第16話「つがいの役割」

 ダンスを終えたシルディアとオデルはダンスホールを令嬢達に譲った。

 そして上皇夫妻への挨拶をするために、場所を移動する。

 シルディアは、ダンスよりも挨拶が先ではと疑問を抱きつつも、国が違えば作法も違うと一人納得していた。


 上皇夫妻の座る席の後ろは壁になっており、黒竜と黒竜を抱きしめる女性を描いた国旗が飾られている。

 屈強な騎士に挟まれた上皇夫妻にオデルは礼を行った。彼に倣いシルディアも淑女の礼を行う。


「顔を上げて」


 聞き覚えのある柔らかな声色に従いシルディアは顔を上げた。

 見慣れた赤よりも、少し明るい赤色の瞳と目が合う。

 大きく丸い瞳が実年齢よりも若く見せているのか、上皇陛下は齢が四十を超えているとは到底信じられない美貌を持っていた。

 皇族の証である漆黒の髪は長く伸ばされ、うなじ辺りで一纏めにされている。

 正装を身にまとう彼の誠実そうな見た目はあの時から変わっていない。


(夢で見たままの見た目ってある意味すごいわね。十年以上経ってるのよ。でもこれで確信した。あの夢はわたしとオデルの初対面の記憶だって)


 辿り着いた事実にごくりと息を呑めば、緊張していると勘違いをしたのかオデルが安心させるように腰を引き寄せた。


「父上。彼女が俺のつがいだ」

「うん。歓迎するよ。妖精姫の影武者ちゃん」


 上皇陛下は最後だけシルディア達だけに聞こえるように小声で呟く。

 目を瞠るシルディアを和ませるためか、隣に座っている上皇后陛下が孔雀緑の瞳で可愛らしくウインクをした。弾みで金糸雀色の綺麗な縦ロールが揺れる。

 彼女も四十代だとは思えぬ容姿で、薄桃色のドレスがよく似合っていた。

 ドレスはうら若き乙女が好むデザインだが、背中から胸元にかけて肌を晒している。

 豊満な胸元には椿が彫られており、それは背中まで続いているようだ。


「まだつがいの証が顕現しておらぬな? けれどもオデルが言うのだから、シルディアちゃんは間違いなくつがいだわな! 安心してよかろう!!」

「母上」

「にしてもオデルも面食いか! 血は争えんな!」

「母上」

「ということは、じゃ。ついに妾にも娘ができるのか!? やっと孫の顔が拝めるのだな! あっはは! 夫を長生きさせた甲斐があったというものよ!」

「母上!」

「つがいを間違えるなんてヘマするのは初代皇王ぐらいよ!」

「母上!!」

「おっとこれ以上は怒られそうじゃの」


 上皇后陛下の可愛らしい唇から溢れたのは、切れ間のない波のような言葉の数々だ。

 先程とは別の意味で目を丸くしたシルディアに、興奮を隠しきれぬ上皇后陛下はまだ喋りたそうにそわそわとしている。

 苦い笑いを零した上皇陛下が申し訳なさそうにシルディアを見た。


「だいぶ久しいけど元気そうで何よりだよ。覚えているかな?」

「父上。あの時の記憶は……」

「あぁ。そうだったね」

(記憶……? どういうこと……?)

「気にしないで。こっちの話だから。……はじめまして。皇国での暮らしには慣れたかな?」

「はい。おかげさまで」

「それはよかった」


 初めて会ったと訂正され、シルディアは内心穏やかじゃなかった。


(飛び降りるまで記憶がなかったのはわたしの記憶力の問題じゃない……?)


 一度見れば一生忘れられない親子を見ているのだ。六歳の頃だといえど記憶がない方がおかしい。

 確認しなければと、シルディアは「恐れながら」と口を開いた。


「上皇陛下はアルムヘイヤへお越しになられたことはないのですか?」

「ん? ないよ? オデルは反対を振り切って何度か訪問しているけどね。本来、アルムヘイヤは仮想敵国だから。僕が赴く必要はない」

「……そうですよね」


 さらりと嘘をつかれ、シルディアは内心なんとも言えない顔になった。


(なかったことになっているのね。なぜ? なんのために? わたしの記憶だけでなく当時の参加者すべての記憶を抹消したってことになるのだけど、そんなことが出来る力なんてこの世にあるの?)


