第9話 結界の秘密

 村長の家――


 ワイバーンを退治して結界を治したテュランたちは、魔物の返り血を全身に浴びたまま村長の家に戻った。

 帰り道、結界の崩壊を聴き混乱に呑まれていた数名の村人に事情を説明したが、みんなの平穏が取り戻された様子は微塵もない。

 特に、川を失ったことは村人にとって痛手であった。


 家に着くと、初めに村長の奥さんが迎え入れてくれた。眉を不安げに顰め、目をキョロキョロさせながら三人の醜態を見た。

 返り血が、よっぽど刺激的であったのだろう。



「ちょ、ちょっと何があったの?! 結界は大丈夫?!」


「うん、結界は塞いだ。結界を壊した魔物も殺したから安心してくれ」


「安心って……あなたに魔物を倒せるほどの実力があったっけ?」


「いやいや私だって元冒険者だよ。魔物一匹ぐらい何とでもなるさ」


「魔物をたおしたのはパパじゃない……テュランくん」



 自慢話を振りかざす父の嘘を壊したのは、娘のアリシアだった。テュランの手柄を自分のものとした彼の邪悪な一面に、頬をぷっくりと膨らませながら毛嫌いしている。



「あら! あなたまさか!!」


「………」



 奥さんは呆れたように村長を二度見した。噓がばれた彼は、開き直った態度で「ごめん」とテュランに手を合わせた。しかし、テュランはそんな事どうでもいい。

 無反応を貫くのだった。



「今日のあなたの晩御飯は抜きにします! テュランさんの手柄を盗んだ罰ですから。それに、この血は……どれだけグロテスクなのでしょう。テュランさんの綺麗な容姿を汚すなんて無礼です。大変、失礼です!」


「えっ。この子に肩入れしすぎじゃないか。私だって精一杯頑張ったつも——


「テュランさん、お風呂に案内しますね。アリシアも一緒に来なさい」



 無視されてしまう旦那。

 日頃の旦那の高圧的な態度にストレスを抱えていた奥さんは、テュランという外的な要素が追加されて遂に噴火したのだ。


 旦那は、玄関のまえで立ち尽くすしかなかった。奥さんの怒りが収まるまで。



*    *    *


 その夜、テュランはアリシア家族と一緒に食卓を囲んだ。


 テーブルの上には多種多様なメニューが混在している。

 見るからに柔らかそうなオムライス、ふわふわのクロワッサン、その隣で湯気立つのは野菜入り鶏スープ。

 山でとれる新鮮な食材をふんだんに利用したその料理は、テュランの口に感動の波動をもたらすに違いない。



「さぁテュランさん、いっぱい食べてくださいね」



 アリシア母の猛烈なアピール。

 しかし、鈍感であったテュランが彼女の思惑に気づくハズもなく、せっせとスプーンを手に取りスープを口にする。



「……ほう」



 一口、テュランは声を漏らした。

 たったの一言である。

 だが、その一言にテュランの感動は凝縮されていた。



(これは……魔術か?! 魔術なのか?!)



「あ……口に合わなかったかしら」


「いや、美味いぞ。このようなスープを頂くのは初めてだ」


「あら! そうなの! 実はこのスープを作ったのは、アリシアなのよ!」



 奥さんがそう言うと、アリシアはぺっことお辞儀した。

 顔がりんごのように赤い。



(スープは新鮮な野菜と鶏の出汁が絶妙にマッチしているな。その組み合わせが、まろやかな風味を形成している。オムライスの柔らかさは……まるで極上。柔らかさに内包されたバターと卵の甘みが程よい質感と風景画のような透明さをもたらしている。良い、実に良い)



