第三話 錆び付いた刀と、謎の男

 ――やはりこんなンじゃあ、役に立ちそうもねぇな。

 さやからとうしんを抜いて、歳三は眉を寄せる。

 庭の桜が開花のきざしを見せた三月末――、いつのように部屋に籠もった歳三は、くろさやの自身の刀を何気なく抜いてみたのだがもんは曇り、さびも少しあった。

 何しろ義兄・佐藤彦五郎の邸の蔵で、十年は埃をかぶっていたという品だ。

 江戸で暮らすとなった際、歳三は彦五郎に刀をちようだいしたいと言った。兄たちは刀を買うきんようてくれそうもなく、彦五郎の所には実姉ノブがいる。

 彦五郎は蔵にある刀を好きに持って行けといい、歳三が選んだのがこの刀である。

 刀の手入れなどしたことがなく、ようで古い油をぬぐい、打ち粉をはたいた。だが、ちくせきされてこびり付いたものは消えない。

 もし実戦となったら良くて大怪我、最悪あの世だ。

 そんなとき、庭に面した障子に人影が描かれた。猫のように足音をさせず、無言で立つその影は今や見慣れたものだ。

「――いるんだろ? 総司」

 歳三は刀身を鞘に戻すと、その影に声をかけた。

「心配しなくても、例のアレをのぞこうとはしていませんから」

 例のアレと言われ、歳三はあせった。

「とくかく入れ! そんなところでしゃべってると、近藤さんに知られちまうだろうが!」

「――そんなに恥ずかしいんですか? ほうぎよくせんせい

 障子が開くといたのはやはり総司で、にこにこと笑っている。

「お前……、楽しそうだな……?」

 豊玉――、それは歳三のもう一つの名前だ。人前では決して名乗ることがない、秘密の名前である。歳三は祖父が俳句をたしなんでいたせいか、彼も俳句の趣味があった。そこでつけた名前が豊玉、しかし彼の趣味のことは試衛館の人間はもちろん、江戸にいる知人も知らない。一人を除いては。

「それはもちろん! 別の意味で傑作ですからねぇ。ほうぎよくほつしゆうの中身は」

 その豊玉発句集こそ、総司の言う〝アレ〟である。

 豊玉発句集は、歳三がこれまで自身が綴ってきた句を纏めてある冊子だが、自身の句が決して評価されるものではないことは、歳三にもわかっているのだ。

 問題はそれをよりによって総司に覗かれ、以来歳三は総司の口を塞ぐのに必死だ。

「うるせぇ!!」

「ほらほら、若先生に知られるのが嫌なんでしょう? 怒鳴らない、怒鳴らない」

「覚えてやがれ……」

 思わぬ弱みを総司に握られ、歳三は仕返しをしてやると思うのだがこれがなかなか難しい。剣術の腕が己よりいいのは仕方ないが、口も達者ときている。

「この間言いかけたことですが――」

 不意に真顔になった総司に、歳三はろんに眉を寄せる。

「この間?」

「……やっぱり聞いていなかったんですね? 私がさんばんちようへ出稽古に行った日の話ですよ」

 三番町は、旗本や御家人の邸が点在する地で、その三番町に天然理心流門人の小さな道場があるのだ。

 総司曰く、その門人の道場に男が訪ねてきたという。

「入門希望者――じゃなさそうだな?」

「ええ。入門したいのなら試衛館うちにくるはずですから。その男、妙なことを聞いて帰って行ったというんですよ」

 再びしそうに笑う総司に、歳三は嫌な予感を覚えた。すかさず、総司を睨み付けた。

はなしなんざどうでもいい。重要な話だけ、とっとと話せ!」

 総司は苦笑した。

「その男、ここには薬売りは来るのかと聞いて帰ったそうです」

 確かに、妙なことを聞きに来たものである。

 薬が欲しいなら医者か、やくしゆへ行けば良い。それがなぜ、剣術道場でそんなことを聞いて行ったのか。

 しかもそれを聞いてきたのは、三十前後の浪士だという。

 歳三は舌打ちをした。

 江戸の剣術道場に薬売りが来るかはわからないが、かつて多摩農村にて剣術道場に顔を出していた薬売りなら一人いた。二年前にその薬売りはその地から姿を消し、にいるのかと言えば――。

