第10話「竜の王」

「なに、これ……」


 ソファーに座り、歴史書読みふけっていたシルディアが書物から顔を上げた。

 そして急いで読み終わった歴史書を広げる。

 半日かけて目を通した何冊もの書物に共通点を見つけた。


「やっぱり。竜の王として生まれた皇族のほとんどが、二十歳にならずに死んでる……」

「竜の王は、神話の時代から皇族の中に生まれる。竜の王になる者は、身に宿す魔力が膨大なため、魔力の制御ができなければならない。と言われています」


 丁度紅茶を淹れたヴィーニャが戻ってきた。

 彼女の言葉になるほどと頷いた。


「魔力の制御が上手い人だけが生き残れるってこと? 効率悪すぎない?」

「それもそうですね」

「一つ質問なんだけど」

「なんでしょう?」

「魔力が多かったら何が起きるの?」


 シルディアは皇国の人間ではない。

 そのため、皇国では当たり前に知られていることも知らないのだ。


「そうですね……。まず全身を巡る魔力が魔力細胞を破壊します」

「破壊!? 破壊された魔力細胞は治るの?」

「はい。治ります。そのため、治っては破壊されるという地獄のような痛みが体中を襲いますね」

(地獄のような痛み……?)


 覚えのある症状にヴィーニャへ続きを促した。


「そのあとは?」

「最終的には魔力暴走でボンッです」

「……それは、もちろん比喩よね?」

「違います。ボンッとなるんですよ。魔力暴走した者が」

「……人が、ボンッと?」

「はい。ボンッと」

(つまり、魔力暴走したら死ぬのね)


 頷いた無表情のヴィーニャと顔が引き攣るシルディア。


「魔力暴走を抑えるようなものはないの?」

「ありますよ」

「! あるの!?」

「もちろんです。ただ、それは気休めでしかありません」

「そう……」


 眉を下げたシルディアを不思議そうに見るヴィーニャをはぐらすように歴史書に視線を落とす。


(わたしが思いつくようなことをオデルはもうやっているわよね。……あら?)

「先代竜の王のつがいは若くして亡くなったのね」

「上皇陛下のお祖母様ですね。子を成してすぐ亡くなられたと聞き及んでおります」

「きっと産後の肥立ちが悪かったのね……」

「そうかもしれませんね。シルディア様。根を詰めてもいけません。少し休みましょう?」

「そうね」


 ソファーに座り直したシルディアは淹れられた紅茶を飲んだ。


(死ななかった皇族にも何か共通点があるはず)

「楽しそうなことをしているね? 俺も混ぜてよ」


 温かな紅茶で喉を潤しながら、ぼんやりとしていると背後から声がかかった。

 艶やかな耳心地のよい低音が耳を打つ。

 この部屋に立ち入ることのできる男性は一人だけだ。


「オデル」

「シルディアが楽しそうでなによりだよ。読んでいるのは……歴代の竜の王について、か。皇国に興味が沸いたの?」

「そんなところよ」


 手だけでヴィーニャに退出するよう指示を出し、オデルはシルディアの隣を陣取った。


「何してたの?」

「皇王の座につくことなく散った竜の王になんの共通点があるのかなと思って調べていたのよ」

「なるほどね。なにか共通点は見つかった?」

「えぇ。二十歳になるまでに皆死んでいるの」

「魔力量に耐えられなかったんだろうね」

「やっぱり」

「魔力暴走って何かわかる?」

「ヴィーニャに聞いたところよ」


 そう答えると、オデルは露骨に残念そうな顔をした。

 シルディアの為なら何でもやりたがる彼のことだ。自分で説明をしたかったのだろう。


「今オデルは何歳?」

「二十五だよ」

「二十歳は超えているのね。じゃあわたしの思い違いかしら?」

「ん? なにがだい?」

「オデルはまだ魔力暴走が治まっていないんじゃないかって思って」

「……どうしてそう思ったの?」

「さっきヴィーニャが言っていたの。魔力細胞の破壊と治癒が交互に起こって地獄のような痛みを引き起こすって。オデルが痛みで寝れないのはそれじゃないかなと思ったんだけど……ってちょっと!?」

「可愛い上に賢いとか、最強だよね」


 伸びてきた手が白色の髪を掬ったかと思うと、口づけられる。

 突破知的な行動の意味が分からずシルディアは困惑を隠せなかった。

 しかし、それがすぐにオデルが話を逸らすためだと気が付いた。


「そうやってすぐはぐらかそうとする。で、どうなの?」

「……シルディアの思い違いだよ」

「それもそうね。二十歳までにふるいにかけられて亡くなってしまうんだから、もう二十五歳のオデルは克服できたってことになるもの」


 ふとした疑問がわき上がり、考え込む。


(とすると、克服者には何か共通点が……? 魔力暴走を克服できる何かがある……?)


