第20話 まだ早い!

 ムーテが、音を立てないように扉を閉める。その横顔は真剣そのもので、ふざけて押せるような雰囲気ではなかった。


 あんなことがあって、大丈夫だろうか、なんて思っていると、


「さっきは、本当にありがと。……本当に」


 と、トーリの手を取り、ムーテが祈るようにお礼を言う。当然、切られた耳はそのままで、風が吹けば時折、痛々しい傷が桃髪の下から覗く。


「痛いだろ」


「まあ、痛いけど、ほどほどに慣れたから大丈夫。ところで、二人は旅人さんなの?」


 ムーテはケロッとした顔でそう尋ねてきた。なんだか、何を考えているのか、よく分からない。


 その問いかけを無視して、僕はトーリの手をムーテから取り返して、歩いていく。


 少しの後に、トーリが答える。


「まあ、旅人さん、だな」


「すごいね。どこから来たの?」


「前にどこにいたかって意味なら、山南の国だ。どこで生まれ育ったかって意味なら、故郷みたいな場所は特にない」


「へー!南の国って、ラミーダムスだよね。どんなところなの?私、行ったことないんだ」


「ここは賑やかだが、向こうは露店も少なくて、全体的に静かだったな」


 清潔感のある、白や黒、灰色の建物が多かったっけ。ここほど寒くもないし、雪もなかったのは覚えている。


「とーりすは、どっちが好き?」


「今のところは、ラミーダムスだな。静かな方が性に合ってる。が、まだ来たばかりだから、これから良さを見つけていくこともあるだろうな」


 色彩豊かな景色に心打たれていたトーリだが、今は目が見えないことになっているので、その辺りには言及しない。


「そっかそっかー。私も行ってみたいなあ――」



 気に入らない。何もかもすべてが、気に入らない。



「ねえトーリス。僕抜きで、何親しげに話してるのさ」


「レイノンも一緒に話せばいいだろ」


 くっ。トーリの純粋さが、眩しい。大体、ルジもなんであんな家の子と一緒に行かせるんだ。


 トーリに聞こえないように遠くに行ってほしい、ってことは分かってるさ。分かってるが、分かるけど……!


「あ、私がこの街を案内するよう言われたんだった。ごめんね、お義兄さん?」


「許さん」


「あはは、許さん、って言われちゃった!」


「レイ……なんか、意地悪だな」


 ガーン。トーリに意地悪と言われてしまった。ここは、ムーテと仲良くしてトーリの信頼を取り返さなくては。


 でも、まったく効いていない様子のムーテの笑顔が、腹立つから、なんか嫌だ……。でも、トーリのために……し、か、た、ぬ、ぁ――。


「――とーりす、今、お義兄さんのこと、レイって呼んだ?」


「ああ……。幼い頃にそう呼んでたんだ。今もたまに出る」


「へえ。お義兄さんはとーりすのこと、なんて呼んでたの?」


「まだ早い!」


 はっ、また反射的に反骨してしまった……!


「あはは!そう来たかー」


「レイノン、今日はなんかおかしいぞ。大丈夫か」


 ダメだ、仲良くできる気がしない。


 可愛い見た目とか、嘘っぽい笑顔とか、反応がわざとらしいところとか。僕を勝手にお義兄さん呼ばわりするところとか、母親の前ではあんな顔しておいて要領よく外ではケロッとしてるところとか、僕の嫌味にまったく動じないところとか。トーリに向ける露骨な好意とか、トーリをいきなりくれって言ってきたとことか、トーリが仲良くしてあげてるところとかあぁああああ〜〜〜〜全部が、気に入らない!!


 けど!


「大丈夫だよ、トーリス。もう落ち着いたから」


「お、おう。あまり無理はするなよ、レイノン」


「うん、ありがとう」


 我慢だ、我慢。全部ぐっと飲み込んで、仲良くするんだ、僕。すべては、トーリと仲良くするために。そして、トーリを心配させないために。


「二人は、仲良しさんなんだね」


「いや別に……」


「いやあ、仲良しさんなんだよ、僕たち」


「まあ――」


「あ、ここ。最初の観光名所ね」


 小さな手が指す先には、だだっ広い広場が広がっていた。辺りは石造りの真っ黒で無骨な建物が取り囲んでおり、建物沿いに露店が立ち並んでいる。


「ここは、ミーザス広場。勇者様の功績を讃えるために作られたの」


「ユーシャ……?」


「あれ、知らないの?」


 トーリがかわいく首を傾げると、ムーテはきょとんとした顔になる。トーリがフード越しに僕に顔を向けるが、僕も知らない。


 ユーシャって誰だろう。まあ、トーリが知らないんだから、大したことはないんだろうけど。


「ミーザス様は、七年前、悪神龍クレセリアによって滅ぼされそうになったこの世界を救ってくださった、人間の勇者様だよ」


 龍?人間の勇者?世界が滅びる?


「なにそれ、おとぎ話か何か?」


「ううん、本当の話。――あ、ちょうど紙芝居が始まるから、聞いていこ?」


 建物沿いの露店に三方を囲まれたその中心に、紙芝居屋があった。トーリの手のひらから、ちょっと気になるという熱を感じ、仕方なく向かうことにする。どうせ紙芝居を見るなら、トーリが見えるときに来たかった。


「一人、一〇〇ルーザハね」


 と、屋台のお姉さんに言われる。文脈的に、お金ってことだと思うけど……るうざふ?るうざか?って、何。


「トーリス、持ってる?」


「ルーザハ通貨はルジから預かってる」


「いつの間に?」


 トーリスは懐から適当なルーザハらしきものを取り出すと、紙芝居のお姉さんに手渡した。


「三人ね、まいどあり!」


「え、私、いいよ。お小遣いあるし」


「ルジからムーテの分も払うよう言われてるから、気にするな」


 そんなことは、さすがに言ってなかったと思うけど、ルジなら払ってあげそうだなとも思う。


 それに、『俺が稼いだお金だから、なんて思わなくていい。使いたいときに、使いたいことに使うんだ。まあ、そのうち、一の位までぴったり返してもらうけどね?』と、よく言っているから。


 トーリスがそうしたいと思ったのなら、ルジからそう言われたという表現も、あながち間違ってはいないのかもしれない。ムーテに使うというのが、心底、気に食わないけど。


「うん、ありがと……」


 面食らったのか、しばし、笑顔が抜け落ちていた。気づけば元通りのニコニコだが――。


「これより始まりますのは、悪しき神龍クレセリアと勇者ミーザスのお話に、ございます」


「お礼はルジに言え」


 紙芝居が始まり、トーリスが小声で囁いた。

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