私が閻魔大王様に愛されるわけは、拷問の腕ですか?

チクチクネズミ

第1話 奪衣婆のこと

「ちょっと離して。いきなり何するんですか!」

「これがあたしの仕事なんだよ」


 目が覚めると私は見知らぬ老婆に服を剥ぎ取られ、襦袢一枚だけにされてしまった。服を剥ぎ取られたのは生涯これで二度目だ。

 服を剥ぎ取った老婆は、ものを見定めるとつまらなそうに目を細めた。


「ふん、いい服なのに六文銭もないのかい。服取られたくなけりゃ、銭出しな」


 鷲鼻の穴から蒸気が噴き出るかのように、老婆は鼻息を鳴らす。わけがわからないまま、背中を押されると目の前に川が広がっていた。都の桂川など比べるものでもなく、話に聞いたことがある唐の国の長江のように、川の上流も向こう岸も見えない広い川が横たわっていた。


 もしかしてこれは、三途の川。

 直後、私は井戸に落ちて死んだことを思い出した。


 その日は暑い日だったのは覚えていた。いつものお勤めである宮中の政を司る政務官たちの巻物を右方から左方へと運んでいた。

 私の家はそれなりの位にあったが、昨年育ての叔父が亡くなったのを境に宮中での私の扱いが変わった。それまで右筆としての仕事を回されなくなり、下女のように雑用に回されていた。

 お局様にこの事態を直訴したがまるで変わらず、やっと今日懇意であった摂政様とお目通りが叶う日が来た。それまで今日は我慢と重い巻物を運び終えた。しかし私の着ていたひとえの下がじんめりと汗をかいていた。こんなお姿で摂政様の前に出るわけにはいかない。宮中にあった井戸で袖の下を洗い流そうと近くに寄った時、ふいと頭が逆さまになった。


 そして目覚めるとさっきの老婆、あれは奪衣婆だったのだろう。


 井戸に落ちる事故はよく耳にするがまさか私がそうなるとは思いもしなかった。


「そこの女、早く船に乗れ。それとも川を渡るか。どうせ死ぬこともないからあの世の記念に泳ぐのも楽しいが。閻魔庁まで人の人生で五回輪廻するほど長いぞ。悠長な御仁であれば止めぬぞ」


 頭から一本の角が生えた鬼が私に向かって呼びかけてくる。輪廻とは生まれ変わりの意味のはず。人間人生を五十年と計算して、二百五十年! そんな長い何月をかけて川を渡るなんて死んでも勘弁。いやもう死んでるけど。

 船に乗り込むと、鬼が櫂を動かして船を進ませた。

 船には私のように襦袢だけになった人や、渋柿色の服を見に纏った老人が念仏を唱えて身を寄せ合っていた。

 この老人は奪衣婆に六文銭を払ったのだろうな。ちゃんと家族に別れを済ませてここに逝けたから幸せものだ。


「女、お前生前に悔いはないのか」


 舟を漕いでいる鬼が話しかけた。


「私は幼い頃に両親を亡くし、育ての叔父も最近旅立たれたので独り身で。なので家族に別れを惜しむことも」

「否、否。悔いているのは無念にあらず、罪の悔いよ。ほれ前の男に、隣の老人に、斜めの女を見よ。皆々、船の上で生前の行いを懺悔するのだ」

「閻魔様どうか極楽へおねげえします」

「あれは、ワシのせいじゃないワシのせいじゃない」

「違う、あの人が誘ったから。私は悪くない」


 乗っている人たち皆、生前の行いを思い出しては自分が犯した過去を否定したり、閻魔様に祈っていた。そういえば、地獄では些細なことでも地獄送りにされるときいたことがある。


 そうだ。この間顔の周りを飛び回っていた蚊を手でパチンと叩いて殺してしまった。近寄っていたけど血を吸うことはしなかったし、罪になるかも。でも蠅一匹、蚊の一匹でも殺したら地獄行きと聞いている。ちゃんと蚊のために供養していれば。


