第二十二話 常夜の魔女と小さき少女


 突然現れた巨大な虎が咆哮を轟かせると周囲の人々は度肝を抜かれた。


 巨虎は蘭華の周囲をゆっくり巡り、威嚇するように邑人まちびと達へ睨みを効かす。これには蘭華も慌てた。


「駄目よ芍薬!」

「まだ奴らの無体に耐えろと言うか!」

「御師様との約束でしょう」

「蘭華の師など我は知らぬ」

「駄目、芍薬伏せ!」

「うにゃ!」


 蘭華が鋭く命じると怖ろしい巨虎に似合わぬ可愛らしい悲鳴を上げ、芍薬はその場で伏せをした。


「ぬぅ、何をする蘭華」

「粗忽者め、蘭華の立場を悪くしてどうするのじゃ」


 滑稽な姿を晒す同胞はらからに呆れた目を向け牡丹は溜め息を漏らす。


「わ、我はただ……」

「馬鹿者、見てみよ」


 牡丹が顎で示した先はヒソヒソと話すまち人達。


「虎だ、虎の化け物だ」

「やっぱり妖魔あやかし使いじゃないか」

「では、犯人はやはり……」


 彼らは芍薬を畏れながらも蘭華へ向ける目が白い。


「ほら見ろ、みんなを脅してるじゃないか」


 そんな状況に鬼の首を取ったような態度で何進かしんが勢いづいた。


「だらしねぇ大人に代わって俺が成敗してやる」

「さすが何進!」

「やっちまえ!」

「何進の神賜術かみのたまもの矛槍之達むそうのたつってんだ」

「すっげぇ強いんだぞ」

「ふふん、こんな魔女一捻りだぜ」


 子分達からおだてられ何進は益々勢い付いた。だが、その何進と蘭華の前に小さな影が飛び込んできた。


大姐おねえちゃんをイジメちゃダメ!」


 朱明だ。小さな身体で目一杯その手を広げて蘭華をかばおうとしている。自分より大きな男の子達を前に怖いだろうに、それでも大きな目に涙を溜めて何進を睨む。


「お、俺は悪い魔女を……」

大姐おねえちゃんは良い人だもん!」

「うぐ……」


 気のある女の子から激しく反駁はんばくを食らって何進はたじたじだ。朱明を悪い魔女から颯爽と救って感謝される想像を膨らませていただけに尚更である。


「大姐はエラいんだから!」

「な、何だよ、俺だって簪裊しんじょうだエラいんだぞ」


 何進かしん神賜術かみのたまものは上位のものと目され二十等爵の三位となっていた。これは月門では路干ろかん以来の快挙である。だから、何進は自分の爵位が自慢だった。


「そんなの関係ない!」

「えっ、そんな……」


 ところが朱明からばっさり一刀両断にされ動揺した。今まで爵位を誇り、周囲から尊重されてきた彼に取って初めての経験である。


「何進はいっつもイジワル!」

「あっ、いや、俺は……」

「でも大姐おねえちゃんはすっごく優しいの。みんなの怪我をあっという間に治しちゃうし、あたしだって苦いおくすりを飲めるようにしてくれたの!」


 朱明の大きな目からぼろぼろ涙が溢れ出す。


「大姐にイジワルな何進なんて大キライ!」

「朱朱ちゃん……」


 耐え切れず蘭華の腰に抱き付いて朱明は泣きだした。顔を埋めて泣く朱明の頭を蘭華は優しく撫でる。小さくとも温かい光を与えてくれる朱明が蘭華には何より愛おしい。


 逆に何進は頭を金槌で殴られたような衝撃を受けていた。


 自分が宝物のように大事にしていた神賜術や爵位を好きな女の子に全否定されて価値観が揺らいだ。それらが途端に見窄みすぼらしく思えてしまった。


 大人達は賜術や爵位こそもっとも尊いと言っていたのに……


 だから、急速に蘭華への敵意が萎んでしまい何進かしんは呆然としたが彼の子分達は違った。


「何だお前、魔女の味方か!」

「何進に逆らうとはふてぇヤツ」

「一緒にやっちまえ!」


 あろう事か、彼らは石を拾うと蘭華達へ向けて投擲したのだ。蘭華の命で伏せていた芍薬は動けず、荒事を好まない牡丹は判断に迷い、守る力の無い百合は何もできなかった。


「朱朱ちゃん⁉」


 蘭華は咄嗟とっさに石から守る為に朱明を抱き締めた。


「いたッ⁉」


 石の一つが蘭華の額を打つ。石が鋭かったのか蘭華の額が切れて血がしたたり落ち何進の顔がみるみる青くなる。


「ば、馬鹿、止めろ!」


 何進は慌てて子分を止めた。


「何だよ何進」

「魔女を倒すんじゃないのかよ」


 しかし、何進が魔女を格好良く成敗すると期待していた子分達は口を尖らせた。何進もそのつもりだっただけに良い言い訳が思いつかない。


「そ、その……」


 ちらちら蘭華の顔を見て言い淀む。


「そ、そうだ、朱朱に石が当たるだろ!」

「だけど……」

「いいから石投げんの禁止!」


 必死に仲間の投石を止める何進かしんの様子に蘭華は目を細めた。


(この子は路干ろかんとは違って決して人を傷付けるのを善しとはしていない)


 きっと元来は優しい男の子なのだ。

 そんな温かい彼の心を誰が変えた。


 蘭華の胸を行き場を失ったやるせなさで溢れる。


大姐おねえちゃん……痛いの?」

「大丈夫よ朱朱ちゃん」

「でも、血が……」


 蘭華の赤い血が流れるのを見て朱明の顔がくしゃっと歪んだ。そして、何を思ったか朱明はちっちゃな手を蘭華に差し出した。


「これ……痛いの無くなる?」

「あっ」


 握られていたのは朱明に処方した蘭華の薬。元は蘭華が調合したのだから自分で用意できるのだが、朱明の心遣いが嬉しくて温かくて……


「ありがとう、これで直ぐに治るわね」


 だから、朱明の手を包むように握って薬を受け取った。


「お、俺こんなつもりじゃ……」


 見上げれば、顔を青くした何進が狼狽えていた。


 彼は悪い魔女を懲らしめ、みんなに謝らせ、そして尊敬を集める。そんな英雄譚を夢想していただけ。


 決して、誰かを傷つけて喜ぶような少年ではない。

 それが分かるから蘭華は何進に歩み寄ろうとした。


「貴様ら何をやっている!」


 しかし折悪く、武器を手に子雲しうん利成りせい達が駆け付けたのだった。

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