塹壕に眠れ

JUGULARRHAGE

塹壕

 朝霧に隠された清流のせせらぎと穏やかな朝日の元、高らかな勝利の声に呼ばれていると信じ、純粋で活力に満ちた若者達の中に、私はいた。誰もが悩みの一つもなく目を輝かせて何百キロ彼方の戦場へ進んでいたのだ。

 だが、配属されて3日、たったの3日で幻想、いや、自分の生み出した甘美な空想に気付かされた。


 戦闘のロマンティシズムは始めて被弾した、敵弾が切り裂いたこめかみから純粋なる血と共に流れ出た。そして、代わりに戦争の戦慄が私の頭に居座ったのだ。

 そうして物事に対する考えは変わっていく。これは悪い事ではなかった。最初は気づかなかったが、後に適応しているのだと気付いた。戦争に適応して自分が新兵から古参兵へと変わっているのだと。鉄が何度も焼かれ、叩かれて強靭に鍛えられる様に私は鍛えられた。炉にくべられた炎の代わりに砲弾と爆弾が、そして打ち下ろされるハンマーの代わりに銃弾が私を鍛え上げたのだ。敵は意図せずに私をより自分達にとって厄介なものへと変えていたのだ。

 しかし、いくら鍛え抜かれた鉄でも幾度も幾度も繰り返す小さな力に屈する事がある。今の私はその状況にとても近い状況であった。

 絶え間ない敵の砲撃は私達歩兵を木っ端微塵にしようと空から塹壕めがけて飛び込んでくる。砲弾一発が落ち、不幸な部隊が一人を残して数日前に壊滅した。

 そうでなくとも砲弾は巻き上げた泥と土で生き埋めにしようとしてくるのだ。


 ヘルメットを押さえて銃を抱え、塹壕の壁にへばりついたままの生活が数週間、数ヶ月続いている。私の精神はすっかり参ってはいたものの、闘志は消えていなかった。これは幸いな事で戦争とはつまり、小さな戦闘の集まりだ。銃を向けあった自分と相手の二人。戦争と言うとわかりずらいが、一対一のある種の決闘を行っているのだ。その決闘を制するにはまず闘志が必要だ。戦うという意志が。


 その決闘が無数に起きているのが戦争となっている。であれば、兵士一人に求められる最小要素であり全ての基礎的部分は闘志という事になり得る。ある者は「いや、それは闘志ではなく冷静さだ」と言う者もいる。

 私はこれを否定しない。双方が重要だ。私の考えでは闘志という基盤に載った様々な要素、射撃の知識、戦術、命令、それらを繋ぎ合わせてバランスよく保たせるのが冷静さとなる。

 だから、私はこうして最も重要な闘志という要素を抱いて辛抱強く耐えているのだ。数多の砲撃も私の兵士としての根本を破壊する事は不能であろう。むしろ砲撃音を聞けば、着弾の衝撃がこの身を揺さぶれば、炸裂した破片がギリギリを掠めれば、脅威と呼ばれる存在が近ければ近いほど、魂は燃え上がるのだ。


 自身を鼓舞しながら耐えていると不意に砲撃が止んだ。これまでの多くの経験から瞬時に次に起こる事を推測する。戦闘中の異常なほど冴え渡った頭脳は複雑な戦術の計算を一瞬で終わらせてしまう。歩兵の突撃、それも一気にだ。


「敵だ。突撃してくる」


 指揮官が叫び声を上げて、一斉に射撃が開始される。銃の先を走ってくる敵に向けて発砲、機械と同じ位に最適化された動きで装填し、発砲。弾が切れればクリップの弾薬を押し込んでコッキングレバーを押し込む。

 まるで自分が機関銃になったのではないかと錯覚する程に最適な動きで撃って撃つ。他の兵士達も同様だ。そして、味方陣地の重機関銃は何百もの騎兵が駆ける如く、地鳴りを思わせる鋼鉄の息を吐き続ける。

 横殴りに降り注ぐ銃弾の雨の中、次々と敵が倒れていくがその後ろから敵は押し寄せてくる。神は泥から人を作ったが、この戦場の泥が今この瞬間にも人の形を経て向かって来ているのではないかと、半ば私は脅威を感じた。今、ヴァルハラにいる者達がいればどれほど心強かった事か。無尽蔵の敵であれ、歴戦の勇士と肩を並べれば恐る恐るに足らなかった。

 しかし、残念な事にいくら英雄達を思おうとも、今いるのは数週間前に配属された新兵が半分とは言わないが少なくない状況だ。


 隣にいたものがバタリと倒れ、ヒュンと銃弾が耳元を掠めた。それに驚いて頭を下げたのが僥倖だった。頭を下げたと同時に敵の軽機関銃が塹壕の縁を一掃した。何名かが塹壕の壁から葉から零れ落ちる蝶の様に剥がれ、泥の中に半身を埋めた。

 新兵であればこの死に動揺して戦闘を忘れてしまうが、私はすでにそうではなかった。軽機関銃の銃声が途絶えたのを瞬時に察し、音の出ていた方向へと銃を構えた。

 案の定、軽機関銃のマガジンを交換している敵兵が照準に現れた。そして、落ち着いて一発銃弾を放った。敵は顔面をぬかるんだ地面へと沈めた。


「軽機関銃を倒した。撃て!」


 右腕がコッキングレバーを勝手に操作している間に叫ぶ。驚異的な兵器という恐怖が去ったのを知ると新兵達、いや、我軍の生来より精強なる兵士達は恐れる事なく顔を上げて銃を構えた。

 その日の戦闘はそれで決まったも同然であった。

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