第3話 師範のケイティとヘーゼルの騎士


 兄の話を聞いて、私は行かなければならないところができた。


「次は道場に向かいます」

「道場? 聞き慣れないが、何をするところだ?」

「騎士たちの訓練場が一番近いかと思いますが、私が教えている武術の稽古場とでも言えばいいでしょうか」

「武術?」

「素手で戦う術を教えています」


 現代日本ではそんなに強いほうでもなかったが、この国には剣術があっても武術はなかった。私が聞きかじった柔道で、通りすがりの荒くれ者を、たまたまこかしてみたところ、弟子入りする者が後を絶たず、自然と道場が増えた。今は国内10カ所あるはずだ。これからその総本山へ向かう。

 馬車で外出すると、後ろから着いてくる馬があった、あれが兄の言っていた尾行だろう。

 私が道場へ行くのは、週に一度くらい。特に不審なことも、後ろ暗いこともないので、堂々としておく。

 到着すると、馬車の紋章で私が来たと分かった弟子たちが数人出迎えた。


「先生、お疲れ様です」

「皆、よく励んでいるようで何よりです」

「押忍、先生のご指導のたまものです」

「今日は稽古を付けに来ていただいたのですか?」

「いいえ、少し話したいことがありまして、ケイティを呼んでもらいたいのです」


 ケイティは、長い髪を後ろで一つにまとめた女性だ。小柄だが姿勢がよく実際の身長より大きく見える。彼女はわたしが荒くれものをこかした時に、荒くれものに追われていた。その時に柔道にほれ込んだ私の最初の弟子で、今は師範として道場を取り仕切っている。門下には貴族もいるが、ケイティは平民にもかかわらず実力で一目おかれている。

 二人で話せる部屋に通される。小上がりの板の間になっていて、一部だけ畳風の敷物がおいてある。靴を脱いであがった。私の腕の中には猫王子がいる。王子は興味があるのか、腕のなかからひょっこり顔を出してはきょろきょろと見回していた。


「先生、私に用があると聞きました」


 呼ばれてきたケイティがやってきた。相変わらず姿勢がよく、きびきびしている。


「忙しいところありがとう。少しやっかいなことに巻き込まれていてね」

「やっかいなこと…王子殿下の件ですか」


 号外がでたからか、市井でも王子殿下殺害事件は知られているのだろう。


「そう。前日に王子と婚約破棄をしたものだから、私が婚約破棄を不服として、王子を暗殺したのではないかと思われている。もしかしたらあなたたちを使ってと疑う人も出るかもしれない。気をつけてと伝えたくて来たのです」

「人を殺める武術ではありませんが、そう思わない人はいますからね。お話頂き感謝します。皆に伝えます」

「ところで、王子と一緒に殺害された護衛について、詳しい人はいませんか」

「直接は分かりませんが、王城勤めの者が門下におります。今来ているか確認しますので、お待ちください」


 ケイティがいなくなり、猫がもぞもぞと動き出す。


「珍しい形の建物だな。訓練所と言っていたが、私の知っている訓練所とはずいぶん違う」

「そもそも生まれた土地が違いますからね、武術の生まれた土地の文化に寄せて作っています」

「そうなのか。木が多く、森の中にいる気分で悪くない」


 猫はぴょんと私の腕から飛び出し、近くに置いていた紫色の座布団に丸くなった。


「ふむ、このクッションもなかなかよい。私の寝床に所望する」

「わかりました、手配します」


 以前から思っていたが、この王子様は少し…いやかなり鈍い。

 前世が同じ世界のベルナールにしても、この道場にしても、私の前世について怪しまれても仕方がないと思っていたのだが、そんな様子はまるでない。

 物事を深く考えない性質のようで、今は座布団にうっとりしている。


「日当たりのいい窓辺においてくれ」

「はいはい」


 とりあえず頷いておく。


「お待たせしました」    


 帰ってきたケイティは連れてきた男を紹介した。


「城の門番をしています」


 なんておあつらえ向きの人材! 私は心の中で拍手した。


「王子の護衛について、それと当日やその前後の様子を教えてください」

「護衛はとても優秀な方だったと聞いています。王子の護衛は出世コースで、騎士団の中でもエリートでした」

「そうだったのか」


 感心した声を出したのは猫だ。王子、そんなことも知らなかったのか。


「頭の固い奴らばかりで、付き合いづらいと思っていた」


 護衛であって友達ではないのだからそういうものではないか。他の人がいる中で猫と会話するわけにはいかず、つっこみは心の中に留め置いた。


「当日、私は事件現場に近い北門で勤務していました。王子がお住まいの宮に近い門です。普段から出入りが少なく、当日は男爵令嬢が出入りしただけで、何も異変を感じることはありませんでした」

「男爵令嬢に身体検査等はしたのですか?」

「いいえ。一人でしたし、王子の親しい友人で、そういった安全検査はしないようにと申し送りされていましたので、なにもせず、素通りでした」

「出入りの時刻は覚えていますか」

「はっきりとはしませんが、事件があったという時間の数十分前に入り事件が発覚する直前に出て行ったように思います。事件がわかった時に、全ての出入りを禁止するよう通達がありましたのでそれより前に出て行ったのは確かです。そういえば出て行くときは入った時には着ていなかったマントを羽織っていました」


 季節は秋に差し掛かるところで、まだマントを羽織るような季節ではない。マントを羽織っていたということは、何か隠したいものが、マントの下にあったのかもしれない。たとえば、血まみれのドレスとか。


