第37話
夕日は苦虫を噛んだかのような表情で身を震わせる。
「糞っ。援軍はまだか。田島は? 貴志は?」
「……残念だが田島は俺の『サテライト』の仲間だ。未明の携帯で連絡を取ってある。貴志の方は、今頃田島に無力化されたところだろう」
両足を折られ、激痛に脂汗をかきながらも、深夜は勝ち誇ったように言った。
「未明の言う通りだ。夕日、おまえは負けたんだよ。おまえのアヴニールはもう終わりだ。そいつの言うことを聞いてやれ。命までは取らないそうだ」
「奴隷契約書にサインさせるんだから訳ねぇけどな」
言いながら、俺は契約書を持って夕日に一歩ずつにじり寄る。夕日は恐怖したように言った。
「……なんだその紙は?」
「これか? ……朝日が作った契約書だ。これで結んだ契約は誰にも破れないという特性を持っている。姉ちゃんにはこれで俺と主従の契りを結んでもらう。そうしたら、殺しはしない」
「……朝日まで中二病に罹患したのか? そして何故おまえに協力している?」
「協力したんじゃない。これはあいつが俺の部屋に忘れて言ったのを貰っただけだ」
「……糞っ。朝日め迂闊な真似を……」
夕日は歯噛みする。
「別に悪いようにはしねぇよ。姉ちゃんのことは好きだしあえて苦しめるような気はまったくない。『アヴニール』の活動だって続けさせてやる。活動内容は俺への奉仕にすり替わるがね」俺はあまりの痛快さにたまらず哄笑した。「色々と楽しませてもらおうじゃないか」
怖気を振ったように夕日は首を横に振った。
「弟と思って警戒できていなかった。油断した。おまえのような狂人に、大切な組織と自分自身を自由にされるくらいなら、ここで死んだ方がまだマシだな」
「いいや姉ちゃんは死なねぇ。俺が一番分かってる。さあ投降しろ。俺のものになるんだ、姉ちゃん!」
絶望した表情の夕日は破れかぶれに懐から拳銃を取り出した。そんなものを持っていたのかと感心する俺を他所に、夕日は闇雲に俺達に向けて発砲して来た。
「……危ない零歌ちゃん!」
その声を聞いて、俺は納得した。……そういう風になるのかと。
銃弾がそのまま零歌に被弾することを俺は半ば確信した。しかしそうはならなかった。
唯花は零歌に危機を知らせるだけでなく、妹の身体に飛び掛かり覆い被さった。そこへ銃弾が迫り来る。
「ぎゃあっ!」
悲鳴。唯花の肩にぶち当たった銃弾は流血を生ぜしめる。俺がついそっちに視線をやった一瞬の隙に、夕日は身を翻してその場を逃げ出してしまった。
「……お姉ちゃん?」
姉の方の血で血塗れになったまま、抱き合う姉妹の片割れが言った。
「わ……私を守ってくれたの?」
「…………うん。そうやで」
「私のこと、嫌いになったんじゃなかったの?」
「……何を……いうとるねん」唯花は息も絶え絶えに言った。「何があっても……零歌ちゃんを嫌いになったりせぇへんよ。ウチはお姉ちゃんやから……何があっても零歌ちゃんを守るよ……」
見たところ唯花の外傷は死に至る程には思えなかった。肩は急所ではないし、出血の量もさしたるものではない。素人が手当てしても十分歩けるようになるだろう。それは俺の予知の結果とも一致していた。
「……そっか。良かったあ!」
そのことを理解しているのかいないのか、零歌は場違いな程に満面の笑みを浮かべて、血まみれの姉に抱き着いた。
「てっきり嫌われちゃったと思ってたよ! でもそりゃそうだよね! お姉ちゃんが私を嫌いになるはずなんてないんだもの」
息も絶え絶えの姉にしがみ付き、お気に入りのぬいぐるみにそうするように、幸せそうに顔をうずめる零歌。唯花の痛みや危機などどうでも良く、ただ姉が自分を庇ってくれた、嫌っていなかったという悦びのみに耽溺している。姉の血にまみれた零歌のその顔に、俺は狂気のようなものすら感じ取っていた。
