第19話 黒江の奇跡

 一郎のやり口に、ぬかりは無かった。

 着々と信者は増えていき、ついにはクラスの三分の一程が黒江様と呼ぶようになる。

 過半数も見えてきた。

 そろそろ勝負の仕掛け時だろう。

 そんな一郎の考えに呼応するよう、根尾がこんなことを言い出した。

「ほんと宗教とか気持ち悪いわ。それなら奇跡の一つでも起こしてみろっていうね」

 ――来た。

 既に黒江には、こういうことが起きた際の回答を用意させている。

「奇跡……とは違うかもしれないけど、そ、そんなに言うなら今日、みんな……は無理かもしれないけど、同じ夢を見せる……。そ……空を飛ぶ夢……とか」

「エロいのがよかったなぁ」と、渡辺がふざけた。

 だが根尾が真面目に反論する。

「そんなの出来る訳がない」

 彼女だけではない。

 既に黒江の信者となっていた者達でさえ、そんなことができるものなのかと、心配そうな表情を浮かべていた。

 しかし、一郎には勝算がある。

 空を飛ぶ夢は、夢の中ではよく見る部類であるし、またほとんどの者が一度は見たことがあるはず。

 また見られた場合に嬉しい夢でもあるため、潜在的に見られたら嬉しい、むしろ見たいと、皆心の奥ではそう思っただろう。

 そしてそんな心の動きが、その日の記憶の整理をするという働きのある夢にも、影響するかもしれない。

 一郎はそんな心の動きに期待をしていた。

 ダメ押しに、空を飛ぶことをより印象付けさせるため、黒江にもう少し具体的な内容を語らせる。

「ふわふわって、家々の屋根を見下ろして、で、電線にぶつかりそうになったり、急に高く飛んで、その後落ちそうになったり、落ちたり、でもまた飛べたり……そんな楽しくて、スリルもあって、き、気持ちいい夢を……見せる……」

 人は一晩に幾つもの夢を見ているにも関わらず、そのほとんど、あるいは全てを忘れてしまうもの。

 だが意識させることで、忘れることを防ぐ可能性は高まる。

 こうやって強く、空を飛ぶ夢を意識させるのにはそういう意味もあった。

 あるいは夢を見なかったという者には、夢を見ないことは無く、忘れてしまったのだと説明した上で、空を飛ぶ夢を見たにも関わらず忘れてしまった可能性もあるという、言い訳もできる。

 それ以外にも、昔見た夢を昨日見たものと勘違いする者も現れるかもしれない。

 誰かが空を飛ぶ夢を見たと言えば、自分も見た気がしてきて、最終的に見たと思い込むことだってあるはずだ。

 集団ヒステリーのように、それが皆に波及するかもしれない。

 特に右脳と左脳を繋ぐ脳梁が太い女子には、それを期待している。

 女は脳梁が男よりも太いことで感受性が豊かだったり、人に合わせる力が高かったり、記憶が感情と同期して思い出されたりするという利点を持つが、脳がニューロンやシナプスを微力な電気を介することで機能しているという特性上、脳梁が太いために電気信号でのやり取りも増え、そこでバグが起こりやすいという欠点も生まれてしまうのだ。

 つまりどういうことかといえば、空を飛ぶ夢の記憶が、これまでの様々な記憶から作り出されることもあり得るということ。

 その上本人が、そうであって欲しい。

 自分も空を飛ぶ夢を見た者の一人だと思いたいならば、尚更だ。

 それに落ちる夢もある種空を飛ぶということになるし、こじつけやすい。

 そして信者達は、見ていなくても見ていないとは言わないだろう。

 見たけど、忘れてしまった。

 きっと見ているはず。

 そう思うはずだ。

 嘘ではない。

 そんな一郎の思惑は――見事的中。

「俺、見たよ!空を飛ぶ夢!」

「私もほんとに見たんだけど!?」

「マジ?私も見た」

「えっ、俺も見た。微妙にうまく飛べない感じも、昨日言われた通りだった。黒江って、本物だったのか……」

「俺もなんか、覚えてないけど見た気がするんだよなぁ」

「ウチもそうかも」

 教室は朝から空を飛ぶ夢の話題で持ちきりだった。

 一郎はおかしくて堪らない。

 結果、クラスメイトの過半数が空を飛ぶ夢か、それに準ずる夢を見たということになった。

「さすが黒江様だ」

「鳥肌立ってきた」

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