第30話「招かれざる訪問者」

「ようこそお越しくださいました」

「あぁ」


 オデルが出迎えているのは、シルディアの実の父であるアルムヘイヤ国王だ。

 海越えの影響か、国王夫妻は比較的軽装をしている。 国王はオデルに寄り添っているシルディアを視界に入れようともしない。


(わたしを見ないのは想定内だとしても、心なしかそわそわしているような……? 外交時の国王を知らないから本当に気のせいって可能性もあるわ。……祝う気があるのは母上だけね)


 国王の後ろに控えるのは目を引く白髪の王妃だ。彼女は感極まっているのかすでに目に涙を溜めていた。

 王妃の背に手を添えるのはシルディアに給仕をしていた侍女と見たことのない侍従だ。

 背丈はシルディアと同じくらいだろうか。


(あんな侍従いたかしら? 顔がよく見えないわね)


 じっと観察するも、薄緑の長い髪を一つに束ねていることしか分からない。

 まぁいいかとシルディアは国王へと視線を移す。


(きっとわたしが嫁いだ後に仕え始めた新人だもの。国王夫妻が帰れば二度と会う機会はないわ。それにしても、どうして今回参加しようと思ったのかしら。わたしのことなんて、気にも留めてなかったくせに)


 悶々としているシルディアをよそに、話は進んで行く。


「まさか参列していただけるとは思ってもみませんでした」

「妻がどうしてもと聞かなくてね」

「長旅でお疲れでしょう。今夜はゆっくりとお過ごしください」

「あぁ。そうさせてもらおう。部屋はどこかな?」

「海を渡るのは意外と体力を使うもの。早く部屋でくつろぎたいと思っても仕方がないわ。オデル」

「そうだな。早速部屋へ案内させましょう」


 オデルが侍女へ目配せをすると、侍女が国王達を引き連れていく。

 漆黒が王家の色ロイヤルカラーのため、ガルズアースの侍女達のお仕着せは茶色だ。

 茶色の侍女服を来た身軽な侍女とは対称に、大きな荷物を抱えながらアルムヘイヤの侍女達は皆、ベージュの侍女服を着ていた。

 侍女達が大きな荷物を抱える中、例の侍従だけは何も持たずに国王夫妻の後ろを着いて行く。


(? 仕事ができないタイプ……?)


 唐突にオデルの手がシルディアの腰を引き寄せた。

 耳元に形のいい唇が寄せられ、滑らかな黒髪がシルディアの顔をくすぐる。

 くすぐったさに目を細めれば、シルディアにしか聞こえないような音量で囁かれた。


「あの侍従。何者だ?」

「わたしも初めて見る侍従よ」

「そうか」


 オデルの耳元で返事をすれば、彼は難しそうな顔で体勢を戻した。


「彼らで賓客の出迎えは終了だな。戻るぞ」

「わかった」



 ◇◆◇




 自室に戻ったシルディアはオデルにソファーへとエスコートされる。

 大人しくシルディアが座って待っていれば、オデルが紅茶を運んできた。

 侍女顔負けの腕前で紅茶を淹れ、オデルは隣に座る。

 紅茶を味わうこともなくオデルはすぐさま本題を切り出した。


「敵国にわざわざ新人を連れてくる意味があると思うか?」

「ないわね」

「だとしたら、何か意図があって連れてきたんだろ」

「そうね。国王陛下は早く部屋に行きたいみたいだったけど、やっぱり年かしら? 海を渡る旅は体に負担だったでしょうし」

「……そもそもだ。シルディアの妹はどうしてるんだ?」


 その問いにシルディアは言葉を詰まらせた。

 揺れる感情を治めるため、紅茶に口をつける。

 いつもの優しい味にほんの少し心が落ち着いた。シルディアはティーカップをソーサーに置き、口を開く。


「えっと、妖精姫として過ごしているんじゃ……?」

「本当にそう思うか? シルディアは妹として嫁いだんだぞ? だとすれば妹は表舞台に出られない。なにせ、妖精姫は俺に娶られるため皇国へ嫁いだんだからな」

「っ、」

「もし妖精姫が表に出ていれば、アルムヘイヤにいる間諜から知らせが入るはずだ。だが、知らせは来ていない」

「そ、んな……」


 シルディアはガルズアース皇国へ嫁いでから、双子の妹フロージェの処遇を今まで考えたことはなかった。

 妖精姫なのだから大丈夫だと高を括って。


(……違う。考えないようにしていた。わたしが嫁げば、フロージェは今まで通りアルムヘイヤで過ごせる、って。姉失格だわ)


