崩壊する戦略

 レドパインは罠を完璧なものにする為に、死神の騎士の病を悪化させる事にした。


 死神の騎士アトゥームは幻覚や妄想などを症状とする精神疾患―—統合失調症を患っている。


 治癒魔法を反転させる事で他人の健康を悪化させるのだ。


 統合失調症はただでさえ放っておけば進行する。


 黒曜石の鏡に映るアトゥームを見ながら、レドパインは白蛇を生贄に呪いを掛ける。


 精神疾患を引き起こす魔法は即効性は低い―—発病するまで少しずつ精神の均衡を失っていく。


 病気の進行を制御できれば言う事は無いのだが、レドパインには荷が重かった。


 それでも呪いを掛けてから数ヶ月後から半年位で再発するだろう。


 更に夢魔を送ってアトゥームの精神に大きな負荷をかけるつもりだ。


 戦皇エレオナアルがそれを知れば喜ぶだろう―—褒賞をくれるかも知れない。


 エレオナアルは謀略で人が破滅するのが大好きだった。


 増してそれがどれほど憎んでも憎み切れない相手となれば言うまでもない。


 勇者ショウはアトゥームの息の根を自分の手で止めると息巻いていたが、そうなるにはショウが更なる研鑽を積まなければならないことは明白で、しかもショウにはそれを完遂するだけの意志力は無いとレドパインは確信していた。


 エレオナアルの覚えを良くするにはいずれショウも除かなければならない。


 最終的にはエレオナアルの双子の姉アレクサンドラをものにし、グランサール皇国そのものを手に入れる―—その為には手間は惜しまない覚悟のレドパインだった。


 *   *   *


「アトゥーム君、大丈夫?」背の高いやせた女エルフ―—不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドは寝床でアトゥームがうなされているのに気が付いた。


