第1話 野球界を追われた男



 ──東京都 台東区。



「──ひまだな」


 繁華街から少し離れた河川敷近く、ゆるやかに吹く風がほどよく伸びた黒髪を揺らす。昼間からやることもない体格のいい男がぽつりと呟いた。


 男は暇を持て余していた。暇なのは理由がある、実はこの男『東谷 拳あずまや けん』は半年前までプロ野球選手だったのだ。


 彼が何故プロ野球を辞め、そして毎日のように外へ出てはふらふらして退屈を埋めているのか?


 まだ陽が高い初夏の午後、若年22歳の東谷は河川敷で遊ぶ小さな子供達をぼんやり見ながら、自分の人生を振り返っていた。



 ──元プロ野球選手である東谷の来歴は、中学一年から野球強豪校の四番エースピッチャーとして活躍が始まる。


 得意の強く重く伸びるストレートは『マッハストレート』と呼ばれ、他にも多彩な変化球を武器に母校を全国大会優勝に導き、さらに高校では三年連続甲子園に出場して全て入賞するという怪物的な活躍をみせる。


 誰もが口を揃えて言う天才野球少年であった。高校卒業後は、ドラフト一位でプロ野球チーム『東新とうしんビッグアローズ』に入団。


 プロ現役時代はリーグ優勝に貢献し、最多奪三振のタイトルまでも取ってしまう偉業を成し遂げる。


 しかし、そんなスーパー選手の東谷は良く言えば明るくやんちゃ、悪く言えば非常に短気な性格の持ち主であり、それが災いとなってある事件が起こってしまった。


 それは、彼の所属するチームに新監督が就任したことで起こった。


 新監督と彼は意見が合わずたびたびいさかいがあり、ついには東谷はその豪腕で新監督を殴り大怪我をさせ問題となった。


 このことで彼は全日本プロ野球協会から査問を受けるが、そこでも協会会長の言動に腹を立て再び暴力を振るってしまった。


 この事は大々的にニュースになると、東谷は世間から強いバッシングを受けた。才能に溺れた傲慢暴力野郎だとか、知力のステータスが無いとか、野球のできる腐れゴリラとか言われた。


 短気は損気……しかし、その暴力には理由があった。あの新監督の言動は東谷のチームメイトを誹謗中傷したり、特定の選手にえこひいきするような最低な奴だった。


 そして協会会長の発言もまた最低であった。


 東谷は産まれし時より親に捨てられ、貧しい孤児院で育った。そんな彼を愛情を持って育ててくれた、自分の母と呼べる孤児院の先生を、あの会長はとぼすような発言をした。



『所詮は孤児の子か、親の顔が見てみたいがろくな者じゃないだろうな』



 自分の母と呼べる人を侮辱された東谷は激昂し、その鍛えた豪腕をもってしてこぶしを放ったために、協会は彼を野球界から無期限追放の処罰を下した。


 これに対して東谷は自身にも主張があると周りに声を出したが、その主張は隠されるように何者かによる圧力のようなものが見え隠れし、誰にも届かなかった。


 恐らくは会長が金や権力で有耶無耶うやむやにしたのだろう。



 いつの世も才気あふれる者は釘打たれる。東谷もまた、その一人であった。



 ──以上、簡単ながら自分の人生を省みる……。ぼんやり浮かべた記憶と共に、俺はのどかな平日の午後を空を見上げながら大きなあくびをする。


 半年前まではあんなに忙しい日々を送っていたのが嘘のようだ。去年の今頃は確かゲストでバラエティ番組なんかに出てお茶の間を明るくしていたなと、今では遠い過去のようだ。


 今日は何をしようか、最近はこの辺りのバッティングセンターでホームラン記録を塗り替える事で暇をつぶしていたが、それも昨日で終わってしまった。


 もう都内にあるバッセンは全て網羅した。あとはこの後のルーティーンと言えば、近所にある高校野球部の練習を眺めたり、スーパー銭湯に行って気がすむまでサウナに籠もったりする……。


「なんか俺、おっさんくせえな……」


 野球しかできない者が、野球に見放されるとここまで落ちるのかと軽く絶望した。


「いや! まだ俺は若い! ……そうだ、全国のバッセンだ! 全国のバッセンの記録を俺が塗り替える! よしッ! これだッ! ガッツあるし!!」


 根っからの野球人である俺の心は、常に白球と共にある。


 そうと決まれば話は早い、まだ野球熱のこもる自分の体を震わせて立ち上がった。ここから始まる、全国バッセン巡りの旅。


 そして、ゆくゆくはその記録を引っさげてプロ野球界に戻れる日を夢見て、男はその第一歩を河川敷から踏み出した!



「きゃーー! 泥棒ーーっ!」



 大雑把な決意を固めた同時、若く黄色い悲鳴が彼の後ろにある土手の上から響いた。


 何事だと土手を見ると、そこには若い女性が倒れていてその彼女の視線の先には、覆面をした男が倒れた女性の物と思われるバッグを奪って走り去っていくのが見えた。


「やろう──!」


 正義感は強い方だ、俺は走っていく男を睨むと自分の意識より先に体が動いた。


 犯人までの距離は目測でだいたい70メートルくらいだろうか、東谷は河川敷にいくらでもある石を適当に一つ拾うと、


「運が悪かったな──俺は! 豪腕パワフル、なんだぜッ!!」


 思い切り振りかぶって投げた石が、空を切り裂くかのような音で真っ直ぐと伸びた。


 これこそが俺の一番の持ち玉『マッハストレート』!


