03 なるに決まっておる
「それで、慰めてくれようと『刺激的な』話をくれる訳か?」
「
「師匠面すんな」
エイルはほとんど反射的に返したが、口で言うほどには全く興味がない訳でもなかった。
砂漠のただなかに建つ「伝説の」塔などに暮らしている割には、彼は砂漠のことをほとんど知らない。
たまに〈砂漠の民〉のところに遊びに行くこともあるが、彼らとその暮らしは大砂漠のなかのほんの一部だ。彼らでさえ「砂漠を知っている」とは言わないのに、少しばかり彼らと仲良くしたところで、エイルがそれを知っているとは冗談にも言えない、ということもある。
「まあ、いいけどさ。それで、歌を歌う砂漠の魔物が、何だって」
「珍しい種なのだ。私も見たことはない」
「歌を歌うのが?」
「まあ、普通は、歌わん」
オルエンはよく判らない返答をした。
「サラニーの話は知っているか」
「砂漠の魔精霊だっけ。砂漠版の
「そのようなところだ」
年上の魔術師はうなずいた。
「あれの伝説にも似ている」
「そう言やそうだな。美しい姿で現れ、きれいな歌で男を惑わすって類だろ。でもまあ、よくある伝説じゃんか。海にもいるよな、そういうの」
「
「サラニーは男の姿も取るって言うじゃないか。リリサーヴ・ルーでもあれば、シィクルヴでもあるって」
「妖精や精霊の類は滅多に性別を持たぬものだ。相手の希望欲望に合わせて自由自在。お前が目にすれば、魔物はレイジュ嬢の姿を取るのか、それともシュアラ王女かな」
「うるさい、黙れ」
エイルは唸った。
「人のことばっかからかいやがって。あんたはどうなんだよ、あんたは」
「私か? 私は、そのような魔物に惑わされなどせぬ」
威張るようにオルエンは言った。くそ、とエイルは呪いの言葉を吐く。いつか、この飄々とした魔術師の弱みを握ってやりたいものだ。
「で、その歌うたいはサラニーなのか?」
「初めはそうかとも思ったが、話を聞けば美しい姿ではあっても、男を誘うという様子はないらしい。なれば、サラニーとは異なるな」
「ふうん。どこに現れんだ? ミロンの辺り?」
エイルは交流のある民の部族名を口にした。オルエンは首を振る。
「そうであれば、お前も話を聞いたことがあるのではないのか。最初にそれを見たというのはミロンよりも北に暮らす種族だ。ラスルという」
「知らないな。俺が知ってるのはミロンと、あとウーレくらいだ。ミロンのソーレインとウーレんとこまで南下したときはほかの部族にも会ったけど、名前は忘れちまった」
砂漠の民の案内があっても、彼のような「西」の人間に砂地の旅はきつい。砂地か雪路かどちらかを採れと言われたら、エイルは渋々ながらも雪路を選ぶだろう。
「それで、新種の魔物だと」
「新種とは言っておらん。珍しいと言っているのだ。奥地には生息するようだが、人間の暮らす西域まで出張ってくるとは何かの兆候かもしれん」
「何の兆候だよ」
「だからそれを探るのだ」
オルエンはにやりとした。エイルは天を仰ぐ。
「俺はあんたから〈塔〉のあるじ役は継いだかもしれないけど、〈砂漠の守り手〉までは継いでないぞ」
「だろうな。お前ではまだまだ力不足だ」
「悪かったな」
「だからこれは修行の一環だと思え」
「何の修行だよ。そんな話を調べて魔術が上達するのか? 別に俺はしたくないけどな」
「嘘をつけ。新しい術を覚えれば嬉々として試しておるくせに」
「ま、それは認めるけどさ」
エイルは不承不承言った。
「何だって覚えりゃ、面白いもんな。でもそれと、立派な魔術師になりますってな決意とは違う」
「そんな情けないことを言っておらんで、アーレイドの宮廷魔術師を目指しますくらい言ってみろ」
オルエンはエイルの発言を意図的にねじ曲げて続け、エイルに嫌な顔をさせた。そんなものになる気はかけらもない。
「まあ、修行でもいいけどさ。どうせ俺の日常で定められてることはシュアラんとこ行くことくらいだし、それだってさぼれない訳じゃないしな」
