神官ミリアは神の言うことしか聞きません 11

「ど、どうしてあの子を殺さなくてはならないのですか!? あの子は忠実なる神のしもべですわ! 殺す理由など……」


 聖人シルヴァに子供を殺せと命令されて、ミリアは取り乱していた。


 自分が辛い時、常にそばにいてくれた『子羊さん』。


 あの子を殺すだなんて――想像しただけで体が震えた。


「なぜ、なぜ……あの子を殺す必要があるのです!?」


 そう聞くと、空に浮遊するシルヴァは答えた。

『たしかに今は生かしておいても害はない。しかしやつは10年後、女神クィーラが遣わした転生者ユータロウの敵となる。女神クィーラにはその運命が見えている』


「子羊さんが、ユータロウ様の敵に……? ユータロウ様の……」


 ユータロウ――女神クィーラによって地球から連れてこられた転生者。


 女神から直に力を授けられた最強のエレメンタルマスター。

 

 勇猛にして高潔――ユータロウに最初に会った時、ミリアの胸は生まれて始めてときめいた。

 この人のためなら、全てを捧げてもいいとさえ思った。


 だが、だからといってユータロウのために幼い子供を殺せるかというと――。


「子供を殺すなど……第一信じられません! あの子にユータロウ様を憎む理由など……」


『ミリアよ、そなたは気づいておらぬだろうが、あの子供はトロルとヒューマンの混じり子である。父親はこの島のトロルの王だ。あの子はトロルの王子なのだ!』


「トロル……の?」


『そうだ。そして島のトロルの王は先月、ユータロウに討たれた。――私がなにを言いたいかわかるな?』


「…………」


 『子羊さん』はトロルの王子。

 

 そしてトロルの王はユータロウに殺された。


 つまり、トロルの王子にとって、ユータロウとは父のかたきに他ならない。


 ユータロウを憎む理由は十分以上にある。


 もしかして、そもそもあの子がこの教会を訪れたのは、父のかたきのユータロウに近づくためだったのかもしれない。


『ミリアよ、これはそなたに架された試練である。心通わせた子供を殺すことで、そなたの神への忠義が本物であることを示すのだ!』


**


 目を覚ますとミリアはベッドの上にいた。


「全部、夢であってくれたらいいのに……」


 しかしあれは夢ではない。

 肌には空で感じた風の感覚が色濃く残っている。


 クィーラ教の聖人シルヴァは、たしかに昨夜ミリアの元を訪れた。


 ミリアは『子羊さん』を殺さなくてはいけないのだ。


「…………どうしたら」


 もう朝の祈りを始めなくてはならない時間だが、ミリアは動けなかった。


 ベッドの上で膝をかかえ、胎児のように体を丸める。


 すると――。


「お姉さん、大丈夫? どこか痛いの? お医者さん呼んでこようか?」


「……えっ」


 声に顔をあげると、『子羊さん』がそこにいた。


 教会に出てこないミリアを心配し、寝室にやってきたのだろう。


 ミリアを気遣うように見つめるその様子が愛おしく、ミリアはベッドを下りて『子羊さん』を抱きしめた。


「あらあら、大丈夫よ子羊さん。ちょっとお寝坊をしてしまったの」


「へえ、お姉さんでも寝坊することとかあるんだ」


「もちろんあるわ。私なんてまだまだ未熟者なのだから」


 ぎゅうぅっと、ミリアは腕に力を込めて『子羊さん』を抱きしめる。


 戦によって両親を奪われてしまった、トロルの王子。

 聡く、賢明で、なにより優しい天使のような男の子。


「……あ、こら……」

『子羊さん』が鼻先で胸を突いてくるものだから、ミリアは呆れたような声を出してしまった。


 きっとこの子は母性を求めているのだろう、とミリアは解釈していた。


「あらあら子羊さんたら仕方のない子……いいわよ、今日は私をママだと思ってくれてかまわないから。あなたは赤ちゃん、私はママ。――そうだ、よかったら吸わせてあげる!」


 ミリアは自身の寝巻をたくし上げ、下着のつけてない乳を露出した。


「さすがにミルクは出ないのだけれど、さあ、ちゅーちゅーって」


 この子を殺せるかはわからない。

 だけどとにかく今は、このかわいそうな男の子に、ミリアは優しくしてあげたかった。


**


 その日も次の日も、ミリアは『子羊さん』を殺せなかった。


『子羊さん』が背中を見せている時、ミリアは何度かその首に手を伸ばそうとした。

 背にナイフを突き立てようとした。


 でもだめだった。


 自分が一番辛い時、一緒にいてくれた男の子。

 寂しかった教会は、この子のおかげで人が溢れるようになったのだ。


 殺せるわけがなかった。


 ミリアは両手で顔を覆い、浅く何度も息をはく。


「お姉さん、苦しいの……?」


 不安そうにミリアの顔をのぞきこんでくる『子羊さん』


「いいえ……なんともないわ。わたしなら大丈夫よ。心配してくれてありがとう、子羊さん」


「嘘だよ! お姉さん最近ずっと辛そうだもん」

 

 『子羊さん』はミリアの嘘に騙されてはくれないかった。


「そんなこと……私なら本当に大丈夫――」


「僕のせい?」


「え……?」

 どくん、とミリアの心臓が跳ねた。


「僕がいるから、お姉さんは苦しんでるの?」

 

「そ、そんなわけないじゃない……! そんなはず! 私はあなたがいてくれて幸せよ、そうに決まっているじゃない!」


 必死に否定したが、『子羊さん』は何か感づいているようだった。


 勘のいい子なのだ。


「お姉さん、僕ね……お姉さんのためならどうなってもいいよ。僕に優しくしてくれたお姉さんを苦しめたくないし……。――あのね、今まで黙ってただけど、僕トロルの血が入ってるんだ……だから殺されても文句は――」


「あなたが殺されていいわけがないでしょう!?」

 ミリアは『子羊さん』の言葉を遮る。

「デミ・ヒューマンの血が入っているからなんだというの……そんなのはささいなことよ。そのお口を閉じなさいな、二度と自分を貶めないで……!」


「でも……クィーラ教って、トロルとは仲良くしちゃいけないんだよね……? たしか不浄だからって」


「知らないわ、そんなの!!」

 金切り声でミリアは叫ぶ。


 以前のミリアなら、教義を破るなど考えられなかった。


 トロルと知った瞬間に追い返していただろう。 


 だけど今は違う。


 人と心通わす喜びを知ったミリアは、神の教えに盲従することはできなくなってしまった。


 純粋ではなくなってしまったのだ。


「子羊さん……」


 殺せない、絶対に無理だ。


 たとえ愛する女神の命令といえども、


**


 ある夜、ミリアの元に三度みたび聖人シルヴァは降臨した。


『なぜトロルの王子を殺さぬ! そなたは女神クィーラの命に逆らうのか!』


「私にはできません。あの子を殺してしまうなど……」


『なんたる堕落……そなたには失望したぞ。よい、ではそなたが殺さないというのなら、ユータロウ本人に直接殺させるとしよう』


「そ、そんな……! ユータロウ様に子を殺させるなど……! ユータロウ様はそんなことはなさいませんわ! あの方は、そんなこと!」


 あの無辜むこなる転生者ユータロウが子供を殺すなどあるはずない。

 

 いくら女神の命令とはいえ、絶対に、自分と同じように拒否するはず――。



 そこで、ミリアの意識は途切れた。



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