運命の日

第36話怒り

その先の言葉が音になる前に、馬の鋭い嘶きが響き渡り、馬車が止まる。

急なことにアスランは表情を引き絞り、背後の壁を強く叩いた。


「どうした、トーラス」

「カンディータ家から、従女が急に飛び出してきました」


馬車の扉が、勢いよく開かれる。

途端に目元を真っ赤に染めたダリアの姿が、僕の瞳に飛び込んだ。

僕を見た瞬間ダリアの瞳から大粒の涙が溢れ出し、次々に滴り落ちて石畳に当たって弾けていく。


「───…ジークヴァルト様っ、っ…ローゼリンドお嬢様がっ、…」


ダリアの言葉を聞き終わる前に、僕は馬車を飛び出した。

目の前にある公爵家の邸門の前には、マグリットやヴィオレッタが待っていた。

そんな二人に目もくれず、僕は門の内側へと駆け抜けていく。


「ジークヴァルト様…っ」

「落ち着け、ジークヴァルト!!」


ヴィオレッタとマグリットの声が、遠くに聞こえる。

駆ける勢いに靴が脱げて、石畳の上を転がった。

早鐘のように脈打つ心臓が、痛みを訴える。


邸宅の前に、見知った人たちが居た。

多くの使用人たちが崩れ落ち、互いに抱き合い啜り泣いている。

その中心に、一人の少女が物言わずに横たわっていた。


「ローゼ…、…?」


小さく呟いた声が、まるで他人のもののように聞こえる。

現実感が、まるでなかった。

僕の言葉に気付いた人々が、視線を上げる。

少女と同じ顔をした僕の姿に困惑が広がり、ざわめきが僕を包んだ。


ローゼリンドの側で泣き崩れる父、ノヴァリス公爵が顔を上げた。

今朝まで穏やかに微笑んでいた優しげな目元には、深い影が刻まれ、眼窩が落ち窪んで見える。

この一瞬で数十年も年を重ねたような顔は、涙でそぼ濡れていた。


「ジーク…、…ローゼが……」


父の枯れた声が、これが現実であると教えるように僕の頭にこびりつく。

僕は父と向かい合って、横たわったまま動かない少女の側に膝をついた。


星のような銀色の髪は無惨に刻まれ。

淡い桃色に色付いていた唇は、青白く。

瑠璃色の瞳は閉ざされて、二度と覗くことがないと物語る。

白いドレスは泥にまみれ、切り裂かれた腹部の赤黒さが生々しく際立っていた。


「あ…あ…っ」


声にならない嗚咽が、僕の唇から溢れ出した。

物言わなくなったローゼに、僕は手を伸ばす。

ローゼの手を握ると、枝葉を掻き握ったまま固まった指が、まるで苦痛と恐怖を伝えてくるようだった。


途端に、悲しみが溢れ出す。


胸から

腹腔から

指先から

唇から


僕は、耐えきれなかった。


「なんでッ、なんでこんなことに…っ、…ローゼ、僕の命、僕の片割れっ」


僕は、妹の命を掻き集めようとして、胸のなかにローゼリンドを掻き抱いた。

でも、力なく投げ出される妹の肉体は冷たくて。

もう命の一欠片も残っていないことだけが、分かる。

それでも諦めきれずに、僕はローゼリンドを抱き締めながら身体を揺すり続ける。


「ねぇ…ローゼ…僕の名前を呼んで?ジークヴァルトって…お兄様って…────起きておくれ、頼むよ…ローゼ」


凍えきったローゼリンドの身体は、僕の体温を奪っていく。

身体が凍えるほどに、僕の中に冷たい怒りが満ちていった。

同時に、僕の感情に呼ばれた何かが、身体の内側から目覚めるのが分かった。


───僕と一緒に、怒り、悲しむ何かがいる


気付いた瞬間、自分のだけではない、誰かの感情が僕の中から迸った。


「ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ─────!!!」


二つの咆哮が僕の口から響いた。

風が、緑が、生き物全てが恐怖に凍りついていく。

恐れ戦く使用人たちは、僕から逃げ出すように後ずさっていった。


「落ち着きなさい、ジークヴァルト!!」


父の鋭い声が、響いた。

だが、僕の中には届かない。


「許さない…っ、…!」


僕の怨嗟の声に呼応して、僕を中心に地面に放射線状の亀裂が走る。


「貴様等の一欠片とて、この世に残してなるものかっ…っ!!ヘリオスっ…ベアトリーチェっ、…全て、奪い尽くしてやるっ、…っ────」

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