旧市街

第15話 ハーメニア

 旧市街ペルポネには、すっかり色褪せてパステルカラー、もしくは白がむきだしになったアパートメントが建ち並ぶ。もとは絵本に出てくるような可愛らしい街並みだったのだろう。そこに大きな配管や室外機などがゴテゴテと付け加えられて、魔改造を受けた無惨なメルヘンといった具合に仕上がっていた。

 その一角、ぼやりとした明かりのランプが吊るされる小さな部屋で、ナジャは天使と対峙していた。簡素なテーブルを挟んで、天使の前にはミルクティー。ナジャは両手をひざに置いて、尋問される容疑者の顔つきだ。


「——信用ならないところに、信じてもいいような気にさせられた?」バカなの?とばかりに天使は眉をひきつらせた。「信用できないやつは信じるな。嘘か本当かもわからない身の上話聞かされたからって、そんな簡単にほだされてんじゃないわよ。チョロナジャ」


 ナジャの唯一とも言っていい友人、ハーメニアの口からは、やはり正論しか吐き出されない。目を背けていたい事実ほど正面から、涼しい顔をして全力投球してくる。そしてそれはこのときもナジャの急所にヒットした。


 あごに沿うすみれ色の髪を耳にかきあげて、頭痛をごまかすようにこめかみを揉んでいた。顔を合わせるたび、まだ引きこもってるの、と遠慮なく軽蔑をつきつけてくる彼女だったが、いまは牛乳を拭いたぞうきんを見やるような目でナジャをねめつける。久しぶりに会った友人に向ける視線では到底ない。


「だいたいその男、言ってることが嘘でも本当でもだいぶヤバいやつでしょ。プロのひきこもりだったあんたがのっけからやりあえる相手じゃない。オグルさんに、不用意に人間に近づくなって言われなかったの?」

「言われました」両手をかかげて、完全降伏のポーズでナジャはうなずいた。『だって』も『でも』もハーメニアには起爆剤だ。百パーセントの善意で助けられたのだから、百パーセントの誠意を返さなければならない。


 蒸気機関車を追いかけて空を駆けていくグレイの愛車は、旧市街ペルポネに入って間もなく、ハーメニアの襲撃にあった。トンビも真っ青の速度で飛びこんできた彼女に、ナジャは油揚げのごとくかっさらわれた。悲鳴一つあげさせない、華麗な拉致さばきであった。

 逆さの塔が現れたときから、ハーメニアはナジャに会いにいこうとしていた。しかしそれよりも先にグレイが接触して、連れ去ってしまったのだ。

 一つ年下の、妹分のような友人が得体の知れない男に連れまわされている。慌てて救出してみれば、彼女は居心地悪そうにしながらもごもごとその男をかばうようなことを言う。いやでもね、たぶん悪いひとってわけじゃないと思うんだよね……いろいろあったみたいでさ……ううんもちろん信用できるってわけじゃないけど、そういうとこは嘘じゃないっていうか、信じられるっていうか。云々。

 そしてハーメニアは冒頭通り、キレた。


「なにかあってからじゃ遅いのよ。オグルさんが堕天する勢いでおりてきて、またあんた塔に幽閉されるかもしれないわよ」

「いやあ、さすがにいまは仕事中だし……」

「じゃあ仕事が終わるまでのあいだ、あんたのそばにピッタリはりついて監視するとか」

「ありえる」


 温厚な秘書官には、監禁癖がある。

 その行動に『監禁』や『幽閉』という言葉を使うのはハーメニアだけで、ナジャは過保護の一環として軽く受け止めていた。

 塔の管理人、あるいは大天使の一人として会議への出席が義務付けられるようになる十三歳の誕生日まで、ナジャは塔から出ることを禁止されていた。しかし前任者の不幸を思えば、オグルの異様なほどの過保護も納得できたし、なによりだらだらと漫画を読んで暮らす日々にまったく不便を感じなかった。


 外出を解禁されてからも、慣れない飛行で怪我をしたり、ほかの天使と口論になるたびに、また塔の中に閉じこめられた。するとナジャもだんだん外へ出るのがおっくうになってくる。べつに、空を飛びまわりたいわけでもなければ、誰かと話したいこともとくにない。ベッドから出ないでいたほうが、よっぽど楽だ。そんなふうに思うようになった。


「まあオグルがつきっきりでも、あたしはかまわないけど」

「私はいや。なによりモンペつれた友人って存在が心の底からいや。もしそんなことになったら二度と私に話しかけないでよね」

「ひどい」


(グレイはたぶん、目の敵にされるだろうな。それこそ二度と近づけないかも)


 それで困ることはない。冷静にそう考える頭とは別に、せっかく名前で呼ぶと宣言したのに、と口を尖らせる自分もたしかにいた。ちょっと打ち解けられたかもしれない、そんな気持ちが芽生えたばかりだったがために、妙に未練がましい気持ちになってしまう。

 ぶんぶんと首をふって、余計な思考をふり払う。目の前には空を飛べる友人がいて、しかも彼女はグレイの億倍は信頼できるのだ。


「グレイのことはもういいよ。それより手伝ってほしいことがあって……じつは天使の窓で、蒸気機関車ってやつが爆発するところ視ちゃったんだよ」

「……はあ?」


 ようやくミルクティーに手を伸ばそうとしていたハーメニアが、あんぐり口を開けて固まる。


「あたしたち、それを止めようと汽車を追いかけてるとこだったんだよ。ハーメニアお願い、一緒に爆発止めるの手伝って」

「それはいいけど、止めるあてはあるの? 私の能力はあんまり使えないと思うけど……」


 理性を司る大天使ハーメニアには、本能の一切を消し去る能力はあったが、爆弾は消せない。


「それはあたしの……切除カットでどうにかできるんじゃないかって、」


 思っていたんだけど。

 不安を口にする前に、ハーメニアは否定した。「だめね、それは人間の逆鱗に触れる。しばらくオルランディアに留まるつもりなら、住民を敵にまわさないほうがいいわよ」

「でも……それ以外だと、思いつかなくて」

「駅の人とかには話したの?」

「え、ううん」


 ナジャはきょとんとして首を横にふる。グレイはともかくとして、人間に頼るなどはなから考えもしなかったことであった。


「話しても信じないんじゃないかな」

「それはそうかもしれないけど……」


 ハーメニアの言葉を遮るように——ガチャ、と玄関のほうで鍵の回される音がした。

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