 シルディアの両手にオデルの両手が重なる。

 爪が食い込み血が滲みそうな手を開かされ、シルディアは両手を握り込んでいたのだと理解した。

 優しくにぎにぎと揉まれ、少し気恥ずかしい。


「心配するな。俺のつがいはシルディアだ。妖精姫でなくとも、シルディアを認めさせてみせる」


 ルビーのような瞳に真剣に見つめられ吸い込まれそうだと錯覚する。

 しかし、オデルの言葉に違和感を覚えたシルディアは、頷く寸前で我に返る。


「ちょっと待って。じゃあ私は、ガルズアースの貴族達に妖精姫だと思われているってこと?」

「……余計な事言ったな。忘れてくれ」

「もう! そういうことは早く言って欲しかったわ」

「後でちゃんと話す。今は侍従の話だ。あの侍従の顔、覚えているか?」

「わたしの記憶力を舐めないで。ちゃんと覚えて……あれ?」


 真っ正面から見たはずの顔がもやがかかったかのように思い出せない。

 困惑するシルディアを見て納得したようにやっぱりなとオデルが独り言ちた。


「やっぱりって?」

「妖法には認識阻害の術があるだろう?」

「……なるほど。わたしは妖法が使えないから知識しかないけれど、確かに認識阻害の妖法も存在するわ」

「魔法にも似たものがあってな。シルディアに初対面時に使用していた。周囲から見えなくする魔法、通称透明化ステルス。妖法にも準ずるものがあるとは踏んでいたが、認識阻害か。厄介だな」

「誰か分からなくなる認識阻害より、透明化ステルスの方が厄介だと思うけれど……そういう問題じゃないわね」

「あぁ。もしあの従者が妹だったら? どうなると思う」

「わたしが妖精姫じゃないと貴族達にバレてしまう」

「そうだ。一番危惧すべきことだな」

「もしそうだとして、妖精姫ではないと明かしてフロージェに何か利があるとは思えないわ」


 シルディアとフロージェは仲の良い姉妹だった。

 父がフロージェを。母がシルディアをそれぞれ愛していたとしても、姉妹だけは仲を違えることはしなかった。

 むしろ、自分達の一番の理解者だと思っていたほどだ。


(わたしが幸せだと分かればフロージェは納得するはずよ)


 心配する事なんてないとじっとオデルを見つめれば、彼は寂しげな顔で笑う。


「妹がシルディアと一緒にいることを望んだらどうする?」

「ありえないわ」

「なぜ言い切れる? あの得体の知れない従者が妹の可能性だってあるんだ。もし妹が結婚式に参列したら?」

「それこそありえないわよ。確かにわたしと同じぐらいの背格好だったけれど、飛躍しすぎだわ。もしかしたら顔に傷があって見られたくないだけかもしれないじゃない?」

「アルムヘイヤでは妖法をそういう風に使えるのか?」


 オデルの問いに即答できず、シルディアは押し黙る。


「ほらな。妹想いなシルディアのことだ、俺より妹を選ぶかもしれない。俺はそれがすごく恐ろしい」

「……わたしはずっとオデルの傍にいるわ」

「ふっ。妹より俺を選んでくれてなによりだ。言質は取ったぞ」


 先程の寂しげな表情が嘘のように強気な表情で笑ったオデルに、シルディアはむっと頬を膨らませる。


「そんなことしなくても、わたしからオデルの傍を離れるつもりはないわよ」

「俺は嫉妬深いからな。確証がほしい」

「フロージェに嫉妬しなくたって……っ!?」


 握ったままだった右手に口づけられ、シルディアは恥ずかしさに逃げ出したくなってしまう。

 しかし、逃げ出すことは叶わない。

 溢れ出る色気を隠さずにオデルは笑った。


「なぁ。今、誓って?」

「もう。誓いは明日なのに、堪え性のない人ね」

「知ってるだろ?」

「えぇ。知っているわ」


 オデルの赤い瞳には期待が満ちている。

 彼のその目に、やられっぱなしではいられないと対抗心が湧き上がった。

 口づけられた自身の手の甲に唇を寄せてシルディアは微笑む。


「旦那様?」

「っ、反則だろ……」


 左手で顔を覆うオデルだったが、指の隙間から覗く肌が少し赤くなっているのが分かった。

 珍しい光景にシルディアはまじまじとオデルを見つめてしまう。


「物珍し気に見るな」

「だって、オデルが照れるなんて珍しいもの」

「俺だって照れることぐらいある」

「可愛い」


 オデルの拗ねたような口調に、シルディアは思わず本音が口から洩れる。

 シルディアがあっと思った時にはすでに遅く、ジト目で睨まれてしまった。

 だが、その顔すら愛おしくてクスクスと笑ってしまう。


「……後で覚えておけよ」

「ふふっ。望むところだわ」

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