「主もやはり人の子よのう」


 私が慌てふためくのを見たがっていたのか、カラカラと鬼が櫂をこぎながら嗤いだす。


 延々と過去のしたことを思い出していると、船の底が何かに当たった。顔を上げると血のように赤々と彩られた唐様式の屋敷が鎮座していた。


「ほーい降りろ死人ども。閻魔庁であるぞ。皆右の極楽に逝けるとよいなあ」


 舟を漕いだ鬼はケラケラと櫂を振り回して、私たちを無理やり地面にたたき落とした。


 赤い門の上にはわかりやすく『閻魔庁』の白字が刻まれていた。その門の下に一列に死者たちが並んで、裁判の判決を待っている。私もその中の一人だ。


 鬼が口にした閻魔庁の右を覗き見ると、小さな庭のようなものがあり、そこに『極楽行き』と書かれた巨大な牛車が止まっていた。巨大な牛車に乗り込む人々の表情は皆安堵したもので、中には涙する者までいる。

 左を見ると、先ほどとは打って変わり怨嗟と叫びで溢れていた。鬼に引き連れられている人たちの手には縄がかけられて、抵抗する者は頭を金棒で潰されていた。

 潰された死人の頭はしばらくすると元の通りに戻った。


 私もあんな風に。元に戻るとはいえ、潰された血の餅のようになると想像するだけで脚が震えてしまう。それでも逃げる場所もなく、みんな門の向こう側へとくぐるしかない。


「いやだぁ。誰か助けてくれ」

「ここには死人と獄卒しかいないぞ」

「次」


 前の方で男の叫び声があがった。しかし助ける人もなく鬼に地獄へと連れていかれる。

 遠くに見える祭壇には、赤い唐の道服に『王』と書かれた帽子をかぶった人が座っていた。

 あれが、閻魔大王様。

 私の行く末を、あの人の言葉一つで決まってしまう。私の前にいた人たちが矢継ぎ早に閻魔大王様の判決を受けるが、極楽逝きの人は皆無。全員地獄送りにされてしまった。鬼たちが見張っている中で、もう私にできることは祈るしかない。


「次」

「娘、大王様がお呼びだ」


 鬼に背中を突かれた勢いで、地面に突っ伏してしまった。恥ずかしい醜態をさらした、けどこのまま判決を言い渡された方がいいと思ったりもした。


「その者、顔を上げよ」


 上から冷たく無機質な声が降ってきた。

 恐る恐る首を震わせながら言われた通りにすると、赤く冷たい閻魔大王様の眼と会った。

 閻魔大王様の眼は身に纏っている赤い道服よりも、鮮烈な朱色の眼だ。その朱色の眼が冷たく、獲物を品定めするように切れ長の目で睨むので、すくんしまった。


「小野道子だな。生前の最期は井戸に落ちて死亡で間違いないか」

「はい。間違いございません」


 できれば間違いであってほしかった。

 閻魔大王様は巻物と鏡を見比べながら、しばらく沈黙していた。今私の生前の罪を調べ上げているのだろう。いつ終わるのだろうか、この沈黙が背中に重くのしかかって胃の腑を痛めてくる。


 突然くわっと、閻魔様の目が大きく見開いた。


「貴様」

「はい」

「其方ではない、お前だ獄卒。この者どこから参られた」

「平安京の宮中にある井戸からでございます」

「名を確認しなかったのか」

「必要ないと思い。奪衣婆も対応は変わらずでしたので」

「馬鹿者、そこから参ったなら閻魔庁に直接引き渡せと前に伝えたはずだ」

「申し訳ございません。なにぶん最近ここに部署を異動したばかりで」

「前任者の引き継ぎを疎かにしたのを、言い訳にするな! 貴様にはここの仕事は早かったようだな。後で辞令を送る、今すぐね」

「申し訳ございません! ギャア!!」


 後ろにいた鬼が謝罪するや、どこからともなく雷が落ちて鬼は黒焦げになった。何が起きたのか頭が追い付かない。すると閻魔大王様が椅子から降りると、ずっと跪いていた私の手を取り、脚を立たせてくれた。


「小野殿、あちらにいる鬼庭という獄卒が客間へ案内する。そこで裁判が終わるまでしばし待たれよ」

「あの、判決は」


 オロオロとする私に対し、閻魔大王様は柔らかな笑みを向けてくれた。


「後で参る。その時話そう」


 そしてまた椅子に座ると、先ほどの冷たい目を復活させて咆哮する。


「さあ、次だ次の死者を連れてこい」


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