「メアリー、お前は今日からアルバード公爵の元へと嫁げ」


 それは、ある日行き成り。

 お父様からの冷たい一言だ。

 私、メアリー・カトリーヌ。16歳の誕生日の出来事。


 16年間。数回しか顔も見なかった、見られなかった、実父からの婚約宣言だった。


「お、お父様?私は――」


 私は思わず、そんな親しげも無い父に詰め寄る。

 当たり前かもしれない。

 何せ私は本当ならば明日から女学院へと入り、学生生活を謳歌するはずだったのだから。


 この世界では、常識的に女は14になれば誰かの元に嫁がなくてはならない。

 15になれば相手はぐっとへり、16となれば良き遅れ。私はその行き遅れの一人だったのだ。

 そして、女学院はこの世界では婚約を逃した貴族の娘が入るとされる行き遅れの女たちの墓場。

 けれども幼い頃より、本が好きで、励むことを愛していた私にとっては何よりも望ましい夢であったのである。


 それが唐突に奪われたのだ。

 不満が胸の内に出ないのは有り得ない事で、思わずと私は父に詰め寄ったのである。

 

「だまれ。お前の意見は聞かん」


 だが、当たり前だが父は私の意見は聞かない。

 もう決まった事だと、家の物に私を下がらせるように命ずる。


 それもまた当たり前。

 此処ではどうしようもなく男社会でしかなく。

 私なんか女が、それも16の小娘が意見するなど烏滸がましいにも程があるのだ。


「出立は明日だ。準備しておけ」


 使用人に連れられ父の部屋から出る時。

 彼からは実父とは思えないほどに冷たい声を掛けられる。

 父、そして今まで父の隣に居て何もしゃべらなかった母、2人最期まで私の事を見る事なく。酷く冷たい目で窓の外を見つめる。

 その姿が、私が最後に見た父と母の姿となった。


 


 ◇


 改めて私の自己紹介をしよう。

 私はメアリー・カトリーヌ。

 アルバ大国の伯爵の一人娘であり、16歳の行き遅れになるはずだった娘。

 今は、馬車の中。アルバード公爵の元に嫁ぐために揺られている。


 いきさつは先の通り。

 女学院に入る前日に、突然父に感動も近い形で国の公爵様との婚姻を決められたのだ。

 伯爵嬢が公爵様の元に嫁ぐ。それも16の行き遅れの娘が。傍から見ればソレは願っても無い幸福だろう。


 だが、文学好きの私にとってソレは不安と不幸でしかない事実であった。

 そもそもと思う。

 私は全くと言っていい程美しくない。

 

