第3話

「それよりも、なんでそんな調律師なんてニッチな職業目指すの? 先細り見えてるよー」


 世間的に見て大多数の意見をファニーは問いかけた。取り止めもないが、それでも会話はなぜか終わらない。


 さっきまで渋い顔をしていたサロメだったが、ピアノの話になり前のめりになって目を輝かせた。


「やっぱさー、最高のホールで最高の観客、最高のピアノに最高のピアニスト。これなのよ」


 かーっと勢いよく飲み終わったコーラのカップを、サロメは机に叩きつける。うんうん、と腕を組んでひとりで納得しだした。


 周りの人々も大きい音に反応した。一番近くにいた、トレーにポテトを乗っけていた人は驚いてビクつき、一瞬ポテトが宙に浮いた。


 す、すいません……と軽く謝罪したサロメに、のんびりとしたペースを崩さずファニーは質問をする。


「私はピアノ詳しくないからわからないけど、電子ピアノとそんなに違うの?」


 甘いねー、甘いよ、とドヤ顔を決めてサロメは語り出す。いい? とファニーに覚悟を決めさせて、一気にまくし立てる。


「電子ピアノは常に一定っていうメリットもあるけどデメリットでもある。その場に合わせて調整できないのよ。ペダルも段階をつけて踏めるから、より感情を込めて演奏できるしなにより」


 そこまで詳しい解答を求めていなかったファニーは「ふーん」と相槌をうつ。外を見ながら明日は雨かなーと考えた。目の前でなんか喋っている人がいるが、適当に返しておこう。


「そのぶん生ピアノは、難しいけどその場に合わせた最高の音を作ることができる。結局どこまでいっても生ピアノには敵わないわけ」


「なれるといいねぇ」


 自分からふった話題ではあるが、予想以上によくわからなかった。締めの言葉としては最適解だろう、とファニーはこれまた適当に返す。


「いや、特に免許持ってないとできないわけじゃないから、もうなってるよ」


「ま、応援してる」


「心こもってなさすぎ」


 店内はさらに混んできている。雑誌やテレビにも紹介されて、元々あった人気にさらに鰻上りにあがっているのだ。少々割高な金額設定も、逆に信頼できるのか口コミサイトでもほぼ満点である。イケメン男性店員や可愛い女性店員など、違う取り上げ方もされているが、まだまだしばらく人気が落ち着きそうにはない。


 その混雑ぶりを見ながらサロメは、羨ましいのぉ、と呆けている。自分の仕事もこれくらいスポットが当たればいいのに、と半ば諦めの表情を見せた。そうこうしているうちに時間がきた。立ち上がってファニーに告げる。


「さて、そろそろ行かなきゃ。今日も稼ぐぞー!」


 携帯を大きめのトートバッグにしまい、トイレの混み具合を確認。今ならいける、と確信した。今は制服を着ているが、着替えをしてから場所に向かうため、大きいカバンが必要なのだ。 


「夏のバカンス代はそっち持ちね」


 と、ニヤリとファニーが笑う。


 基本的にフランスでは学生がアルバイトをすることはほとんどない。できないのだ。長期休みのうちの半分程度しか国が許可していないため、秘密裏にやるか学校に許可をとるかしかない。就職難も重なって、なかなかいい職に就けない人も多い。


「考えとく」


「じゃあ、相手のオジサンからたくさんお金もらってきてね」


「いや、一気にいやらしい響きになったわ。違うでしょ、ちゃんと学校には許可もらってる、真っ当な仕事だから。遅れたらあいつ、うっさいからもう着替えて行くね」


 人をかき分けていくサロメの背を見送り、ファニーはその場で少し固まる。一気に静かになった。この場には私しかいない。ここにあるものはわたしのもの。


「つまり」


 数本残ったフリットを見つめる。


「これは全部食べていいと」

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