青息吐息

ひつゆ

プロローグ

 ――この夏の日を、ずっと覚えていたい。

 

『そうま~来たよ~! おじゃましまーす!』

『……おじゃまします』

『おー! お母さーん、なぎさとほなみ来たよー!』

 頭にがんがんと響く蝉の暑苦しい鳴き声。

 前を歩く少女の白いワンピースと麦わら帽子。


『手洗ってきてー。お母さんがすいか食べていいって!』

『ほんと! やったあ!』

『ありがとうございます。……あっつ~』

 手に触れる水の信じられない冷たさ。

 すいかの噓みたいな赤色。


『なぎさ、これさっきゲットしたからあげるよ』

『え、これすっごくレアなやつじゃん! ありがとー!』

『……そうま、最近ゲームしすぎじゃないの』

 冷房の効いた部屋と画面越しの冒険。

 なんとなく覚えるもやもやした感情。


『あ、あついよ……ほなみ~どうにかして~』

『そんなこと言われても……やっぱり部屋の中にいた方がよかったって』

『あとちょっとでコンビニ着くから! ほらーさっさと歩けー』

 じりじりと身を焼く灼熱の太陽。

 溶けかけた氷菓アイスのソーダ味。


『そうまのやつ全然落ちないね! すごい……って、あーっ! 落ちちゃった……』

『びっくりした……ちょっとなぎさ、私のも落ちたんだけど』

『よっしゃ~! いちば~ん! ほなみどんまい!』

 線香花火の刹那の輝き。

 意味のない一番を競い合う真夏の夜。


『ばいばーい!』

『また明日ー!』

『気をつけて帰れよー!』

 一日の終わり、少し寂しい帰り道。

 明日があることを信じて疑わなかった私たち。


 

 別になんでもない、小学四年生の夏休み。

 私の人生で、一番楽しくて、一番煌めいていた時間は。

 ――もう二度と、戻ってこない。


 


 高校二年生、六月の末。

 梅雨が明け、夏の気配を感じ始めたとき。

 

 前から昔の友達が歩いてくるのが見えた。

 あの頃より伸びた背丈。長くなった前髪。きっと度が強くなった眼鏡。

 それに、乏しくなった表情と、遠くを見つめているような目。

 ……蒼真そうま

 一瞬目が合ったけど、すぐ逸らしてしまう。

 私たちはどこか似ていて、まるで自分を見ているみたいで。

 なんとなく、いたたまれなかった。

 目を伏せたまますれ違う。

 そっと青色の溜息をついた。



 ……あ。

 帆波ほなみだ。

 昔と変わらず姿勢の良い歩き方。前髪の長いショートヘア。俺と同じくらいある身長。

 虚ろでガラス玉のような瞳。

 ……きっと帆波も、俺と同じ過去を見ている。

 今の俺には、帆波を救うことはできない。

 目が合った、と思ったのも束の間、すぐ逸らされてしまった。

 そのまますれ違う瞬間、憂鬱そうな青色の気配が横切った。



 私たちは。

 俺たちは。

 ずっと、あの夏に囚われている。

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