辺境のおじさん伯爵と魔女婚約者


「伯爵。おかえりなさいませ」

「あ、やっと帰ってきたわね。遅いわよ」 


 屋敷に戻ると二人の男女が応接間で待ち構えていたので驚いてしまった。

 

 男性の方は、私ももう見知った顔だった。

 精悍な顔つきで、いつも眉間にしわを寄せている印象が強いスティーブさん。

 立派な体格なのだけれど、今は身を屈めて小さなウォーレン少年に頭を下げて出迎えているのがどこかおかしい眺めだった。

 ウォーレンさまの側近中の側近で、呪いのことも知っている方らしい。

 

(まあ、主君がいきなり子どもになったりしたら気苦労も多かったですよね)


 今日も眉間にしわを寄せていることに同情してしまう。

 お客さんの対応でこの側近のスティーブさんは苦労しているのだろうという感じがにじみ出てしまっていた。


 そのお客さんらしい、もう一人の大人の女性は初めて見る人だった。

 年齢は四十代くらいに見えるのだけれど、妙に元気なお声で、見た目も黒いベールのついた帽子をかぶっていて、年齢も素顔もよく分からなかった。

 ただ、帽子も含めて服装はおしゃれで金持ちの貴族か、商人の奥さんという印象だった。

  

「ウォーレン君。結婚するって本当なの?」


 その大人の女性は、朝のアビーさんの子どもたちと同じ様な質問をしてきた。

 ただ、子どもたちとは違って強く問い詰めるような口調ではなく気さくに聞いている感じだった。

 

(ずいぶん、ウォーレンさまと親しげ……それに呪いのことも知っているみたい……)

 

 何者なのだろう。もう伯爵にはご兄弟もいないと聞いていたので、近すぎる二人の距離に少しもやもやしながら会話を見守ることにした。


「オフィリア。なんで知っているの?」

「ウォーレン君が、自分で我が家に手紙を送ったんじゃない」


 呆れたように手を広げてオフィリアと呼ばれた女性は、笑っていた。

 私は、伯爵が呼び捨てにするような仲なのだと知ってちょっと動揺してしまう。



「お義母さんに送ったつもりだったんだけどね」

 

 しまったという表情を少しだけした後は諦めたかのように、ウォーレン少年はぼそりとつぶやいた。

 

「母ももう目が悪いから、手紙は私が読んであげているの。どちらにしてももう私が当主ですから」


 楽しそうにオフィリアさんは笑っていた。


「まあ、別に反対なんてしないわ。遅すぎるくらいよ。再婚自体はいいことだと思うわ……」


 そのまま饒舌に話していたけれど、ふと私の方を向いて目が合うと動きが止まった。


「え? この娘? 若すぎない? 犯罪じゃない? 可愛さだけで選んでない? 世間知らずなお嬢さんに伯爵夫人が務まるのかしら、大丈夫なの?」


 私を見て本気で心配そうな顔になって、何度もウォーレン伯爵に問いただしていた。

 またしても失礼な人だなと思いながらも、朝の子どもたちとは違って『若すぎる』『可愛いお嬢さん』と気さくな口調で言われるのはそれほど悪い気はしなかった。


「大丈夫だから」


 オフィリアさんの早口についていけないようで、ウォーレン伯爵は不機嫌そうにぼそっと答えるだけになっていた。


「あ、あのオフィリアさんという方は伯爵とはどういったご関係なのでしょうか?」

 

 あまり二人の会話に参加したくなさそうに部屋の隅っこに移動してきたスティーブさんに、私はそっと近寄ると小声で聞いてみた。


「あの方は……」

 

 スティーブさんは、私に話していいかしばらく悩んだようだった。

 ただ未来の夫人に秘密にしても仕方ないと思ったのかすぐに諦めたかのように教えてくれた。


「前の伯爵夫人イーディスさま……その妹君のオフィリアさまでございます」

「あ、前の夫人の妹さん……なのですね。なるほど……」

 

