第6話 新しい現実は舞い降りる

「……そ、そんな――」



 響は手で口を覆ったまま、消えそうな声で呟く。



「あ……、当たっちゃった」



 成人が響に見せた画面には、次のように表示されていた。




「おめでとうございます! 厳正なる抽選の結果、あなた様は『新惑星への移住の権利』に当選しました。〇月〇日の見学ツアーへご参加後、一ヶ月以内に移住のご意向をお知らせください」




 突如として新しい「現実」が舞い降りた瞬間だった。


 成人は開いた口が塞がらなかった。


 それを見ていた愛美が、「パパ、口開きっぱなしー」と小さな手で、優しく成人の口を閉じた。



「やっべ……、やった! 響、やったよ! 俺ら、もっと幸せになれるぞ!」


「すごい! すごいよ成人! どうしよー」



 成人と響は互いの手を取り合って喜ぶと、無意識のままに抱き合っていた。



「ギューする! あいみもするー」




 そして、成人は指定された日時に見学ツアーに参加、新しい惑星に足を踏み入れると、帰宅の翌日には承諾の意向を伝えていた。





 承諾の意思を示してから約一年。



 日が近づくにつれて高まる胸の鼓動は引っ越しを前日に控え、最高潮を迎えた。



「まもなくカウントダウンが始まります! ここに居るみなさんも、3Dモニターの前のみなさんも、声を合わせていきましょう!」


「なんか実感はわかないけど、最近のカウントダウンはドキドキしてばっかりだ」



 成人は目の前に映し出された3Dモニターに向かって言った。



「本当ね。私たちも来年の今頃は外からこの惑星を見ることになるなんて、やっぱり信じられないわ」


 響も心底嬉しそうだった。


 声のトーンがいつもより一段階高い。



「お母さん、あっちの惑星でも友達たくさん出来るかな」


「あとどれくらい? ちょっと? ねぇ、あとちょっと?」



 既にいつもの就寝時間はとうに過ぎていたが、愛美と海生は睡魔などどこ吹く風、まるで今起きたと言わんばかりに、身振り手振りで喜びと抑えきれない興奮を体現している。


 二人も余程この時を楽しみにしていたのだろう。


 そんな二人の顔を見ているだけで、成人は自然と口元が緩んでしまう。



「愛美ならきっとすぐに友達が出来るさ。海生、あとちょっとだ。ちゃんと見ておくんだぞ」



 二人は成人の言葉に顔いっぱいの笑顔を作り、「楽しみ」と言ってモニターへと視線を戻した。


 その視線が合図になったかのように、テレビの司会者が掛け声をかける。



「皆さん、準備は良いですか? 行きますよー」



 高梨家も合わせるように「おー!」と声を揃えた。


 司会者は時計の表示された大型モニターを見つめ、大きく息を吸い込む。


 デジタルの数字は、刻一刻と減っていく。


 そして数字が残り十秒になった時、肺に入った空気を言葉にして吐き出した。



「行きます! 十! 九! 八……」



 カウントダウンが進む。


 愛美と海生、そして成人と響も司会者の声に合わせ、指を折りながら数えていく。



「三! にぃ……!」



 気が付けば、家族揃って立ち上がっていた。



「いち!」



 時計の数字がゼロへと変わった瞬間、パーンと鳴らされたクラッカーからキラキラと輝く大量の紙テープが、モニター一面に舞った。



 司会者は手に持ったマイクを食べてしまいそうな程の大きな口を開けて言う。



「新年、あけましておめでとうございます! 遂にこの日がやってまいりました! 本日を以ちまして、『惑星間の引っ越し』が始まります! この日を境に、この惑星の歴史は大きく、大きく動き出すこととなるでしょう!」



