第7章 悪人の加害者は利己主義である

     1


 7人の被害者を出した連続殺人事件は終結した。

 指名手配犯――火消ヒケシ莫乃餡モノアとその自称助手――宝華ホウカルズラは、黒祓いの巫女――ノウ水封儀みふぎに祓われた。

 これ以上の被害は出ない。

 なによりだ。

「いろいろ世話んなったな」古衛がわざわざ署の外れにある対散タイサン課まで挨拶に来た。

「俺ぁ、なんもしてねぇよ。お前さんとこの手柄だ」

 桐崎がいたたまれずに部屋の隅に直立不動でいる横で、木暮が不可解な顔でじろじろと見ている。

「古衛さんからすべて聞いています。これまでの失礼な振る舞いを謝罪します」相棒の戸入が声を張る。

 つい昨日退院し現場に復帰できた。

「いやな、だから俺はなんにもしてねぇって。そいつから聞いてねえのか?」

 古衛が何を吹き込んだか知らないが、どうにも俺の評価を持ち上げがちだ。

「今後の状況は追って、な」古衛が言う。「とりあえず今回のは解決ってわけだ。納の嬢ちゃんにも感謝してもしきれねえ。もともとはお前さんが」

「悪いが、くっちゃべってる場合でもねぇんだろ? さっさと戻っちまえ」

 みふぎの嬢ちゃんを紹介した仲介者という点が、一番の感謝理由か。それなら俺も少しは役に立てたのか。

 ただでさえ大変な仕事に就いているというのに。

 警察こっちにまで巻き込んでしまって。

 そういえば、

 あの返事もしなきゃいけなかった。

 気が重い。
















     2


 8月のお盆前の暑い日。

 時寧の一周忌で経慶けいけい寺に集まった。

 喪主は時寧の夫である久慈原クジハラ先生。

 参列者は、家族のみなので以下の通り。

 時寧の父・KREクレ会長。

 時寧の妹・KRE社長。

 時寧の長男。

 会長の家政婦。

 きっと付いてきたであろう、しまじさん。

 そして、家族じゃないわたし。

 わたしの内縁ということでレーも、と会長が声をかけてくれたが、わたしの都合で遠慮させた。今日だけマッサージの修行に戻らせた。

 マミは家族でないので送迎だけ。

「駐車場で待ってるのもアレだし、観光しとくよ。観光寺って聞いてるし」マミはひらひらと手を振っていなくなった。

 ただ、形だけでも参列の意思を示してくれているのか、マミも喪服を着てくれていた。喪服で境内をうろうろされたら参加者の一人だとみなされて余計に面倒くさいことにならないかとも思うが。

 事件終結から約2週間。

 マミもせめてあと1週間は汚染の浄化のためにわたしのそばにいてもらいたい。本人の前向きな協力があったとはいえ、二度も眼の汚染をした。汚染が拡がらないように、見ていないといけない。

 見ていなかったが、時寧だ。

 時寧が死んだのは、わたしのせいだ。

 家族でもないわたしを法要に呼ぶのは、それをしっかり胸に刻めということに他ならない。

 広い本堂は一般開放していない。

 わたしは一番後ろの離れた椅子に座った。家族一同の後頭部が見渡せる。

 クソジジイが祭壇の前に座った。

 久慈原先生の挨拶。

 クソジジイの読経。

 脚が痺れたのでこっそり崩した。後ろの席は誰にも気づかれないのが利点だ。

「まともに参加してる?」時寧が隣にいた。同じく背もたれのない椅子に座っている。

「何しに来た?」声を上げるわけにいかないので、口パクで返事した。

「何しにって、ひどすぎない? 誰の一周忌かわかってる?」

「お前の一周忌じゃない」

「そう? 私でしょ。私は時寧だし」

「お前は時寧じゃない」

 クソジジイの嘘くさい読経が続く。

「大活躍だったじゃん。見てたよ」時寧が嫌みたっぷりに言う。

「誰のせいで」

「あんな濃い黒なかなかいないから。好きなことできなくて困ってたぽかったし、手伝ってあげたってわけ」

「余計なことしかしない」

「みふぎにもいい経験になったんじゃない? 私と同じ黒を祓う練習にもなって」

「お前を祓っていいのか」

「そっくり返すよ。私を祓える? こんなにお世話になった大好きなお姉さんだよ?」

「だからそれはお前じゃない」

 時寧を祓う。

 そうすれば二度とこんなことも起こらないし、わたしの苦しみも減る。

 本当に?

