第9話 花冠をのせて

 孤児院前に大勢の村人たちが集結し、中央からの貴人の姿を一目見ようとしていた。一生のほとんどを村で過ごす彼らは国王陛下の顔こそ辛うじて肖像画や貨幣の横顔で知るぐらいで、次の国王の顔も、その妃となる女性の顔にも関心がない。リリーローズという名の女性が婚約者として公表されても、リリーローズ本人と結びつけて考えない。彼らは、自分たちの領主の名さえ噛まずに言えれば十分だとしている。


 婚約者はそつのない微笑みとともに求められた握手に応え、手を振っていた。自らが王子だと名乗りはしなくとも、骨身に沁みついている行動なのかもしれない。


 村人たちの洗礼を受けて、孤児院の門をくぐれば、騒ぎを聞きつけた子どもたちがわっと飛び出して、王子の護衛ともども一行を囲い込む。


「リリー姉ちゃんが綺麗な恰好をしてるや!」


 ある男の子がからかうようにドレスの裾を引っ張ろうとすれば、それを止めるおしゃまな女の子も「いいなぁ、お姫様みたい」と羨ましげに言うような感じで、収拾がつかない。はなからドレスの無事は諦めていたリリーローズだったから、まだ小さい子が他の子たちの押し合い圧し合いに負け、転んで泣き出した時も真っ先に膝をついて抱き上げた。もう片方の手には結果的に小さい子を転ばせてしまい、半べそをかいている子の手を握る。


「ほら、みんな。お客様に興味があるのはわかるけれど、礼儀も大切にね。ご挨拶は?」


 すると子どもたちは気を付けの姿勢を取ってから、元気よく「こんにちは!」と叫ぶ。


「こんにちは」


 彼も片手を上げて挨拶を返した。


「私はクラウディオ。そこにいる彼女とは以前からの友人だ」


 ためらわず本名を名乗った彼にぎょっとする。孤児院では身分を伏せると聞いていたのだが。

 ませた少女たちに取り囲まれた王子の背中に、あの、と声をかけると、彼は首だけ巡らせて答えた。


「……クラウディオという名前など、同世代に吐いて捨てるほどいるよ。王族の名前にあやかって名前を付ける人々は大勢いる」


 それきり婚約者は孤児院の子どもたち一人一人に声をかけることに没頭しているようだ。優しそうな声音で頭を撫でてやっているのを見ると、まるでおとぎの世界の住人のように霞を食べて生きていそうな感じがする。


 リリーローズの傍には人見知りの激しい子たちが集まった。皆興味津々に王子を眺めているので、そっと背中を押してやればそろそろと近づいていく。王子はそんな少年少女たちにも目ざとく気が付き、近くに来るよう手招きしていた。

 そうして、リリーローズの隣にはアネットだけが残った。


「アネットもせっかくだもの、声をおかけしてみたら?」

「やだ。面の皮一枚に寄って来るやつらと一緒にされたくない」


 目鼻をぎゅっと中央に寄せてまで拒否し、重々しく両腕を組む。リリーローズは婚約者の横顔を観察する。確かに一般的に見ても美男子という範疇に入るのかもしれない。


「皮一枚だけのため、ということもないんじゃないかしら。交流会でもないのに訪問するのが珍しいこともあるのでしょう」


 アネットは顎をしゃくった。


「……ああいうのには関わりたくない」


 くるっと背中を向けて、一人どこかに行ってしまおうとする。リリーローズは後のことを護衛たちに頼み、自分はアネットを追いかけることにした。


 アネットは裏庭の奥、以前母狼が乗り越えてきた塀の辺りにひっそりと群生している白い花の辺りで座り込んだ。暗いとばかり思いきや、木漏れ日がひっそりと差し込み、孤児院表での騒ぎがまるで嘘のように静まり返っていた。


 アネットはぷちぷちと白い花をむしり取る。リリーローズにちらっと視線を向けたかと思えば、すぐに手先の作業に集中している。何を作ろうとしているのか、いつまで経っても形が見えてこない。


「む」


 アネットは不満を凝縮したような呻きとともに花の束を投げ出し、そのまま芝生の上で寝ころんだ。

 リリーローズはふと思いついてアネットが放り出した花を手に取った。一本一本を編み上げて、花冠を作る。それをアネットの頭に乗せてやると、彼女はばねのように起き上がった。手の中の花冠に目を丸くしている。呆気にとられている顔は年相応の少女らしい。