「その男が会いたがっている薬売り、私は土方さんだと思います」

 総司が、にっと笑う。

「冗談じゃねぇ。俺はもう薬売りじゃねぇぞ。今さら何の用があるってンだ!」

 二年前――、歳三は確かに薬売りだった。二度のほうこうしつぱいによって実家に戻ってきた歳三に、兄たちが任せたのが土方家で製薬していた石田散薬の行商である。

 剣術も習い始めていた歳三は、多摩に点在していた剣術道場に顔を出してはそこの門弟と手合わせもしている。

 歳三を捜しているなら、そのいずれかの人間だろう。

「土方さんは〝今さらでも〟、やられたほうは今までも根に持つものですよ。そういう手合いは自尊心だけは大きい。そのとき、薬売りに叩きのめされるなぁんて思ってませんから。意地悪ですねぇ? 土方さんは」

「向こうが立ち合えっていうんだ。誘ってきたのは向こうだぜ」

「木刀を持ち歩いていれば、そうなりますよ。ま、私だったら相手が誰であろうと見くびるようなことはしませんが」

 総司言うとおり、歳三が薬売りとして顔を出していた一部の道場は歳三を軽視した。

 薬売りのくせに剣術もやっていると聞いて、たいしたことがないだろうとわらっていた。

 歳三は道場に顔を出せば武者修行もできるし、薬も売れて一石二鳥だが、人を上から見下ろしてくる人間に対してはついカッとなる。

 今になって現れたほうふくしやに、歳三は渋面になった。

 江戸までやって来たとなると、相当なしゆうねんぶかさである。

「総司。今の話、近藤さんには話したのか?」

「いえ。先に土方さんに、と思いまして」

 そう聞いて、歳三は口のはしゆるめた。

 近藤が今の話を聞けば腰を上げるだろう。彼はそういう男だ。

「だったら近藤さんには言うンじゃねぇ。あの人を巻き込むと、大先生の寿命を縮めることになりかねねぇ」

「どうして、大先生の寿命を縮めるんです? ピンピンしていますよ?」

「ばーか。近藤さんは次期四代目となる男だぜ? もしなにかあってみろ。ぶっ倒れねぇ保証があるか? それとも――、お前が継ぐか? 衛館を」

「よしてくださいよ。縁起でもない」

 総司はそう言って、両手を広げて首まで振った。

 彼に、試衛館を継ぐ気持ちはなさそうである。

 確かに試衛館には近藤がいる。試衛館創設者である近藤周助の実子ではなかったが、彼を後継者にとしたのは周助自身である。その周助は、試衛館の末を気にしている。

 次期四代目とした男が斬り合いに混ざり、怪我などすればどう思うだろう。

 近藤の腕なら斬られるということはないと思うが、周助の気持ちを考えれば、彼に言わないのが得策である。

「だったら黙っていろ」

「でももし、その男が土方さんを襲おうとしているならどうするんです?」

「相手をするしかねぇな」

 歳三は総司にそう言いながら、脳裏には先ほど抜いた自身の刀が浮かんだ。

 さつきゆうに、刀を新しくする必要がある。

 近藤のことを心配するよりも、自分が斬られそうである。

 この日から三日後、歳三は日野・佐藤道場へと向かったのである。


◆◆◆

 

 江戸・ずまばし――。

 おおかわ(※隅田川)に架かる長さ八十四間はちじゆうよんけん(約150m)、はばさんけんはん(約6.5m)の橋で、大川橋と称していたが、江戸の東にあるため「東橋」と呼ばれ、またずまじんじやへの参詣道でもあることから吾妻橋と呼ばれるようになったという。

 そんな吾妻橋近くにあるいちぜんめしに入った男――原田左之助は、しように腰を下ろすとまもなくおおぎようなげいた。

「なぁんで昼間から、むさっくるい野郎とツラを付き合わさなきゃならんのかねぇ」

 言われた相手は眉間にしわを寄せ、丼を置いた。

「ならば、に行けばいいだろう」

 いかにも、迷惑そうな顔である。

 歓迎されていないことは、目が合った時にわかっていた。

 男の名は、永倉新八という。

 剣の腕はいいらしく、しんとうねんりゆうとくしているという。

 出会いは口入れ屋にて紹介してもらった稼ぎ先で一緒になったのが最初で、それから何故か町でばったりと会うようになった。

 元は原田も永倉も主君もちの藩士だったが、現在は浪士。共通しているのはそれくらいだが、まさか腹を満たそうと入った店でも出くわすとは思っていなかった原田は、さらに嘆く。 

