第二十八話 しばらく御安静に

「???」


 目を開けると自分の部屋とは違う天井、そして匂いだった。覚えているのは海賊とマスコット達が私を取り囲んで踊っているという、記憶というには怪しげ光景だった。あれは夢だったのかな?


「あ、目が覚めましたね。でも動かないでくださいね。脳震盪のうしんとうを起こしているので、しばらくは安静にしておかないと」


 薄暗い部屋でぼんやりしていると、声がして看護師さんらしき人がのぞきこんできた。


脳震盪とうしんとう、ですか」

「脳が衝撃を受けたので、しばらくはじっとしていないとダメなんですよ」

「脳に衝撃……」


 そう言えば、後ろからなにか頭にかぶつかった記憶があるようなないような。


「なにかぶつかってきたのは覚えているんですが」

「そのせいで倒れて、おでこを床で強打したんですよ。脳震盪のうしんとうはそのせいです。先生を呼んできますから、そのままじっとしていてくださいね」

「わかりました」


 そっとおでこを触ってみる。包帯がされているようだ。たしかに痛い。


「おでこの骨がどうにかならなかっただけでも、ラッキーだったのかな」


 そう思っておくことにする。しばらくしてお医者さんが来て診察をしてくれた。とりあえずは異常はないようで一安心。


「かわいそうだけど、明日の朝まではこのまま、飲まず食わずで安静にしていてもらおうかな」

「最近はおいしいものを食べすぎているので、朝までぐらい食べなくても平気だと思います」

「あー、あそこのレストラン、なかなかおいしいってうちでも評判だよ」


 お医者さんはニコニコしながらそう言った。


「あの、明日に家には戻れるんですよね?」

「一人暮らしだって聞いたけど?」

「はい」


 実家は一つ二つ県をまたいだ場所にある。


「頭への衝撃はバカにできないから、しばらく様子見でうちに入院してもらったほうが安心かな。もちろん費用はかかるけど」

「どのぐらいの期間ですか?」


 私の質問に、先生は少しだけ考えるそぶりを見せた。


「何事もなければ一週間以内には退院できると思うよ。もちろん自宅療養も可能だけど、一人では不安だろうしね。ああ、それと。あなたと話したがっている人が二人、廊下で待っているんだ。話せそうかな?」

「大丈夫です」

「だったら許可を出しておくね。もう面会時間はすぎてるから、あまり長く話をしないように」


 先生は看護師さんになにか指示を出すと、お大事にと言って部屋を出ていった。そしてそれと入れ替わるように、天童てんどうさんと中津山なかつやま部長が入ってくる。


一関いちのせきさん、災難だったね、大丈夫かい?」

「こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ありません。あ、天童さん、酔っ払いさんはどうなりました?」

「今頃は警察署です。一関さんに対する傷害もあるので、厳重注意ではすまなくなったので」

「あー、そうなりますよねー……」


 私はさっきまで寝ていたのでわからないけれど、きっとあれから大変な騒ぎになったに違いない。


「めちゃくちゃイスを振り回してましたけど、どうやって取り押さえたんですか?」

「その話は元気になってから聞かせてあげるから、今はゆっくり休みなさい。脳震盪のうしんとうは油断がならないからね。一関さんの実家には僕が電話しておいた。明日のお昼にはお母さんが来てくれるそうだ」

