第5話妹の婚約者

美しく整えてられた大公城の前庭を抜け、僕の乗せた馬車は左宮にある大公子妃の宮へと向かう。

そこでまずは着替えて、大公子たいこうしと共に大公閣下たいこうかっかの元に行き、婚約の挨拶と許可を得る。

大公閣下から許可を得れば、今度は婚約式が行われる教会に馬車で出向いて、婚約の契約を交わすのだ。

その後は再び着替えて、婚約祝の舞踏会に参加する。


とにかく、やることが多い。

あと、凄まじくしんどい。


予定を聞くだけで顔面蒼白になりそうだが、僕以上に忙殺されるのは、侍女二人だ。

僕と共に準備をしていたヴィオレッタとダリアの、死地に向かう戦士のような顔が思い出される。

馬車に揺られながら、内心ですまない、すまない、と唱え続けていた。

二人の犠牲を無駄にしないために改めて気を引き締めると、準備の場所となる大公子妃の宮殿、星の宮の前で馬車が止まる。

ほどなくして開かれた扉の外へと視線を向けようとすると、急に大きな手が差し伸ばされた。


「待ってたよ、ローゼ」


顔を上げれは、蜜を溶かしたような黄金の髪が揺れていた。

髪の合間から、青空を切り取ったような澄んだ瞳が、優しく微笑んでいる。あまりにも眩しい笑顔に、目がつぶれそうだ。

まさに、太陽のような男だった。

僕の前に立つ彼は、太陽の二つ名を持つ大公子ヘリオス。妹の婚約者その人だった。


仰々しい二つ名がついているな、と思う反面、顔が二つ名に負けていないから同性としてはやっかみようがない。

地味で周囲の華やかさに埋もれてしまう僕としては、やや彼のことが苦手なのだが、綺羅星きらぼしの公女と呼ばれる妹と釣り合うのは、彼ぐらいだった。


「ローゼ、どうしたの?僕の顔に、何かついてる?」


どうやら、ヘリオスの顔をまじまじと見すぎていたらしい。

困ったように眉を下げるヘリオスの手を慌てて取ると、馬車の外へと踏み出した。


「大公子様、申し訳ございません」

「そんな風に呼ばないで、いつも通りヘリオスと呼んでおくれ、私の愛しい綺羅星」


甘い声に、一気に鳥肌が立った。

いや、ヘリオスの仕草も態度も礼儀にかなっているし、恋人への接し方としては、最上級なのかもしれない。

それは、分かっているのだが


───僕は男だ!!


と声を大にして叫びたくなるのは、本能なのだろう。

どうにか耐えると、控え目にはにかんだ笑顔をヘリオスに向けた。


「緊張してしまって、お恥ずかしいわ」

「照れる君の顔も可愛らしいが、それは私だけに見せて欲しいよ…ローゼ」


女性だったら腰砕けになりそうな甘い言葉に、顔面が引き攣りそうだ。

必死に堪えながら導かれるままに降り立つと、整列する両家の騎士団が掲げる旗で作られたアーチの下を、共に歩いていく。

二人で宮の入り口まで辿り着くと、ヘリオスは僕の指先に恭しく口づけを送ってきた。


───勘弁してくれ…


心の中で溜息を吐き出した僕の顔は、さぞ強張っていたんじゃないだろうか。

僕の表情に気付かないヘリオスは唇を離すと、そのまま目を覗き込んでくる。


「どうなさいました、ヘリオス様」

「いやなに、今日の支度は大変なのに、侍女が二人だけだと聞いたから心配になってね。なんなら、僕の宮から人を出そうか?」

「お心遣い痛み入ります、ヘリオス様」


僕はそっとヘリオスの手から指先を引くと、ドレスの裾をたおやかにつまみ上げて腰を落としてみせる。

日々の練習では、細いヒールでバランスを取るのに苦労したが、猛特訓したお陰で妹の名に恥じないカーテシーを見せることができた。

最大限の感謝を伝えてから頭を持ち上げると、星が瞬くように微笑む妹の真似をして、ヘリオスに笑ってみせた。


「従女には大変な思いをさせてしまいますが、今日の準備は心を許せる二人だけにお願いしたいと、私がお父様にお願いしたのです。私の我儘ですのに、ここでヘリオス様にお縋してしまっては、お父様の顔を潰してしまいますわ」