 髪は癖が強くてウェーブが治らないくすんだ金色。

 瞳は薄いエメラルドグリーン。

 肌は白くも無くどちらかと言うと黒ずんだ肌色。

 まつげも長くないし、眉毛だって太いだけで手入れなんてしたことも無い。

 何よりも肌にぽつぽつと付いたそばかす。


 こんな私の何所の誰が綺麗だと言うだろうか。

 お父様は立派で凛々しい顔立ちで、お母様は娼婦上がりであったそうだが誰も文句など言えない程の美しい金髪を持つ美人であった。

 家では良く使用人が噂していた。

 私は、お母様が娼婦時代に身ごもった娘であると。

 だからお父様は私に冷たいのだと。お母様も私を愛してはくれないのだと。


 正直、これは私も事実だと思う。

 そして、仕方が無い事だ。

 だからこそ、私なんか早くいなくなってしまえば良いと、その方が2人の為になると思っていたのに。

 まさかこんな形で家を出る破目になる何て、誰が思えようか。


 馬車に揺られながら私は今までの一生を思い拭ける。

 幸せかと言われれば、こんな家だが普通に幸せだったと言える。

 多少の我儘も聞いて貰えたし、美味しい料理や綺麗なドレスも沢山与えて貰った。

 本が好きだと知ると、望めば国の図書に世話役のアンと一緒に連れて行ってもらえた。

 ただ、側に父や母が居ないだけ。


 子供心に、良心と一緒にいたいと願いはしたけれど。父はこの願いだけは叶えてくれることは無かった。

 いつからか不満を押し隠して、自身の人生だと受け入れた訳だが、やはり両親の愛など望み過ぎた物だっただろうか。

 いや、まだ自分の中に未練たらしく父母の事を思い悩む私が居たことが驚きと言うか。


 今日だって家を出ると言うときに、父と母が見送ってくれることを願っていた。

 もうコレで会えないかもしれないのだ。

 だから最後にもう一目だけ。

 だけども父も母も私の前には現れる事は無かった。


 心に酷くぽっかりと穴が開いたような寂しさ。


 アレだけの事をしてもらいながら。

 私は、自分で思った以上に我儘であったらしい。


 そんな空洞の胸の内で私はゆらゆら馬車に揺られる。


 ボンヤリとした頭で、次に私はこれから自身の夫になる方の事を思う。

 名はガドル・アルバード公爵。

 この国の元宰相、今はお亡くなりになったゲリル・アルバード公爵の長男であらせられ。

 彼もまた、次期宰相と言われた。今は国屈指の実力者。


 ただ、彼は宰相の座を捨て、自ら騎士の道を目指した。

 その腕前は右に出る者はおらず、僅か18で才覚を露わにし、騎士団長まで上り詰めた天才。

 今は確か20歳を迎えた若者であるはずだ。


 そんな彼が何故、今まで誰とも婚姻を結ばずに独り身でいたか。

 ソレは彼の容姿と性格にあると言う。


 なんでもその見た目は獅子のごとく。冷徹で、獲物を絶えず狙う鋭い眼。髪は闇の色。

 戦場で敵の返り血を浴びる姿は正に死神の如く。

 女子供問わず、腹立たしく気に障ったモノが居れば首を切ると言う。なんとも恐ろしい噂が有るお方。


 なぜそんな方が私を突然嫁にと言いだしたのか。

 噂にでも聞いたのかもしれない。本に魅了され婚期を逃した醜い娘が居る事を。

 嫌われ者はお互い様。私は断れないと判断されたのかもしれない。正解だ。


 なんにせよ。この男主義の世界では私なんかの主張は通らないのだ。大人しく従うしかない。

 どんなに乱暴され様とも、冷たくあしらわれ様とも、受け入れ我慢するしか無いのだから。

 女など、唯の胎み袋。これから私は心を無にして、殿方に使えよう。


 そんな事を考えていると馬車が止まった。

 目的地に着いたようだ。


「お嬢様……」


 唯一私に着いて来てくれた、アンが不安そうに心から心配する様に私を見上げる。

 此処は安心させるために、私は笑うしかないだろう。

 

「大丈夫よ。アン」

「でもお嬢様、先程から震えられています」


 アンに指摘されて私は初めて自身の身体が震えている事実に気が付く。

 怖い――のだろうか。

 何が?知らない顔も知らない男の元に嫁ぐことが?

 分からないけれど指摘され、気付いてしまえば震えは止まらない。


 身体は小刻みに震えて段々吐き気も催してきた。

 気持ち悪くて堪らず、身を屈めると同時に馬車の扉が開かれる。

 ああ、ダメだ。此処で私がしゃんとしなければ。


「メアリー嬢。お待ちしていた」


 側から殿方の声がする。執事だろうか、声が異様に若く低い気もするが。

 私はあたふたと慌てふためくアンに目配せをして無理やりに笑みを浮かべる。

 目の前がまるで砂嵐が掛かったようにチカチカして、彼の容姿がハッキリ見えない。

 

「顔色が――。――か?」


 何か話しているが、遠くに聞こえるだけで何を言っているか分からない。

 何となく「大丈夫か」と言われている気がして、私は何とか笑い、差し伸べられている手に捕まり立ち上がった。


「だ、いじょうぶです」


 ここで私は初めて手を差し伸べてくれた殿方を見る。

 漸くはっきり見えたと言うべきかな?


 とてもきれいな濡羽色の髪。

 私を見る草原のような緑の眼。

 鍛え上げられた身体。

 あ、私。この人知っている。


「あの時の黒ヒョウだ――」


 刹那と言うか、その瞬間と言うか、どろり――。

 股下から嫌な感覚が流れたのは正にその瞬間の事。


 あ、このタイミングで最悪。

 なんて月の物が来てしまったと察したと同時私の目の前が暗くなる。


 最後の思った言葉は「貧血」と言う文字で。

 遠くから人の騒ぐような声を聞きながら私の意識は無くなった。

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