第5話 出会い

 誰も入るはずのない屋上に、男が入って来た。そりゃあ、警戒するよな。それも、普通なら全校集会終わりのクラスルーム中だ。これから怒るイベントを考えれば、学生生活において一番大事なクラスルームの時間と言ってもいいくらい大事な時間。


 サラサラ揺れる黒髪。真夏なのに、汗ひとつかかずに涼し気な肌。やや、ミステリアスな表情。リボンの色は赤だ。つまり、後輩の1年生だな。だが、年下とは思えないほど、余裕がある美しさを持っていた。


 キチンと話したことはないが、この学校の有名人だ。

 名前は、一条愛いちじょうあい

 去年の入試で首席をとった才女。モデル顔負けの美しさと、誰にでも優しい人柄で、入学して1か月でこの学校のアイドルのようになった女の子だ。


 俺の対極にいる存在だな。いや、むしろこんな場所で会ってはいけない相手。

 

「俺は、青野。2年生だ。教室にいたくなくて、サボって学校をさまよっていたら、ここにたどり着いたんだよ」

 苦しい言い訳。一瞬でも、屋上から飛び降りて楽になりたいなんて思っていた俺が、どうしてこんな変な発言をしているんだろうか。


「青野先輩?」

 その可愛らしい声に、思わずドキリとしてしまう。美人系の才女だが、声は可愛い系なんだな。クラスの男子たちは、彼女の容姿に魅了されていて、ちょっとしたおっかけになっていたけど、俺は美雪と付き合えた感動でそれどころじゃなかったから、正直、あんまり興味がなかった。


 一瞬だけ、一条の顔が曇った。知ってるんだな、俺の噂。まぁ、仕方がないな。

 あきらめ顔で、俺は苦笑いする。


「どうして、このタイミングで」

 弱い声で、彼女はそうつぶやいた。

 そこには、クラスメイト達が見せていた敵意のようなものはなかった。

 少しだけ安心する自分がいる。


「悪いな。噂は知っているんだろ。場所譲ってくれよ。昼休みまでは、ここに隠れていたいんだよ。ボッチ飯でも食べながらさ」

 母さんがおにぎりを作ってくれていた。教室から逃げる時に、一緒にカバンを持ってきたから、昼まではここで粘ることができる。ひとりになって、もう一度死ぬかどうか考えたい。


 そんな俺の気持ちを知ってかどうかはわからないが、彼女は嫌悪感を見せた。


「嫌です。ここは私の場所ですから。譲れません。先輩こそ、どこかに消えてください」

 思った以上にはっきりした性格らしい。好感度が少し上がる。


「いいのか。俺の噂、知ってるんだろ?」

 そう言って、ずきりと心が痛んだ。

 自分でも消化できていないからだ。


「知ってます」


「じゃあ、早く……」


「嫌です」

 かなりの頑固者らしいな、うちの学校のアイドルは。


「はっ?」

 思わず強い口調がでてしまった。ここまで強固な反応を予想していなかったから。


「噂は知っています。でも、ただの噂です。恋愛トラブルのもつれで、変な噂が流れているみたいですが……私は実際に見たわけじゃないです。だいたい、恋愛なんて一種の病気みたいなものですよ。どうして、片方の一方的な主張や噂みたいな曖昧あいまいな話を信じる必要があるんですか? そんなの危険すぎません?」

 思った以上に強い反論だった。そして、それが心に突き刺さる。仲の良かったクラスメイトや部活のメンバーに言ってもらいたかったセリフを、初めて会った後輩の女の子に言われた。驚きと喜びが俺の心の傷を少しだけ埋めてくれる。


「じゃあ、俺のこと信じてくれるの?」


「信じるとか信じないじゃないんですよ。あの噂は状況的に考えて、センパイの彼女さんの方から流されていますよね。その一方的で偏った情報で、あなたを傷つけたりするのはリスクが大きすぎると言っているだけです。恋愛感情のもつれから流れた噂なんて、一番信用できない情報じゃないですか」

 とても理知的に、悪く言えば理屈っぽく彼女は主張する。普通なら生意気な後輩のセリフなのかもしれないが、一番聞きたい言葉だった。


「ありがとう」


「なんでお礼を言われているんですか、私?」

 いぶかしげにムッとした表情で彼女はこちらを見つめた。


「わからないなら、いいよ」

 俺は涙をこらえながら、その理知的な後輩を見つめた。


 ポタリと空から雨が降ってきた。一瞬で強い勢いに変わる。


「おい、ひどい雨だ。とりあえず、ここじゃ風邪をひいちまうから、中に戻ろう」


「ほうっておいてください」

 同意されると思っていた提案が拒絶されたことにギョッとしてしまう。


「えっ、でもさ」


「まだ、わからないんですか。わざわざ、私がここに一人でいた理由が!!」

 さっきまでの理性的な声とは違って、明らかに怒気をはらんだ声は、俺を絶句させる。


「理由って?」


「雨に濡れて、風邪をひくなんて心配しなくていいんですよ。だって、私には明日はもう来ないんだから」

 駄々をこねる子供のように感情だけが先行している。


「落ちつけって」


「ひとりにさせてください。私は死にたいんです!!」

 そう言って彼女はゆっくりと安全用のフェンスの方に向かう。あわてて、俺は腕をつかんで、呼び止めた。


「やめろ」

 さっきまで自殺することを考えていた自分が、後輩の自殺を止めようとしている。急展開すぎて意味が分からなかった。


「あなたに関係ないでしょ。私の好きにさせてください」

 思った以上に強い力で、彼女は振りほどこうと暴れる。だが、俺は必死でそれをつなぎとめた。


「いい加減にっ……」

 お互いに雨でずぶ濡れにっていたがそんなのはお構いなしだ。彼女はもう片方の手で俺の腕を無理やり引きはがそうとしてくる。


 混乱する頭で、俺は次の言葉を発していた。


「死ぬなら、せめて今日1日だけでも俺と付き合ってくれ!! 一緒に学校サボろう!」


「はぁ!?」

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