 時寧でないことは頭ではわかっている。

 でも時寧と同じ顔で時寧と同じ声で喋られると混乱する。迷いが出る。

 これは本当に時寧ではないのか。

 もしかして時寧は蘇ったのではないのか。

 違う。

 ちがうちがう。

 惑わされるな。

 クソジジイの読経がうるさい。

 焼香が始まった。

 必死に涙を堪えている久慈原先生の周囲を、時寧がくるくると回っている。腕に縋ったり、背中に体重を預けたり。顔をのぞきこんでにやにやと笑っている。

 時寧はこんなことはしない。

 わたしの番になった。

 時寧は久慈原先生にべったり張り付いている。

 席に戻ったところで、クソジジイのありがたい話が始まった。

 もともと呪いだった黒がニンゲンの身体から出られなくなって仕方なく僧侶をしているにしては、そこそこ説得力があった。そう見せかけるハッタリが上手いだけか。

 寺の裏の山まで墓参りに行った。

 時寧の墓に来たのは初めてだった。

「私こんなところにいないのにね」時寧は皆が線香をあげる中、要らんことをごちゃごちゃ言い続けていた。

 わたし以外には、会長としまじさんには聞こえていたはず。

 それと、時寧の息子が時折ちらちらとあらぬ方向を見ている気がした。

 まさか。

 法要前の待機場所に戻ると、食事の用意がしてあった。

 久慈原先生が精一杯の笑顔を浮かべて挨拶した。

 食事が始まった。

 わたしはまた、隅の方で食べれそうなものを探しつつ。

「今日はありがとう」まずは会長につかまった。「疲れただろ? ゆっくりしていくといい」

「ずっとなんか言ってたね」しまじさんが会長の脇で浮遊している。「私が制止できるとよかったんだけど」

「そうだよ、お前が止めたらよかったんだ」会長が言う。

「私とは種類が違うから、お互い同じようでいて別モノなんだ。だからお互いに干渉できない」

「なんだそれ。使い物にならんな」

「どっちが」

 仲がいいのか悪いのか。

「あの、すみません。わたしなんか呼んでもらって」

黎影レイヱ君もね、仕事じゃなかったら来てくれてよかったんだがね」会長が言う。「君たちはもう家族も同然だよ。儂らが勝手に言ってるだけだから、迷惑だったらそれはそれで」

