第8話 俺にはただのアホにしか見えない

 無敵の恋愛マスター––––それは、幾度となく訪れた恋愛の機会を全てものにし、恋愛において、ありとあらゆる経験を積んだ猛者である。


 そして俺は、そんな名誉ある女と行動を共にしていた。


「……ターゲット発見」


 小声でそう呟いた青山は、階段を登り切る直前の所でしゃがみ込んで身を隠していた。

 視線は階段の向こうを見ているが、意識は下半身に向いているらしい。

 さっきから何度も片足を前に出したり戻したりしている。


「エメラルドグリーンの髪色。細身の体に、整った顔……間違いないな。……足痺れたなら、下がって立っててもいいぞ」


「及川さんの情報通り、この時間は1人でフリースペースにいるね。……全然大丈夫だよ。それより、今日のは少しスカートが短いから、あんまり見ないで欲しいな」


 前日の作戦会議で、まずはターゲットの男に接触することにした。相手の素性が分からないのでは、解決のしようがないからだ。

 及川のくれた情報から、木曜3限の時間は研究室棟のフリースペースにいるということが分かった。


「それより恋愛マスター。指示をくれ」


「……その呼び方、やめて」


「とりあえず、俺が話しかけに行こう。女のお前は相手にもされないだろうからな」


 前で、「聞いてる!? その呼び方、すごい恥ずかしいから! ねぇ聞いてる!?」と喚き散らしている青山を追い越し、俺はゆっくりと歩き出した。


 何も下心なんてない風を装って、ターゲットに近づく。


「よぉ、ちょっといいか?」

 

 努めて優しく話しかけたつもりだったが––––


「……ヤンキー?」


 ターゲットの男は、汚いものを見るかのような目を向けてきた。


「ヤンキーじゃねぇよ!! くそイケメン!!」


 なんだ? そんなに俺の見た目は素行が悪く見えるのか? 俺の繊細なハートはそろそろ音を立てて崩れるぞ。


「じゃあ、何の用だ? 合コンなら行かないぞ」


「いや、誘ってねぇから。お前、普段からそうやって声かけられてんの? ……まぁいいや。お前、今空きコマだろ? 俺、暇しててさ」


「……だから俺に声をかけたと?」


 俺を見るこいつの目からは、酷く警戒しているのが伺える。

 人見知りでなくとも、知らない奴にいきなり声をかけられたらそうもなるだろう。


 だが、だからといって引くわけにはいかない。突拍子もないことをしているという意識を捨て、俺は続ける。


「あぁ、ちょっと話がしたくてな」


「話……何の話だ」


 どこか高圧的に質問を投げかけるイケメン。この様子だと、警戒を解くのは難しそうだ。

 何か、こいつの興味を引くような面白い話を……


 何かヒントはないかと辺りを見回して、俺はピッタリのものを見つけた。


「あれを見てくれ」


 階段を上がり切る直前の段板を指差し、イケメンに見るよう促す。


「……あれは……何だ?」


 手すりにつかまりながら、俯いて手で膝を押さえている恋愛マスター––––青山を、イケメンは怪訝そうに見つめている。


「あれは、恋愛百戦錬磨の恋愛マスターというらしい」


「……冗談だろ? 俺にはただのアホにしか見えない」


 ドン引きしながらそんな感想を漏らすイケメン。

 

 そんな声は青山に届いていないのか、「う〜」だの「あ〜」だの言いながら、ぷるぷる震える足を押さえている。


 ……うむ。なるほど。イケメンとは波長が合わないかと思ったが……


「お前……! 話が合うな……!! どうだ? 俺ともっと話をしないか?」


「……ふんっ。だが、女の話なら聞かんぞ。……俺はもう行く。じゃあな」


 一方的にそう告げたイケメンは、素早く荷物をまとめてこの場を後にした。


「……同志の香りがしたんだがなぁ……」


 なんか作戦とかどうでもいいから、もうちょっと話したかったな。名残惜しいぜ。


 しかし、いつまでもぐだぐだ言ってられない。仕方がないと切り替え、階段の方に目をやる。


「おい。終わったぞ」


「ど、どう……? うまくいった……?」


 しかし返ってきた声は、想像以上に弱々しいものだった。


「お前ほんとに何も聞いてなかったのかよ……」


「足が……やばい」


「だから下がってろって言っただろ。……まぁ、おかげで話はできたぞ。すぐに逃げられたけどな」


「一旦……座ろう……足を伸ばしたいよ……」


「……」


 こいつは本当にやる気があるのか? イケメンにはもうバレてたが、そろそろ恋愛マスターの化けの皮が剥がれるんじゃねぇのか?

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