 そう聞けば、これまでの会話に納得した。

 前の夫人ご本人とか、昔の恋人ではないと分かってどこかほっとしている自分に気がついてしまう。


「お嬢さん。パーティをしていればいい都と違って、こんな辺境の土地の伯爵夫人は楽じゃないわよ。やめるなら今のうちよ」


 オフィリアさんは、笑いながら私に顔を近づけるとそう言ってきた。

  

「あ、あの。一応、これでも都の魔法学校を卒業しております」


 あくまでも冗談なのは分かっているのだけれど、本当に何もできないと思われると癪だったので控えめにアピールした。


「あら。それはすごいわね」


 私の言葉を聞くと、思っていたよりも素直な反応で、両手を合わせて目を輝かせて讃えてくれた。


「イーディス姉様と同じね。ウォーレン君の好みなの? それとも夫人にはそういう人材を選んでいるの?」


 ちょっと良い人かもしれないと心を開きかけたのに、オフィリアさんはからかうようにウォーレン伯爵に向き直ってそんなことを聞いていた。

 私はしばらくの間、引きつった笑顔でこのオフィリアさんを見てしまう。

 

「まあ……好みなのかもしれない……」


 ウォーレン少年は困ったようにぼそりと答えていた。





「それで? 結婚式はいつするの?」

 

 からかうのも飽きたようで、オフィリアさんは深く椅子に腰掛け直しながら落ち着いてアビーさんがいれてくれた紅茶の匂いを楽しんでいた。

 

「しなくてもいいかなと思っていて……来るお客、お客ごとに幻覚の魔法を使うのはかなり大変だし」

 

 幻覚の魔法は、人にかける魔法なので、人が多く出入りしない場所の方が都合がいい。

 ウォーレン伯爵が、あまり公の場所にはでないで交渉事もこのお屋敷に呼んでするのはそのためだった。

 

 ウォーレン少年の言葉に、オフィリアさんはお節介おばさんな感じで噛み付いてくる。

 

「伯爵が結婚するのにそんなわけにもいかないでしょう。サディアちゃんだって、悲しいでしょう。ねえ?」

「い、いえ。私は別に……しなくても」

 

 いきなり距離を詰められて『ちゃん』づけで呼ばれて戸惑いながら応じていた。

 でも、私は、本当に社交の場も苦手なので結婚式はなくてもいいとは思っていた。

 

「家臣に対しても領民にも伯爵夫人になったことを示さないといけないわ。綺麗な花嫁衣装を着てお披露目しないとね。ウォーレン君だって、実際のところサディアちゃんの花嫁衣装を見たいでしょう?」

「それは……まあ、確かに……見たいけれど……」

 

 ウォーレン少年は、一度私の方をちらりと見て、その姿を想像したのかわずかに紅潮しながら横を向くと段々小声になっていった。

 

(可愛い)

 

 今までは、綺麗な衣装を着ることにもあまり興味がなかった。いえ、全くないわけじゃないけれど、面倒くさいという気持ちの方が勝っていた。でも、今は伯爵が喜んでくれるなら着てあげてもいいなと思いながら、ウォーレン少年の横顔を眺めていた。



「もう十二歳だか十三歳だかの領主ってことにしてしまってもいいんじゃないの? それくらいで後を継ぐ貴族だって普通にいるでしょ」

 

 オフィリアさんは本当に気さくにそんなことを言う。


「いきなり俺が若返ったりしたら混乱するだろう。」

「でも、実際、若返っているわけだし、きっと平気よ。へーき」

「うーん。都の貴族ならともかく、ここでは若いと舐められるからね……」

 

 ウォーレン少年が頬杖をつきながらぼそりと言った言葉には、オフィリアさんも同じように頬杖をついてため息をついていた。

 

「確かにね。若い頃のウォーレン君も苦労したものね」

 

 ちょっと混乱してしまったけれど、この『若い頃のウォーレン君』というのはおそらく二十代の頃の話なのだとやっとのことで理解した。




「あ、あの……『変化』をしたらいいのではないしょうか?」

 

 二人が考えこんでいてしばらくの沈黙があったので、私は小さく手をあげて提案した。


「『変化?』鳥に化けたり、蛙にしちゃったりというあれよね?」

「俺を変化させて、元の年齢の姿にしてしまえば、お客が多くても大丈夫ってことか。まあ、確かに……」

「ですが、そんな高度な魔法使える人はなかなか……」

 