「諦めたほうがいい。迷惑と言ったところでこいつはねじり込んでくるから」しまじさんがすかさず言う。

「うるさいな。お前もう先に帰ってろよ」

「心細いからついてきてって言ったの誰だよ」

 ところで大丈夫なのか。傍から見ると会長が虚空に向かって威嚇しているように。

 適度な距離から見守っていた、会長の家政婦さんと眼があった。

 家政婦さんはにっこりと笑顔を返してくれた。

 家政婦さんは、すべてを知っているのだろう。そうゆう表情だった。

「お疲れ様。ゆっくりできてるかな?」久慈原先生が全員に挨拶を終えてわたしの近くに来た。「ありがとう。時寧さんも喜んでるよ」

 時寧が久慈原先生に抱きついて頬ずりをしていた。

 言わないほうがいい気がした。

「おお、そうだ。源永もとえ、せっかくだ。紹介しよう」会長が社長を手招きで呼んだ。

 時寧の妹。

「はじめましてでよかった?」社長が食事を中断してこちらに来てくれた。「源永よ。あなたが祓い巫女?」

 ショートカットなのは時寧と同じではあるものの、また違ったタイプの凛々しい女性だった。

 それと、どこか寂しげな印象がする。

 わたしも挨拶を返した。挨拶が遅くなったことを詫びた。

「仕事内容は姉さんに任せきりだったからよく知らないけど、他に代えがいない特別な業務なんでしょ? これからもよろしくね」

「源永には知らせておらんのだ」社長が食事に戻ってから、会長がこっそりと教えてくれた。「儂が頼めた義理じゃないが、源永には」

 一般人が黒に呑まれない唯一絶対の方法。

 黒に関わらないこと。

「わかってます。接触する機会もほとんどないですし」

 会長は、社長が時寧のようにならないようにしたいのだ。

 わたしさえ黒を祓い続けていれば、社長が危険にさらされることはない。

 わたしがいなくなれば、納家の血を引く女性は、社長だけになる。

 わたしは、次代を産んでから黒に呑まれるべきなのだ。

 ミシロは死んでしまった。

 もう一人。

 駄目だ。考えられない。

「お姉さん、大丈夫すか」時寧の息子が水を持ってきてくれた。

 礼を言って水をもらった。

 息子はわたしのやり取りをずっと見ていたらしい。

「お姉さん、あとでちょっといいすか」息子が誰にも聞こえないボリュームで言う。

「いまでも構わんが」

「いや、ちょっとここじゃあ」

 トイレのフリをして、時間差で席を立った。

 建物の裏に回った。

「ご飯途中ですんません。あ、オレ、翔幸かけゆきていいます」

「いくつだ」

「小学4年です」

 10歳かそこらか。

「あの、黒いのって見えてます?」

 やはりか。

「見えてるんだな?」

「オレ、どうしたらいいすか」

「どうもしなくていい。関わるな。見えても見ないふりをしろ。でももし、でっかいの、そうだな、ニンゲン大の大きなのがいたら、わたしに教えてくれるか」

「いたよ。ずっと、お経のときもいたし、いまだって、そこに」息子が指を差す。

「見えてんじゃん、ユキ」時寧がわたしの後ろに立っている。「久しぶり。大きくなったね、て1年しか経ってないけど」

「先に戻っていろ。ここはわたしが」

「もうちょっと慣らせば私と会話できるくらいになってくれるかな。ねえ、どう思う?みふぎ」時寧が薄気味の悪い笑みを浮かべる。

「え、でも」息子がわたしと時寧を見比べる。

「戻れと言っている。こうゆうのをわたしが祓ってるんだ」

 息子は2回くらい後ろを振り返ったが、走って建物内に戻った。

「あーあ、追いかえしちゃってまあ」時寧が言う。

「何のつもりだ。お前、息子を」

「汚染てやつ? 知らないよ、そんなの。みふぎのオリジナルでしょ? わたしはね、みふぎのツガイになる眼をもった男を産みたかったの。え、叶っちゃったってわけ? 嬉しいなぁ。死んだ甲斐があったかも?」