「貴重な証言をありがとう、助かりました」

「とんでもないです、先生。中には先生が指図した等と不届きなことを言う人がいるようですが、私は先生を信じております。先生のような人格者があのように凄惨な事件を起こすとはとても考えられないのです」

「信じてくれる方がいるのは私としてもとても心強いです。礼をいいます」


 門番は敬礼をして出て行った。

 私は師範のケイティに向き直った。


「ケイティ、あなたにお願いがあります」

「何でしょう」

「男爵令嬢の近くに門下生はいないか確認してもらいたいの、私が疑われているのだから、巻き添えになる可能性があります」

「承知しました。確認して退避するよう通達します」

「よろしくね」


 これで用事は済んだ、とそろそろ帰るかと思って猫を見ると、座布団の上で寝ている。

 ケイティが笑いながら、座布団ごと猫を持ち上げ、私に渡した。


「よほど気に入ったようですね、このまま連れて行かれた方がいいでしょう」


 お言葉に甘えて、そのまま連れて行くことにする。王子は座布団が欲しいと言っていたのでちょうどよかった。


「座布団はいただいてもいいかしら」

「もちろんです」

「ありがとう」


 ケイティとは出口で別れた。見送りたがっていたが、いそがしいだろうからと断る。

 道場を出、待たせていた馬車に乗ろうとしたところだった。


「どけどけ!!」


 大通りをこちらに走って来る男がいた。その後ろから濃い緑色の制服を着た騎士達10数人が追いかけている。走ってくる男は盗みでも働いたのか、手にはみすぼらしい身なりに合わない、質の良い鞄をかかえている。

 巻き込まれては大変と身を翻すと、とっさのことに驚いた猫が眠りから覚め、腕から飛び出した。


「ルミエラ!!」

「ニャ! ニャー!」


 猫王子は寝起きで騒動に巻き込まれ、混乱しているままに、不審者を追う騎士の集団につっこんだ。


「わっ」

「なんだ!?」


 騎士は足下を走る猫が何かも分からず、一団の中盤以降の隊列が乱れた。


『申し訳ありません、それうちの大切な猫で、中身王子なんです、できれば蹴らないでください』


 大きな声で伝えたかったが、貴族令嬢らしからぬ振る舞いだし、中身の半分、王子にかかわる部分は大きな声でいえる内容ではない。


「ニャニャッ」

「捕まえた!」


 一団の中でも後ろの方から声が上がった。

 私はなるべく令嬢らしく、ただ騎士に無礼を働いた猫が切り捨てられないか不安が手伝い、大股で近づいて行く。この世界で動物の命は軽い。貴族の機嫌を損ねようものなら、容赦なく殺されてしまう。それは私の猫でも同じことだ。


「申し訳ありません、当家の猫がご迷惑をおかけしまして」


 近寄る私は一応この国きっての貴族である。うしろに屈強な護衛を2人従え、従者としての侍女もいる。座布団を侍女に渡し、淑女らしく扇で口元をかくして近寄った。

 心配していることはおくびにも出さない。それが貴族の嗜みだ。


「令嬢の猫でしたか」


 一団の中から猫を抱いた青年がひとり出てくる。20代の半ばに見える。集団の中では若いが、他の騎士とは違う服装をしている。制服の生地が違い、胸元にはいくつかの勲章がついていた。団長かなにかなのだろう。


「お前たちは先に行け」

「はっ!」


 他の騎士は敬礼をし、猫を抱いた青年の指示に従い、不審者の走っていった方へ去って行った。


「お仕事の邪魔をいたしました」


 猫はまだ落ち着いていないらしく、シャーシャーと騎士に脇をつかまれ唸っている。無事で安心した。中身は王子だし、外身は子猫の時から大切に育てた可愛い猫だ。


「いいえ、とんでもありません。令嬢の猫に怪我がなく、なによりでした」


 猫を受け取り、改めて騎士を見る。

 背が高く姿勢が良く鍛えているのが分かる体格だ。焦げ茶色の髪は短めだが緩くウェーブしている。鼻筋は通って、顔立ちに欠点は見当たらない。特に印象的だったのが、目もとだった。

 薄みの強い緑がかった茶色、ヘーゼルの瞳。

 強い意志を感じさせるその瞳を覗き込んだ瞬間、目が離せなくなり、急激に心拍数が上がる。

 頬が紅潮し、息苦しい。体温も上がる気がして、頭がぼーっとする。


「どうされましたか?」


 騎士は心配して顔を覗き込んでいる。私は顔を隠したくなった。ドキドキが止まらない。

 久々すぎて忘れていた。この感覚には覚えがある、前世の記憶。


「不整脈…?」

「え?」

「いえ、何でもありません、ほほ」


 いやまさかまだ齢16で不整脈は早い、気のせいだろう。どくどくと耳の近くで心臓の音が聞こえるのも無視した。


「それでは、私は職務がありますので、これで失礼いたします」


 騎士は敬礼してそのまま去って行った。


「あ」


 名前を聞きそびれたと自分らしくないミスに気付く。きちんとした礼もできていない。こういった場面での対応は前世から大事だと骨身にしみていて、慣れていたはずだった。

 貴族社会では些細な無礼や迷惑をその場で解決しなければ、後を引くこともある。あの時助けた恩を…などと言ってくる輩もいるので、その場で名前を聞き、相手の立場に応じた礼をその場で済ませるのが通例だった。

 つい、気をとられて忘れてしまった。印象的なヘーゼルの瞳が、頭から離れない。

 騎士は走って行ったので、もう声の届くところにはいない。彼の後ろ姿が見えなくなるまで私は騎士から目がはなせなかった。

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