第二話 詩に損ないの言葉たち

 美術部前でのあの一件は、“エンターキー事件”と銘打たれ、部員の中で話題になっているらしい。


そうくん。一緒に帰りましょう?」


 そしてそれ以来彼女は、僕こと琴寺ことでらそうをいきなり名前で呼び、自分のことも璃愛りあと呼んでほしいと言って来たのだ。距離感がバグっているのだろうか。


 僕は言われるままに頷いて隣を歩く。


 正直、美術部員の方々には感謝している。“エンターキー事件”のことをあくまでも内々での話題に収めてくれているから。僕は友達が少なく目立った長所もないのでモテない。対して璃愛りあさんは、コンクールで賞も得ているし友達も多い。体が細いので小柄でもスタイルが良く見える。白絹を纏ったようなきめ細かい肌は触ればきっとやわらかいんだろうし、薄氷のような爪はこれまた触ればきっとツルッとしているはずだ。端正で無駄がない顔は、そのままにしていれば冷たく見えそうだけれど、常にニコニコしているから温かで。そんな人だから絶対モテる。僕が璃愛りあさんと仲良くしていたら、男子から反感を食らいかねない。


 学校を出て最寄り駅で電車を待つ間まで、彼女との会話を楽しむ。璃愛りあさんの言葉はすべて面白い。


「線路って、バンドエイドが泳いでいるみたいじゃない?」


 一番ホームに突っ立っているだけで、そんな言葉がコロンと転がって来た。点字ブロックの先にあるレールを見る。等間隔に並べられた枕木をバンドエイドと言っているのだろうか。


「線路の枕木が鉄の重さを乗り越えたら、大きく生まれ変わって人を助けるバンドエイドになるって思わない?」


 僕はそれが面白くって「そうだね」って笑う。彼女もつられて笑う。


 いつもニコニコ顔の彼女だけれど、こういう話をするときは、なんだか難しい顔をしている。僕はそんなレア度の高い表情を見て、他人より秀でているような錯覚を覚える。彼女の表情は彼女が作ったものであって、僕が引き出したものではないのに。


 線路の向こう側のホームに、ランドセルより長い水色のプラケースをぶら下げている小学生を見つけて、僕はくだらない話を振る。


「小学生のころピアニカって習ったよね」

「習ったね」

「あれ、唾が溜まって嫌だったな。洗うの面倒くさくてさ。吹くところ、あの蛇腹の長いやつとかはまだ洗えるから良いとして、本体は無理だよね。絶対衛生的に良くないよ」


 すると彼女は「ふむ」と言った様子で顎に指をあてて思案気に俯く。


「ピアニカの底には湖があるんだよ。地底湖。深度や純度で音色が変わるの。きっとプロのピアニカストは、唾液も綺麗なんだろうね」


 真剣な顔で言うもんだから、僕はうっかり信じそうになってしまう。


「ピアニカストって?」

「さあ?」


 そう言ってまたニコニコ顔に戻った。


「小学生のころ、鉛筆使ってたよね」

「懐かしい。僕、鉛筆を削ったらそいつ一つだけ小さくなっちゃうのが嫌で、使ってない他のも全部削って同じ長さにしていたなあ」

「それは、鉛筆統一削られまくり事件だね」


 真剣な口調だ。僕は心中の中に浮かんだ(えっ、事件?)と言う言葉を飲み込んだ。


「みんな同じ身長にさせられる。几帳面さで揃えられる。増やせないから、減って行った方に合わせられる。強肉弱食きょうにくじゃくしょく

強肉弱食きょうにくじゃくしょくって?」

「さあ?」


 ニコニコ。毎回無責任な疑問を投げかけられる。でもこれは、考えてってことなのかなと思う。


「有っても無くても良い言葉なら、有っても無くても良いじゃない?」

「そうだね」

「だから、今回はそこに強肉弱食きょうにくじゃくしょくって言葉が有っただけだよ。無意味の連続にも意味があると思えば意味があるんだろうし。実際、あの絵が賞を獲ったのがなによりの証」


 諦観を滲ませた嘲笑を、トロリー線へ送った。


 彼女は賞を獲った絵にはなんの意味もないと僕にだけ告げてくれた。でも、意味が有ることにしておかないと周りの人たちに悪いからと言って意味有りげに振舞っているらしい。「想像にお任せします」などと言って。誰しも勘違いを指摘されると気分が悪くなるものなので。


そうくんが言うまで、エンターキーの絵には意味がないと思っていたのも同じく。簡単に作られたものだから作意がないんだろうって、先入観で見ているからそうなるんだよね。寧ろあれが初めて意味を考えて作った絵なのに」

「それまでの絵はなにも考えてなかったの?」

「考えてなかったと言うより考えに至らなかった。思考のカスの寄せ集めみたいなものかな」


 彼女は人差し指をピンと立て、唇に当てる。


「わたし、詩を書いているの。口から出てってくれない言葉たちを外に出す方法がそれしかないから。それを繰り返していくと、詩にすらならない——詩に損ないの言葉たちが出てくるの。これはもうどうしようもないから捨てておくしかないんだけれど、でも、もったいないじゃない? だからそういうものを筆にのせて画用紙の上に散らしていたの。美術部に入ったのもそれが目的。学校には詩の部活がなかったし」

「だから思考のカスみたいなものなんだ」

「そう。でもそれを先生が見て、コンクールに出した方が良いって。断るとバツが悪いし、面倒な手続きは全部やるからって言われて、名前と住所と年齢だけ書いて。そしたら受賞してた。怖かった。周りの人たちが中身のないものを見てすごいすごいって言うのが。え。だって怖くない? ホラーだよ。身の毛よだたない?」


 よだつの新しい活用方法を履修しつつ、僕は空の金魚鉢に有りもしない金魚を夢想して綺麗だと言っている人を想像した。確かに怖い。


「エンターキーの絵は、僕が言っていた解釈で合っているの?」

「全部合ってるよ。だから、わたし自身が目の前に現れたって思っちゃった」


 本当は正反対の人なんだけれど。


 ホームの先の方で遮断機の点滅が見えた。もうすぐ電車が来る。


「まさに、製造されたエンターキーを取り付けられなかったのがわたしで。だから決定できないの。欠陥品。笑顔がかわいいとか、バグって震えているだけなのにね」


 彼女は笑顔だった。それはなんだか震えているようにも見えた。或いは彼女の電圧高めの感性に触れて感電した僕の眼球の方が震えているのだと思った。

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