僕は内心で、ほっ、と安堵の溜息をついた。

せっかくの娘の婚約式、しかも未来の大公殿下との式ともなれば、本来従女だけでなく多くの専属メイドを引き連れて、権威を示さなければならない場面。

それなのにこの人数では、カンディータ公爵は娘を愛していないんじゃないか、公爵家の権力が陰っているんじゃないか、なんて噂だって立てられかねない。

自分の我儘なのだと、全員の前で主張できたのは、ありがたかった。


「だったら私も余計な口出しはしてはいけないね、ではまた後で迎えに来るよ」


お日様みたいに明るい笑顔を残して、ヘリオスが馬車に乗り込む。僕は彼を見送ってから、改めて表情を引き締めた。

これからが、戦争の始まりだ。

ドレスで武装するために、僕たちは宮へと乗り込んだ。



宮に入り身支度をしていくうちに、妹と似ていてもやっぱり僕は男なんだと、幾度となく思い知らされることになった。


まず骨格が違う。

筋肉の付き方も違う。


本番に向けてコルセットをつけた生活をしていたけれど、今日の締め付けは格別だった。


「うぐおおおおっっっ」


「我慢っ、なさって、ローゼリンドお嬢様っっ」


従女のダリアが僕の背中を締め上げる。

骨どころか、内臓まで潰れそうだ。

僕の体型を少しでも妹に寄せるために、必要以上に締めていることは分かっていたが、それでも妹…いや、女性たちが、こんなに苦しい思いをしていたなんて。

戻ってきたら絶対にねぎらって、どうにかコルセットを廃止してやろう、と僕は心に誓った。


締め上げが終わると、次はドレスだ。


神前で婚約を誓うため、潔白と清純を示す白いドレスの着用が義務つけられている。

詰襟つめえりのドレスは幾つもの真珠の釦が背中に並び、一人では絶対に身につけることができない。


というか、コルセットが苦しすぎて動けない。


白いレースの靴下に靴下止め、純白のヒールまで履かせてもらってから、鏡の前で銀の髪を結い上げる。

薄い化粧を施せば、清楚な妹──実際には僕なんだが──は、聖女のように美しかった。


この上から、家紋を銀糸で縫い込んだ白いマントを羽織れば、完成だ。


胸の前で、ダイヤモンドを敷き詰めて作られた百合のブローチをヴィオレッタに留めてもらい、マントを固定する。

ようやく出来上がった姿に、懸命に働いてくれていたヴィオレッタとダリアが力尽きて崩れ落ちた。


「お疲れ様、二人とも」


僕が笑い掛ければ、ダリアは報われたといわんばかりに頬を染め、ヴィオレッタは仄かに微笑んだ。


「いえ、私たちは出来ることをしたまでです!公爵家の方々は美しいですから、腕の振いがいがありますわ」


力強く語ってみせるダリアがおかしくて、思わず笑ってしまった。

妹のようにキラキラ輝く星のような雰囲気は僕にはないのだけれども、こうやって力一杯評価してくれる彼女たちには、感謝しかない。

彼女たちの献身に答えるためにも、精一杯妹を演じなければ。

決心すると同時に、不安が溢れてくる。

僕の可愛い妹は、今どこに居るのだろうか。

何があったのだろうか。


───みんな、君を待っているんだ。ローゼ…早く帰ってきおくれ。


願いながら、一瞬、最悪の事態が頭を過る。

嫌な予感が突き上げてくるのを、胸の前で祈るように手を組み合わせて抑えると、僕の耳に扉をノックする音が聞こえてきた。

迎えが来たのだろうか、僕はヴィオレッタに目配せして扉を開けされる。

そこには予想した通り、ヘリオスの寄越した先触れが立っていた。

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