 大声を出している訳では無いが、アトゥームの病気を考えれば心配の根は取り除いた方が良い。


 アトゥームが反応しない様わざと気配を出して身体をゆする。


 アトゥームは目を見開いた。


「……ホークウィンド? 俺は―—」アトゥームの目から涙が零れる。


「―—どんな夢を見たの?」ホークウィンドはアトゥームを抱き締める。


「皆が死んで俺だけが取り残された。敵も味方も皆死んで―—人類が滅んだ後も俺だけが生き残って―—」


 ホークウィンドは微笑んだ。


「なら心配要らないよ。ボクは死なないから。そんな事になってもきっとボクはキミの傍にいる」ホークウィンドはアトゥームの頬にキスした。


 アトゥームはホークウィンドの胸元に頭をうずめる。


 普段のアトゥームらしさが無い―—ラウルに相談しようとホークウィンドは決めた。


 *   *   *


 レドパイン指揮下の皇国軍は多大な犠牲を払いながらガルム帝国帝都ゴルトブルクの前まで来た。


 軍は形の上では存在していたが、ガタガタだ―—近衛騎士ジュラールはここで攻勢をかけられたらひとたまりもない事を知っていた。


 ジュラールは何とか死神の騎士達と直接剣を交えて戦おうとしていたのだが、レドパインがことごとくそれを阻止した。


 ジュラールに手柄を与える事無く自分の力でアトゥームたちを殺す―—そうすれば野望に大きく近づくからだ。


 軍は青息吐息ながらも士気は高い―—もう少しで首都を落とせる、その思いが皆に充溢していた。


 レドパインは使者を送り、死神の騎士たちに都の前で戦うか籠城して死ぬかと二者択一を迫る。


 返事は、都の前で戦う、だった。


 皇国軍の前に、帝国軍が姿を現す―—今まで戦ってきた軍を後詰に当て、温存されていた主力だ―—その数は皇国軍の五倍。


 レドパインは使い魔を送って上帝マルグレートに反旗を翻すよう檄を飛ばす。


 後はレドパインの軍と反乱軍が軍師ウォーマスターラウルたちを挟み撃ちにすれば終わりだ。


 一時の数の優位も背後からの一突きには耐えられまい。


 本陣から魔法の遠眼鏡でゴルトブルクの王宮をうかがう。


 死神の騎士を斃されない様ジュラールも本陣に待機させている。


 レドパインは自信満々に伝令を飛ばし鶴翼の陣を敷かせる。


 本陣の前には厚めに兵を置く。


 軍同士が睨み合って一刻、反乱を示す朱色の狼煙が上がった。


 その時帝国軍は予想もしない動きをした―—全軍が突貫してきたのだ。


 反応が余りにも早い、まさか。


 計略がバレていたのか、レドパインは最悪の予想が当たったのかと恐怖した―—表情には出さなかったが。


 ジュラールは帝国に内通者を作り背後を突かせる策は知っていたが、上手くいく可能性は低いと看破していた。


 謀略だけで戦争に勝てれば苦労は無い。


 レドパインには散々上申したのだが、聞く耳を持たなかった。


「私も帝国軍と戦います。許可を―—」ジュラールは半ば無駄とは知りながらも義務を果たそうとする。


「いや、卿は我々を守れ」この期に及んで、まだ手柄云々を気にするのか―—ジュラールは暗澹たる気持ちになった。


 敵はこのまま本陣を一気に破るつもりだ―—それなら死神の騎士と戦う機会も有る―—そう自分に言い聞かせた。


 敵の先頭には死神の騎士がいる、ジュラールはそう直感した。


 *   *   *


「義兄さん、突撃を―—」


 帝国軍軍師ラウルはレドパインの計略を掴んでいたが、上帝マルグレートたちを泳がせていた。


 有無を言わせぬ証拠を持って上帝たちを断罪する為だ。


 アトゥームとエルリックが率いる騎馬兵に敵本陣を一気に破らせる。


 騎槍ランスを構えた騎士たちが横一列に並んで突進した。


 皇国軍は歩兵でその突撃を止めようとして―—蹂躙された。


 討ち漏らした兵を後続が襲う。


 全軍でまず皇国軍を打ち破り、返す刀で反乱軍を倒す。


 皇国軍も奮戦していたが、兵力差は歴然としていた―—士気は高くとも、疲労も限界まできていた。


 一方、レドパインはこうもあっさりと皇国軍が蹂躙されるのを見て流石に狼狽した。


「レドパイン殿、白兵戦の準備を」ジュラールは言上する。


 ジュラールは既に兜をかぶり準備を整え終わっていた。


 近衛で彼だけが着ける事を許された深紫の板金鎧プレートメイルが音を立てる。


「私の馬を」従士エスクワイアに下知し近衛騎士たちを集める。


「待て―—」レドパインは焦る。


「そんな事を言っている場合では有りません。レドパイン殿」近衛騎士の一人が呆れたように言った。


「総司令官が戦死なさっても良いなら止めませんが」他の近衛騎士達から笑いが漏れる。


 既に帝国軍は皇国軍の陣を半分以上破っていた。


 内乱軍は一向に出てくる様子が無い。


〝上帝―—いかがされた!?〟使うなと言われていた念話テレパシーで連絡を取ろうとする。


 この時既に上帝マルグレートと側近のアダルトマン将軍はラウル配下の魔術師に確保されていた。


「くそっ!」十分以上念話を繋げようと足搔いたレドパインは拳でテーブルを叩く。


 そうしている内にも帝国軍はみるみる本陣に迫ってきた。


「脱出なさいますか?」ジュラールが表情を変えずに尋ねてくる。


「そ、そうだな―—」しかし帝都を攻略できず、死神の騎士たちも討ち漏らしたら戦皇がどんなに激怒するか容易に想像がついた。


 最悪、獄につながれる可能性も―—いや、死刑になる可能性さえ有る。


 帝都攻略も死神抹殺も確実だと大見えを切ったのだ。


 今更出来ませんでしたでは済まされない。


「逡巡している時間はありません」


「分かっている!」レドパインは怒鳴る―—しかしどちらがマシなのか判断しかねていた。


 そのまま二十分程時間が過ぎた―—レドパインには短く思われたがその間に事態は致命的な方向に進んでしまった。


「脱出する―—」近衛騎士たちと魔術師たちが周囲を囲む―—転移魔法で飛んでも、落ち延びられるか分からない。


「駄目です―—妨害魔法がかけられています!」転移魔法を唱えようとした魔術師が叫んだ。


「近衛共、私を守れ! 後方まで一気に駆けるぞ! 魔術師、透明化の魔法を私に―—」


「どう思う?」「―—もう間に合わないでしょう」ジュラールと近衛騎士がささやき声を交わす。


「軍旗を置いていけ。囮にするのだ!」レドパインは平然と軍隊最大の屈辱を命令した。


「我々の命運も尽きたな、せめて最期は騎士らしい戦いで終えたいものだ」声を交わした騎士が兜をかぶる。


 レドパインは従者に助けられて鞍に落ち着いて——戦馬を乗りこなすほどの馬術の腕をレドパインは持っていなかった―—それから馬ごと透明化の魔法をかけさせる。


 ジュラールは言わなかった、馬が巻き上げる土埃は隠せない、それを探って敵は攻撃してくるだろうとは。


 帝国軍の先鋒は既に本陣に切り込みつつあった。


「行くぞ!」レドパインの声だけが響く。


 ジュラールたちも騎乗した後、透明化の魔法をかけられる。


 予想した通り、レドパインは駆け出した―—ジュラールは戦の素人の間抜けさを敢えて呪わずに後ろに続いた―—。

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