「それから一関さんの私物ですが、大魔女さんからあずかってきました」


 天童さんはそう言って、大きめの紙袋を私に見えるように持ち上げてみせた。


「テレビ下の棚に入れておきますね」

「ありがとうございます。それでなんですけど、一週間ほど安静にということなんですが」


 部長に視線を戻す。


「それは先生から聞いているから、病院から退院許可が出るまではおとなしくしていなさい。こっちのことは心配しなくても大丈夫だよ」

「すみませんがお願いします」

「費用に関しても心配ないからね。全部、こっちもちだ」

「え、部長が払ってくれるんですか? ここ、個室ですけど」

「違う違う。会社もちってやつだよ」


 手を振りながら部長が笑った。


「ああ、そっちですか。あ、それと。実はものすごく気になることが一つあるんですが」

「ん? なにかな?」

「ここに来る前、リーダー達が踊っているのを見た気がするんですけど、あれって夢ですか?」


 それを聞いた二人が顔を見合わせて笑い出す。


「それ、現実ですよ」

「うん、間違いなく現実だ。ただし踊っていたわけじゃなくて、救急車が到着するまで心配して近くでワーワー騒いでいただけなんだけどね」

「やっぱり夢じゃなかったんだ」

「一関さんを取り囲んでいたせいで、到着した救急隊員がおびえていました」


 天童さんがおかしそうに言った。


「この後、一度あっちに戻らないといけないんだ。一関さんの怪我の具合がどうなのか、知りたがっている連中が多くてね」

「そんな大問題になってるんですか?」

「そりゃそうだろ。うちの警備員が怪我をして救急車で運ばれたなんて、開業以来、今回が初めてだし」

「あー、歴史に名を残しちゃいましたね、私」


 きっとうちのテーマパークについて書かれているネット辞書に、今回の事件もそのうち付け加えられるだろう。名前が出ないだけマシかな、と自分をなぐさめる。


「じゃあ今日はゆっくり休んでくれ。夕飯は抜きなんだって?」

「たまには夜のご飯を抜いても良いかもしれません。最近はおいしいご飯ばかり食べてますから」

「それは気の毒に。じゃあ僕たちはこれで失礼するよ。お大事に」

「ありがとうございます」


 部長が手をヒラヒラさせながら部屋を出ていった。天童さんがドアの前で立ち止まってこっちを見る。


「一関さん、今回のことは申し訳ありませんでした。俺達がもう少し早く確保できていたら、こんなことにはならなかったんですが」

「気にしないでください。悪いのはお酒を飲んで暴れたお爺ちゃんですから。それよりもお孫さんが本当に気の毒です。せっかくの夢の国での楽しい時間が吹き飛んじゃって」


 会社としてどういう法的な措置をとるのかはわからないけど、お孫さんのためには少しでも穏便に済ませられたらなと思う。まあその辺は私一人では決められないことだけど。


「あらためて久保田さんと矢島さんと一緒にお見舞いにうかがいます」

「え、三人で一緒ってまずくないですか? 脱パーントゥが遠のいちゃいますよ?」

「それでも今回のことは俺達三人の不始末でもありますから」


 そう言うと天童さんは軽く頭を下げて部屋を出ていった。


「……三人の不始末って、すっかり私のことを数に入れるの忘れてるじゃない」


 やっぱりムカつくんですが。



+++



 お腹がすいて夜中に目が覚めるかもと思っていたけど、そんなことはなかった。ぐっすりと眠ることができて、朝もすっきりした気分で目が覚めた。今のところ頭が痛いということもない。


―― 意外と私の骨、丈夫かも。これからもしっかり牛乳を飲まなきゃ ――


 そんなことを考えながらベッドでゴロゴロしていると、看護師さんが部屋に入ってきた。


「おはようございます。気分はどうですか?」

「おはようごいます。今のところ問題なしです。あの、起きて顔を洗って歯磨きしても良いですか?」

「飛んだり跳ねたりしないなら問題ないですよ。朝ご飯、三十分ほどしたら届きますから、食べられるようなら食べてくださいね」

「はーい」


 ベッドから降りると棚から紙袋を出す。袋の中には服と荷物一式が入っていた。


「ん?」


 歯磨きセットの他に、見覚えのない新品の大中小タオルが何枚か入っている。ショッピングモールで売られている魔女の森のイラスト入りタオルだ。きっと大魔女様が入れてくれたに違いない。


「退院したら大魔女様にお礼を言ってお金を返さなきゃ」


 バッグの底にあったスマホを引っ張り出す。


「あ、しまった。ここで使って良いのか看護師さんに聞いておけば良かった」


 最近はほとんどの病院で問題なく使えるとは聞いていたけど、やはり確認しておかないと落ち着かない。部屋から外をのぞく。ちょうど隣の部屋から看護師さんが出てきた。


「あの、すみません」


 呼びかけると、その看護師さんはにこにこしながら立ち止まる。


「はい、なにかありましたか?」

「いえ。親に連絡をしたいんですが、ここってスマホを使っても大丈夫ですか?」

「問題ありませんよ。消灯時間以外は普通にお話しても大丈夫です。あ、マナーモードにはしておいてくださいね」

「わかりました。ありがとうございます」


 お礼を言って部屋に引っ込む。そしてまずは部長宛に体調は今のところ問題ないとメールを送る。そして次は母親宛だ。お昼にはここに来ると言っているけど、送っておいたほうが安心できるだろうから。


『おはよう。いま起きたところ。今のところ元気なので慌てずに来てね』


 朝ご飯のトレーを受け取ったところで、昼すぎにつけるという返事が返ってきた。考えてみると母親の顔を見るのは久しぶりかも。そんなことを考えつつ、いただきますをする。昨日の今頃は辛子明太子を食べていたのだ。


「まさか今日は病院のご飯を食べるはめになるとは……」


 昨日は私にとって厄日だったのかもしれない。厄除けのご祈祷きとう、必要かも。

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