 妖精の住まうアルムヘイヤ王国と竜の住まうガルズアース皇国は同等の力を持っている。

 両国が他国から脅威だと恐れられる理由は、妖精や竜がいること。


(妖精は見たことがあるけど、竜はまだ見たことがないわね。竜の住まう国なんて言われているから、てっきり竜が飛び回っているものかと思っていたけれど……。って今はどうやって記憶を抹消したかよ)


 横道に逸れそうになった思考を元に戻す。


(いえ。着眼点は悪くないはず。他国では考えれないことが起こっているのよ。他国にはないものを見つければ……)


 そこまで考え、はたと気が付く。

 他国から脅威と言わしめるのは何も妖精や竜の存在だけではない。

 アルムヘイヤは妖法を。そして、ガルズアースは――


(魔法っ! 記憶に干渉するなんて、妖法でも出来るかどうか分からない。いえ、妖精姫のフロージェならもしかしたら……)


 考え込むシルディアを気遣ってか、オデルが「そろそろ」と切り出した。

 彼の言葉に上皇陛下も心得ていると頷く。


「長話はまた今度だね。君達に挨拶したい人達がたくさんいるみたいだから、行っておいで」


 そう送り出されてしまい、シルディアは浮かんだ考えを消化する間もなく、好奇の目に晒されることとなった。

 オデルが自然な動きでシルディアに向いた視線を遮るが、全てを遮ることはできない。

 上皇夫妻から適度に離れた場所で立ち止まれば、途端に参加者達に囲まれたしまった。

 代わる代わる挨拶にやって来る参加者達の相手を能動的に行う。


「皇王陛下。ご婚約おめでとうございます!」

「あぁ」

「ぜひアルムヘイヤ国でのお話をうちの娘に!」

「取り立てて語るようなことは何もないな」

「つがい様、なのですよね?」

「それ以外に俺の隣に立てる者がいるとでも?」

「い、いえ……」

「俺が選んだ皇后だ。よもや側妃などと戯言を吐くつもりではなかろうな?」

「滅相もない!」


 いつもの口調ではなく、少し荒い口調で喋るオデルの背に隠されているシルディアは、笑みだけは絶やさずにいた。

 しかし、表面上真剣に聞いている風に見えるだけだ。

 先ほどから心ここにあらずだが、シルディアの視線はオデルを捕らえて離さない。


(この口調の方がしっくりくるわね。どうして上皇陛下みたいな口調をしているのかしら?)