 不意に肩に回された腕に驚いたシルディアがオデルに目を向けた。

 真剣な赤色の瞳に射貫かれ、固まってしまう。


「何を考えていたの? 教えて」

「え、えっと、今考えていたのは、竜の王はどうして魔力暴走を克服できたのか」

「なんだ。そんなことか」

「そんなことって……。わたしは真剣に悩んでいるのよ?」

「ここにヒントはあるのに」


 オデルの切れ長な瞳の奥にある隠しきれない熱。

 その熱の意味を、シルディアはもう知っていた。

 好意よりも重い愛を向けられる理由に、心当たりは一つだけだ。

 それは――


「! つがい!」


 じっと見つめられてしまえば否が応でも理解できた。


「正解。シルディアは賢いね」

「今まで散々言われていたのに全く気が付かなかったわ」

「少し抜けているところも可愛い」


 正解に辿り着いた褒美と言わんばかりに、頬に口づけを落とされる。

 慣れてしまった軽いスキンシップ。

 止める必要性を感じず放置しているが、日に日にスキンシップが激しくなっている気がする。


「はいはい」


 呆れた口調でやり過ごし、確証を得るために歴史書をめくった。

 シルディアは視線を落とし感嘆を呟く。


「皇妃がつがいだったかも記されているのね」

「うん。竜の王にとっては大事なことだからね」

「そのおかげで予測は立てやすいのだから、先人には感謝ね。天命を全うした竜の王もそれなりにいるみたい。でも、つがいを見つけられた竜の王はその半分以下ね」

「よく気付いたね」


 優しげに細められた目がくすぐったくて、シルディアはごまかすように早口に喋り始める。


「歴史書を読めば誰だって分かることよ。つがいは竜の王のためのもの? それとも、本当に魔力暴走を抑えるためだけの? ……うん。まだなにかありそうね。つがいにも何か選定基準が――きゃっ!? ちょっと! いきなり抱えないで!」

「シルディア、そんな暴れないで?」


 オデルはシルディアを膝の上に乗せることが好きなようで、事あるごとに抱き上げられる。

 スキンシップには慣れてきたとはいえ、今、このタイミングでするのはどうなんだとシルディアは怒りを隠さなかった。

 シルディアは薄い空色の瞳を吊り上げる。


「断りもなしに膝に乗せるからでしょう!? せっかく何か思いつきそうだったのに……。竜の王の……」


 言いかけたと同時に、シルディアは背筋が凍った音を聞いた。

 なぜなら先程まで優しげに細められていたはずの彼の瞳にはどす黒い闇が宿っていたからだ。

 オデルが初めて見せた感情。それは、深く淀んだ闇に混じるのは憎悪だろうか。

 冷え切った心に温かな風を送り込んでくれる彼から向けられたことのない感情。

 それは息を忘れるほどの衝撃をシルディアに与えた。

 どうやらシルディアは踏んではいけない地雷を踏み抜いてしまったようだ。


「俺が目の前にいるのにさっきから竜の王竜の王って悋気を抱いてしまいそうだよ」

「っ、何言ってるの。竜の王はオデルなんだから、わたしが考えているのは終始オデルのことよ」

「そんなこと言っても、ねぇ? そろそろ目の前の男に構って欲しいな」


 オデルは闇に染まった瞳を隠すようにシルディアの肩にぐりぐりと頭を押し付けてきた。

 拍子に柔らかな黒髪が肌を掠める。

 いつも通りのスキンシップに戻ったと安堵した途端、シルディアの体から力が抜けた。

 シルディアは呆れたように呟く。


「構ってって、子どもじゃないんだから」

「大人だって甘えたい時はある」

「毎日甘えている気がするけど?」

「……気のせいじゃない?」

「そういうことにしておいてあげる」


 拗ねたオデルを宥めるため、触り心地の良い黒髪を指で梳く。

 嫌がる素振りも見せず身を任せる彼にシルディアは苦笑を零す。


「そんな無防備でいいの?」

「シルディアは俺を殺したいと思う?」

「思うわけないじゃない」

「それが答えだよ。じゃあそろそろ、夕ご飯にしようか」

「まだ夕ご飯には早いんじゃ……」

「書物は片付けてね」


 シルディアをソファーに降ろしたオデルは立ち上がり厨房に足を向けた。

 聞く耳を持たない彼に、シルディアは大きなため息をついた。


「なんなのよ、もう」


 強引に話題を変えたオデルの態度は暗に竜の王についてこれ以上踏み込むなと言っているようなものだ。

 読み終わった歴史書を書庫へ運ぶために書物をまとめるシルディアは気が付いていない。

 厨房から覗く赤色の瞳に、まだ蛇蝎だかつの如く嫌忌の感情が奥底でとぐろを巻いていることに。

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