〈王国記1〉 都市国家の昼下がり

 大陸の中央部に位置する大国、カルディア。肥沃な大地と隣国との貿易により、多彩な文化と資源を有する国である。この国は、建国以来の君主制国家であり、国王を中心とした社会システムによって成り立っている。大陸内では太古の昔から魔法の存在が認知されていたが、それが日常生活に取り入れられたのは近代に入ってからである。594年に、人体に過度な影響を与えない、無属性魔法がニコライ・フラメル(560~595)によって開発されたことにより、カルディアの魔法文化は高度に成長し、国民の生活も大きな進歩を迎えることとなった。


「エナ、何で国史の教科書音読してるの?」


 休日の午後の城下町。穏やかな陽気の降り注ぐ中、私とエナは喫茶店のオープンテラスで話をしていた。

 

 赤と白のパラソルが日差しをさえぎってくれるおかげで、体感温度はちょうどいい。

 まだ注文品が届いていないので、テーブルには何も置かれていなかった。そこにいきなり教科書を広げ始めたエナに、ようやく突っ込みを入ると、エナは音読をやめてパタンと教科書を閉じた。表紙をしげしげと眺めている。


「九年間の学生生活も終わりって考えると、感慨深くてね」


 テーブルの上には、エナが広げた教科書が芸術品のごとく散乱している。私はその中の一つ。魔法学の教科書を取って口を開いた。


「そうかなあ。私は早く初任務を受けたくて、うずうずしているんだけど」


 教科書をぱらぱらとめくる。

 空気魔法、火魔法、魔力学数値、等価交換炎症・・・。九年間がんばって脳に詰め込んだ単語が、右から左に流れていく。


「ここ数年で一番の成績不良者が、奇跡の卒業だもんね。しかも、無事王国騎士団入団。ほんとよくがんばったよ。アンナは」


 エナが感慨深そうに私を見つめながら褒めてくれた。テーブルの上の教科書を、さっさっとかばんにしまいなおしている。

 

「まぁ、受験者の中ではびりっけつだけどね」


 照れ隠しで、そう謙遜する。


「というか、何でエナはそんなに哀愁漂わせてるの? やっとあの狭い校舎から開放されて、こうやって休日にカフェに来たり、買い物したりできてるのに。もっと明るくいこうよ!」


 そう言って私は自分の着ている洋服を広げる。原色を基調とした華やかなデザインについ顔が綻んでしまう。この服は、卒業が認可され、打ち上げが終わったその足で買いに行ったものだ。


 私たちが九年間過ごした兵学科は、規則が極端に厳しく、衣、食、住の全てが保障されている代わりに、その全てが管理されていた。

 朝も昼も夜も制服で、少しでも着崩そうものなら教官の怒号が飛んできた。食事は質素で、教会でもないのに肉や嗜好品は皆無。校舎のすぐとなりにある寄宿舎は夏は暑いし冬は冷える。

 おまけに敷地の外に出ることは原則禁じられていた。柵の外を歩くカップルを睨みながら腕立て伏せをする時の腕と心の痛みは一生忘れない。


 振り返ってみて、今までの人生の半分をそんな状態で過ごしてきたことに純粋に沈む。


 ……でも! そんな生活とはもうさようならなのだ。


 九年間寄宿舎に閉じ込められっぱなしだった生活を思い出してから、今こうやって普通の女の子らしく過ごせている奇跡を思い、私は素直に幸福に思う。寄宿舎での生活も、騎士団に入るためと思えば耐えられたけど、私だってこうやって女の子らしくしてみたいとは昔から思っていた。


「そうだね」


 私を見て、エナはくすりと笑った。

 フリルやレースがところどころに編みこまれている私の服と違って、レナの服は抑え目でぴしっとしていて、なんだか大人なかんじだ。あれだ、この前初めて買ったファッション誌で見た「えれがんと」という言葉がきっとこれなのだろう。


 そんな雑談をしているうちに、コーヒーとケーキを載せた絨毯が私達のテーブルまで飛んできて止まった。そしてそのままテーブルの上にかぶさり、テーブルクロスとして機能する。


「うわあ、噂には聞いていたけど、都市部の魔法はすごいねやっぱり」


 エナが驚いて周りを見回す。


 私たちの周りのテーブルでも、同じような光景がいくつか見受けられた。


 空飛ぶ絨毯から客がお茶菓子を受け取ったり、使用済みの皿を下げてもらったりしている。郊外の学園で育った私達にとっては、これほどまでに日常生活に溶け込んだ魔法というのは、新鮮だった。


 七歳まで育った田舎や、寄宿舎の中では、商品は手渡しだったし、空飛ぶ絨毯なんて魔法アイテムは、高級層しか手が出せないような代物だった。


「寄宿舎だと、日常生活で使える魔法なんてかなり限られてたもんねー」


「まぁ、それに加えて、都市部の魔法は郊外よりもすごいらしいよ。人口が都市部に一極集中しているせいでもあるんだろうけど、文化レベルが比じゃないみたい」


「エナは難しい言葉たくさん知ってるなあ」


「……アンナは、もう少し語彙力つけないと出世できないよ」


「出世!! いつか私も夢の国王十二守護部隊に……!」


「女じゃあ、せいぜいが司令官コマンダー止まりだって」


 エナはそう言ってビターチョコレートケーキの乗ったお皿を引き寄せると、フォークを手に取った。


 うわああケーキおいしそう。

 私もショートケーキを自分の手元に持ってくる。九年ぶりのケーキを前に、私はしばらくフリーズしてしまう。エナもエナで、フォークを持ったまま固まっていた。


 無理もないよ。だってケーキなんて、「おいしいもの」って概念が残ってるだけで、どんな味かも忘れちゃうほど食べてこなかったんだから……。


「私さ、ケーキ食べるの六年間ぐらいずっと夢見てきたんだよね」


 エナがぼそっと呟く。フォークの先端をよく見ると震えている。


「私も!」


「じゃあ、せーので一緒に食べよう」


 エナが決め顔で提案してきた。珍しくテンションが上がっている。


「分かった! せーの!」


 私とエナはケーキを同時に口に運び、


「「おいしいいいいいいいい!」」


同時に叫んだ。


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