 一年中戦うことしか考えていないテュランと言えど、三大欲求は平均的。食べるという行為が優先順位の先頭に立っていなくとも、彼の味覚はバカ舌ではない。

 だから、アリシアの料理の才を見過ごすことはないのである。



「美味いな。毎日、食べたい料理だ」


「ほ、ほんと?」



 アリシアの目が、パチパチと光る。



「あら! テュランさん、良いこと言うじゃないの?」


「……?」



 テュランはアリシア母の発言の意図を理解できなかった。

 自分が感じたことを素直に言葉にしただけだから。

 すると、透明人間ような立場に追い込まれていた父が、「ごほん」と咳払いした。話の流れを変える。



「そうだ。当分、うちの空き部屋で暮らしなさい」


「あなた、空き部屋なんてうちにありましたっけ?」


「あるじゃないか……二階の物置部屋が」


「は? あんな汚い部屋にテュランさんを住まわせるわけにいかないでしょ?!」


「だったらどうすれば良いんだ? 外で寝かせるの?」


「はぁ……アリシアの部屋があるでしょ」


「「え?」」



 母親の提案に、二人は困惑の声をもらした。



「ママ……いいの? テュランくんといっしょでも?」


「もちろん私は大賛成よ~ねぇ~テュランくん?」


「寝床を用意してくれるのなら、どこでもありがたい。感謝する」



 テュランにとって、寝る部屋などに拘りはない。

 正直、野宿でも構わないと思っている。が、彼の生命線を繋ぐのはひとえに奥さんの存在。彼女の発言にはなるべく賛同するつもりでいた。



「テュランくん、君には話したいことが幾つかある。食事が終わったら二人で話そう」



 しかし父親の威厳がそれを許さない。彼は高圧的な口調で提案するのだった。



「ちょっと! あなた!」


「…………」



 すぐさま奥さんが反論しようとしたが、村長の目つきは鋭いまま。

 よっぽどの話であると、テュランは解釈した。



「いいだろう、何かあるなら何なりと」



 テュランは村長の命令を承諾した。




*      *      *


 ご飯を食べたあと、テュランは村長に招かれ、地下室の扉にやってきた。

 普段この地下室に入る者は村長のみで、奥さんやアリシアでさえも地下室の全貌を見たことはない。


 そのようなトップシークレットを開示するに至った村長の心境をテュランが察せるはずもなく、言われるがまま地下室へと続く石階段を降りた。


 階段を降りると見えたのは、一本の長細い通路。

 前が暗くて見えずらいその通路を進むために、村長は松明を一本所持した。



(明かりぐらい自分で付けろよ)



 テュランはそんな事を思いながら、村長の後ろを歩くのだった。

 こうして歩いていくうちに、二人は木製の扉の前に着いた。

 この扉の先が地下室である。


 「ガチャ」と音を立てながら鍵を解除した村長が、ゆっくりと扉を開けて地下室に入っていく。

 それに続いてテュランも中へ入ろうとした——次の瞬間。




「————ッ!」




 テュランの足が、木のように動かなくなった。




「どうした?」



 様子のおかしいテュランを、村長が訝しげに観察する。

 「不気味なやつだな」と村長は、呆れたように笑いながら松明を近接の石壁に置いた。




「これは、なんだ?」



 テュランは、目を奪われていた。目のまえに広がる光景に。


 彼の目を惹いたのは、


 エメラルドの瞳に、血走った眼球――長径二メートルほどの単眼が、宙に浮かんでいるのである。


 その不気味な光景が、彼の心に隕石のような衝撃を与え、呼吸することを忘れさせた。このようなものをテュランは未だかつて見たことがない。


 彼の望んでいた千年後の未知なるもの、それに相対したとテュランは確信した。



(ハハハハハッ! いいぞ、いいぞ。こういうのを待ってたんだ)