 スティーブさんもいい方法だと理解してくれていそうだったけれど、実際にするのは難しそうだと首を振った。

 

「あ、私、使えますので」

 

 私としては軽い気持ちで言ったのに、この部屋にいるウォーレン少年、オフィリアさん、スティーブさんと少し離れて立っているアビーさんまでもが大きく目を見開いて驚いていた。

 

「え!」

「すごい」

 

 魔法に詳しいウォーレン伯爵でさえ驚かれてしまった。

 

「ええと『変化』の魔法はそれほど高度ではないのですが、色々と扱いが難しいので使う人が少ないので難しいと思われているんです」

「いや、十分に高度だけれど……」

「扱いが難しいというのは?」

 

 オフィリアさんとウォーレン少年に身を乗り出されて矢継ぎ早に質問されてしまった。

 

「外見に中身が引っ張られてしまうと言われています。獣に化け続けていたら、そのまま野生の獣になって戻らなかったというような話がありますが……今回はウォーレン伯爵、御本人の姿に戻るだけですので悪影響は少ないかと」

「なるほど……。呪いで幼くなったけれど……外見を元の体に戻す……? 変わりないのか? うーん」

 

 ウォーレン少年は、本当に同じなのかが分からずにしばらく悩んでいるようだった。

 

「いや、でもそれでもすごいです」

「ウォーレン君。サディアちゃんに愛想をつかされないようにね。大事にしなさいね」

 

 なぜか、オフィリアさん、スティーブさんにすごく近づかれて圧力を感じていた。褒められているようなので悪い気はしないけれど、少し怖いくらいだった。

 

「とりあえず試してみようか。一日くらい元の姿に戻せるか?」

「はい。お任せください。……あ、でも、服が破けてしまうと思いますので脱いだ方がいいと思います」


 私のその言葉に、ウォーレン少年は顔を赤くしていた。

 

「じゃ、じゃあ、俺の部屋で……な」


 ここで何人にも裸を見られるのは嫌なみたいで、そう言うと私の手を握り引っ張って応接間を出ていった。

  


  

「おかえりなさい。あら、本物のおじさんのウォーレン君ね。すごいわ」

 数分後、私は、ウォーレン伯爵と一緒に応接間に戻ってきた。

 ただ先ほどと違い私よりも背が高くしっかりした体格のウォーレン伯爵を見上げながらだった。

 オフィリアさんは、立派に成長した……というか本来の年齢できっちりとした軍服に身を包んだウォーレン伯爵の姿を見て喜んでいた。スティーブさんもこの姿を見たのは久しぶりなのか感慨深そうに見つめていた。 

 

「あー。サディアちゃんは、見たくもないおじさんの醜い裸を見ちゃった?」

 

 少し顔を赤らめて時折うつむいている私を、オフィリアさんはからかっていた。

 

「い、いえ。醜いわけではないですけれど……」

 

 想像できていなくて、明るいところで裸を真ん前で見てしまった。

 それだけのことなのだけれど、妙に恥ずかしくてうつむいたままになってしまう。


「確かに。これなら分からないわね。というか本物そのままじゃない?」


 オフィリアさんは、ウォーレン伯爵の胸のあたりを手でぱしぱし叩き、口ひげを撫でて確認すると感嘆していた。


「あれ? サディアちゃんは、ウォーレン君の本当の姿を知っていたの?」

「えっ、は、はい」

「一度、満月の夜に呪いを解除した」

 振り返って、私に質問したオフィリアさんだったけれど、目の前のウォーレン伯爵からの説明を見上げながら聞くとまた私の方を向いた。ベール越しでもにんまりと笑っているのが分かる。

「満月の夜に……あらあら、仲がいいわねえ」

「い、いえそんなことは……ありますけれど」

 

 言いながら顔がさらに赤くなるのが分かってしまう。

 

「あはは。よし、じゃあ、私は帰るわ」

 

 オフィリアさんは豪快に笑いながら、ウォーレン伯爵の胸を一度大きく叩いた。

 少年姿の時の、ウォーレン伯爵なら照れている気がするけれど、今はあまり動じていないように見える。

 