 元プロが投げるその石は、寸分狂わず犯人と言うキャッチャーミットに向かって飛ぶと、


「あ"だッ!?」


 見事、その首根っこに当たり──犯人は間抜けな声を上げてその場に倒れた。


「シャアッ!! やりいッ!」


 現役から半年、だがブランクを感じさせないその球威は、彼が普段から筋トレとバッセンのピッチングマシーンをかかしていないからであろう。


 がくりと倒れる犯人の元に駆け足で近寄り、その盗んだバッグを取り戻すと、俺は自信満々に女性の元へ歩みを寄せた。


「お嬢さんもう大丈夫ですよ。はいこれ、バッグです」


「あ、ありがとうございます!」


 普段喋らないような紳士的な言葉で、俺は女性にキザに話しかけた。


「(おいおいおい、この子近くで見たらめっちゃかわいいじゃねーか!)」


 シンプルに好みであった。長く綺麗な栗色の髪でポニーテールがふわりと揺れる、年齢は20才くらいだろうか、華奢だが出るとこは出てる体つきと、まだ幼さが残るかわいい顔は彼の男心を大いにくすぐった。


「ど……どうですか、もし暇なら僕とお茶でも──」


 彼女の可憐さに急なナンパ文句が出てこなくて、古典的な言葉が口から出る。


 しかし、そんな彼女は俺の顔をじっと見つめて不思議そうな顔をしている。


「……? あの……どうかしました?」


「今の投球──もしかして……プロ野球の東谷選手ですか!?」


 俺は心の中でガッツポーズをした。自分の事を知ってくれてる、これはナンパでかなりのアドバンテージだ。自分で言うのも何だが、有名人はこういう時に得だなと心底思う。


「えっ、そうだけど……」


「やっぱり! あの、私、東谷選手を高校時代から知ってます! 特にあの三年最後の甲子園決勝であの強豪、大阪党進からサヨナラホームラン打った伝説はもちろんのこと、一年生からエースナンバーでチームを引っ張ってるのも前代未聞で凄いし、プロに入ってからも球速が上がり続けるあのストレートは何回見ても驚愕のピッチングですよね!! それからそれから……」


 まるで崩壊したダムのように彼女はマシンガントークをかましてきた。


 俺は面を食らったように目が点になる。たまにいる熱狂的な野球オタク、何回か見たことあるが女の子のパターンは初めてであるため、東谷はその勢いに半歩下がりつつも熱心に語る彼女を見て心が躍った。


「マジかよ……俺を、こんなにも知ってくれてるなんて……! マジでありがとう……! じゃあ、どうだいこの先の喫茶店にでも──」


 これは大チャンスとばかりに下心むき出しのニヤけた顔で東谷は言う……が、彼は肝心な事を思い出しハッと我にかえった。


 そうだ、自分は世間ではただの暴力野郎で報道されてて、一般人からのイメージは最悪なのだと。


 勝手に舞い上がって、勝手にテンションが下がった。むしろ自分を知っててほしくなかった。俺はこのナンパは失敗だと刹那に理解した。


「東谷選手! あの、今お暇ですか? いきなりでごめんなさい。でも、ちょっと私のお願いを聞いてくれませんでしょうか」


 ……何が起こっているのだろうか、沈んだ顔した東谷の手を握って、彼女は真剣な目でこちらの顔を凝視する。


「え……あ、も、もちろん……?」


「よかった……! じゃあこっちです! さっそく行きましょう!」


 まだ状況をよく理解せぬまま俺は返事すると、彼女は明るい笑顔をみせて彼の手を引っ張った。



「(あれ、これ……もしかして……脈ありかッッッッ!)」



 脳内麻薬がはじける。自分の体内の血流がぎゅんぎゅんと廻るのを感じると、彼の色んな部分が元気になった。


 最近の悪いことがやっと転化したのだ、東谷拳にも春が来たのだと、顔が期待いっぱい下心いっぱいのだらしない顔になる。


「いや〜かわいい女の子の頼みとあっちゃ断れないよ。それで、ええっと君は……」


「あっ、失礼しました! 私、『南方 洋子みなかた ようこ』って言います。私スポーツ見るのが大好きで、東谷選手の事は球場で応援したり見たこともあるんですよ」


「えっほんと!? 野球好きな女の子とか生きてるだけで偉いよ!」


 洋子ちゃん、かわいい名前だ。いやもうどんな名前でもかわいいけど、とりあえずやべえ、超タイプだこの子。しかも、俺をよく知っててくれてるのが何よりでかい……!


「洋子ちゃん、素敵な名前ですね。それで、これからどこ行くの?」


「それはですね……私の家です!」


 家かあ〜! いきなり自宅でしっぽりかあ〜! 大胆〜! でも嫌いじゃないッッむしろ好きだッッ!


 彼女のなびく髪を追いかけるように、ステップ踏みながら下心の獣は跳ねる。


 良い日よ、良い日よ、良い日今日は。浮ついた足取りは目的地へと迷いなく、最短で、男は誘われる。



「東谷選手! 着きました!」


「はーいッ!」


 河川敷から10分程度で着いたそこに、彼女の家があった。これから始まる最高の一時が始まる──



「…………ん? ここって……」



 その彼女の家を見て──我が目を疑うかのように、俺は口をぽかんと空けて言葉を漏らし、彼女は満面の笑みで俺を見た。



「ようこそ、私の家──『南方ボクシングジム』へ!」




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