エルマ=グラディウス

「あらら、拗ねちゃった?」

「拗ねてない。それより、用向きがあるんだろ? さっさと言えよ」

「あっ、露骨に話を逸らした」

「うるさい。そうやって茶化すだけで、用がないなら帰るぞ」

「おやおや、変なことを言うのね。帰るって、どこに?」

「どこって、そりゃ……その……」


 言い淀んで、何も返せなかった。そんな俺に同情でもしているかのように、女は不敵な笑みを浮かべながらコクコクと頷いて見せる。


「帰る場所なんか、どこにもない……ええ、そうでしょうね。だって、今の君はレイス――いや、君の言葉を借りるなら『ユーレイ』だったっけ? とにかく今の君には体が無い。どこへ行っても誰にも認識されず、声も届かず、相手にもされず、歓迎もされない。そんな君が、帰る場所なんかある筈がないわよね?」

「……………………」

「まあ、帰る場所は無くとも行く場所はあるのかしら? 何せ、体が無いからどこへでも行けるし、どこにだって入れる。例えば……貴族の屋敷の浴場で美人令嬢の湯浴みを覗くことだって、今の君なら可能でしょうね。そんな背徳的だけど惨めで情けない生活を送りたいというのなら、私は止めないわ。お帰り頂いて結構よ。ご足労願って悪かったわね」

「……その煽るような癇に障る物言い、何とかならないのか?」

「ああ、怒った? それはごめんなさい。生憎だけど、口が悪いのは生まれつきなの」

「そうかい。そりゃ可哀そうに」

「ホントにね。まあ、体すら持たない今の君ほどではないと思うけど」

「てめぇ……」

「だから落ち着いてってば。それに言い換えるなら『君に体があれば、私の方が可哀そう』ということ。だから体が手に入った暁には、私に同情でも何でもすればいいわ」

「……はぁ? 何だ、その回りくどい言い方。お前、さっきから何を言――っ!?」


 興奮のあまり聞き逃してしまうところだった言葉を、危うく俺は聞き咎めた。そして思わず、ハッとしてしまう。

 そんな俺の表情の変化を目敏く見て取ったそいつは、にヘらと笑みを浮かべる。


「気付いたようね。そう、その通り。私なら、君に体を与えることが出来るわ」


 自信満々な表情で、力強くキッパリとそう言い切って見せる。

 嘘やハッタリの類だとは、到底見えない。

 しかし――


「そんな事、ホントに可能なのか?」

「信じられない? まあ、無理もないわよね。でも、私にはそれが出来る。確実に」

「それがホントだとしたら……お前、一体何者だ?」

「……ネクロマンサー。そう言って、通じる?」

「――っ!?」


 ネクロマンサー。その言葉を知らないファンタジー好きはいないだろう。

 一般的に『死霊使い』と訳される彼らは、文字通り死者や霊を用いた術式を駆使する高度な黒魔術師として描写されることが多い。

 ということは、即ち――沸き起こる興奮のままに、俺は眼前の女に詰め寄る。


「ネクロマンサー……ってことは、俺の魂を器物に憑依させたり、或いは死者の肉体に憑依させたりも出来るってことか。そうやって俺に体を――って、そうなんだな?」

「えっ? ま、まあね。そういうことよ。それくらい、私なら造作も無いわ」

「すげぇ! すげぇよ! 成程、だから肉体の無い幽霊の俺を拘束する奇妙なガラス瓶も持っていたワケか。一体どういう理屈の代物で、何でそんなモン持ってんのかって不思議だったけど、そういうことかぁ。霊を用いた術式を駆使するネクロマンサーなら納得だ」

「えっ? あっ、うん……そういうこと……だけど」

「やっぱりそうなのか! ははっ! すげぇ……すげえよ、お前!」


 見たくても見ることの叶わなかったファンタジー職業の実物をこの目で拝むことが出来ている。それだけで、ファンタジー好きにとっては歓喜モノだ。女の物言いへの苛立ちなどすっかり消し飛んで、俺のテンションは否応なくグングンと高まっていく。他方、そんな俺のテンションの上昇に何が起こったのか理解が追い付いていないのだろう。今度は女の方が目を丸くして硬直していた。


