第十二話 常夜の魔女と可愛い患者


「これなら綺麗に消えるわ」


 蘭華は最後に擦過傷さっかしょうと打撲傷を負った幼い少女の治療に当たっていた。


 命に別状の無い軽いものだったが、擦り傷や青痣をこさえた顔が痛々しい。


「この薬を日に三回服用してね」


 蘭華が少女に薬を処方したのに刀夜は意外に感じた。傷の治療だけに方医術を使うのかと思っていたのだ。


「外傷にも内服薬を使用するのか?」

「軽度の傷は下手に方医術で治療せず、薬を使用した方が免疫力の低下を招かずに済むのです。これから免疫を強めていく子供なら尚更です」


 今まで治療に専念していた蘭華も余裕ができたのか刀夜の疑念にすかさず回答した。


「入れたのは経皮、丁子ちょうじ、大黄に甘草か?」


 ひょいっと覗き込んだ斉周が口を挟んだ。


「他に樸樕ぼくそく川芎せんきゅうも組み合わせております、打ち身や疼痛、青痣に著効するんですよ」

「なるほど、良く考えられた配合だな」


 内容を聞いて斉周は感心したが、薬を渡された少女は嫌そうに顔を歪めた。


「おくすり、苦いからやっ!」

「これは苦くないわよ?」

「ウソッ! 斉先生もおんなじこと言って朱朱を騙したもん!」

「こらっ朱明しゅめい、良薬は口に苦しってんだ」


 どうやら斉周が以前この愛らしい少女朱明を騙して苦い薬を服用させたらしい。


「ほら、嘘つきじゃない」

「嘘も方便ってんだ」

「大人は都合が悪くなるとすぐキベンをロウするんだから」

「お前、何処でそんな言葉を覚えたんだ⁉」

「そうやって朱朱を騙してモテ遊んだんだわ」

「人聞きの悪い事言うんじゃねぇ!」

「あらあら」


 小さな女の子に熊のような大人がやり込められる滑稽な姿に、蘭華は思わずくすりと笑った。


(か、可愛い⁉)


 蘭華が見せた笑顔に刀夜は胸がぎゅうっと鷲掴みにされるような苦しさを覚えた。


(患者に向き合う真剣な顔も綺麗だったが……こんな可憐な表情もできるのか)


 凛とした佇まいの蘭華が垣間かいま見せた愛らしさは刀夜にとって破壊力抜群だったらしい。


 そんな刀夜の視線に気づかず、蘭華は柔らかい笑顔を朱明へ向けた。


大姐おねえちゃんも嘘つきはダメって思うでしょ?」

「そうねぇ、嘘はいけないわ」


 縋ってきた朱明の栗色の髪を蘭華は優しく撫でる。


「あの時は一刻も早く飲ませんと大事になるから仕方なかったんだ」

「分かっていますよ」


 斉周が困り顔で言い訳すると、蘭華はくすりと笑って頷き朱明の前に屈んで視線を並べた。


「お薬はね、その人に合わない場合や急性治療の為に使う下薬なんかは苦く感じるの」


 証の合わない薬は口に苦いものであるし、下薬の場合はどうしても味は二の次になってしまう。


「おう、あん時の朱明は酷い高熱だったから急いで熱を冷ます為に強い薬を使ったんだ」

「でも、今はおくすり要らないでしょ?」


 薬を飲みたくない朱明はちょっと上目遣いで蘭華の袖をちょんと摘まんだ。


(か、可愛い⁉)


 その愛らしさは蘭華の心をぎゅうっと鷲掴みにした。思わず朱明のお願いを何でも聞いてあげたくなる。だが、医療人として心を鬼にしなければならない。


「うーん、でもね、朱朱ちゃんもお顔に傷や痣が残ったら嫌でしょ?」

「むぅ」

「私は朱朱ちゃんの可愛い顔に跡が残ったら悲しいわ」

「むぅ」

「この薬は大丈夫だから」

「むぅ」


 袖をギュッと掴んだまま抵抗を続ける朱明の頭を蘭華は再び撫でた。


「ふふ、それじゃあ取って置きの魔法を見せて上げる」

「魔法⁉」


 朱明の瞳がキラキラ光る。


 その様子にクスリと笑って蘭華は小袋を取り出した。


「ええ、この魔法の粉を入れるとね、苦〜いお薬も甘〜くなるのよ」

「ホント?」


 蘭華は頷き朱明の薬に粉を混ぜ合わせる。


「私と一緒に味見してみる?」

「味見?」

「そう、まずちょっと舐めてみて嫌だったら飲まなくてもいいから」

大姐おねえちゃんも一緒に?」

「ええ、まず私が味見するわ」


 言うが早いか蘭華は薬を一摘みしてぺろりと舐めた。


「うん、甘いわ」


 頬に手を添えて蘭華がにこりと笑うので朱明は目をぱちくり瞬かせた。


「あまいの?」

「ええ、とっても!」


 朱明はにこにこ顔の蘭華と手に持つ薬を交互に幾度も見比べる。そして、薬を摘むと恐る恐る口に運んだ。


 口に入れた瞬間、クリクリした目が更に大きく見開いた。


「あまぁい!」

「ふふふ、これなら飲めそう?」

「うん!」


 朱明は元気に頷くと薬を手にタタタッと走り施療院から出る直前で振り返った。


大姐おねえちゃんありがとう!」


 手を振る朱明の明るさに蘭華の心が和む。


「朱朱ちゃん、気を付けて帰るのよ」

「はーい」


 去って行く朱明を見詰める蘭華の紅い瞳が優しい。


「おいおい、いったいどんな魔法なんだ?」


 斉周は苦も無く朱明に服薬を促した蘭華の手際に舌を巻いた。子供に薬を飲ませるのは非常に難しいのだ。


「あれは甘草です」


 甘草は文字通り甘味の成分を含んだ生薬である。矯味だけではなく、鎮咳去痰、抗炎症鎮痛作用など幅広い効能もあって薬の処方に広く使われている。


「だが、甘草はあんまり飲むと……」

「脱力感や痺れ、浮腫など色んな副作用の原因になりますね」

「分かってるんなら何故?」

「あれは大丈夫です。こんな時の為に副作用が出難いよう甘草を修治してあるんです」


 修治とは作用の増減や副作用の軽減などを目的に生薬を加工する事である。


「でも、あまり褒められた手段ではありませんね」

「ちょっと甘やかし過ぎだとは思うが嬢ちゃんはそれで良いんじゃねぇか?」


 薬をお菓子感覚で摂取させると、後々子供が甘味欲しさに薬を強請ねだるようになる例もある。朱明の可愛いさについ甘やかしてしまった己の不明を恥じた。


 そんな蘭華を後ろから見詰める刀夜の目はとても温かいものだった。

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