008 視線

「ふうん」と、男の子が興味しんしんの表情で橘の顔をのぞき込み、その後で「ぼくの名前は、かも、はるあきです」と、たどたどしく自己紹介した。

「橘だ。よろしくな」と、橘は無表情で応えた。

「笑顔、笑顔――」美沙が橘の腹をヒジでつつく。

 橘が無理やりに口もとの両端を上げ、どうにか不自然な笑顔を作った。

――そういえば妻にも、表情がカタいと言われてたっけな――

 二度とは戻らない日々に、橘が一瞬だけ思いをはせる。

 ふと女の子の方に目をやると、彼女は橘の顔を見ずにうつむいていた。感情が読み取りづらいうつろな目で、橘と美沙の足もとをぼんやりと見つめている。

 次の瞬間、女の子は砂場に向かって駆けだしていった。「まってー!」と、男の子もその後を追って走りさった。

「顔、こわかったですかね」と橘が考えこむ。

「どんまい」美沙は橘の肩をポンとたたいた。

 その直後だった。子供たちがいっせいに表情のない目で橘を見たように感じ、彼は一瞬ぞくりとした。

――恐らく気のせいだ。慣れない状況に自分の神経がたかぶっているだけだ――

 橘はそう結論づけた。

 それから半時間ほど子供たちが遊んでいるのをながめた後、橘と美沙は中に戻ることにした。途中で警備中の係官と目があったので軽く会釈する。その係官の顔に橘は少しだけ見おぼえがあるように感じた。どこかの政治家の護衛の時に目にした顔だったかもしれない。

「――で、どうだった?」

 応接間のソファに腰を下ろすやいなや、美沙が問いかけた。

「どう、と言われましても――」橘が言いよどむ。

「うまく、やってけそう?」

「無理でしょう。なんだか、こわがらせてしまったみたいですし――」

「そんなことないわよ。たまたまよ」

 美沙が手をひらひらさせながら言う。

「だいいち、私は子供が苦手です」

「いまさらそれを言う? ――大丈夫。あの子たちなら、すぐ大きくなるわよ」

「それは、そう聞いていますが――」

「なによ。私の子供たちが、育てられないっていうの?」

「そんな『俺の酒が飲めないのか』みたいなノリで言われましても」

 橘の「返し」に、美沙はころころと笑った。

「お酒はないんだけど、お茶をいれてくるわね」

――こんなにも、よく笑う女性ひとだったのか――

 台所にむかう美沙を見おくりながら、橘は彼女に対する人物評をあらためた。

 いやそれとも、と橘は思いなおした。子供と接するようになってから、彼女の中で何かが変わったのかもしれない。

 美沙が次にいれてくれたのは温かいほうじ茶だった。冷えきっていた身体からだに染みわたる気がした。

「ところで」と橘は話題を変えた。

「ここに勤務している人は、警備も含めて何名いるのですか?」

「そうね。さっきも言った通り、警備の係官が日中にっちゅうは三名、夜は二名ね」

「夜のほうが少ないのですね」

「まあ、夜は寝てるだけだしね。昼間はあの子たちが勝手に外に出ていかないように、見張りの役割もかねてもらってるの」

「なるほど」

「あとはさっき会った、めぐママと、さとママね。二人とも私と一緒で、ここに住み込み」

「二人とも霊安室ウチの職員なのですか」

「そうね、一応。でもどっちも事務畑の出身だから、戦闘力としてはあまり期待しないでね」

「わかりました」

「大人は、まあこんな感じ。あとは、あの子たちね」

「ええ」

「いちおう戸籍の上では全員賀茂くんの養子になってるから、名字はみんな『賀茂』なのね」

 橘がうなずく。

「一番上が、最初に生まれたから『一期生』とよばれているわ。男の子と女の子ひとりずつで、男が春晶はるあき、女が八重乃やえのね。さっきこっちに近寄ってきたのがこの二人ね」

 男のほうが自己紹介してくれた子だな、と橘は思い返した。

「二番目の二期生は――」続けて、美沙が七人分の名前を説明した。

「とうてい、覚えきれそうにないですね」

「最初はね。でも、みんなそれぞれ個性が強いから、すぐ見わけられるようになるわ」

「そんなものですか」

「そんなものよ」と、美沙は目を細めた。

「ちなみにそれぞれの元になった人物は、誰なのですか?」

「それは――こんな感じね」

 そう言って、美沙が机の上のタブレットを手に取った。ロックを解除し、画面に映る一枚の資料を橘に見せる。そこには子供たちの名前と生年月日、元になった人物の名前などがリスト化されていた。