「……どうかした? すっかり固まっちゃって」

「えっ? あの……気味悪がらないの?」

「……へっ? 何で?」

「いや、だって……死霊使いとか、普通嫌悪するでしょ? 『死者の魂を弄ぶなんて不謹慎だ!』とか『死霊だなんて、おぞましくて醜い!』とか」

「あぁ? まあ、そんな反応する人もいるかもな。でも、俺は違う。寧ろカッコいいとすら思うぞ!」

「か、カッコいい?」

「おうよ。俺はちゃんとダークファンタジーも嗜んでいたからな。そういう職業も憧れるわ」

「……な、何を言っているのか全然分かんない。けど、一つ言える。君、絶対変だわ」

「ええっ? そうかなぁ?」

「そうよ。絶対に変だわ。そんなこと言われたの、初めてだもん」


 口を尖らせ、どこか気恥ずかしそうにそう呟く女。

 そんな女に、今度は俺の方がニヤニヤと不敵な笑みを向ける番だった。


「へぇ、そんな素直な反応も出来るんだ」

「うるさいっ!」


 茶化すようにそう言ってやれば、女の方がぶっきらぼうな反応を見せる。

 奇しくも先程までとは逆の立ち位置。それに気付いた俺たちは、何時しか可笑しさから自然と笑い合っていた。


「あっ、そういえばまだ名前聞いて無かったな。俺は清風……神宮清風。神の宮から吹き抜ける清らかな風のような男だ」

「キヨカゼ? 随分と変わった名前ね。この辺の人間ではないの?」

「――えっ? ま、まあね。この辺どころか、この世界の人間ですらないけど」

「…………えっ? この世界?」

「いや、何でもない。それより、お前は?」

「その『お前』って呼び方はやめて。……エルマ。エルマ=グラディウスよ」

「そうか、エルマか。よろしく、エルマ!」


 満面の笑みでそう言うと、女――エルマはどこか気恥ずかしそうに目を逸らす。

 この時の俺は、何故彼女が名前を呼ばれて目線を逸らすのか理解出来なかった。



「なぁ、エルマさんや。一つ聞きたいんだが」

「何かしら。言っておくけど、私のスリーサイズなら教えないわよ」


 手鏡片手――いや、両手に固まりながら、わなわなとした声音で問うてみた。

 すると机に向かって何かをつらつらと書き綴っているエルマから、凄まじくいい加減な回答が帰ってきて唖然としてしまう。


「いや、そうじゃねえよ! というか聞かねえよ、興味ないし」

「嘘ぉ! 絶対スリーサイズ聞かれるかと思った。だって君、面食いのスケベ野郎だし」

「面食いスケベって、しつこいんだけど。というか、スリーサイズって……」


 少々小馬鹿にした含み笑いと共に、エルマの肢体を下から眺めてみる。

 正直に言って、エルマの体躯は貧相そのもの。起伏が乏しいというか、なだらかというか。

 それでスリーサイズなどと、思わずため息が出てしまう。


「スリーサイズというか、シングルサイズだなぁああああああああああっ!?」


 思ったことを口にした瞬間、エルマに思いっ切り腕を捩じり上げられる。


「痛だだだだだだだだだだだだだだだだだだっ!? てめっ、いきなり何しやがる!」

「あら、ごめんなさい。何か凄ーく失礼な発言が聞こえたので、つい……ねっ!」

「痛だぁあっ!? やめろ、バカッ! 捥げるっ! 腕が捥げるぅうううううっ!!」

「どうせなら、本当に捥いでみましょうか? 大丈夫。もし捥げたら、丹精込めて縫い直してあげるから。勿論、意識は保ったままで」

「何、その拷問みたいな状況!? 分かった、悪かった! 俺が悪かったからぁっ!」

「ふんっ!」


 漸く責め苦から解放された俺は、乱雑に机の上へ放り投げられる。

 全く、涙が出そうなくらい痛かったぜ。ジンジン痛む肩をさすって慰めながら、エルマの方を不満げにキッと睨み付ける。


「何よ、その凄く不満げな表情は。折角体をあげたっていうのに」

「ああ、分かっている。そこは凄く感謝している。でも、一つだけ言わせてくれ」

「……何よ?」

「何で、俺の体はぬいぐるみなんだよ!?」


 一頻り笑い合って自己紹介を済ませた後、俺は早速エルマに憑依の術を掛けて貰った。これで適当な器物に憑依させることで、俺は仮初だが体を手に入れられる。勿論自分と同じ姿形顔の体が理想ではあるが、流石にそこまでは望むべくもなく。だから一先ずは自由に動き回れる体さえ手に入ればそれで良しとしようと、そう思った。


「細かいことは私に任せて。君は、ただ目を閉じていているだけでいいから。あと、私がいいって言うまで目は開けないで。術に支障が出るから。いいわね?」

「そうなのか? 分かった。じゃあ、お願いするよ」


言われるがまま、俺はそっと目を閉じる。間もなく術は発動され、感覚として俺の魂が浮遊。そのまま何かに入り込んだような感覚が体感として伝わってきた。


「はい、もう目を開けてもいいわよ」

「おっ、もう終わったんだ。早いなぁ、ありがとう。どれどれ……えっ?」


差し出された手鏡に受け取り、そこに映った自分の姿を見て、俺は愕然とする。

鏡に反射するその姿は、真っ白な猫をモチーフにした二頭身の愛らしいぬいぐるみの姿。実際に自分の顔を触ってみれば、もふもふでふわふわな心地よい手触りが伝わってきて、試しとばかりに歩いてみれば頭が重くて歩き難い上に歩幅も小さく、その上一歩踏み締めるごとに可愛らしくもどこか間の抜けた音が響く。


「あのぉ……これって一体どういう――」

「はい、じゃあそういうことで。体が手に入って良かったわねぇ」


 鏡の前で固まっている俺に向かって、サラッといい加減にそう言い放つエルマ。

 いやいやいやいや、ちょっと待てぇえええええええええええっ! 

 内心で俺がそう叫ぶのも、無理からぬことであろう。何せこんななりで冒険譚など、全然締まる気がしない。曲がりなりにも主人公なワケだし、カッコよさは大事でしょう?

 しかしそれを必死に訴えたところで、ロマンを理解しないエルマさんから返ってきたのは面倒臭いという本心駄々洩れの深ぁい溜息であった。

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