「我が父がそのような卑劣な行いをしたとは――にわかには信じ難い」グランサール皇国皇子エレオナアルは唸るように言った。


「エル、アトゥームは嘘はついていない――俺の魔法でも確かめた」皇子の親友、勇者ショウも難しい顔をしていた。


「神託でも同じ結果が出たのだな? ショウよ」エレオナアルは確かめた。


 皇都ネクラナルにある皇城おうき、エレオナアルの私室で皇子と勇者は冒険者仲間の傭兵アトゥームの話を聞いていた。


「そなたが我らの〝皇国の盾〟に加わったのは復讐の為だったとはな」重々しい沈黙が部屋を包んだ。


「ともかくも、皇家の名誉に関わる話だ。父戦皇リジナス陛下に裁きは下しにくい。下ったとしてもそなたの思う様にはならないだろう」


「助けが得られるなら俺は出来るだけの恩返しはする」アトゥームは珍しく意気込んで言った。


「我が父には時折そなたの言う様な仁義にもとる真似をしているのではないかと思わせる所は有った。復讐を遂げたいというなら手筈は整えても良い」


「下がれ、アトゥーム。詳しい事はまた後でな」エレオナアルは親しみを込めて言った。


 アトゥームが退室するとエレオナアルとショウは緊張から解かれた様に息を整える。


「いや、奴が頭に血が上る事があったとはな」ショウが息をつく。


「勘が鋭いとは言っても完ぺきではないという事よ」エレオナアルが相槌を打った。


「計画は動き出したな」


「ああ、平民に父戦皇陛下を討たせ、返す刀で処分する。玉座の奪取とハエ退治がまとめてできる。姉上の邪恋も終止符を打てるというものだ。一石三鳥よ」


「実行はいつにする」ショウが待ちきれないという思いをにじませた。


「明後日だ――リジナスが風呂に入った所を襲わせる。直後に我らが駆け付け、奴を殺せば全ては我らの意のままよ」


「法の神ヴアルスと白龍ヴェルサスの加護があらん事を」ショウとエレオナアルは拳を突き合わせた。


 *   *   *


 計画実行の日――アトゥームは認識阻害の魔法の掛かった外套マントを羽織って風呂場でリジナスが一人になるのを待ち受けていた。


 左手には〝デスブリンガー〟を下げ復讐の時が来るのを冷たい激情で待ち受ける。


 半刻も待つと木造りの扉が開けられ、入浴を助ける侍女四人と共に戦皇リジナスが入ってくる。


 薄衣をまとった侍女たちは魔法で扉が開かなくされた事に気付かなかった。


 アトゥームは外套を脱ぎ捨てる――夏用の服は汗まみれだった。


「曲者! 」侍女たちが叫ぶ。


「戦皇リジナス! 我が傭兵団の怒りと焼き討ちされたエルフの恨み、思い知るが良い! 」デスブリンガーを鞘から抜き放つ。


 侍女たちが一切のためらいも恥じらいも感じさせず襲い掛かってきた。


 素手だ――侍女たちは格闘術の達人だった。


 アトゥームはデスブリンガーの剣背けんぱいで侍女たちを気絶させようとする。


 三人の侍女がアトゥームに襲い掛かってくる。


 一人は助けを呼ぼうと扉を開けようとした。


 三人と交錯したアトゥームは一瞬で連撃を放つ――侍女たちは意識は失わなかったが身体が指先まで痺れて動けなくなった。


 最後の侍女を放って、尻もちをついて放心状態の戦皇に刃を向ける――いつも見ている威厳に満ちた姿と違い、みすぼらしく弱弱しい老人がいるだけだ。


「待ってくれ、命だけは助けて下され――お願いじゃ」


「そう言われて――」アトゥームは剣を振り上げる――その時アトゥームの頭に義弟ラウルの声が響き渡った。


〝待って! 義兄さん! リジナスを殺しちゃ駄目だ〟


 アトゥームは今まさに振り下ろした剣の切っ先を辛うじて変えた――デスブリンガーが床の石とぶつかり火花が散る。


 リジナスはアトゥームの剣の余りの鋭さに気絶した。


「ラウルか――? 念話テレパシーの魔法が通じる距離にいるのか? 」


〝皇城にいるよ。空間を繋ぐからまずは来て。義兄さんが復讐すべきはエレオナアルだ〟


 アトゥームの右側に淵の波打つ円が現れた。


 その中に見知った顔――ラウルともう一人、皇女アレクサンドラの姿が有った。


「早く! 」


「どういう事だ? 」


「全ては我が愚弟の罠ですわ――ミシェルの傭兵団を破滅させたのも、エルフの森を焼き討ちしたのも、貴方に父皇を殺させ濡れ衣を被せる計画も――」


 淵の揺らぎが強くなり始めた――通路が消えるのも時間の問題だ。


 アトゥームは舌打ちすると円の中に身を躍らせた。


