第20話「誘拐」

 寒さに震えて目が覚める。

 体を抱きしめようとして、手が前に回らず後ろ手に拘束されているのだとシルディアは理解した。

 両手両足を縛られているだけで、骨を折られていないのは侮られているからだろう。

 事実、ヴィーニャがいなければシルディアはあの場から逃げることもままならなかった。


 薄暗い部屋は、アルムヘイヤでシルディアが住んでいたような内装をしていた。

 石造りの壁に冷たい木製の床。じっとりと湿った室内。

 扉の前に若い男の見張りがいるだけだが、彼は十分な戦闘力を持っているのか隙が見当たらない。

 窓一つない空間は、時間感覚を狂わせるためだろう。


(ヴィーニャ!)


 少し顔を動かせば、ヴィーニャが縛り上げられているのが視界に入った。

 仕込み武器などの確認のために侍女服は取り上げられたのだろう。下着姿だ。

 天井から吊るされた鎖に繋がれた彼女の下着に血が滲んでおり、白い肌が所々青くなっていて痛々しい。

 猿ぐつわを噛まされているが、シルディアを見つめる目に諦めの色は見えなかった。


(戦闘ができるヴィーニャが負けたと見れば、わたしが逃げられないと踏んでいるのね。確かにわたしはヴィーニャを置いては逃げられないもの。正しい判断だわ)


 対するシルディアは一切痛めつけられた様子はない。

 床に叩きつけられたにしては怪我一つなく、健康体そのものだ。

 だが面倒なことに、ドレスは脱がされていた。

 外すことのできない首飾り以外の衣服は全て取り上げられているため、肌が露出している。

 ほぼ下着のみの姿にシルディアはどうすべきか頭を悩ませる。


(着ていたドレスは近くにない。……オデルに見つかる前に何か着ないと駄目ね。この場で大量の血が流れそうだわ)


 助けに来たオデルが狂乱するのを想像し、シルディアは身震いをした。

 その体の震えを勘違いした見張りがいやらしく笑う。


「つがい様、怯えてんの? 可愛いねぇ」


(当たり前と言うべきか、見張りは扉の前を陣取っているわね)


 初めて声を発した見張り。

 蝋燭で照らされた髪は茶色で、皇国の人間でないことが分かる。

 瞳も同じく茶色をしており、シルディアの挙動を監視している。

 身に纏う灰色のローブは意識を失う前にシルディアが見た物と同じだ。

 ローブの下は見えないが、きっと帯刀しているだろう。

 丸腰で皇族を誘拐するという間抜けではないはずだ。

 監視の目があり、逃げ出したくても逃げられない状況だ。


(いえ、そもそも手足の縄をどうにかしないと逃げられないのだけれど……)

「だんまりかよ。つまんねぇの。それとも怯えて声もでねぇ感じ? ウケる」

「怯えてなんていないわ」

「なんだ。喋れんじゃん。そうこなきゃな。泣きわめく女のお守なんてごめんだぜ」

「服を返して欲しいのだけど」

「あぁごめんごめん。そりゃあ寒いわな。でもさ、何か隠し持ってないか確認するためにはこれが一番確実じゃね?」

「えぇ、そうね。合理的だわ」

「足の骨折ってないだけありがたいと思いな」


 冷ややかに吐き捨てられた言葉からシルディアは一つの情報を拾った。


(……つまり、わたしに怪我を負わせるなって依頼ってことね。少しずつ情報を引き出せればここがどこか分かるかもしれない)


 シルディアはごくりと息を呑み、両手を握り締めた。

 その瞬間手に握られている何かに気が付いた。

 だが、後ろ手で縛られているため何を持っているのか分からない。

 手のひらと指を器用に動かし、形を確認する。


(これは……ヘアピン……? 握ってたとしても無視されるわね)


 咄嗟に握ったものがヘアピンだと理解し、シルディアは人知れず肩を落とした。


ヘアピンこんなものじゃなく、もっと鋭利なものだったら良かっ……そうだわ)


 天啓のように浮かんだ案。

 それは、ヘアピンで縄を解すこと。


(ヘアピンで縄を解せば少しずつ切れるかもしれない! 長めのヘアピンで助かったわ)


