第9話 アカシックレコード

 苦痛を伴わない、ごく自然な静けさが訪れた。

 瓶の底のよう、境内に夜の闇が沈殿していく。

 空にはますます星が輝き出し、二人ともそれを見上げていた。

 意外にも、先に沈黙を破って黒江が話し出す。

「あの」

「ん?」

「私は、宇宙が閉鎖された空間でも、嫌じゃない……」

 またいじめられる未来が訪れるかもしれないのに?

 本当に不思議に思い、一郎が理由を訊ねる。

「それはどうして?」

 単純な話だった。

「だ、だって、死んだお母さんにも、閉鎖された宇宙なら、いつかまた、必ず会えるから……」

 一郎はハッとさせられる。

 そういう考え方もあるのか――と。

 それに、黒江の母親は……。

「……そうだな」

 この時一郎は、黒江が空では無く自分を見ていることにも気付いた。

 だが、特に気にとめない。

 嫌な気はしなかったからだ。

 その後も二人――主に一郎は様々な話をした。

 一郎に説得のつもりはなかった。

 脱線でしかない話。

 だが最後に黒江は先程あれだけ渋っていた、クラスメイトへ詐欺紛いな行為を仕掛けることをあっさりと了承する。

 その時一郎は、最近起こったとある出来事を思い出していた。

 この四月からコンビニでバイトを始めていた一郎。

 県の条例により、高校生ゆえに本来の夕方勤務の終了時刻である二十二時まで働けず、二十一時半に上がることになっていた。

 夜間勤務のバイトは当然、二十二時直前に交代のためやって来る。

 その間の三十分は、もう一人の夕方勤務の同僚がこなすことになっていた。

 ある日の退勤後、夜勤の一人である大学四年生の鏡原(かがみはら)という青年がたまたま早くやってきて、一郎は彼と事務所内で他愛ない話をした。

 それが存外に楽しく、気付けば一郎は退屈な中学時代の授業中に考えていた、プラマイゼロの話や、魂の話を生まれて初めて披露する。

 鏡原は話し上手であり聞き上手だったのだ。

 一郎が興味を持ちそうな話を切り出すことで半ば強制的に会話に参加させ、気づけば話し手としてのバトンを持たされ続けていた。

 そしてそれが気持ちよく、誰にも話したことがないことを語らされていたという訳である。

 話を聞き終えた鏡原はにこやかに言った。

「本にでも書いた方がいいよ。とても面白かった。それとも宗教でも興して教祖にでもなるか?はは。ああそうだ、お前が好きそうな話があったぞ。アカシックレコードって知ってるか?」

 そんな単語は初耳である。

「知らない」と一郎が答えると、鏡原は簡単に説明した。

「この世の全てが書かれた本を納めた図書館が、宇宙のどこかにはあるかもしれないって話さ。詳しくはネットででも調べてみてよ」

 帰宅後彼の言う通りに調べ、一郎は自分なりにアカシックレコードについても考える。

 そして自分が彼に語った話とも、これが繋がっているようだと思えた。

 ちなみに鏡原はこの二週間後、店の金庫から金を持ち逃げし、すぐに隣県の長野で警察に逮捕される。

 一郎は唖然とした。

 知的でユーモアもあって、見た目も悪くない鏡原が、なぜそんな愚かなことをしたのかと。

 本当は浅はかな人間だったことに、がっかりしてしまう。

 だがどこかで、彼は破滅型で刹那的な生き方をするタイプの人間のようにも感じていたため、納得もできた。

 それにしても、この結末はあまりにも間抜けが過ぎたが――。

 そんな鏡原のことを思いながら、一郎は目の前に居る黒江と自身に誓う。

 ――僕はそうはならない。

 絶対に成功させてみせる。

 そう強く――。


 ◇

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る