June Rain

 またひとしきり 午前の雨が 菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ 眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと) たちあらわれて 消えてゆく


 たちあらわれて 消えゆけば

 うれいに沈み しとしとと

 畠(はたけ)の上に 落ちている はてしもしれず 落ちている


 お太鼓(たいこ)叩(たた)いて 笛吹いて

 あどけない子が 日曜日 畳の上で 遊びます


 お太鼓叩いて 笛吹いて

 遊んでいれば 雨が降る 櫺子(れんじ)の外に 雨が降る


 ----中原中也「六月の雨」より


 前村 小枝こずえは、陽が傾き東の空から暗くなりつつあることに気付き、読んでいた詩集をぱたんと閉じた。


 すっかりと時間を忘れ読みふけっていたらしい。慌てて教室を飛び出し、静まり返った校舎を抜け、急いで下駄箱へと向かう。


 --あ、雨?


 ローファーを履こうとした瞬間、ひんやりとした湿った空気が彼女の頬をかすめて行った。


 --傘、持ってきてなかったなぁ。


 ふぅ、と溜息をつくと、彼女はしばらくひさしの下で雨が通り過ぎるのを待つことにした。


 天気予報では一日中曇り、降水確率10%だったはず。この場所が10%の地域なんだ、ついてないなと思考を巡らせる。


 学校の真上にかかる薄暗く黒い雲。

 西の空には明々あかあかと沈みゆく太陽が見える。


 きっと、ほんのちょっとの間だけ地面を濡らしているだけ。

 もうちょっと出るのが早かったら、確実に雨に打たれていただろう。

 不幸中の幸い--とはこの事か、と彼女の口元が緩む。


 ぴちゃん

 ぴちゃん

 ぴちゃん


 耳元で水の跳ねる音がする。

 彼女は不思議に思い、自身の周りをキョロキョロと見渡し、耳元にも触れてみるが特に濡れている感じはしない。


 --気のせいか。


 彼女は空を見上げた。

 その刹那、また耳元で水の跳ねる音がした。


 --あれ?さっきよりはっきりと聞こえる。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん。」


 水の音に気を取られ、気付くのが遅れた。

 不意に話しかけられ、小枝は一瞬びくりとした。


 声のする方を見ると、水色の雨合羽を着て黄色の長靴を履いた小さな男の子が満面の笑みで立っていた。


「--え、あ、うん。ど、どうしたの?」

 さっきまで居たかな?気付かなかった。


 それに、中学校にこんな小さな子が来るのかな?と疑問に感じた。


「お姉ちゃん、傘、無いの?」

「うん。今日は雨降らないって言ってたから--」

「あ、でもね、もうすぐ雨は止むよ。僕も雨が止んだらから、それまで僕がお話相手になってあげる!」


 そう言うと、男の子は聞いてもいないのに話し始めた。


 6月の間だけこの近くに住んでること。

 7月には違うところへ行ってしまうこと。

 雨の日だけ、外で遊んでもいいとお母さんに言われていること。

 お父さんの仕事で年中色んな所を飛び回っていること。


 不思議なことを言う子だな--と小枝は思った。


 水溜まりをパシャパシャと蹴ると、男の子ほ空を見上げる。

「そろそろ雨、止んじゃうね。」

 つられて小枝も空を見上げる。

 確かに、小枝の上には光が差込み始め、雨雲が切れかかっていた。


「--本当だ。じゃあキミも---」

 そう言いかけ、男の子に目を向ける。

 が、男の子はもういなくなっていた。


「--え、嘘。ちょっとキミ--!ねぇ、どこに行ったの?!」

 小枝はキョロキョロと辺りを見渡したが、結局、男の子を見つけられなかった。


 --ま、まさか幽霊-!?


 小枝はぶるっと寒気を感じ、家まで走って帰って行った。

 普段ならダラダラと歩く山道の登坂も、近寄っただけで吠えてくる近所のタロウの声にも気にかけず、ひたすら走って帰って行った。


 ---

 --

 家に帰り着くと、息を切らす小枝を見た祖母は驚いた表情で声を掛ける。


「--どうしたのさ?そがな血相かいてからに--。」


 学校の帰りに会った不思議な男の子の話---。

 他の大人だったらきっと信じてくれない。

 でも、この祖母だったらきちんと話を聞いてくれる。直感的にそう思い、小枝は彼女に先程の出来事を話した。


「--あらあら、まぁ。それはそれは-。あんたも恵まれた子だわねぇ。」

「え、なんで?いきなり出てきて、いきなり消えて--すっごい怖かったのに。」

「その子は悪い子じゃないさねぇ。おばあちゃんも子供の頃もよーけぇ見よったさ。」

「え、おばあちゃんも?」

「んだ。おばあちゃん達が子供の頃はぁーそりゃあ様ぁ呼びよった。」

「みくまり様---?」

「みくまり様はぁー災いから見守ってくれる、ありがたぁい神様じゃぁ。あんたぁ運が良かったねぇ--。」


 祖母はそう言い微笑むと、晩御飯の準備に取り掛かっていた。


 その日の夜、眠っているとあの子の声が聞こえてきた。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

 --ん、、何?