 一か八かの賭けではあるが、シルディアは実行することを選んだ。

 足の拘束さえ解くことができれば、勝機があるかもしれない。

 手を動かしていると悟られないよう会話を続ける。


「ヴィーニャを下ろしてあげて。どうせわたし達は逃げられないんだし、いいでしょ?」

「駄目に決まってるっしょ。頭お花畑か?」

「……それじゃあ傷の手当ぐらいしてあげて」

「はぁ? するわけねぇって。つがい様よぉ、自分の立場、理解してるぅ?」

「えぇ。理解してるわ。あなたはわたしを痛めつけることはできない。違う?」


 睨みつけるように見張りを見れば、彼は下衆びた笑みを貼り付け近付いてきた。

 立ち上がった拍子にローブが揺れ、彼が帯刀していないことに気が付いた。

 今近づかれては駄目だと座ったまま後ろへ下がる。


「ん? あぁ! そんな薄着で近づかれたら流石に怯えるわな」

「べ、べつにあなたのことなんて、怖くもなんともないわ」


 じりじりと後ろに下がり、壁に阻まれて後退できないところまで下がった。


(これならバレることはないわね)


 シルディアは壁まで追い詰められたと青い顔を作り、見張りを見上げる。

 ニタニタと笑う見張りには品性のかけらもない。

 見張りがシルディアの前にしゃがみ、ダンッと顔の横へと手をついた。


「なーんか勘違いしてねぇ? オレが優位に立ってんだよ、わかる?」


 顎を掴まれ無理やり見張りと目を合わせられる。

 ギラギラと飢えた獣のような視線に晒され、シルディアは負けじと睨み返すことしかできない。


「痛めつけられないとか、そんなんじゃねぇんだわ」


 シルディアの反応を面白がるように目を細めた見張りに、べろりと頬を舐められる。

 一瞬で嫌悪感に支配され、シルディアは息を詰めた。

 嫌だ。逃げたい。という気持ちが腹の奥底から上ってくる。


(舐められたぐらいなんだっていうの……! 洗えばいいだけなんだから、怯える必要なんてないはずなのに……。どうしてオデルの顔が浮かぶの……?)


 脳裏に浮かぶのは、優しい顔をしたオデルだ。

 シルディアに無理強いすることなく、愛を囁き続ける彼の顔が離れてくれない。

 見張りの茶色の瞳に映るのは、青い顔をした自分だ。

 情けなくて泣きそうになってしまう。


「心を折る方法はいくらでもあんだわ。なに? 痛めつけられないから安全と思った? 可愛いねぇ?」


 言われ慣れているはずの褒め言葉に虫唾が走る。


「わたしを可愛いと言っていい男は、世界中でたった一人だけよ」

「だから?」

「口を慎みなさい」

「へーぇ? まだそんなことが言えんだ? 強気な女は嫌いじゃないぜ」

「残念だけど、あなたみたいな男、わたしはごめんだわ」

「ははっ言うじゃん」


 シルディアの顎から手を話した見張りは、鼻歌を歌いながら扉の前へ戻った。


「久々に楽しめそうな女でよかったわ。大当たりじゃね?」

「あなたの基準なんてどうでもいいわ」

「良いねぇ、その反抗的な態度。ちょーオレ好み」

「はぁ? あなたになんて好かれたくもない」

「んー、あっ、こんなのはどう?」


 そう言うやいなや見張りは天井から伸びるヴィーニャの鎖を外した。

 といっても、両手両足はきっちり縛られているが。

 ヴィーニャをシルディアへと放り投げ、見張りは笑った。


「オレってば、ちょー優しいからさ侍女ちゃんの鎖だけほどいてやんよ」

「……意味がわからないわ。さっき駄目って言っていたじゃない」

「あん? そーだっけ?」


 見張りの行動には一貫性がなく、何を考えているのかさっぱり理解できない。

 シルディアにぶつかるようにして倒れ込んだヴィーニャですら困惑した顔をしている。

 縄で縛られているとはいえ、ヴィーニャはオデルに選ばれたシルディアの侍女だ。このぐらいの逆境なら簡単に打破するだろう。

 ヴィーニャは脅威だと判断され、厳重に拘束されていたはずだ。


(なのに自ら拘束を緩めるなんて……意図が読めない。自分は強者だと驕りがある?)