 直後に円が崩れた。


「アトゥーム様。ご無事で——」


「説明してくれ――エレオナアルが裏切った? 」アトゥームは納得いかない顔だった。


「それにどうしてお前がここに居るんだ? ラウル」


「予知したんだ――義兄さんが処刑される未来を。皇女にその事を伝えて協力してもらった」


「私も未来視の能力が発現すると賢者に言われましたわ――ラウル様のものとは違うものですが、父が殺される事だけは分かりました」


「エレオナアルは皇位を狙ってる――リジナスは――それだけで彼への報いは十分。義兄さんのいた傭兵団を襲うよう命じたのも焼き討ちもエレオナアルの企みだよ」ラウルは書類をアトゥームに見せる。


 エレオナアルの署名が入った、森エルフの居留地を襲うよう命じた命令書を見せる。


「証拠だからね。これと傭兵団の書類は持ち去らせてもらいます。良いですね、皇女様」


「じきに騒ぎは広まりますわ――早く皇都を離れて下さい。その前に――」


 皇女はアトゥームの胸元に飛び込んで唇を奪った。


「無事を祈るおまじないですわ」自分でしたことながら皇女は顔を真っ赤にしていた。


「転移魔法で飛ぶよ。義兄さん」


「まて、鎧はともかく長弓だけは持っていきたい」


「心配いらない――何もかも持ってきてる」ラウルが目線を送った先に荷物が積んであった。


 皇女はアトゥームから身をもぎ離した。


「私は離宮に幽閉されます。いつか貴方が助けに来て。孤高の傭兵」目に涙を浮かべている。


 皇女の部屋がある所は女性しかいない一角だったが辺りが騒がしくなってくる。


「皇女様――私です。アイアです。扉をお開け下さい。シルヴェーヌ様が異変を感じたと」部屋の外から声がした。


「ちょっと待って。アイア」アレクサンドラが頷いた。


「一緒に来ないか? 皇女。ここに居ても――」アトゥームが誘う。


「私は皇女です。アイアやシルヴェーヌを見捨てていく訳にはいきません。愚弟は私が逃げたと知れば彼女達を責め殺すでしょう」


 ラウルが転移魔法の詠唱を始める――一分ほどかけて呪文を完成させた。


 視界が揺らぐ中、アトゥームとラウルは皇女が顔を両手で覆うのを見た――。


 *   *   *


「ショウ、平民は何処だ? あの傭兵上りは――」


「いない。逃げたな」


「どうやってだ――奴は魔法は使えない筈だ。それにこのじじいはなぜ生きてる」


 エレオナアルは毒づく。


 戦皇リジナスは目まぐるしく変わる状況を把握しかねていた。


 侍女たちも近衛に剣を突き付けられ、身動きできない。


「エレオナアル。よくぞ余を助けた――」


「役立たずが」エレオナアルは実の父を殺せと近衛に目配せする。


 近衛が後ろから剣を突き立てた。


「エレオナアル――貴様――」戦皇は即死しなかった。


 自分で命じておきながらエレオナアルは目を背けた。


 老戦皇は何かを悟った様だった、目に奇妙な叡智の光が宿る。


「愚息エレオナアル。あの小僧を逃がした事はお前には致命的な失策よ――これは予言だ。お前に安息の地は無い。どれほど権勢を手に入れようと、どれだけ富を集めても、どれほど女を抱こうとも、お前はあの男の影におびえて生きる事になろう」


「さっさと始末しろ――近衛共! 」エレオナアルはそれだけ喚くと耳を塞いだ。


 何本もの剣がリジナスを貫く。


 エレオナアルは十分以上も目を閉じ耳を覆ったままだった。


 その間ショウは残った侍女たちをぎらついた目で見ていた。


「エル、この女共は――」


「そうだな、生かしておけば使い道もあるやもしれぬな」欲望が恐怖をしのいだ。


 エレオナアルは大音声で宣言する。


「聞け! 偉大なる戦皇リジナス陛下は愚民にして逆賊、アトゥーム=オレステスと密偵のこの女共に殺された! 陛下の遺言により余エレオナアルが戦皇の座を継ぐ事になる。その証人は誇り高き龍の王国ヴェンタドールの勇者ショウ=セトル=ライアン殿だ! 」


 エレオナアルは言葉を区切った。


「明日の朝一番に皇位継承者を集めて会議を開く! 直ちに余の配下を集めよ! アレクサンドラ姉殿下にも来て頂く」


 エレオナアルは自分が賽を振った事を今更のように自覚した――思わず武者震いが出る。


 この日を持って父殺しの男がグランサール皇国を率いる事になったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る