「お前それ、絶対に会長の前で言うなよ」

「なんでそんなに正義感バリバリ振り回すの? どうしちゃったの?みふぎ。みふぎってもっと乾いてて冷たい感じだったじゃん。あったかい世界に触れて変わっちゃった?」

 うるさい。

 うるさいうるさい。

「祓うの? 祓える?」時寧が両手を広げて首を傾げる。「二度も私を殺すの?」

「お前は害を成しすぎた」

 祓えるか、

 ここで。

 白襦袢も、水も、触媒もない。

 ここで、

 やれば。

 わたしも時寧という黒に呑まれて消える。

 ああ、そうか。

 やっとわかった。

 わたしは、

 自分が消えるのが怖いのだ。

 黒が悪意をまき散らす害悪だと言いながら、自分のことしか考えていない。

 悪は、

 わたしだ。

「どうしたの? 祓いなよ」時寧が至近距離で挑発してくる。

「今日は見逃してやる。戻る。今日だけでいい。ちょっと静かにしていてくれ」

 返事は望めなかったが、無視して食事に戻った。

 わたしの分を残してくれてあった。家政婦さんが持ってきてくれた。

 心配させたくなかったのでできるだけ腹に入れた。会長の家に行った日ぶりにお腹がいっぱいになった。

 食事が終わるとおひらきになった。

 帰り際、最後まで所在なさげだった時寧の息子にこっそりわたしの連絡先を渡した。

 彼は初めて安心したような表情になった。

 いままで誰にも相談できずにいたのだろう。

「あ、おっかえり~」マミが駐車場で待っていた。境内は禁煙なので手持ち無沙汰そうだった。

 13時半。

「昼は?」

「テキトーに済ませたから大丈夫よ」マミが言う。「お寺広くってさ、うろうろしながら下のメインロード?みたいなの、歩いてきた。面白かったよ~」

 車に乗って家に帰る。

 疲れた。人が多すぎた。

「みふぎちゃん、俺ちょっと外すね。ゆっくり寝てて」マミが気を遣ってどこぞへ出掛けた。

 風呂に入ってからベッドに横になった。

 最悪の夢を見た。

 わたしの眼の前で、レーが黒に呑まれる夢。








     3


 翌日9時。レーが事務所に顔を出した。

 汚染状況のチェックをするから一旦戻れと連絡していた。

「みっふーにね、見てほしい人がいてね」一通りチェックが終わると、レーがおずおずと話し出した。

 師匠の様子がいつもと違う気がする、と。

「なになに? 俺の出番?」廊下で何かをしていたマミが部屋に入ってきた。「みふぎちゃんの出張お仕事なら万時この執事兼お父さんにお任せってわけで~」

 レーがお世話になっている師匠を放っても置けないので、仕方なく、本当に仕方なく、レーの職場に行くことになった。

 道中やはり二人はわたしの衣裳についてひたすら盛り上がっていた。わたしは後部座席で寝たふりをしていた。

 眠ると昨日の夢の続きが上映されそうで。

 実はレーの職場に行くのは初めて。東京のどこかは知らない。わたしは寝ていたので。

 マミは駐車場を探すから、とわたしとレーを先に店の前で下ろしてくれた。

 10時半。

 まだ開店前。レーの師匠もとい店長に挨拶した。いつもお世話になっています、と。

 あ。

 やられた。

 レーと店長が同じ顔でニヤニヤ笑っている。

「はい、ご予約のお客様一名ご案内でーす!」レーがわたしを奥の奥の部屋まで連れていった。

 煌びやかなベールで埋め尽くされたアラビアンな雰囲気で、イランイランの香が焚いてあった。

 準備万端じゃないか。

 つまり、ここまでの流れはすべてレーと店長の示し合わせで。

 わたしをここまで連れてきて、安眠マッサージを受けさせるための謀でしかなく。

「眠れてないの、ずーっと師匠が気にしてくれててね」レーがわたしにタオルケットをかけながら言う。「機会があればいつでも連れておいでって言うから。一応、いろいろ落ち着いたタイミングかなって思って」

「わかった。観念するからさっさとやってくれ」

「師匠が来るからもうちょっと待っててね」

「お前がやるんじゃないのか」

「ん? 僕じゃないよ」レーが言う。「半人前の僕でいいの?」

「お前がいい」

「え、ちょっと、ちょっとちょっと、そうゆうのは職場ではちょっと」

「何を勘違いしてるんだ。お前の施術を試してやるって言ってるんだ」

「そんなこと言っちゃって~。僕のほうがいいくせにね」レーが入り口で待っている師匠に気づいた。「あ、すいません、師匠。もう、準備終わりますんで」

 師匠は苦いようなかゆいような顔をして、どれだけの腕になったのか見てやるからやってみろと言った。

 レーが、引き締まったような真面目な顔になった。

 これが、

 仕事の顔か。

「あ、あの、あとで岡田さんというチンピラみたいな一見うさんくさい男が来るんで、僕の給料天引きでいいんで、師匠のお手間でなければ一度」

 師匠はわかったわかったと言って、苦笑いしながら退席した。

「人がよすぎないか?」

「弟子がさ、僕以外にもいるんだけど、みんな野心が強くてさ。乗っ取られないかって心配」

「早くやってくれ」

 レーが寝かしつけてくれれば、悪夢を見なくて済むだろうか。

 ふわふわと、

 心地よい。

 漂う小さな黒を、

 見ないフリして眼を瞑った。

 黒が、

 レーの周りに集まってきている。

 わたしがずっとそばにいなければ。

 わたしより先にレーが呑まれてしまう。

 レーには言わない。

 レーを心配させたくない。

 久しぶりに、

 夢を見なかった。

 誰もいない。

 真っ黒い世界。

 これが、

 わたしが最期に見る色だ。


 











     4


 東京観光は(黒に遭遇しそうという意味で)気が重かったのでそのままとんぼ返りすることになった。レーはそのまま仕事に入った。

「うわ~、め~~~~っちゃよく眠れたよ~」店を出たマミが大きく伸びをした。「店的に俺大丈夫?部外者じゃない?て思ったけど、さっきお師匠に聞いたら男も来んのね~。個人的に東京寄ったとき通っちゃおっかなぁ~」

「喜んでもらえたなら運転手させた甲斐あったな」

 12時。

 マミが気を遣ってオムライス屋に寄ってくれた。

 家に着いてゆっくり食べた。

「みふぎちゃん、俺そろそろ」マミが改まった様子で言う。「汚染てのはいま、どうなってる感じ?」

「たぶん問題ない。悪かったな。余分に付き合わせて」

 レーが仕事に戻る際にやたら二人が別れがたくハグをしていたから、そうなるだろうとは思っていたし、実際に洗浄は済んだと思われる。

 思われる、というのは、実際に汚染を完全に洗浄させたことがないのでそう言っている。

 済んだと言ってもまだと引き止めても、マミは行くつもりなのだから、マミが安心するほうを伝えたほうが気持ちよく送り出せる。

「そっか~、よかった。次行くとこの集合する日決まってたから、間に合うようには移動したくて」

「世話になったな。元気でやってくれ」

「ホントだよ~。いろいろお世話したんだから、俺がいなくても、ちゃんとオムライスとドーナツ食べて、可愛いお洋服着るように!」マミがごそごそと大量の紙袋を廊下から引きずってきた。「はい、これ。こないだの喪服もいざってときに役に立ったわけだし、この先何があるかわからないからね。俺がいなくても、ここから服出してTPOに備えるんだよ。およよ」