「お姉ちゃん、明日は大雨が降るよ。」

 --「キミ」、誰なの?

「僕のことより、お姉ちゃん。明日はあの学校に行っちゃダメだよ」

 --何言ってんの?そんな簡単に休めない--。

「いい?約束だよ?--お願い。」

 --もう!何?「キミ」、本当にみくまり様なの?

「僕は違う。は僕じゃない---。でも、信じて。明日は学校に近付いちゃダメだから--僕を信じて。」


 ---

 --

 翌朝、目が覚めるとそこは、自分のベッドだった。


 夢か。

 でも、なんか体が重い。


「--37.8°Cね。今日は休みなさい。」

 母はそういうと、小枝のベッドまで玉子がゆを持ってくる。


「お母さん、仕事に行くからね。何かあったらおばあちゃんにお願いしてるから。」


 --本当にお休みになっちゃった。

 小枝はベッドに寝たまま窓の外に目を向ける。


 --あぁ、外、大雨だ。お母さん、大丈夫かな。


 ---うつらうつらと眠ってしまっていた。

 眠っていた小枝の部屋に、母が血相を変えて入ってくる。


「--あれ?お母さん、仕事は?」

「それより、家の下の道が土砂崩れで--ウチ、孤立してる」

 意味が分からなかった。

 母は焦った様子で何処かに電話をしている。


 あのまま、学校へ向かっていたら、ちょうど土砂崩れに巻き込まれていた。

 小枝は男の子が言っていた事が本当だったんだと気が付いた。


 ふと、外を見ると、が何か叫んでいた。


「--お母さん、あの子--!」

「え、何?ちょっと今、消防署に連絡してるから--」


 母の視線の先にも、男の子の姿はあったはず。しかし、母の目には見えていないようだった。


 小枝は窓を開け、男の子の声を聞く。


「--お姉ちゃん、大変だ!早く、お家の人を連れてこっちに来て!」

「ちょっと、キミ--!外は危な--」

 男の子は小枝の声に振り返らず、家の裏手の一番高い位置にある岩山へと向かい駆けていく。


「もう!何なのよ!」

 小枝はベッドから飛び起きた。

 --あれ?身体が軽い。熱、下がったのかな。


 階段を駆け下りると、祖母がどうしたの?と声を掛けてくる。

 祖母にさっき例の男の子から言われたことを伝え、直ぐに岩山へ行こうと伝えた。祖母は血相を変え必死に伝えようとする、小枝の言葉を直ぐに信じてくれた。


「お母さんのことは、おばあちゃんが必ず連れてくからァ、あんたぁ先に行きなぁ」

 祖母の言葉を聞き、小枝は男の子の後を追って行った。


 男の子は、岩山の高い位置から家を見下ろしていた。

「お姉ちゃん、こっちだよ!お姉ちゃんの家の人たちは?」

「--ハァ、ハァ、ハァ。今、、来てると、、思う。」

「早くしないと--間に合わない!」

 その刹那、家の真裏の山から地鳴りが聞こえて来た。と、同時に祖母に背中を押され、母も家から出てくる姿が見えていた。


「---くっ、間に合わない--!!」

「うそっ、いやだ!お母さん!おばあちゃん!早くこっちに---!!」

「お姉ちゃん、覚えてて--はずっと---みんな--のソバニイル--カラ-!!」

「ちょっと、キミ--!!」


 男の子の身体は白く光だし、姿を変え天に登った。


「--り、龍?」


 白く光る龍の形に姿を変えたは、迫り来る土砂の濁流へと体当たりをする。


 土砂がすんでのところで一瞬、流れを変え、母と祖母が逃げる隙を与えていた。


 二人が岩山へ辿り着いた瞬間、濁流が家を飲み込んでいた---。


呆然と飲まれていく家を見下ろしていると、また耳元で水が跳ねる音が聞こえてきた。


 ぴちゃん

 ぴちゃん

 ぴちゃん


 --え。


 ぴちゃん

 ぴちゃん

 ぴちゃん



 --ねえ、キミ。どこに行ったの?


 -ごめん、お姉ちゃん。お父さんから借りてた力、全部使いきってしまったみたい。僕、もう帰らなきゃ--。


 -ねぇ、お姉ちゃん。覚えてて。僕達は、みんなの心にいる。だから--水を恐れないで---。そして--山や川を---。


 それから20年経った。

 小枝は今、日本の伝承や古文書を専門にした歴史学者になっている。

 祖母から聞いたは、正式には水分神(みくまりのかみ)と言うことが分かった。

 みくまり様は、水龍をつかいとし水・山・田畑の神として崇められている。

 また、「みこもり(御子守)」と解され、子供の守護神、子授け・安産の神としても信仰されるようになった。


「キミ」はその子供。水龍だったのか--。と大人になって分かったこともあった。

 彼女は彼の言いつけ通り、治水や農作ボランティアとしても働き、「キミ」との再会を夢見て毎日を生きている---。


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