関係ないことを書きたがる乞食

 小説本編の終了後、文章の末尾に罫線を引いたりした上で本編と区切り「この小説が面白いと思ったら評価をあーだこーだ~」「励みになりますので、応援お願いうんぬんかんぬん~」とか抜かしてくるやつ、少なくとも僕は絶対に評価しないぞ。


 これ、マジで蛇足だ。どんなに良い作品だったとしても、感涙に咽び泣いていたとしても、心温まる展開にほっこりしていても、手に汗握る描写に没入感を得ても、全てが水の泡。とんでもなく興醒めする。動画を投稿する度に最後の数十秒使って「この動画が面白ければチャンネル登録~」とか言ってくるYouTuber並みにウザい。


 評価とは求めるものじゃない。自然とついてくるものだ。換言すれば、良作でなければ評価は求めてもついてこない。カクヨムのレビューなど、所謂「評価」というものは、その作品が世間的にウケる要素を秘めているか、面白くなるポテンシャルを持っているのかを確かめるためのリトマス試験紙のような役割を担っているのであり、だからこそ「評価」という行為に意味が生じてくる。評価を求めるという愚行は、その意味を形骸化させるだけだぞ。


 そんで僕みたいな、なまじっか頑固な輩は「評価を求める」という愚行を目にした時は意固地になって「絶対にしてやるもんか」ってなるから逆効果だ。せめて、そういうのは小説の紹介文に書き添えるとかに留めてくれ。本編終了後の末尾に、毎回のように書かれたんじゃ目障りにもほどがある。


 そもそも、小説とは頭から尻尾の先まで全部ひっくるめて、ひとつの作品を構成している。どれだけ内容が魅力的だとしても、最後の最後で気を抜いて関係ないこと書くようなやつ、評価に値する訳ないだろうが。


 後、グレーなのは、同じく毎話最後の方に、小説本編の内容に関する補足情報を説明してくるパターンのやつだ。あれなあ。僕が本稿で一貫して主張していることだが、そういう小説の内容に関する情報っていうのは、あくまで登場人物の会話、地の文、物語の展開の一環として、本編でうまいこと説明してくれないか。計3分の音楽聞いて、歌詞が終わって「良い曲だったなー」と思ったらシークバーがまだ2分30秒までしか進んでなくて「あれ、おかしいな」と待ってみたら、急にボーカルが「この曲が良いと思ったら~」「この曲の作曲の背景には~」みたいなこと言ってきたら後味最悪だろ。そういうもんだ。自分の作品に良作としての自信があるなら、評価を求めたり、補足情報を書き足したりっていう意味の分からん行動は慎むことを、強くつよーくおすすめしたい。


 ──おしまい。

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