(もうちょっと動じてくださってもいいのに……)

 

 理不尽にそんなことを思いながら、一緒にオフィリアさんを見送った。

 

「結婚式にはちゃんと呼ぶのよ。いいわね」

 

 元気に私たちに対してそう言い残して、オフィリアさんは屋敷を後にした。

 大人の姿のウォーレン伯爵は、あまり動じたところを見せなかったけれど、オフィリアさんの姿が見えなくなると、大きく息を吐いて嵐が過ぎ去ったことを喜んでいた。



 


 今夜はウォーレン伯爵と夕食を共にした。

 嬉しいのだけれど、大人の男性と二人きりだとちょっと緊張してしまう。

 いや、これでもウォーレン伯爵には慣れた方なのだ。

 なんとかぎこちなくも楽しく会話をしながら、アビーさんの用意してくれた美味しい夕食をいただいたところだった。


「サディア。このあと付き合ってもらってもいいかな」

「は、はい。もちろんです」

 

 伯爵は、ちゃんと確認をとってくれる。

 辺境だと貴族の夫人であっても、いつでも呼びつけられて召し使いと対して変わらない扱いだと聞かされた。主に妹に、馬鹿にされつつ吹き込まれたのだけれど……。

 でも、伯爵が……というよりこの土地全体でそんな風潮はなく、丁寧な気がする。


(むしろ都にずっと住んでいる貴族の男性の方が我がままで、女性たちも窮屈だった気がする)


 立場は違うだろうけれど、アビーさんや先ほどのオフィリアさんを見ていても自由だなあと憧れるところがあった。


「では、こちらに」

 

 伯爵はいつも食事を共にしている部屋をでると自らランタンを持って、もう片方の手を私に伸ばしてきた。

 私は笑顔で差し出された手を握ると、そのまま伯爵のあとをついていく。昼間に男の子の姿の伯爵に手を握られるのと、夜のお屋敷で大人の姿で手を引っ張られるのは胸の高鳴りの種類が違う気がした。


 伯爵は、私がまだ行ったことのないお屋敷の奥の方へと進んでいっていた。

 単にあまり使わない場所だからなのかもしれない。廊下にも灯りはおいてなかった。

 夜でも無駄に魔法の灯りで照らされた都とは違い、夜は本当に暗いので外からの光は月明かりだけが廊下に差し込んでいる。


「ここは階段があるから気をつけて」


 行き当たりには狭い階段があり、ぐるぐると回りながら上っていく。

 

(そう言えば、外から見たら屋根にちょっと高く突き出したところがありましたね)

 

 昼間に外からみたお屋敷を思い出していた。

 屋根の上に出ている煙突とは左右対称になるように突き出るような何かがあった。

 

「ここは……屋根裏部屋みたいな場所でしょうか」

 

 ウォーレン伯爵は窓際の机の上にランタンを置くと、カーテンを開けた。

 こぢんまりとした窓ではなくて、しっかりとした窓だった。


「私の趣味で、屋根の上に作った部屋なんだ」

「わあ」

 開かれた窓からは、綺麗な景色が見える。

 夕方に土手から見た方向と同じだった。夕日の代わりに月に照らされて、湖が淡く光って揺れていているのが幻想的だった。

 そして土手からの眺めとは違って、町の灯りも周囲を彩るように各所で光っていて綺麗に見える。

 都のように夜でも賑やかに光が漏れて輝いているわけではないけれど、月の灯りを邪魔しないくらいの明るさでちょうどいいと感じていた。


「一人になりたい時に、この部屋で静かにお過ごしになるということでしょうか」

 ウォーレン伯爵は私の質問に優しく笑うとうなずいてくれた。

 

 私なんかでも気持ちは分かる。

 辺境の領主ともなればもっと色々な気苦労があるのだろうと同情してしまう。


 ふと、奥を見るとソファや食器棚とともに大きな本棚があった。実用的な本や魔導書もあるけれど、おそらく大半は旅行記だ。

 この部屋の中で、異国の風景を思い浮かべているのだろう。

 いつか自由になったら各地を旅してみたいと妄想しながらも、今やお屋敷から出ることもなかなかままならないのだと思うと同情してしまう。


「でも、いいんですか? 私なんかにこの秘密の部屋を教えてしまっても?」

「別に秘密じゃないよ。むしろ、いないと思ったらここも探しに来て欲しい」

 

