、さっき『すぐに戻るね』と言って保健室を出て行きました。」

「トイレかな?」

「先生、そんなデリカシーのないこと言ってるときらわれますよ。」

「え、そうなのか?今のは内緒ないしょにしてくれ、たのむ。」


「何を内緒にしたいんですか?」と言いながら、立花美香は笑顔で保健室に入ってきた。池田勇太は「いえいえ、何でもないですよ」とあわてて言ったが、「トイレではありませんよ。血糖値を測定するための機械きかいとチップをとりに行ってたんです」と立花美香は笑いながらも冷静れいせいに答えた。


「あちゃー、しっかり聞かれてる」と真中しずえが言うと、一斉いっせいにみんな笑った。


「さて、冗談じょうだんは置いておいて」と、立花美香は生徒の方を向いて真面目まじめな表情で話し始めた。


「今日は血糖値を測定したいんですよね。なんで血糖値を測定したいかは池田先生に聞きました。本当はね、保健室で私がみんなの血糖値をはかるのはルール上はちょっとむずかしいの。絶対にダメってわけじゃないんだけど、特に必要な理由がなく測定するのは、あまり良しとされてないの。だから、本当はみんなのお願いをことわりたかったんだけど、池田先生から『科学教育かがくきょういくのためなのでどうしてもお願いします』って言われてしまったから、今日は特別とくべつにみんなの血糖値を測るわね。でも、あんまりみんなに言わないでね。私、クビになったらいやだから。」


立花美香は、最後の方はいつもの穏やかで上品な笑顔に戻っていたので、少し緊張きんちょうしていた生徒たちはホッと安心した。池田勇太は立花美香の顔を見ながら、ひたすらまりのない表情をしていた。


「何か質問はありますか?」と立花美香が聞くと、羽加瀬信太は「血糖値って血の中の糖を測るんですよね。それって注射ちゅうしゃするんですか?」と少し不安そうに聞いてきた。


「注射とは違うわね。注射はお薬とかワクチンとかを体に入れるものだけど、血糖値の測定は、血をとってその血の中の糖の量を測定するの。」


採血さいけつするってことですか。どのくらいの血が必要なんでしょうか。いたいですか?」と、今度は相葉由紀が不安そうに聞いてきた。


「大丈夫よ。指のはらをちくっとはりして、出てきた血を一滴いってきくらい使うだけだから。全然心配ないわ」と立花美香が優しく答えると、「おいおい、お前らはもう六年生だろ。ちょっとくらいの採血でそんな不安そうになるなよ」と、いつもよりもちょっと男らしい様子になって池田勇太が会話に入ってきた。


「じゃあ、池田先生にトップバッターになってもらいましょうか。生徒たちに良い見本を見せてあげないといけないですからね、担任たんにんとして」とにっこりと微笑んで立花美香が言うと、「え?」と池田勇太がかたまった。


固まっている池田勇太を尻目しりめに、立花美香が「でも、誰が最初に血糖値を測定するかを決める前に、せっかくだから今日は少し面白いことをしましょうか」と続けた。


「あそこのテーブルに箱がありますよね。あの箱、とっても美味しそうなどら焼きが入ってるんです。池田先生が持ってきてくれたんです。ありがとうございます」と話した後、笑顔のまま池田勇太の方を向いた。


すると、固まっていた池田勇太は急に背筋せすじをピンとして「いえいえ、そんな。当然ですよ。今日は美香先生に私たちのお願いを聞いてもらうんですから、手土産てみやげを持ってくることくらい社会人として当たり前です!」と返答へんとうした。


真中しずえは「そういうときは手土産って言わないわよね。同じ学校の先生同士で学校の中で会うのに」とヒソヒソと空木カンナに話しかけていた。


真中しずえと空木カンナの会話に気づいていないかのように、立花美香は話を続ける。


「それでね、今日はみんなの血糖値を二回測ろうと思ってるの。いいかしら?」


再現性さいげんせいを見るんですか?」と沢木キョウが聞くと、「あら、難しい言葉を知ってるのね」と微笑ほほえみながらも、「でもね、残念ながら違うわ。実験に再現性は必要だけど、今日は血糖値の動きを見てみようかなと思ってるの」と立花美香は答えた。


そして、「一回目の測定のあとで、池田先生が持ってきてくれたどら焼きをみんなで食べましょう。それから一時間後に二回目の測定をしようと思ってるの」と続けた。


「なるほど、甘いものを食べたら血糖値が本当に上がるかどうかを調べるってことですね。いや、かしこい。さすが美香先生」と、池田勇太は一人で盛り上がっていた。


そんな池田勇太の様子には気にもめずに立花美香は、「池田先生が持ってきてくれたどら焼きは全部で八つありました。だから人数分はあります」と箱を開けた。しかし、そこには七つしかどら焼きはなかった。