「なんだその泣き真似は」

 玄関までマミを送った。湿っぽいのもわたしらしくないので車が発進したところで家に戻った。

 しん、と静かな部屋が残った。

 残ったのは部屋じゃなくてわたしか。

「いつまで見ないふりしてるの?」時寧がソファに座っていた。「言ったじゃん。やらなきゃよかったって思うよって」

 レーを二度も触媒に使った。

 汚染が進んでいる。

 仕事なんか行かずにわたしのそばにいてほしい。

 わたしのそばにいればそこそこ汚染を食い止められる。

 ちょっと離れただけで、レーの輪郭が真っ黒になっている。

「私みたいになるよ」時寧が意地悪く言う。

「うるさい。わかってる」

小張オワリのガキが父さんの甥ってことはさ」時寧が言う。「みふぎ、甥と子ども作ったってことなんじゃない?」

「わたしの母と父をもう一度説明してやろうか」

「そんなの知ってるよ。概念的な話をしてるの。みふぎは、父さんの片割れの初代ミフギのコピーなわけだから、そうゆうことにならない? うわあ、ちょっとヒくわ」

 ベッドに横になってラジオを付けた。

 ちょうど正午のニュース。

「ねえ、聞いてる?」時寧がふよふよと宙を泳いで、ベッド脇まで来た。「無視しないでよ」

「いちいちわたしが嫌がることを蒸し返して耕すのが好きだな。わたしが後継者を産む前に絶望して黒に呑まれたら、困るのはお前や会長だろうに」

 連続殺人事件の容疑者死亡、とニュースキャスターが読み上げる。

 それとまったく同じテンション感で、すぐそこの海水浴場の混雑予想と、週末までの天気予報が続く。

 関係のない者にとっては、殺人事件も行楽情報も天気予報も、すべて同列の出来事にすぎない。

「気にしてくれてたの? 実は候補がいるんだよね~」時寧がニヤニヤと気味の悪い笑いを浮かべながら言う。「時期が来たらちゃんと会わせるから、もうちょっとだけ待っててね。それまではコツコツ黒祓いよろしく~」

 やけに上機嫌だ。

 わたしの不快顔が燃料になっているのもあるが、何か妙だ。

 一体誰とわたしをかけ合わせようとしているのか。

 さっきの話から類推するなら、

 近親者じゃないだろうな。

 本当に、嫌なことしかしてこない。

 ニュースが終わって、別の番組が始まった。

 ラジオは寝転がりながら聞けるから楽でいい。

 レーの黒をどうにかするには、わたしから離れる時間を減らす必要がある。

 しかし、まだ修行は続いているだろうし。

 ここから通ってもらう?

 一緒にいたいだけの言い訳と取られても構わない。

 少しでも、一日でも、一秒でも長く、レーには生きていてもらいたい。

 レーは同時と言ってくれた。

 そんなにうまくいくだろうか。

 夕方16時まで寝て仕事。

「マミ」と呼んで誰も答えない。

 ああ、そうか。

 足がなかったなと思い出す。

 歩いていくか。

「触媒は?」時寧が玄関で待っていた。「活きのいいの仕入れてあるよ」

「要らん」

「要らん、て。ヤセ我慢しなくていいよ。長生きしたいんでしょ?」

 駐車場に車が止まっていた。5人乗りの大型車。生前時寧が乗っていた車だ。

 幻なのか、黒の影響なのか。

 荷台を開けると、ずた袋が載っていた。

「どこから拾ってきた」

 ずた袋をじっと見ていたが一向に動かない。

「ひどいなぁ。昔もやってたじゃん。私がアテナって名乗って、眠ってもらうだけのお仕事ってバイト募集して。現地集合で触媒になってもらうやつ。あれをさ、小張のガキみたいに2周目とか考える愚かな馬鹿を出さないために、現地集合じゃなくて最初から意識落としてもらって連れてくことにしたんだよね。そのほうが効率よくない?」

「何のための効率だ? わたしはこんな非人道的な」

「みふぎのためにやってるんだよ?」時寧が無慈悲に荷台のドアを閉める。「触媒の顔が見えると情が移っちゃうでしょ? どっかのガキみたいに。あんなことは二度とあっちゃいけない。だから、こうしたの。顔も素性もわからなければみふぎが苦しむこともないから。ね? いい方法でしょ?」