 司会者の興奮と熱量が、高梨一家に届くことはなかった。


 成人を始め、一家全員が飛び跳ねてハイタッチを交わしている。



「さぁ、今日は忙しくなるぞ! みんな、準備開始だー!」



「おー!」





 ――あの怒涛の一日から数年が経った……。



「今日も変わらず穏やかね」



 響が成人の横に並んで立った。


「はい」と手渡されたマグカップには、挽きたてと思われる香りの強いコーヒーが入っている。


 成人は「ありがとう」とお礼を言い、すぐに一口すすった。


 穏やかな気持ちで飲むコーヒーは、口に広がる苦みさえ、心を豊かにしてくれるようだった。



「今日も中瀬大吉先生に感謝ですか?」



 響は無邪気な笑顔で言う。

 成人もつられるように笑うと、マグカップの中で揺れるコーヒーを見ながら言った。



「本当、感謝してもしきれないね。『理想の惑星』なんて夢の話だと思ってたけど、それが新しい『現実』になってさ。もうこれ以上、俺にとっての『理想』なんてないんだと思う」



 吹き抜けていく風が、コーヒーの香りを攫う代わりに暖かな空気を運んでくる。


 この惑星での日常の一つ一つが、成人の人生を彩っていくかのようだった。



「ここが『理想』の全てなのかもしれないわね」


「面白いと思わない? 中瀬先生のお陰で『理想』が『現実』になって、それは人に『希望』を与えて、その『希望』はいつしか人々の『夢』になる……。全部は繋がってるんだ」



「珍しく良いこと言うじゃない」と響は一層の笑みを浮かべた。



 何に縛られることもなく、それぞれが平等で、対等に羽を伸ばすことを許された惑星。


 理想を追い求める必要もない。


 理想は既に各々の想いに沿って形を変え、人々の前に現れている。


 ここへの引っ越しが決まった時、色々な人から「選ばれた人」だと言われた。


 正直、当時はそんな実感も沸かなかったが、今ならわかる。




 ――この惑星はきっと、中瀬大吉が『理想』という名の幸せを、具現化したものなんだ。




「『二週目の人生』はそれが全て詰まってる……、最高だよ。もうこっちに来て何年か経ったけど、響はもう慣れた? こっちの生活」



 響は笑顔のまま外の景色へと視線を移し、口を開く。



「えぇ、もうすっかりね。この家も、子どもたちの学校も、この惑星も」



 響の表情は充実感に満ちていた。



「成人は? 家で仕事の話なんて全然聞かないけど、そっちは慣れたの?」



 当初の説明通り、この惑星では働くも働かないも自身の責任の下に自由だった。


 自宅は配布された通貨を使って一括で払っているので借金もなく、子どもたちの学校も無償化とされているので、散財をしなければ生涯働く必要も特にはない。


 成人も引っ越してきたばかりの頃は特に働くこともせず、家族の時間を存分に堪能していたが、いつしかただ何となく家にいるだけの生活に落ち着かなくなり、成人は近くの宿泊施設でフロントスタッフとして働くことにしていた。



 どうやら働くことが身体に染み込んでいるらしい。



 もちろん、今までこの業種での勤務経験などはない。


 ただ第二の人生として、漠然と憧れを持っていた職業に就くことを選んだのだった。



「上手くやってるよ。最初はお客さんなんて数えるくらいだったのに、最近は結構増えてきて。まだまだこっちの住民は『新しい現実』を手に入れたばかりだと思っていたけど、そんな人たちがもう『非日常』を求めているなんて、ちょっとおかしな話なんだけどね」


「ふふ、確かにそうね。あの時は私たちの『理想』を詰め込んだ惑星だ、なんて言っていたけど、慣れてくるとまた、色々な『理想』が生まれてしまうものなのかもね」

 穏やかな空気の中を、「新しい現実」によって少し冷やされた言葉が進んでいく。


「そう考えると『理想』なんてのは、その時のモノにしか過ぎないってことになるのかな?俺は今も変わらず『理想』の中にいる気持ちでいるけど……」


「そんなに深く考えないで。成人もさっき言ってたじゃない、『全部は繋がってる』って。だとしたら成長の過程の中で、『理想』が『現実』になるのを望む人がいて当然なのよ」




 ――人は人、自分は自分ってことだよな。




 成人は自分に言い聞かせるように、胸の内で呟いた。



「そういえば見た? この前の中瀬大吉の会見。またこの惑星とは別の惑星が出来るみたいよ?」

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