「手足の縛られた女なんて、相手になんないっしょ。だからまぁせいぜい足掻いてくんないと面白くてないんだわ」

「……わたし達はあなたを楽しませるためにここにいるわけではないわ」

「なーに言ってんの? これから長い時間一緒にいんだよ? 楽しまないと損じゃね?」

「意味がわからないわ。皇族を敵に回してまで楽しみたいってこと?」

「そうゆーこと」

「イカれてるわ」

「褒め言葉だぜ」


 見張りが女だと侮っている今がチャンスなのだと、シルディアは自分に言い聞かせる。


(ここで一番侮られているであろうわたしが動けば戦況が変えられるかもしれない。怪我を負わせるな、なのか目立つ傷を作るな、なのか……きっと後者ね。でなければ床に叩きつけられてないもの)


 縄を構成する拗じられた繊維の束を少しずつヘアピンで切っていく。

 途方もない作業だが、確実に足首の拘束は緩くなっていた。


(案外ヘアピンでも縄を解けるものね。あと少し力を加えれば切れそうだわ)


 なんとか上体を起こしたヴィーニャが、シルディアの腕に寄り添う。

 それはまるでシルディアが今、何をしているのか理解しているようだ。


(あとはタイミングだけ……ん?)


 猿ぐつわを噛まされ喋ることのできないヴィーニャが、じぃっとシルディアに何かを訴えかける。

 ヴィーニャの腕はシルディアと違い前で縛られているため、ヘアピンを渡せば気取られてしまう。


(もしかして囮になるつもり!?)


 帯刀してないとはいえ、相手は男だ。

 拘束されたヴィーニャなどひと捻りだろう。

 シルディアの考えていることはお見通しなのか、彼女は決意の籠った紅消鼠べにけしねずみ色の瞳は轟々と燃え盛る炎のようだ。


(やめてって言っても聞いてくれないでしょうね)


 ヴィーニャの決意を無駄にしないため、シルディアにできることは素早く脱出すること。

 ここがどこかの小屋であれば、扉の先は外かもしくは続き部屋のはずだ。


(もし扉の先が続き部屋だった場合見張りの仲間がいるはず。どうにか逃げ切れたらいいのだけど……)


 ヴィーニャはすくっと両足を縛られていると感じさせずに立ち上がった。

 見張りの目が楽しげに歪む。


「へぇ。やろうっての? オレに負けてんのもう忘れちゃった? いいぜ、こいよ」


 戦うことはできないと高を括っているのだろう。

 にやにやと挑発する見張りをヴィーニャは睨みつける。


「どうしたぁ? そうだよなー! そんなかっこじゃ無――うぉ!?」


 両脚をバネにしてヴィーニャが飛び掛かる。

 目を瞠るような脚力で飛んだ彼女は目論見通り、見張りを蹴り倒すことに成功した。

 ヴィーニャが飛んだと同時に走り出していたシルディアは、その様子を横目で見ながら扉にめがけて体当たりをする。

 勢いよく開いた扉から飛び出た。

 月明りや、陽光が射すと予想していた。

 しかし、予想に反して依然扉の外は薄暗く、窓一つない石造りの廊下が続いている。

 後ろで待てと見張りの声がするが、ヴィーニャが上に乗っていて動けないのだろう。追ってるくる気配はない。

 見覚えのある造りにシルディアは息を呑んだ。


(この造りはまさか……城内の地下……?)


 生まれてから十八年。地下の独房で過ごしていたのだ。

 シルディアの勘が告げている。

 ここは城の地下だと。


(よく見ればここはアルムヘイヤではないわね。少しだけ造りが異なるわ)


 城の造りはどこも似通っていると読んだことがある。

 足を動かしながら地上に出るための階段を探す。

 数分走った頃。

 階段に辿り着いたシルディアは、火の灯った蝋燭に安堵した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る