 テュランが興奮していると、村長の口から衝撃的なことが発せられた。



「君だけに教える──この村の結界と、この”魔導書”を執筆した賢者様について」




*      *      *



 結界を作ったのは、には村長ではない。賢者様である。


 賢者様とは国王の次に偉い人間——という解釈で良い。詳細は省く。


 賢者様によって指定された結界の大きさや強度を、一定の範囲でコントロールする権限を与えられているのが村長だ。村長は、賢者様が執筆した魔導書と、地下室に保管されている「賢者の監視」と呼ばれる単眼の魔道具を使って結界を操作している。


 魔導書は車のハンドルで、「賢者の監視」は車の給油口みたいなものである。


 魔導書は結界を操作するのに必要な”補助輪”であり、「賢者の監視」は結界の電力を供給するのに必須だ。


 結界の電力とは、いわば納税である。

 税には様々な種類があり、米・魔力・魔物の死骸・薬草・貨幣など。

 「賢者の監視」を通して納められた税は、転移魔術によって国へと転送される。


 これが、結界の背後に隠れた絶対的なルール。なお結界の修復は村長の役目なので、賢者様は一切の責任を問わない。

 もし結界の性能を上げたい場合は、破格の税を要求されるのだ。



「理解してくれたかな? これが村の結界なんだ」


「あぁ、おおよそ分かった」



(これほど高度な結界をこの牧師が生成できるはずないと思っていたが……やはり、そうか。賢者とかいう「いけ好かない政治屋」が関わっていたか)



 テュランは「賢者の監視」を隈なく観察した。前、後ろ、横、上、下……その仕組みを解明するために。



「魔導書も見せろ」


「もちろんだ」



 続いて、魔導書にも目を通す。



 (魔導書……懐かしいな。まさか千年経った今でも使われているとは)



 ”魔導書”には、結界の魔法陣や操作方法に加えて、緊急時に対応できる災害用魔術についても明記されていた。村長がワイバーンに放った炎の矢も、魔導書の一部に掲載されているものだ。



「やはり、か」



 テュランは確信を摑んだように、言葉を漏らした。


 長年、結界の操作を行ってきた村長でさえ魔導書の理解は不十分である。

 だがテュランは、絵本を読むみたいに、その分厚い本のページをスラスラとめくっていく。



「きみ……この魔導書が読めるのか?!」


「…………どうかな」



 ぎっしりと書かれた文字や数式……それらを一目見ただけでページをめくるテュランの姿は、村長の目に”天才”として映り込んだ。



(村の結界……に性能を下げているな、賢者様ご本人の仕業で。結界の強度も範囲も、その最大値に制限が掛かっている。これは賢者様の技量が低いのではない。わざと質の低い結界を提供している。賢者め、気色の悪いことをしやがるぜ)



 それなりの結界を提供し、破損したら、その修理と結界の性能アップで納税額を強制的に増やす。これが賢者様の徴税の仕方であると、テュランは推測した。



(結界のレベルは低いのに、税金を集めるための「賢者の監視」にかけられた魔術は、オレの時代でも類を見ないほど複雑なものだ。国民から税金を吸い取るための仕組みだけはしっかり整えて、それ以外は御座なり。千年前と何も変わっていないな、現代の政治体制は)



 テュランは呆れていた、賢者という存在に。そして現代の政治体制に。



「正直……性能を上げるために納税額を増やされるのは困るんだよね。みんなからの批判も凄いし。最近じゃ、私のことを増税メガネって言うんだ」


「………」


「でも、水源を取り戻すには結界の性能を上げてもらって範囲を広げるしかない。村人からの野次や批難が飛び交うとは思うけど仕方が——


「必要ない」



 テュランが村長の言葉を遮った。

 その鋭い赤い目には、燃え上がる情熱が迸っている。



「賢者の結界よりも更に高性能な結界を作る、オレ自身の手で」


「はっ?」



 今の彼にあるのは、絶対的な自信――そして、自らの矜持をかけた戦いの火蓋を切ったのである。


 テュランの辞書に、利他性という言葉はない。

 全て自分のためである。自分の興味・関心を満たすためである。


 



 








 

 






 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る