第8話 灰色の魔女シルとの契約

 この怒りがこの憎悪が、燃え続けている。


 これほど、感情を表に出したことがあるだろうか。


 これほど、恨んだことがあるだろうか。


 いや、ない。


 ゆえに殺す、あいつだけは殺す。


 じゃなきゃ、父上もアリシャも報われない。


「な、なにが起こっているんだ」


 地面に這いつくばりながら、異様な光景を見た。


 周りのすべて静止している。


 その光景はまさに神の御業だった。


「やぁ!」


「…………だ、だれ」


 腰を曲げて、俺に視線を合わせた。


 腰まで伸びる灰色の髪、すべて飲み込む真っ黒な瞳、心を打ち震わせるほどの笑みを浮かべながら口を開く。


「私?私はねぇ…………聞いて驚かないでよ。私はシルっ!!人は私のことを、灰色の魔女シルと呼ぶ。初めまして、ウル・アルバゼルくん」


「は、灰色の魔女っ!?」


 七厄災の一人、灰色の魔女シル。すべて魔法を使用できる、魔法師の頂きであり、七厄災の象徴、頂点だ。


 その、灰色の魔女シルが目の前にいる。


「とりあえずさぁ、立たない?」


「あ、ああ」


 あれ?体軽い、重力魔法が解けたのか?


 俺はゆっくりと体を起こすと、すぐに視界に入ったのは首を切られたガレウス団長の姿だった。


「なぁ、これはっ!!」


「あ、これ?いや~~気になる?実はねぇ、時間停止した世界に動いていたもんだからさぁ、本当は生かして調べたかったんだけど、今はウルくんと話すほうが優先かなって思ってさぁ、殺しちゃった。知り合いだったら、ごめんね」


 舌ペロをしながら、両手を合わせて謝る灰色の魔女シルだったが、反省の色は一切見えなかった。


 だけど、そんなことはどうでもよかった。


「ガレウス団長…………」


 きっと、ガレウス団長なら話せばある程度はわかってくれたとは思う。だけど、きっと最後の最後で俺を否定したはずだ。


「今まではありがとうございました」


 深々と頭を下げたウルだが、ガレウス団長の死体を見て抱いた感情は怒りではなく悲しみだった。


「あれれ?さっきまで、殺してやるっ!感じだったのに、どうしちゃったのかな?」


「…………うるさい。俺だって今すぐにも、あいつを追いかけて殺したいさ。でも、今はそんな状況じゃないのはわかる」


「なんで?」


「お前がいるから、灰色の魔女シル」


 なぜ、わざわざ時間停止なんて神の御業のような魔法を使ってまで現れたのか、わからない。


 だがわかっているのは俺の命は今、彼女に握られているということだ。


 それに今は抑えているが、少し気を抜くだけで、右手の震えが止まらない。俺は潜在的に、彼女に恐怖を抱いているんだ。


「…………ふん、ひどいなぁ。私、そこまでひどい魔女じゃないのに。悲しいなぁシクシク…………」


 悲しんでいる表情を見せた後、彼女は天を見上げた。


「ウルくん、私はねぇ人が落ちていく姿が好きなの」


 天を仰ぎながら笑みを浮かべた瞬間、背筋が凍った。


「人は欲深くて、感情が波のように燃えている。善人が悪人に、悪人が善人に、その姿は滑稽で私を飽きさせない」


「何が言いたい」


「今のウルくんじゃあ、悪魔の王サタンには勝てない。君の復讐は絶対に叶わない」


「なんだとっ!!」


「ああ見えても、私の次に強いからね。人の身ではまず無理。だけど、私を使えば、話が別だよっ!!」


 シルは右手を差し伸べ、俺に言った。


「ねぇ、私と契約しない?そして、一緒に復讐しようよ」


 その言葉に思わず、目を見開いた。


 何を言っているんだ、こいつは。


 彼女はずっと笑みを浮かべている。彼女はずっと俺を見ている。


 背筋が凍るし、今すぐにでも逃げたいとさえ思う。


 だけど、この差し伸べられた手から目が離せない。


「私に復讐を遂げた先のウルくんを見せてほしいっ!そのためなら、私は協力を惜しまないっ!!この私に、私にだけにっ!復讐を遂げた滑稽なウルくんを見せておくれっ!!!」


 口角を吊り上げるほどの笑みを浮かべるシルの姿は魔女そのものだった。


 俺は考えた。


 彼女は本気だ。本気でそう思っている。


 だけど、怖いんだ。この手を取った先に俺はどうなってしまうのか。


 ふと彼女の真っ黒な瞳と目が合った瞬間、思った。


 シルはまるで答えが決まっているかのような表情を浮かべていた。


「そうか」


 俺の中の怒りが再び火が付き、打ち震える恐怖をかき消した。


 そうだ、俺は復讐さえできればいい。俺のことなんてどうでもいい、ただあの悪魔の王サタンを殺せればあとのことなんてどうでもいい。


 俺は覚悟を決めた表情で差し伸べられた魔女の手を取った。


「いいだろう、契約しよう、シルっ!俺にあいつを殺すだけの力をよこせっ!!」


「ふふふ、それでこそ私が見込んだ男だ、ウルくん。では、契約を始めよう」


 シルは俺をやさしく胸の中に抱きしめた。


 それはとても暖かくて、すべてがどうでもよくなるような感覚だった。


「顔を上げて、ウルくん」


 両手でウルの顔を上げるシルは唇を近づける。


「ここに、魔女との契約を…………」


 そして、ゆっくりと唇が重なった。


「んっ!?」


 何かが流れ込んできた。


 視界が暗闇に包まれていく。


 何もかもが内から食われていくような感覚が全身に襲うが、痛みはない。


 そして、自分の中がすべて砕け散る音が心のうちに聞こえた気がした。


「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ」


「契約は終わったよ。どう、気分は?」


「…………生まれ変わったような気分だ」


 魔女との契約は初めてだが、こんな感覚なのか。


 痛みのない暗闇の底は温かくむしろ安らぎすら感じてしまった。


 そして自分の中の違和感に気づいた。


「やっぱり、精霊王との契約が途切れてる」


「仕方がないよ、精霊は嫌いだからね」


 うちで砕ける音はやはり、精霊との契約が途切れた音だったか。


 それも当然だ。魔女と契約した俺に、精霊たちが許すわけがない。


 だが、後悔はない。これで、俺はあいつを悪魔の王サタンを殺せるのだから。


「ふん、精霊王の力でもサタンにかなわなかったんだ。俺にはもう必要のない力だ」


「それじゃあ、これからどうしようっか?」


「やることは決まっている。父上を、いや悪魔の王サタンを追う」


「そう来なくっちゃね。それじゃあ、時間停止解いちゃうよ?」


「かまわない。もう誰も俺を止めることなんてできやしない」


「ふふふ、素敵な覚悟だね」


 シルが指を鳴らすと停止した時間の歯車が動き出した。

 

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