「あら、七つしかないわ。どうしたのかしら。誰か食べちゃったの?」と生徒たちに聞く。みんなブルブルと首を横に振った。


「そうよね、みんな良い子だから勝手には食べないわよね。まあいいわ。今日は六人集まってくれたから、いずれにしてもどら焼きは足りるわね」と立花美香が言うと、「残り一つはぜひ美香先生がお食べになってください。ここのどら焼きとても美味しいんです」と池田勇太は力強く言った。


「ありがとうございます、池田先生。でもそうすると池田先生の分はなくなってしまいますけどいいんですか?池田先生、優しいんですね」と答えると、池田勇太はまりのない表情で右手で頭をかきながらデヘヘと笑った。真中しずえと空木カンナは『やれやれ』という表情で顔を合わせた。


「さて、じゃあ、誰から測定を始めようか?」と沢木キョウが言うと、真中しずえは「洋一君にしようよ。一番普通っぽい数字を出しそうだし」と言った。「それ、僕が最初に測定する理由になってないと思うんだけど」と田中洋一は言ったが、特にことわる理由もなかったので、「でも、まあ、僕からでもいいか。立花先生よろしくお願いします」と続けて言った。


「はい、じゃあちくっとしますよ」と、田中洋一の左手の薬指くすりゆびの腹をアルコールワイプでいてから、立花美香はそう言ってペンがた器具きぐの先を指の腹に押し付けて、その器具についているスイッチを押した。


「いてっ」と田中洋一が小さく言うと、薬指の腹から血がぷくっと出てきた。毛細管現象もうさいかんげんしょうを使って、出てきた血液を小さなチップで吸い取り、血糖値を測定する機械の中に差し込むと、そこのモニターに『5』、『4』、『3』、『2』、『1』と数字が順番じゅんばんに出てきた。そして『ピッ』と機械音きかいおんがなってモニターに『100』という数字が出てきた。


「おー、すごい百点だ。洋一君、テストでは一回も百点を取ったことないよね。これが初めての百点じゃない?おめでとう!」と真中しずえが、大げさにからかいながら言うと、「余計なお世話」と田中洋一はいつものお決まりのやり取りをした。そして、「立花先生、この『100』ってどういう意味なんですか?異常なしの百点ってことですか?」と、立花美香に聞いてみた。


「ふふっ、これは点数じゃないのよ。血糖値の値。単位はmg/dL(ミリグラム・パー・デシリットル)。田中君の場合、今は百ミリリットルの血液中に、とうが百ミリグラム含まれてるってこと。正常範囲内せいじょうはんいないあたいよ。」


そして、そのあとは、どんどんと生徒たちが血糖値を測定していった。みんなの血糖値の数字は、『95』から『105』くらいのレンジに入っていた。


最後の空木カンナの測定が終わると、立花美香は「池田先生はどうしますか?こわかったら別に測らなくてもいいと思いますわ」と、少し意地悪いじわるっぽい笑顔で池田勇太に聞いてきた。


池田勇太は「もちろん測ってください。怖くなんか全然ありませんから!」と強がって答えたが、立花美香がペン形の器具を手にしたときから、指の方は全く見ずに固まっていた。


真中しずえは、またしても『やれやれ』という表情で空木カンナの方を見た。しかし、空木カンナは真中しずえの方には視線しせんを移さず、みんなが使ったチップの方を見ていた。


真中しずえは不思議に思って「どうしたの、カンナ?」と声をかけようとしたが、そのとき『ピッ』と機械音がして『138』という数字がモニターに出てきた。


「あら、ちょっと数値が高いですわね。池田先生、もしかして糖尿病っぽかったりしますか?」

「いえ、そんなことはないと思いますけど・・・。」

「おかしいですね。まあ、またあとで測定しましょうか。じゃあ、みんなのお待ちかねのどら焼きタイムといきましょう。池田先生は私と半分こしますか?」

「え、いいんですか?」

「ええ、私、そんなに一度には多く食べられないので。あ、でも先生の血糖値はちょっと高めでしたから、ねんのため今はやめておきましょうか。私も今はそんなにお腹すいてないので、あとで一緒に食べましょう。」

「はい。ぜひぜひ。」


池田勇太はひたすらデレデレしていた。


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