 道理はわからなくもない。

 でも、やっていいことと悪いことが。

「それとも、小張のガキに、マッサージで調達係させたいの?」

 いつもそうやって、

 わたしの退路を塞ぐ。

「どっちが心が痛まないかなんて、わかるよね?みふぎ」時寧がわたしを後部座席に乗せる。「じゃ、行こっか」

 その日から、

 時寧が触媒を調達することになった。

 レーは事務所から職場に通ってもらうことになった。

 近くにいるお陰で黒の拡大は防げているが、時寧の悪だくみについて感づかれてしまった。

「僕がやるってゆったじゃん。なんで」

 レーの憤りはもっともだ。

 わたしがレーに黙って、レー以外を触媒にしていたのだから。

「なんで、僕にやらせてくれないの? 僕じゃそんなに頼りない?」

 時寧はこの愁嘆場を期待していたのだろう。

 ソファにくつろいだ姿勢で座り、わたしとレーのやり取りをニヤニヤと観劇している。

「ねえ、みっふー」

「言ったろ。お前をこれ以上触媒にするとわたしには防げなくなる。消えてほしくないんだ」

 正直に言うことにした。

 でも、

 レーが欲しかったのはそんな言葉じゃなくて。

「いいってゆったじゃん。僕がやりたいの。みっふーに、仕事とはいえ、僕以外の人とあんなことしてほしくないんだよ。わかってよ。僕はみっふーの」

 恋人?

 夫?

「違うだろ。お前はわたしにとってなんでもない」

 やめろ。

 やめろ、わたし。

「内縁なんて、ただの他人だ。籍も入れていない。ただ仕事で、事故で子どもができたにすぎない。その子どもも死んだ。だからもう、お前とは何の関わりもない」

 レーが、

 悲しそうな、つらそうな、ひどい顔になった。

「ねえ、それ本気で言ってるの?」

「言ってるさ。黒はな、一般人にとっては関わらなかったら勝手に消える。つまりは、黒の爆心地であるわたしのそばにいる限り、お前の汚染は止まらない。食い止めてるなんて嘘だ。わたしが、お前の汚染を拡大させている張本人だ。だから」

「離れるって言うの? 嫌だよ。みっふー、僕は」

「自分のそばにいるけど死ぬのと、そばにはいないけど生きてくれる。どっちがいいかなんて」

「死ぬけどそばにいるほうがいいに決まってるよ!」レーが無理矢理私を抱き起こす。「離さない。僕はもう二度とみっふーを離さないって決めたんだ。死んでも離さない。もし僕を遠ざけたいならここで僕を汚染させるなりして殺してよ。お願い、僕を」

 キライニナラナイデ。

 文末にかけて、涙声で消えた。

 レーがわたしを抱き起こしたせいで、ソファに座ってこちらを眺めている時寧と眼が合った。

 こんなに面白い喜劇はない、といった愉悦の表情でソファにふんぞり返っている。

 ああ、そうか。

 こうゆうのが、

 黒を増長させる。

「わたしを縛らないでくれ」できるだけ落ち着いた声音を心がけた。「黒は負の感情で活性化する。お前の黒もいまえらいことになっている。このままじゃ」

「いいよ。みっふーを抱き締めながら逝けるなら」

「わたしを置いていくのか?」

 レーが、

 涙でぼろぼろの顔をわたしに見せる。

 腕一本分の距離をくれた。

「わたしを置いて、ここで消えてくれるな。わたしはこのあとどうやって生きればいい?」

「ごめん」

「わたしはどうにかして二人一緒に生きられないか、ずっとずっと考えてる。会長のところにいたしまじさんがヒントのような気がしてるんだ。肉体を黒にやったという、ちょっと特殊な条件ではあったが、同条件ならもしかしたら」