ふところが良けりゃそうしてるよ。まったく、江戸にくりゃあ美味い酒が呑めると思ってたのによ。懐はちっとも温まらねぇ」

 原田は五尺八寸(※約175センチメートル)の長身で、ながやりを得意としていた。

 しかし、実戦の機会がなくなった泰平の世で彼が槍を振るうことはなく、江戸に来て、さらに腕一般でというわけにはいかなくなった。

 しかも酒好きな上に、短気。売られたけんの勢いで、自身の腹まで切った。

 よく死ななかったと思うが、あれは喧嘩の勢いでするものではないなと、原田は後に悔いた。しかし、浪士となった現在はろくは入っては来ない。

 自ら職を探し、稼がねばならない。

 すると永倉が、呆れたように口を開いた。 

「三食昼寝付きなどというからだ。馬鹿め」

「正直に言っただけだぜ?」

 この際、用心棒でもいいと思ってしきまたいだ口入れ屋で「どのようなところをご希望でしょうか?」と問う主に、原田は「三食昼寝付き」と言った。

 主は絶句したあと、った笑顔で「ご希望に添えかねます」と答えたのだ。

「だからお前は馬鹿だというのだ。そんなところがあると思っているのだからな。言っておくが、俺をアテにしても無駄だ。お前におごる義理も恩もない」

「相変わらずの堅物だなぁ。永倉」

 そんな二人の耳に「あれー」と驚いた声が飛び込んでくる。

 原田が視線を運ぶと、自分たちよりも若い男が笑顔で立っていた。 

「おいおい……、おまえもかよ。平助」

 藤堂平助――、彼も訳あって浪士となったらしい。

 歳は若いが、神田お玉ヶ池の北辰一刀流・玄武館の門弟だったというから驚きである。

 これも妙な縁で、原田が永倉とばったり出くわした何度目かのとき、ちょっとしたいざこざに巻き込まれた。

 最近の江戸は浪士による人斬りが横行し、役人に目を付けられたのである。

 道の真ん中で浪士が二人、立ち話をしていたのだから無理はない。違うと言っても信じてもらえず、だいばん(※被疑者を勾留するための施設)で夜を明かすことになった。

 そこに、藤堂もいたのだ。

 彼の場合はやくざ者に絡まれていた者を助けただけが、喧嘩とは不届きと捕まったらしい。これを境に、三人が出くわす率が増した。

「いつの間に、親しくなったんだい?」

 藤堂が苦笑しながら首を傾げると、永倉の額に再び皺が刻まれた。

「親しくはなってはいない。原田やつが、ここにやって来たのだ」

「俺もまさか、永倉こいつがいるとは思ってなかったぜ。それなのに平助、お前までやってきた。こうなるとあの世でもつるむぜ」

 すると、永倉がにがむしつぶしたような顔をした。

 藤堂は「やな縁だなぁ……」と笑う。

「俺だって嫌さ。このままお前らと腐りながらいるなんてよ。べつぴんとならいいが、野郎とべったりなんてよぉ」

「原田、言葉を選べ」

 永倉のけんのんな視線を察してか、藤堂が話題を変えてきた。

「まぁまぁ、そんなことよりさ――」



 藤堂が話をし始めてしばらくして、さすがの原田も自身の顔が強張るのがわかった。

 現在、江戸市中を騒がせているというひとり。

 開国以降、異人襲撃が多発しているとは聞いていたが、商人も襲われるらしい。それゆえなのか、口入れ屋には用心棒の職が幾つかあった。

 問題はその人斬りの中に、左利きがいたことだ。

「――ぜひ、立ち合ってみたいものだ」

「相手は人斬りだぜ? 永倉」

「でもさぁ、左で一撃って相当な腕だと思うぜ? 左之助さん」

「立ち合って勝てンのかよ? 勝ったとしても所詮俺たちは、世をにぎわす連中と同類と思われるだけだぜ」

「死ぬのが恐いか? 原田」

 永倉の一言に、原田は激昂した。

「――てめぇ、もういっぺん言って見やがれ!!」

「落ち着きなよ、左之助さん。店の中だぞ」

 年下の藤堂に制されて、原田は永倉に殴りかかった拳を引いた。

「原田、お前が腐るのは勝手だ。だが俺は、腐らぬ。武士がほんぶんを失えば、それは武士ではない。相手が挑んで来るのであれば、正正堂堂と迎え撃つ」

 初めて明かしてくる永倉の武士としてのまことに、原田も対抗した。

「ふん、格好つけやがって。死ぬことなんぞ恐くねぇよ。覚悟ならとっくの昔に出来てるぜ。ただ無駄死にするつもりはねぇだけさ」

 それから原田と永倉は目を合わせることもなく、黙っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る