「なるほど。下の名前はもとの人物にちなんだものになっているのですね」

「そう。命名したのは賀茂くんね」

「元の人物そのままの名前は、つけなかったのですね」

「そうね。四年後には決戦があるけれど、その後も生きていかないといけないじゃない。イヤでしょう? 本名が安倍晴明あべのせいめいです、なんて――」

「なるほど、それでおんだけもらってハルアキですか――」

 ひとりしきりリストをながめた後、橘が続けた。

「しかし率直に言って、勝ちめはあると思いますか?」

「わからない。だけどね、しっかりした人が鍛えてくれれば、勝つ可能性はゼロではないと思うのよ」

「雪村さんが鍛えればよいのでは、ありませんか」

「私にはもうムリ。だって現役をもう四年も離れているのよ。さっきはああ言ったけど、とっくに腕はにぶっているわ」

「――」

「それにね。子供たちにはやっぱり父親役がいたほうがいいと思うの」

「父親なら賀茂さんがいるでしょう」

「あの人はダメ。たまに来て猫かわいがりしていくだけだもの」

「しかし、子供を持ったこともない私にいい父親がつとまるとも思えませんが」

 生まれなかったわが子に対する苦い思いをぐっと飲み込み、橘は言葉を絞りだした。

 その表情を見て、美沙が少しの間テーブルに目をおとした。

 やがて美沙は目線を橘に戻すと少しだけほほえみ、宣言するように言った。

「だいじょうぶ――とかるがるしくは言えないけれど、きっとそう心配することはないと思うわ」

「――」

「私はね、いい父親の条件はまず、いいオトコであることだと思うの。その点、橘くんならそこはクリアできてると思うわ」

 橘が一瞬、目を丸くした。

「あ、そういう意味はいっさい含んでないから安心してね――」

「わかっていますよ」

 わかってはいたが、それでも胸にやわらかなうずきを覚えた。自分の中にまだこんな感情が残っていたのか。橘は驚きうろたえ、心の中の妻にわびた。

「あの子たちね。やっぱりちょっとむずかしいところもあって、ね」

 美沙が話を続けた。

「みんな兄弟どうぜんに育っているものだから、おたがいどうしの結束は固いの。でも、そのぶん他の子たちと接するのがむずかしいみたいで」

「――」

「上の子たち四人は、何回かふつうの幼稚園に体験入園させてるんだけど、そのたびに友だちができないまま帰ってくるの」

「それは、内気だということですか」

「ううん、ちょっとちがうの。あの子たち自身はがんばって周りになじもうとするんだけど、周りの子からはどうも警戒されるみたい」

「なにか理由があるのでしょうか」

 橘は、先ほど外で感じた子供たちの視線を思い出しながらたずねた。

「やっぱりどうしてもわかるのね。この子たちはふつうの子と何かがちがう、不自然だ、ってね。当然かもしれないわね。だってこの子たちと他の子たちでは、時間の進み方がちがうから」

「いま、子供たちはいくつなのですか」橘がたずねた。

「上の子たちは二歳になったばかりだけど、実際の肉体年齢だともう五歳半、といったところかしら」

 美沙が答えを返した。

「二倍以上も成長スピードを早めている、ということですか」

「そういうことになるわね。そうなるとやっぱりいろいろなところで、ひずみが出てくるわけなのよ」

「なるほど」

 その後はひとしきり、特殊な子育てのむずかしさや彼ら一人ひとりの性格などを美沙がことこまかに話していった。

「一番上の春晶はるあきはいかにも『長男』って感じで責任感の強い子ね。でもそれがちょっと悪いほうに出ちゃって、弟や妹が叱られてると、それをかばってかわりに叱られようとするの。二番目の八重乃やえのちゃんは、ちょっとおしゃまさんで――」

 美沙の語りに、橘はいっしんに耳をかたむけた。

 気がつくと、時計の針は午後五時をまわっていた。

「そろそろ――」と帰りじたくを始めようとした橘を、美沙が引きとめた。

「夕飯ぐらい一緒に食べていってちょうだい。あなたの分も用意してるから」

 断ろうとした橘を「座って座って」と押しとどめ、美沙は再び台所へとむかっていった。

 携帯水筒スキットルのウイスキーをちびちび飲みながら応接室で待っていると「ご飯よ。食堂に来てね」と美沙から携帯メッセージが入り、橘は食堂へ向かった。

 廊下に出たところで、一人の男の子をおんぶしている美沙と出くわした。

「この子が熱を出しちゃって。『今日は橘さんと一緒に食べるんだ』って、楽しみにしてたのにね――」

 背負われている子供はカゼをひいている様子だった。ほっぺたが赤くほてり、悪寒からか小さな身体からだがふるえていた。昼間の男の子だな、と橘は思った。一期生で長男のハルアキくん、だったか――。

 子供をおぶったまま、美沙はいそいそと二階へ上がっていった。

 食堂に着くと、二人の女性が配膳しているところだった。食堂には大きなダイニングテーブルがひとつ置かれていて、大人も子供も同じテーブルをかこむ形だった。

 合計十人分の夕食がひとつのテーブルにならんだ姿は壮観だった。橘は何十年も昔の給食の記憶をうっすら思いだした。

 ハルアキを寝かせに行っていた美沙が戻ってきてテーブルにつく。全員いっしょの「いただきます」のかけ声のあと、食事が始まった。

 食事の時間は橘が想像していたよりずいぶんと静かなものだった。子供たちはワイワイしゃべるわけでもなく、黙々と食べている。

 子供たちはみな、あまり橘に関心がないように見えた。橘に近づいたり話しかけたりする子もいない。時々ちらっとこちらを見る子もいるが、橘と目が合うとビクッとおびえた様子を見せて目をそらした。

 なんだか昼からずっと警戒されているみたいだな、と橘は思った。

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