第2話 始まりの立方体

 なぎにはそんなモーションは設定していない。

 私が設定したのは待機モーションだけだ。

 手を差し伸べる動きなどできるはずがない。

 表情だって、そんな慈愛に満ちた表情など作った覚えなどない。


「なんで……なんで……? まるで生きているみたい……」


 私を抱えた凪は真っ白な光の中へと歩いていく。

 まぶしさに目を閉じると同時に私の意識は途切れた。



 目を覚ますと固い大理石の上で寝ていたこと気付いた。

 石でできた白塗りの壁は天井が高く美術館などの大型施設を思わせた。


 頭痛はすっかり無くなって体のだるさも感じない、かつてないほど調子の良い解放感があった。


 だが、こんな世界も作った覚えがなく、ヘッドマウントディスプレイを外そうと自分の頭に手を伸ばすと被ったはずのヘッドマウントディスプレイがなかった。

 そうなると、今見えているものはVR空間ではないことになる。


「おはよう。起きたかね?」


 私は低い声のした方向を見ると古代ギリシャを思わせる白い布を纏った服に月桂冠を被った三十代くらいの男性がこちらを見ていた。

 その隣には人間離れした陶磁器を思わせる白い肌をした女性が同じくギリシャ風の服を着て視線だけこちらを見ていた。


「えっと、あなたは……誰でしょうか? それにこの世界は?」

「私はピグマリオン。君は愛の神アフロディーテ様に選ばれて、この世界に招かれた。恐らくは一度死んだのだろう。戻ることよりもここで生きることを勧めるが……どうするかね?」


 どちらも聞いたことのある名前だった。

 古代ギリシャの伝説に登場する人物の名前だ。

 目の前にいる男が本物のピグマリオンならば、隣にいる女性は間違いなく……


「そうなると、あなたはガラテアさんですか?」


 私のプレイしていたソーシャルゲームで、ガラテアはモチーフとして登場していたので、名前を知っていた。

 ピグマリオン王は彫刻家で、現実の女性に幻滅し象牙から彫り出された理想の女性を愛し、その愛をアフロディーテに認められてガラテアは命を吹き込まれたという伝説だったはずだ。


「はい。わたしはガラテアです。この世界に呼ばれたからには、あなたも何かの創り手なのでしょう? この世界では生前に習得した技術で作ったものは全て本物になります。本物の愛を認められれば命だって吹き込まれます。私だって、かつては象牙の一本だったのですから」


 ならば、やることは一つしかない。

 凪に命を吹き込む。


「心が決まったようだな。君もやはり、愛する者を創るのだろう?」

「はい。私が生前に習得した技術は3DCG。物体を四角ポリゴンの集まりで表現する技術です。他にも誰か住人はいるのでしょうか?」

「住人はそうだな……君が見聞きしたことのある偉人が愛する者と暮らしているだろう。困ったことがあったら話しかけてみるといい。住居は好きなところに作って構わない」

「わかりました。私の愛するひとが完成した時には改めて挨拶に伺います」


 私は二人にお辞儀をすると、ピグマリオンの神殿を後にした。

 ピグマリオンと言葉を交わしたのはわずかだが、断言できる。私の同志と見て間違いない。


 そして、この世界に招かれた他の偉人たちも漏れなく私の同志だろう。

 歴史に名を残した技量は到底、私みたいな若輩が及ばないのは承知している。それでも、心の形、嗜好、愛する者を創ろうとする熱意。それらはきっと生前に出会えなかった同志になりそうな予感がする。


(私が見聞きしたことがある偉人……誰がいるんだろう)


 浮足立つ心に自然と私は走り出していた。

 目の前には一面芝生に覆われた、なだらかな丘で昔PCで標準の壁紙に設定されていた写真に似ている風景だった。


 そして、ふと思いつくことがあり、立ち止まった。

 ガラテアが言っていた「作ったものは全て本物になります」という言葉。

 その言葉を検証してみようと思ったのだった。


「……デフォルトキューブ!」


 私は3Dソフトを起動した直後に配置されている基本の立方体をイメージして唱えてみたが何も起こらず、少し恥ずかしい気分になり思わず周りに人がいないかを確認してしまった。


 しかし、オブジェクト名を唱えてだめとなると、なんだろう。

 ならばショートカットキー……?

 「シフトA」とショートカットキーを思い浮かべた途端、見慣れた画面が現れた。

 さながら、SF映画に出てくるホログラムタッチパネルのようで、その中から配置するオブジェクトを選んでみた。

 

 すると、音もなく急に二メートル四方で灰色の立方体が現れた。

(なるほど)

 イメージとしては、私の使う3DCG制作ソフトの中に自分が入って操作しているという感覚に近いようだ。


 3DCGの基本であるオブジェクトの移動、縮小、回転もできることを確認して、少ないポリゴンの簡易的な椅子の形に成形すると私は座った。

 そして椅子を上に浮遊させて前方へ向かって移動させてみた。


「ふふっ……ふふふ……あーっはっはっは」


 思わず悪役のような笑い声を上げてしまったが本当に愉快でたまらなかった。

 空飛ぶ椅子がものの数秒で出来上がり宙に浮かんで滑空している。

 笑わずにはいられない。


「なんて…………なんてすばらしい世界なの!」


 試してみたいことが山ほど思い浮かんでくる。

 すると、小川の近くに平らな土地を見つけて家を作るのに丁度良いと思い、この場所を拠点にすることにした。


 だめもとで私は作品集アセットブラウザの画面を開いてみた。

 すると、生前に私が作った3Dオブジェクトがずらりと並んでいた。てっきり何もない状態なのかと思っていたので意外だった。


(生前に作ったものはすぐに呼び出せるようになっているのね。ただ一つを除いて)


 作品集アセットブラウザの最後までスクロールして確認してみると、凪のモデルは無かった。愛する者は零から創らなくてはならないのでしょう。


(丁度良かった。直したいところは山ほどあったし……)


 私は作品集アセットブラウザから「和室」を配置して、ひとまずの拠点とすることにした。私が過労死した瞬間に見ていたVR空間だ。


「さぁ、凪ッ! 待ってて……今から創るから!」


 労働、世間体、交友関係、あらゆる枷から外され、真に創作と向き合えることに私の心は喜びに満ち溢れていた。


 不思議なことに一切の後悔はなかった。

 先立って親や会社に迷惑をかけることになっただろうが、知ったことではない。

 そうして、私は手のひらの上に立方体を呼び出す。


「オブジェクト名……nagi」


 全ての始まりになる立方体に私は名を付けた。

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