 伯爵は口ひげを動かしつつ、余裕のある優しい笑みを浮かべていた。

 本当に言葉通りにお邪魔していいのかはちょっと分からないけれど、私もそう言ってもらえてにこやかに応じていた。


「どうぞ座って」


 伯爵は小さなテーブルを窓際に少しずらすと、手招きしつつ椅子を引くというか持ってきてくれていた。

 椅子を引かれて座った経験もほとんどないので、どのタイミングで座ったらいいのか分からずに伯爵に言われるままに腰をおろした。


(テーブルマナーとか、全然覚えていないなあ)

 

 昔、口うるさく教わった記憶はあるけれど、実践する場所がなかったので身につくことはなかった。

 まあ、普段の食事で伯爵やアビーさんに変な顔をされることもないから、大丈夫なのだろうと思いたい。




 

 そんなことを考えていると伯爵は棚からセットになっているグラスから一つ抜き出して、もうひとつ別のグラスと酒を持ってテーブルへと戻ってきた。


「果実酒ですが、飲めますか?」


 テーブルの私の目の前にグラスを置くと慣れた仕草で、果実酒を注いでくれている。

 私は思わず目を輝かせてランタンと月灯りの光が差し込むグラスを見ていた。

 

「ええ、全然大丈夫です」


 お酒は好きだった。

 ただ、パーティにも出席しないので、家で一人ただ飲んでいたりしたら父に説教されてしまうのであまり飲むことができる機会もない日々だった。

 今、久しぶりに飲めそうなのでわくわくしながら待っている。


「さっきはすまなかったね。子どもの時の姿だと記憶はあるのだけれど、体験としては無いものだからどうしても配慮が足りなくなる」


 伯爵も向かいに座りながら、私に謝っていた。

 今も外見を変えただけのはずなのだけれど、中身も大人になっているように見える。これが外見に引っ張られるという現象なのか、どういう呪いなのだろうかとますます興味を持って研究したくなってしまう。


「オフィリアさんのことですか? 最初は驚きましたけど、仲良くなれましたし楽しかったですよ」


 いきなり距離を縮められて驚いたけれど、私はあれくらいの人じゃないとなかなか親しくなれない気がする。また会える日を楽しみになっているのは久しぶりな気がした。


「……うん。まあ、それならよかった」


 伯爵はちょっと歯になにか挟まったような言い方だった。


「別に前の夫人のことは気にしませんよ」


 私は笑顔でそう言った。


「お屋敷を、この部屋を見ても大切にされていたのは分かります。隠さなくてもいいではないですか」


 グラスや椅子もお揃いだったものをわざわざ一つだけ使っているし、本棚を見ても前の夫人のものらしい本の場所があるのだけれど、その場所は板で隠されていた。

  

「そうだね。ありがとう」


 何故か伯爵はお礼を言っていた。

 前の夫人の痕跡が残っているのを嫌な人もいるのだろうとは思うけれど、私は本当に気にならなかった。

 大事にされていたのが、伝わってきて、安心さえしてしまう。


(それに本棚。気になる)


 魔法が使えたとさっき言っていた。いや、オフィリアさんの話っぷりからすると使えたどころではなく都の魔法学校を卒業して魔法使いとしても一人前でやっていけるくらいの夫人だと想像してしまう。


 貴重な魔導書とかがありそうで、今度じっくり見せてもらいたいと思うのだった。




「うん。それでは、では乾杯いたしましょう」


 向かいに座った伯爵は、そう言ってグラスを差し出して傾けた。


「私たちの未来に」


 不揃いなグラスが当たり、いい音がした。

 灯りも少ない小さな屋根上部屋だけれども、この窓際の席は素敵な特等席だと思った。

 