 アネットはもう一度花をむしりはじめた。そして、出来上がりの花冠と見比べ、自分の手で同じものをちまちまと作っていく。


 リリーローズの倍以上の時間がかかったところで、不格好ながらももう一つ花冠が出来上がった。


「できた」


 声音もどことなく満足げだ。リリーローズも微笑ましく思っていると、その花冠はぽすん、と彼女自身の頭に収まった。

 勇ましく二本立ちで腰に手を当てているアネット。リリーローズを見下ろしながら、その表情が微妙に変わっていく。

 唇に、不器用な弧ができていく。小さなえくぼができた。

 孤児院に来てから初めてアネットの笑顔を見る。

 リリーローズはアネットの頭上に手を伸ばしていた。

 赤い髪から、思ったよりもしっかりした感触が伝わる。

 ひたひたと潮が満ちていくような感覚が胸に広がる。水にさらされた砂粒が内側の柔らかな部分を擦ったようなむずがゆさもやってきて、身体が震えた。


「ありがとう」


 やっとのことで絞り出した言葉とともに、リリーローズは笑顔になった。

 そうして二人で手を繋ぎ、孤児院の表に戻って来るまでのほんの少しの間、リリーローズは思い切ることにした。アネットの首元に、以前見た狼の牙の飾りが服に隠れるようにあったのを、先ほど見つけてしまったから。


「アネット。その首飾りのことだけれど、誰かからもらったもの?」

「……いや」


 少女は首を振り、飾りごと服を握りしめた。


「いつの間にかあったやつ。何もわからない」

「何の動物の歯だと思う?」

「……犬」


 確信まではしていない話し方だった。


「それは、狼の牙じゃないかしら」

「へえ」


 服の中から飾りを出し、食い入るように見つめるアネット。リリーローズは足を止めた。

 不思議そうにこちらを見上げるペリドットの瞳に懐かしさを覚える。

 しかし、アネットはあの人ではない。


「今度、その首飾りの事で話があるの。とても大事な話よ」


 アネットの目つきは警戒心を帯びた。手がぱっと離される。


「なに」

「そんな悪い話ではないの。ただ、今日は慌ただしいから。どうせならじっくり話したいと思って」

「……わかった」


 不承不承といった感じで少女は頷いた。

 再びリリーローズがアネットの手を取ろうとした。


「待って」


 彼女の手を振り払った手は、もう一方のリリーローズの左手を掴む。


「この指輪、なに」


 婚約者から贈られた指輪を指さした。


「いつもしていないだろ。変だ。さっきから気になっていた」


 リリーローズははっとした。孤児院の子どもたちには婚約の事は話していなかったし、孤児院の手伝いに指輪は邪魔なだけ。普段は机にしまい込んでしまうぐらいなのだが、彼と一緒に来ているので身に着けていた。まったく失念していた。


「これ? これは……婚約者から、いただいたものよ」


 宝石は不透明な白い色のままリリーローズの指で鈍い光を放つ。自分の手がまるで別人の手のようで、「婚約者」と発音する自分の口も他人のもののようだった。子どもの前で、下手な誤魔化しなんてできない。まして、アネットは察しの良い子だった。


「結婚は、いつ」

「まだ知らされていないの。結構かかるのかもしれない」


 王族の婚約期間はかなり長く取られている。内定から発表、実際の婚礼に至るまで数年単位でかかる。まして、王都でも物騒な事件が起きて間もないのだから、準備も中断している可能性があった。本人が関われることでないので、事情はリリーローズも詳しく知らない。


「まだ先のことよ。お別れになった時には皆にも知らせなくちゃね」

「あ、そう」


 アネットは不快そうにリリーローズの手を離した。


「その指輪、ぜんぜん似合ってない!」


 そう叫んだきり、アネットはだんまり。結局、その日再びアネットの声を聞く事はなかった。小さな花畑での出来事はまるで儚い泡のように消えてしまった。幻でない証は、頭の上で飾り付けられた白い花の花冠だけ。

 帰りの馬車に乗る頃には、それも萎れてしまった。膝の上に置いていると、婚約者は花冠を持ち上げてこんなことを言う。


「もう駄目になっているではないか」

「いいです、それでも」

「そうやってあなたはもうどうにもならないものまで後生大切に抱え込むのか。腕がいっぱいになったらどうする」

「そうしたら蹲ります。もう少しだけ抱え込めるかもしれませんから」

「動かなくなったらいずれ死ぬとしても?」

「……あの子どもたちは悲しんでくれるでしょうか」


 真実リリーローズを悼む人がどれだけいるだろうかと時々考える。例えば目の前の人なら、とても立派に「亡き婚約者を慕う王子」になってくれるだろう。彼は自分が何を求められているのかよく把握しているから。きっと上手くやる。


「好きにすればいい」


 婚約者は萎れた花冠を頭に被せた。驚くリリーローズを見つめるのは、冷めた面差し。柔らかさを失ったバイオレットの瞳だ。

 彼女は怖くなって、顔を伏せた。

 追いかけてくる夕闇を背に、馬車は時々調子っぱずれな軋みの音色を奏でつつ、おおむね順調に走り続けた。


――小窓からのぞく夕暮れの光が馬車の内部に差し込んで、細かな埃が目に見えて舞い上がったその向こう、立襟から覗く咽喉と、すっきりした顎の輪郭、一直線に結ばれた唇の形。

 普段は気にかけないようなことに目を止めたのは、虫の知らせだったのかもしれない。



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