 呪いの根源である黒ではなく。

 悪意のないただの霊魂として。

「わかった。ごめん、ごめんね、みっふー。僕、自分のことしか考えてなかった」

「わかってくれればそれでいい。明日から来ないでくれ」

「電話は? メールもいい?」

「遠隔ならいいだろ」

「遠距離恋愛だね。あ、単身赴任かな」

「どっちでもいい。こんなときまでおめでたい奴で助かるよ」

「じゃあ、いってきます」

 レーはわざと明るく去ってくれた。バイバイ、と満面の笑みで手を振って。

「いってらっしゃい」

 ぎゅう、とお互いに両手を握った。

 レーの手はいつも温かい。

 ドアがゆっくりと閉まった。

「あはははははははは。さいっこう!」時寧が廊下で笑い転げていた。「また孤独に可哀相な祓い巫女になるね。あ、私がいるから大丈夫か」

「別にお前もいなくなってくれていいんだが」

「何言ってるの? 私がいなかったら、誰が黒を探してくるの? 誰が車で連れてくの? 誰が触媒を用意するの? ほら、困ることばっかり」

「そうだな。これからもよろしく頼む」

 なんのことはない。

 最初の状態に戻っただけだ。

 また、

 いつものひとりぼっち。

















     C道化


 みふぎちゃんが心配じゃないかって言ったら嘘になるけど、俺には俺でやることがあったから。

 あとは旦那がなんとかするだろう。むしろなんとかしてもらわないと。

 こんなただの他人で、すれ違っただけのお父さんじゃなくってさ。

 借りていたおんぼろ軽自動車を返す。ついでに愛車を預かってもらえないかの交渉を。車内が臭すぎるので何とかしろとは言われた。つまりは煙草を控えろということだろう。

 聞こえな〜い聞こえな~い。

 お次は私有地のリゾート島。そこに侵入するボスの護衛任務に就く。

 ボスといっても今回俺を雇う主人ていうだけ。期間限定の雇い主ってだけ。

 その島に、《あいつ》が出たとか出ないとか。それならなにがなんでも行くっきゃない。

 空港に着いた。

 ここから待ち合わせの場所まで空路を使う。

 そうだいけないいけない。

 ちゃんと報告をば。

「だから、俺は」伝説の名探偵はそう言いつつも律儀に電話に出てくれる。

 日本時間で16時。

 フランスの8時。

「いま立て込んでるんだが」

 後ろでピアノの音が聞こえる。

 伝説の名探偵は、いまはとある若いピアニストの専属ボディガードをしている。

「まあまあそう言わず~。このたび見事、クソキモ趣味殺人犯を祓って事件解決と相成りました~。褒めて褒めて~。聞きたい? そんなに俺の活躍聞きたい? 聞きたいんでしょ? ほれほれ」

「ニュース見たからいい」

 チェックしてくれていたのは意外だった。

「あれあれ? どーしたんすか? てっきり」

「あいつが気にしてたから」

 あいつというのは、名探偵が捕まえたあの人のこと。

 当時の事件を調べたことがあるけど、この人はこの人でなかなかの事件を起こしている。

 本人が、というよりその人に触発されておかしくなっちゃった人が多かっただけみたい。

「んで? あの方は何か言ってましたかね?」

「なんでお前に言わなきゃならない」名探偵が不機嫌そうな口調になる。

「え~、いいじゃないすか。ちょっとくらい」

「うるさい」

「ええ~、こっちもあることないこと垂れ流しますから~」

「想像つくからいい」

 まずったな。

 ホントの本当にあの人からのコメントは聞いておきたかったんだが。

「ね? この通り。頑張った俺のご褒美的なアレで」

 ピアノの音が已んで、男の声がした。名探偵が護衛しているピアニストが話しかけている。

 会話が聞こえないようにスピーカを塞がれた。

「電話ならこそこそせずに隣室に行けと言われた」名探偵がイライラしている。

「やりぃ! お許し出たってこと??」

「短時間だけ」

「んじゃ、気を取り直して。どぞどぞ。教えてくださいよ~」

 無言。

 しばらく黙りこくったのち、名探偵がぽつりと言った。

「巫女さん、羨ましかったんじゃねえかって」

「ん? どうゆうこと?」

 誰が誰を?

 羨ましい?

「わかんねえならいい」

「えーえー、そんなこと言わずに~」

 みふぎちゃんが、

 あのクソキモ殺人鬼のことを羨ましいって思ったってこと?

 全然わかんない。

 むしろキモスギムリって言ってなかったっけ?

「いい。お前にはわからん」

 時刻確認。

 潮時か。

「名残惜しいけど、俺そろそろ~」

「二度とかけて来なくていい」

「まぁまぁそう言わず。んじゃ、お元気で!」

 荷物はほとんどない。

 軽い軽いこの身ひとつ。

 さすがに銃は持ち込めないので、ボスに用意してもらえることになっている。

 さて、出発前の一服。

 搭乗ゲートに、ひと際目を引くエスニックな雰囲気の美人がいた。アジア系だが日本人ではなさそう。小顔を覆うくらいの大きなサングラスをしているので眼の色を判別できない。

 ベトナムと中国の民族衣装のいいところ取りをしたようないでたちで。色が白く、手足がすらりと長い。黒い髪を後頭部で一つにまとめている。

 まさかの同じ便でドキドキしていたら、さらにまさかまさかの隣の席で。

 こうゆう煌びやかな人はファーストクラスじゃないのか? 何か間違ってないか?

 ここ、ただの格安エコノミーなんですか?