エイルは先日、友人のために〈風読みの冠〉について何か判らないかとオルエンの蔵書を漁って、結果、シュアラとの約束――仕事、とも言う――を棒に振ったところだった。
結局のところそれは徒労に終わったのだが、オルエンがさっさと姿を見せて「私は知らん」と言ってくれていれば無駄な努力をしなくても済んだかと思うと、腹立たしい。と言ってもこれは八つ当たりのようなものであると判っていたから、口に出すことはしなかったが。
「その魔物の正体は予測がついてんだろ。何」
「ルファードではないかと思う。〈幻の都〉エルテミナの伝承に出てくる魔物だ。もっとも、あの歌は
オルエンは、世界の北東に位置するラスカルト大陸の東方に広がり、世界に果てを見せぬ砂漠の名称を口にした。もちろんエイルはそれの存在を話に聞くだけである。他大陸などというのは、西の人間が大砂漠を思う以上に、実態の掴めないものだ。
オルエンが行ったことがあるのかどうかは知らなかったが、エイルは敢えて突き詰めないことにした。「行った」でも「行かない」でも、それに付随する物語を長々と聞かされそうな気がしたからである。
「幻の都って、何百年だか何千年だかに一度、無限砂漠のどこかに現れる都があるって伝説だっけ。確か、かつては空を飛んでいた竜もその都にはまだ生きているとかって話の」
「そうだ。存外に記憶力がよいな、お前は。嫌がろうと何だろうと、魔術師には向くぞ」
「魔術師じゃなくたって、何かに向きそうだろ」
エイルは苦々しい顔をしてそう返したが、では何に向くかと問われればよく判らなかった。「記憶力がよいというのがどんな職業に向くか」ならば考えられるが、「それが自分に向くか」となると、魔術師と同様にぴんとこない。
「でもルファードなんてのは初耳だ。どんな魔物だって?」
「海岸線にほど近い流砂状の砂漠にいるとされている。たいていは砂のなかに隠れていて、滅多に姿を見せない。〈赤い砂〉を求めて大砂漠に足を踏み入れる少数の魔術師がわずかに目撃した程度だ」
大砂漠にひと握り分だけ存在するという〈赤い砂〉の伝説はエイルも知っていた。それは月に一度あちらこちらに場所を移し、どんなに力のある魔術師でもその場所を特定することはできないらしい。そして、どういう目的でかそれを求めてやってきた魔術師は、いずれ諦めて帰るか、諦めきれずに野垂れ死にをするか、どちらかだという話だ。
その砂が魔術師、または魔術にどういう作用をもたらすものかは知らなかった。曖昧な「魔力を強める」というような話ならば聞いたことがあるが、魔力というのは修行や道具で強化されるものではない。魔術師たちは術の使い方を学んで「強くなる」ことはあっても、魔力そのものが増大することはないのだ。だから「魔力を強める魔法の砂の伝説」は魔術師発祥ではなく、どこかの詩人やら物語師やらの創作だ。
もっとも、オルエンはエイルに砂の作用について説明をしたことがある。ただ、さっぱり意味が判らなかった話は記憶できないものだ。駆け出し魔術師にはあまりにも高度だったか、それとも荒唐無稽すぎたかのどちらかだ。
とにかく、オルエンが魔物の話を聞いたのは――直接聞いたのかどうかは知らないが――「生き残り」からということになるのだろう。
「生態も全くの謎でな、気になるではないか。謎と言われれば」
「俺が言ったんじゃないよ」
エイルは混ぜ返したが、オルエンは気にしない。
「それが砂漠の西端などに姿を見せた。どうだ」
「どうだと言われても」
「気になるな?」
「ならないけど」
「なる。なるに決まっておる。行くぞ」
オルエンがこう言ったら、エイルはどう抗議をしても無駄である。
彼は嘆息すると、「師匠」について立ち上がった。
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