「あ……でも、いくら喧嘩終わっても、お姉ちゃん死んじゃったら意味がないのか」零歌はようやく思い至ったという顔で未明の方を見る。「ねえ未明さん。分かるんですよね? お姉ちゃん、死んじゃいますか?」
「いいや死なねぇよ」俺は答えながら、床に散らばったナイフを一本拾い、自然な足取りで零歌に近付いた。「唯花の方はな」
俺は零歌の背中にナイフを突き立てる。
的確に心臓を貫通した。零歌は信じがたいものを見るように俺の方に視線をやると、すぐに全身の力を失って姉の胸の中で息絶えた。
「おい未明! おまえ何やってんだ!」
深夜が叫ぶ。唯花は何が何だか分からないとばかりに表情を凍り付かせている。俺は肩を竦めた。
「何って……空を殺すの横取りされたのがムカついてたから、殺したんだよ」
俺は言う。それは運命によって定められていたことでもあった。
初めてコンビニでこいつらに会った時……双子の片割れの寿命が十日先を示しているのが見えた。その時はどちらが姉で妹か分からなかったが、今なら分かる。死ぬのは妹……零歌の方だ。
今朝再会してからというもの、零歌の残りの寿命が数時間先に迫っているのが見えていた。どうやって死ぬのか気になりつつ成り行きを見守り続け、やがて残り僅かとなった時、夕日が拳銃を取り出した時は合点したが、実際にそれが被弾したのは唯花の方だった。
こうなるともう、零歌の死因について、可能性は一つしか残らない。
俺が直接手を下すのだ。
「運命とは世界が始まった瞬間から決していて、変わることはない。他にこいつが死ぬ理由がないのなら、それは俺が殺すということだ」
「いやおかしいだろう……」深夜は言う。「おまえに殺す気がないなかったのなら、そもそも『症状』はおまえにこいつの死を予知しない。『症状』による予知がおまえにこいつを殺す気にさせたのだとしても、だったらそもそもその予知はどこから来たものなんだ?」
「さあな。知らねぇよそんなもん。古典SFの世界だな」
「おまえには予知を無視することだってできるはずだぞ? この状況、おまえが手を下さない限りそいつが死ぬ理由はどこにもない。おまえは運命を変えられたんだぞ!」
「だが実際に俺は手を下した」俺は両手を晒して首を横に振る。「それだけのことだ。予知は成就し続け、運命は正しく作用し続ける。これまでも、そしてこれからもな」
零歌の頭上にある数値がゼロを迎える。ご臨終。今回も俺の予知は外れなかった。
「……貴様。良くも、良くも零歌を……」
肩に銃創を負った痛みに身動きが取れないまま、憎悪に満ち溢れた視線を俺の方に向ける。
俺は哄笑しつつ言った。「いやあおまえの妹は幸せだったと思うぜ? 大好きな姉貴の愛を感じながらその胸の中で逝けたんだ。今頃天国で満足してるに決まってる」
「……地獄だろ」深夜は吐き捨てるように言った。「俺は因果応報を信じない。が……空を殺したこいつの死に同情もしない。思うのはただ、未明、おまえはやはり糞野郎だってことだけだ」
俺は小さく鼻を鳴らすと、一つの死体を含む横たわる四つの人影を背に歩きはじめた。
「夕日を追うのか?」
「もちろんだ。姉ちゃんを奴隷にするまでこの戦いは終わらねぇ」
「早めに済ませろよ。夕日のことだ。外部から応援を呼んでいるに決まっている」
「あーな」
いい加減に返事をしておいて、夕日の逃げて行った廊下の方へと歩きはじめる。半ば勝利を確信しながら。
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