第4話 巨大な黒豹

 見上げた先に、巨大ネズミとは段違いの大きさの黒い獣がいた。

 翠がかった金色の瞳が、鋭くこちらを見下ろしている。目は一対。巨大ネズミのように、額に石はなかった。

「無理や……」

 パティが力なく声を震わせる。

「ユズオムならまだいけた。でもフェテランは……、絶望や」

「ふぇてらん?」

 その時、真っ赤な口が裂けるように開いたかと思うと、黒い影がぶわっと膨れた。

「アカン! アリス、避けぇ!!」

 パティに強く背中を突かれ、私は勢いよく藪に突っ込む。

「いたた……」

 ドッという音と共に、たった今まで私たちのいた場所へ黒い影が落ちてきた。

(うそ……)

 それは黒豹そっくりの生き物だった。

(黒豹……レオポルド!?)

 反射的に推しの名前が頭に浮かぶ。

 だが、サイズは私の知る豹のイメージの2倍以上もある。恐らくトラよりも大きい。

 ウルルルル……

 ペリドット色の目がパティを捕らえる。

 しなやかな足取りが威圧感を持って距離を詰める。

「や、やめぇや。こっち来んな……!」

 棍棒を振り回し、紙よりも白くなった顔を震わせながら、パティはあとずさりする。

「来んな。来たらアカン……!」

 ウルルルル……

 巨大黒豹が、グッと背を沈め腰を丸めた。そしてパティに躍りかからんとした瞬間。

 私の足は地面を蹴っていた

「ぇあぁああっ!」

 自分でもよく分からない声を上げ、黒豹の胴に向かって跳躍する。タックルしようとしたが、思いの外胴回りは太く、組みつこうにも腕が回りきらない。私は獣毛に指を絡め、しゃにむにしがみついた。

「アリス! アンタ何を!?」

「くううっ!」

 ウルルルルッ!

(あぁああ、目の前でスプラッタが展開されるかと思ったら、つい体が!)

 それで自分がスプラッタの標的にされていては世話がない。

 黒豹は思わぬ推参者に驚いたのか、パティに飛び掛かるのを止める。代わりに私を振り落とさんと、その場をぐるぐると回り始めた。

 私は巨大黒豹の獣毛を握りしめ、指に更なる力を籠める。

(いた、いたた)

 岩場を引きずられ、足に絶え間なく衝撃が加わる。

(でも、この手を離せば私は終わる!)

 私は両腕に力を籠め、グッと体を黒豹の腹部へ押し付ける。顔にチクチクとした獣毛が触れた。

(レオポルド……)

 推しの黒豹獣人の姿が頭に浮かぶ。

(彼の体に頬を摺り寄せたら、こんな感じなのかなぁ)

 ヤケクソか、脳が現実を受け入れきれず逃避に走ったのか、そんなことを思った時だった。

 唇に何か固いものが触れた。

(ん? ツルツルした、何?)

 目を凝らすと、艶やかな漆黒の獣毛の間から、瞳と同色の石が見えた。

(え? 石? なんでこんなところに……)

 その時だった。しがみついていた相手の胴回りが、急にスリムになった。

「えっ?」

 不意を突かれ、手を離してしまう。

(しまった!)

 岩場に背中からドッと落ちる。

 私は両手で顔を覆い、反射的に身を縮めた。

 一秒……二秒……三秒……

 黒豹の牙が私に届く気配はない。

(?)

 そっと顔から手をはずし、恐る恐る豹へ目を向ける。

(え……)

 巨大黒豹は謎の発光体になっていた。かすかに見えるフォルムは徐々に縮み、やがて人のような形へと変わる。

「な、なんや、これ……」

 少しずつ光が収まってゆく。

 やがて光が完全に落ち着いた時、そこに立っていたのは黒豹の頭部を持ち、艶やかな漆黒の獣毛に全身を覆われた、筋肉の作る陰影も美しい獣人の青年だった。

「レオポルド……!?」

 その姿や顔立ちは驚くほどゲームの推しにそっくりだった。異なるのは、額に瞳と同じ色の石が埋まっていることくらいだろうか。

 あと、全裸であることと。

「あ、あぁ……」

 状況が理解できないのと、突然の推しそっくりの存在(全裸)の顕現に私は言葉を失う。

 黒豹青年は不思議そうに自分の両手や体を眺めていたが、やがて鋭い眼差しをこちらへ向けた。

「ヒュッ!」

 獣人の姿になったとはいえ、先ほどまで私たちに牙をむいていた危険な存在だ。思わず息を飲み、身を固くする。その時、奇妙な音が聞こえて来た。

 チチチチ……

 不穏な気配を察し音の源へ目を向ける。巨大黒豹の登場に撤退しようとしていた巨大鼠が、再び私たちに殺意を向けながら迫りつつあるのが見えた。

「あいつら」

 憎々しげに睨みながら、パティは棍棒を持ち直す。

「さっきのうちにどっか消えとけや!」

「うん」

 私も先ほど使っていた枝を拾い上げようとした。

「アリス」

 耳に届いたのは、推しのものと瓜二つのほんのり甘いビターボイス。

 声の主は予想過たず、黒豹青年だった。

「え? あ……」

「あいつらをせん滅すればいいのか?」

「……」

 言葉が出ない。彼は見た目や声だけでなく、口調や仕草までもレオポルドそのものだった。

(なんで? 一体どういう仕組み? なぜレオポルドが……)

 理想そのものの美しい顔に視線はくぎ付けとなる。

 だが次の瞬間、巨大鼠たちが殺意を漲らせ押し寄せてきた。

「きゃあ! レオポルド、あれ!」

うけたまわった!」

 それだけの言葉で、黒豹青年は巨大鼠に飛び掛かる。四方八方から襲い来るそれを、彼は難なく撃ち落としていった。その際に、鋭い爪で額の石を砕くことも忘れず。

(うはぁ……)

 華麗で勇壮なその身のこなしに、私の目は吸いつけられる。

 跳躍し身をひねり、力強くもしなやかな腕が、害獣を退けていく。

「なぁ、アリス。あれ、何なん?」

「あれって?」

「あの、クバル・フェテランの頭した奴や!」

『くばるふぇてらん』とは?

「アンタが飛びついたら、クバル・フェテランが人みたいな形に変わったやん? アンタ、何やったん!?」

「え? 特に何も。そう言う生き物じゃないの?」

「んなわけあるかい! ほんで、なんであんたの言うこと聞くん?」

「さぁ?」

「味方と思てえぇんか?」

「……わからない」

 わからない、何もかも、さっぱりだ。

 やがて黒豹青年が最後の巨大鼠を消滅させる。そして軽く手を払うと、こちらへのしのしと歩いてきた。

「アリス、終わったぞ」

 とても誇らしげで。

 堂々たる振る舞いで。

 全裸で。

「ぎゃああ、かっこいいけどさすがに全裸はまずい! 何か服! 布!」

「おぉお、任せろ! ウチは旅の商人や!」



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