「私なんかで本当によろしいんですか?」


 果実酒を飲みながら、今更だけれどもまた確認したくなる。


「どうして? 私からすれば、こんなに若くて綺麗で、魔法使いとしても優秀なお嫁さんに来てもらえるなんて嬉しいことなのだけれど」


 若いも綺麗も都では、もう言われなくなった。魔法使いとしてもそれなりに優秀なつもりだけれども、都の学校では同級生だけでも天才が数人いたので大して自慢できることでもないと最近は思っていた。

 でも、伯爵に褒められるとそうかもとついその気になってしまう。


「ふふ。ここに来るまではおじさんな領主なんてちょっと嫌だなと思ってました」


 私は酔いながらおだてられてそんなことを言ってしまう。


「今は?」

「素敵だと思っています。ええ、子どもの姿の伯爵も大好きです」


 伯爵は全然、動じることもないのがちょっと悔しい。

 次の言葉を言わされた私の方が真っ赤になって照れていた。


 伯爵はそんな私を見て少しテーブルに身を乗り出すと、私の顎を指で掴んだ。

 顎を持ち上げられて、私の視線を強制的に上に向かせられてしまった。


(ひええ。こ、これがイケオジの手口)


 慣れたつもりだったけれど、まだ全然、慣れていなかった。

 とはいえ、ここで顔をそむけて逃げるなんてことはあり得ない。

 この人に対してはまっすぐでいたいと思う。この人にまで見捨てられたら終わりだという気持ちとともにずっと一緒にいたいとも心の底から思う。

 私は目を閉じて、静かに唇が重ねられるのを待った。

 今日はちょっと強引な口づけだった。舌が入ってきて、私の上唇の感触を楽しむように触られていた。でも、相変わらず口ひげの柔らかい感触が鼻の下に当たってくすぐったくも気持ちいいと思うのだった。





「え?」

「え?」

 朝、目が覚めると裸の私と毛布との間に、裸の美少年が挟まるように寝ていた。

 昨日の部屋のソファで寝ていたことを思い出しつつ、重い何かが乗っているを確かめるように胸の方を見ると、目を覚ましたウォーレン少年と目がしっかりあってしまったところだった。

「こ、これは」

 慌ててウォーレン少年は、上半身を起こしていた。

 その結果、私の視界いっぱいにウォーレン少年の綺麗な裸が広がっていた。

 向こうからも、私の上半身が全部見下ろせてしまったのだろう。心配になるくらい頭がふらふらするくらいに真っ赤になっていた。


(それにしても、綺麗な肌……)


 大人の時のウォーレン伯爵がすごい汚いわけではないのだけれど、今、私のお腹の上に乗っている少年を見上げると瑞々しくて差し込んでくる朝日に照らされると芸術品のようだった。


(おっといけない。イケナイことをしている犯罪者みたい)


 思わずまじまじと見つめてしまっている自分を戒めた。

 

「な、何が……」

「何って……伯爵が酔った私を強引にソファに押し倒したんじゃないですか」

「ご、強引なんかじゃないよね!」

「なんだ。覚えているんじゃないですか」

 

 ちょっとつまらなさそうに私は、手を広げたり握ったりして困惑しているウォーレン少年に言った。


(少年姿だと、こうも余裕で相手できるのに……)


 昼と夜でからかう立場が逆転してしまうのが、自分でもおかしかった。


「う、うん。思い出した」


 思い出した結果なのか、ウォーレン少年は目もぐるぐるさせているかのようなふらつき具合で私のお腹から、そしてソファからも降りていった。


「さ、昨晩はありがとう! 素敵だったよ。ま、またよろしくな!」


 ウォーレン少年は、大人サイズのシャツを着ながら私の方に手を向けてお礼を言っていた。ちゃんと褒めるところは、大人の時の記憶なのだろう。でも、ぶかぶかなシャツは手のひらを見ることもできなくて、それも可愛らしいと思って内心では身悶えてしまう。


(それにしても変化の魔法は一日くらいはもつはずなんですけれど……)


 私は訝しげに思う。


(そういえば、殿方は、『出して』しまう時、魔力も一緒に放出してしまうという説がありましたね)


 ちょっとこれはいい研究対象なのではと思いながら、慌てて部屋からでていくウォーレン少年の背中を見守っていた。

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