 しばらく同じような会話を繰り返していると、オデルが唐突にシルディアの肩を抱いた。


「俺のつがいは疲れているんだ。また後で話は聞こう。少し休ませてくれ」


 挨拶に来た参加者達は面食らったような顔をしていたが、皇王であるオデルの言葉に従ってすんなりと引き下がった。

 彼の意図が分からないままグイグイと強引にバルコニーへと連れ出されてしまい、シルディアは目を丸くするしかない。

 オデルはバルコニーの手すりに寄りかかる。

 褒められたことではないが、彼の姿は絵画のように美しい。


 手すりの隙間から見えるのは庭園だろう。春になれば一面に花が咲き誇り、目を楽しませるに違いない。

 庭園に目を奪われたシルディアはオデルの目の前で足を止めた。

 決して視線が背中に突き刺さるのを感じたからではない。


「どうしてここに?」

「少し疲れたかなって思ってね。父上に会ってから心ここにあらずって感じだったから」

「……そうね」

「やっぱりこんな場に連れてくるんじゃなかったね」


 心ない言葉を浴びせられるシルディアを気遣っているのだろう。

 月明りに照らされたオデルは儚げで、夜会に参加したことを悔いているようだ。


「わたしが参加するって言ったんだから心配しないで。こういう場の嫌味とかには慣れてるから」

「慣れていることと、傷つかないことは別問題だよ」

「私は大丈夫よ。どちらかというと、オデルの方が傷付いて見えるわ。そんなに嫌なら、聞かなければいいのよ」


 少し背伸びをしたシルディアは、オデルの両耳を両手で覆った。

 これ以上自分に向けられる汚い言葉で心優しい彼が傷付かないように、と。

 気休め程度にと手を伸ばしたシルディアだったが、思っていた以上に近づいた彼との距離にどきりと胸が高鳴った。


(いい匂いがするわ。甘くて落ち着く匂い……香水かしら? って、これじゃあ変態みたいじゃない!)


 これ以上何も感じまいと息を呑んだシルディアの耳に、ひそひそと囁き合う声が聞こえてきた。

 驚きから帰ってこないオデルをそのままに、平常心を保つため主役のいなくなった会場へと耳を傾ける。


「まぁはしたない。あんな所で」

「いいではないか。どうせすぐに居なくなるんだ」

「つがいが何のために必要か、皇王陛下は理解していらっしゃらないようだからな。必然か」

「もう二十五だろう? またいつ魔力暴走してもおかしくない」

「そもそも二十五まで生きているのがおかしいのだ! つがいの証を持つ者がいなければ二十歳はたちまでに魔力暴走で死ぬはずだろう」


 歴史書で学んだ通り、つがいを見つけられなかった次期皇王は二十歳で亡くなるのが共通認識らしい。


(オデルが無事なのは、幼少期にわたしと会ったからよね。だから魔力暴走もせずに――)

「魔力暴走から立て直しただけでも十分化け物だというのに……」


 続いた言葉に、シルディアは驚愕の色を隠せなかった。

 もっと詳しく話を聞きたいが、盗み聞きをしているにすぎないので簡単に話題が移り変わってしまう。


「化け物だなんて……。皇王陛下はあの女狐に騙されているのでしょう。つがいの証がないのがいい証拠でしょう?」

「そう言って自分がつがいになりたいだけでしょ。そもそも、つがいは魔力安定のために必要なだけだもの。後宮にさえ入ってしまえば、夜渡りのチャンスができるに違いないわ」

「一度きりでも、やりようはあるものね」

「世継ぎさえ身籠れば……」

「しかし、もう長くはないだろう? 一目見ればわかる。あの魔力の揺らぎ。あれは暴走の前兆では――」


 え? と思った時には両耳を塞がれていた。

 一瞬にして音が遠のく。


「シルディアは聞かなくていい」


 大きな掌に耳を覆われてしまえば、もとより小さかった会場での会話など聞こえない。

 いつの間にかシルディアの手は彼の耳からズレており、そのせいで会場の会話が聞こえたのだと悟った。

 両手で顔を包まれ、その綺麗な赤色の瞳から目を離せなくなる。


「俺の声だけに耳を傾けて? シルディアの綺麗な耳をあんな有象無象の奴らの言葉で穢したくない」

「えっと、あのね?」

「ん? あ、さっきの話だよね。大丈夫。俺のお嫁さんはシルディアだけだから! 後宮はあるけど、使うつもりはないし……」


 オデルが少しずれたことを早口に喋るものだから、シルディアはこらえきれずに吹き出してしまった。


「ふふっ。オデル。わたしはそんなに器量の狭い女じゃないわよ」


 彼の両手に自分の手を重ね、微笑む。

 シルディアからオデルに触れるのはこれで二回目だ。

 わずかに息を呑んだオデルの手にすり寄れば、強張る両手。


「わたしが気にしていたのは、その後の言葉よ。長くないって、どういうこと? つがいが見つかれば魔力暴走はしないんじゃなかったの?」

「はぁ。だから社交の場って嫌なんだ。余計な情報までシルディアの耳に入ってしまう」

「その発言は肯定と取るわよ」


 試すようにじっと見つめれば、オデルは大きなため息をついた後、薄く笑った。


「そう受け取ってもらって構わないよ」

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