 女性と席を見比べていたらくすりと笑われた。

「あ、えの、えーと、すいません。失礼を」やたら恥ずかしい。

「構いませんよ」

 流暢な日本語には違いなかったけど、母国語が日本語じゃない人の独特な抑揚というか。そうゆうのを微かに感じた。

「どうぞ?」

 俺が何か言いたそうなのを察して先を促してくれた。

「あの、どこかであったことありませんかね?」

「他に誘い方がないの?」女性はとうとう笑い出してしまった。「構わないと言ったのを取り消したくなりましたわ」

 おかしい。

 搭乗の時間なのに誰も乗って来ない。

 客席はがらんとしたまま。

「気のせいだったらアレなんすけど、あの、やっぱどっかで会ったことありますよね?」

 なんでいまここに銃がないんだ。

 そうか、やられた。

 わざわざこの丸腰にならざるを得ないタイミングを狙われた。

「抵抗は得策でない」

 ようやく俺の知ってる声音に戻った。

 金具を外し、シルクのような黒く長い髪を下ろす。

 サングラスの下の左眼がない。

 伝説の名探偵と一緒に相手取った組織のトップ。

 周囲を黒服たちに囲まれた。但し黒服の中身は男でもなければ人間でもなくただの、

 キメラ。

 表向きはニンゲンの形をしているところから、ニンゲンとニンゲン以外の掛け合わせだろう。

 俺が通路側に座っている。

「んな物騒なもん向けなくてもなんもしませんて」その証拠に両手を挙げる。「ほらね、この通り。俺の命一個しかないんで。大切にさせてくださいよ」

 女性が頷いて合図すると、後ろから目隠しされた。異国の匂いがするガサガサの布。

「聞きたいことはこちらから聞く。お前の悪いところは口が不用意に回るところだ」

「そりゃね~。こちとらこの腕と口で生きてきたところ、う」

 口に。

 金属と火薬の味がした。

「耳を潰すと私の指示が聞こえないだろ?」

 銃口だ。

 ふんふん頷くしかなかった。

「どこに行くつもりだった?」

 俺は銃口を掴んで、これをさっさと引き抜くように伝えた。

 だって喋れんないじゃん。

「構わん」

「っぷっはあ、まずい。まずいっすよ、あのね、一度これ、やってみるといいっすよ。おえってね、来るんですから、まじこれ」

「二度は言わない」

「あ、はい。某リゾート島にね。我らが仇を見たとか見ないとか」

「どこだ?」

 命がかかっていたので正直に言った。

 眼隠しのやり方が甘くて、隙間から女性の様子が見えた。

 場所を端末で照合している。

「私も行こう」

「え、へ? いやいやいやいや、わざわざ来られましてもそんなに面白いこともないんでないかなと」

「決めた。飛ばせ」

「えっとあの、まずは俺の雇い主と会って作戦会議なんかしたいな~なんて」

「じゃあお前はそこで下ろす」

 まさかの展開にビックリを通り越して脳がバグる。

 俺が、

 この人と一緒に?

 これでも殺し合った仲なんですけど??

 しかし問題は本当にランデヴポイントで五体満足に下ろしてくれるのかっていう。

「外してやれ」

 眼隠しが解かれた。

 窓の外の景色が動いている。機体も揺れる。

 マジで、

 行くの?

「あの俺の予約してたまともな便は?」

 案内された先は、ファーストクラスというか、プライベートジェットさながらの贅沢くつろぎ空間で。

 え?

 俺フツーにフツーの搭乗ゲートから乗ったはずなんだけど?

「あんな安い椅子じゃタバコも吸えない」

 眼の前に灰皿があった。

 女性が首を横に遣ると、流れるようにタバコと火がもたらされた。

 紫煙が空間を支配する。

「さあ、到着まで時間がある」女性がゆったりとした椅子に腰掛けて微笑む。「お前が協力したとかいう、あの殺人鬼について聞かせてくれ」

「その言い方だと俺がそっちの味方ってことになりません? てか、聞いても手に入らないっすよ?」

「死亡したのは惜しかった。確保してくれたらすぐに受け取りに行ったのに」

 いますごく嫌な想像が駆け廻った。

 探偵が俺への嫌がらせのためにこの人呼んだ?

 いやいや、すでにそこのつながりは消えているはずだから。

 そこまでのことをする意味がわからないし、探偵は俺の元相棒だし信用してるし。

「聞こえなかったか?」

「あーはいはい。ええっと、えっとえっと、何からお話しすればよろしいので?」

 退屈させたら即俺の命終了。

 最悪の女につかまった。


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