第2話

     ◆


 本気で心配したけれど、魔物の襲撃から丸二日後、ウルダは平然とした顔で戻ってきた。

 ウルダという男は俺から見てもかなり特殊だ。

 かなり上背があり、身体は細い。細さに関して言えば、北部戦域で暮らすものの大半は食事にも事欠く有様なので大抵はやせ細っているのだけど、ウルダには貧相な印象はあまり持たない。どこか引き締まっているように見える。

 そんな外見はともかく、この男は滅多に口を開かない。

 帰ってきた時に「ただいま」も言わないし、魔物の襲撃があったことを察しているはずなのに

「無事だったか」の一言もない。

 魔物との戦闘でやや歪んだ金属製の鍬を金槌で叩いて直している俺を、いつからか背後に立ってジッと見て、俺が彼に気づいて振り向いても、ニコリともしない。

 だから俺の方から声をかけるのが当たり前になっている。

「オッサン、無事だったのか」

 こくりとウルダは頷き、そのまま建物の中に入っていった。もっと意思疎通してくれよ、と思わなくもない。もしつい昨日、激しい雨が降らなければ、俺の機嫌はもっと悪くて文句の一つも言っただろう。

 そう、雨が降ったのだ。激しい雨で周囲は一面、ぬかるんでいる。

 ウルダはどうやって雨を凌いだのだろう。

 鍬を片手に建物に入ると、すでにウルダは着替え終わった後だった。炉の上で鍋を使って湯を沸かしている。

「雨が降ったんじゃないか? 濡れなかったのか」

 こくり、と頷くだけ。

「どこで雨を凌いだ? っていうか、どこまで行っていたんだ?」

 クイッと顎をしゃくられたが、言葉はない。ちょっとそこまで、と言いたいのだろう。

「魔物に遭遇したよな?」

 今度はウルダは自分の腰の左側を叩いた。

 なるほど、剣を持っていた、ということか。

 壁を見ると、そこには三本の剣がかけられている。そのうちの一本はウルダが大抵、身につけている。出かける時は必ず腰に帯びていて、実際、数日前に出かけた時も腰に剣があった。

 他の二本は誰のものか、聞いたことはない。それはウルダが極端に無口だからでもあるけど。

 大昔、十年上前だと思うが、俺が剣を手に取ろうとしてウルダが激怒したことがあった。あの時、ウルダは珍しく言葉を発した。それも長い言葉を発したはずだけど、時間の経過のせいと、叱られたという衝撃からか、もう忘れてしまった。

 勝手に剣に触れるな、ということだったと思うけど、その時の印象が強すぎるせいか、ウルダがいないときでも剣を手に取る気にはなれない。鍬使い、などと呼ばれるとしても、勝手に剣を取ろうとは思えないのだ。

「オッサンの友達が、また武具を取りに行こうって言ってたよ。俺の方からいつでも良いって伝えておいてやろうか」

 こくりと頷くウルダ。

 北部戦域のはずれであるこの辺りでは、土地が痩せていてまともに植物も育たない。牛や豚を買うのも餌を確保できないので至難だ。しかし食べ物がなければ生きていけないのが歴然とした事実だ。

 そこでどうやって収入を得るかといえば、北部戦域の主戦場に近づき、魔物と、マーズ帝国の防衛軍の戦闘の後に残された武具を回収するのである。つまり戦死者から身ぐるみを剥ぐ、ということだ。

 そうやって手に入れた武具を、北部戦域の外れへやってくる物好きな商人たちに銭と交換してもらう。もっともそんな商売をする商人がまともなはずもなく、彼らは彼らで、また別の儲け口があるとみてここへ来るのだけど。

 とにかく、男たちはこの危険な上に危険な行動で、食い繋いでいるのだった。

 北部戦域の外れに住む者たちの素性は、おおよそ三つだ。防衛軍からの脱走兵、逃げ回っている犯罪者、そして故郷を何らかの理由で追われた流れ者。改めて考えると、そんな立場の者が集団を形成してうまくやっているのは奇跡のような気もする。

 それでもここでは協力しなければ、生きていけないのも事実だった。

 俺はその日のうちに例の野戦陣地で声をかけてきた男の家を訪ね、ウルダの都合はいつでもいい、と伝えた。相手は嬉しそうに笑っていたが、男と一緒に暮らしている女性と、その幼い娘は明らかに不安そうだった。

 帰り道、俺は見たばかりの光景、母親だろう女性の手を握りしめる少女の姿について考えた。

 商人たちが北部戦域へ出入りする理由。その最たるものは人身売買だった。そもそも北部戦域には民間人はいないことになっている。なので、ここで生まれた子どもたちは、そもそも存在しないのだ。

 何より、ここで暮らすものは今日食べるものにさえ苦労することが日常だ。食料がなければ生きていけず、生きるために子を手放すことを、誰が責められるだろう。

 今はもういない知り合いの男は、娘を売った後、「あいつもこんなところで生きるよりかはよほど幸せさ」と呟いていた。呟いたその後、そっとを目元を押さえた場面が俺は忘れられない。

 ウルダは何故、俺を売らないのか、ということを考えたこともあった。

 実際に見たことはないが、ウルダの剣の冴えは尋常ではないらしい。だからウルダは戦場に出入りしても無事に帰ってきているのだろうけど、それでも危険を冒していることには変わりない。

 それなら俺をどこかに売り払った方が、安全で、効率がいい。生きていく効率が、だ。

 大前提として、俺はウルダに拾われたと聞いている。この土地では親を亡くした子どもを代わって育てることはよくあることだが、大抵の場合はどこかの段階で手放すことになる。拾われた方も、いつまでもこんな場所にいる理由などないのだ。

 俺は、自分が何を望んでいるのか、考えることが増えてきた。

 北部戦域を離れたいのか。

 それとも、ここで生きていきたいのか。

 生きるために必要な技能なんて、ほとんど何もない。

 あるとすれば、剣だった。

 マーズ帝国の文官として成り上がるのは、俺の生まれや育ちからしてありえない。

 なら、軍人としてならどうか。

 剣術を身につけさえすれば、ある程度のところまでは進むことができる。それはそれで危険と隣合わせだが、少なくとも自分で身を立て、このどん詰まりの土地で生きるのとは違う生き方がが出来るだろう。

 何よりも、ここではない場所で生きていける。

 俺がウルダから剣術を学びたいと何かの発作のように思うのは、この土地を逃げ出したいからなのかもしれない。人買いに引き渡してもらいたいと願うよりよほど健全だろう、と思っている面もある。

 いや、売られるくらいなら、死んでもいいから、剣を学びたいかもしれない。

 人生が他人のものになるくらいなら、魔物に食い殺されてもいい。

 幻想だろうか。空想だろうか。

 やがて俺とウルダが住む家が見えてくる。

 ウルダが家の外に立っているのが見えた。

 剣を抜いているようだ。そばには誰もいない。一人きりで、まっすぐに剣を構えている。

 足が自然と止まった。

 ウルダの体が動き始める。

 素早く、無駄のない動き。激しいはずなのに体の軸が不自然に乱れることはなく、動きが停滞することもない。

 流れるように剣は走り続け、前触れもなく停止した。

 ゆっくりとウルダの剣が鞘に戻る。

 彼の視線が俺を捉えていた。

 バツが悪いものを感じながら、俺は再び歩き始めた。

 ウルダの剣術を身につけることができれば、俺もここから逃げ出せる。

 見たこともない、正常の世界へ。

 考えれば考えるほど、頼りなく思えた。

 剣を握ったことさえない俺が、剣術を身につけるなんて、どう考えても夢物語だった。



(続く)

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