死ね子と宝探しの夏

粘膜王女三世

第1話

 俺の名前は南方純(みなみかたじゅん)。

 現在、小学六年生だ。

 一週間前、今の学校に転校して来たけど、未だ誰とも口を利けてないぜ!

 ぼっちなんだぜ!

 そんな俺だけど、今はとってもハッピーな気持ちなんだ。何故なら……。

「えー……さて。皆さんは明日から夏休みということで、それについて先生からお話があります」

 教壇の前に立ち、担任の黒岩先生が夏休みの心得を話し始める。

 そう! 明日から、俺達小学生は晴れて夏休みなのだ!

「良いですねぇ、四十連休。皆さんは明日から夏休みなのかもしれませんが、先生は明日も普通に出勤し、何一つ可愛いと思えない生徒(クソガキ)達の為の職務に励まなければなりません。そんな中皆さんが無邪気に遊び惚けている様を想像すると、胸糞が悪くなります。どうしてこんな気持ちになる為に教師なんかになってしまったのか。人生、どこで間違えたのか。自分を責めたくなります」

 二十代後半程の男性である黒岩先生は、張り付けたような笑みを浮かべながら、淡々とした声で語り続ける。

「とは言え、皆さんが遊んでいられるのも今の内だけです。いずれは先生と同じ大人になって、悔恨と苦渋に満ちた毎日を送ることになるでしょう。先生なんかよりよっぽど悲惨な境遇に置かれる人も決して少なくないはずです。ざまあないですね。精々、限られた子供時代を無益に浪費し、悔いのある夏を過ごしてください」

「さっきから何を言ってんだよこの教師!」

 にこやかな顔でクレイジーなことを言う担任教師に、俺は思わず声をあげた。

「うるさいですねぇ南方くん。生徒の分際で先生の話に口を挟むようなら、激しい体罰を加えますよ? 授業で教えたことはいくら忘れても構いませんが、先生がその気になれば君なんていつでも五体満足でなくなることは、どうか忘れないでくださいね?」

「い……イカれてる……」

 今の時代にそんなこと言って許されるのか……。

「では最後に。くたばりやがれクソガキ共。先生からは以上です。皆さんさようなら」

「いやっほー! 夏休みだー!」

 クラスメイト達は黒岩先生の大問題発言に意に介さないように、夏休みを目前に、重めの精神病院から抜け出した患者のように狂喜乱舞し始めた。

「ひゃははははははー! 夏休みだー!」

「夏休み夏休みー! うっほほーい! うっほうっほ! そいやー!」

「海に行くぞー! 山にも祭りにもいく! でもプールには行かない! 虫唾が走る!」

「ああああああ嬉しすぎる! 嬉しさのあまり失禁してしまうぅうう!」

「うっわ! 松崎が漏らした! えんがちょ! えんがちょ!」

「胴上げだ! 胴上げをしようぜ! おい辻岡! おまえ宙を舞えよ!」

「嫌だよ! それでこの間三階から投げ捨てたじゃないか! お陰で半身不随なんだぞ!」

「ナイフで滅多刺しにしてやろうか!」

「死ねプール作った奴、死ね! 一族郎党皆殺しの目に合え!」

「うっひょっひょーい! 夏休みだ! 夏休みだー!」

 薬物を投与された猿のようにはしゃぎ回るアホ共にドン引きしつつも、ぼっち転校生の俺は一人静かに帰宅することにする。

 騒がしいのはだいたい男子である。その場の思い付きで不謹慎な冗談を叫びながら、絶えず飛び跳ねている。対する女子はというと、そんな男子を尻目に談笑したり、夏休みの予定を話し合いながら教室を出たりしていた。

 そんな女子達の一角が、ふと目に入った。

 頬に少々のそばかすのある、目の大きな一人の女子を、数人の女子が取り囲んでいた。女子達の手にはいくつかの手提げ袋や鞄、鉢植えなどが握られており、それらをそばかすの女子に押し付けるような形で差し出していた。

「ねぇ死ね子。うちらこれから遊びに行くからさぁ、これ、代わりに持って帰ってくれない?」

 死ね子と呼ばれているのはそばかすの少女だ。死ね子というあだ名に特に由来はなく、ただ死ねということで死ね子らしい。

 あまりにも死ね子死ね子と呼ばれている所為で、俺はこの子の本名も知らない。あだ名からも分かる通り、日ごろからいじめにあっている生徒のようだ。給食を別けてもらえなかったり、掃除を押し付けられたりするのを良く目の当たりにする。

「で……でも、こんなにたくさん一度に持って帰れないよ……」

「往復すりゃいけるだろー。じゃ、死ね子、頼んだよ」

 そう言って、死ね子の足元にたくさんの荷物が置かれ、少女たちは背を向けていく。

 一人残された死ね子は途方に暮れたように俯く。その姿は今にも消え入りそうだ。

「待てぇい!」

 日頃死ね子へのいじめに対する義憤を溜めていた俺は、そこに首を突っ込んだ。

「自分の溜め込んだ荷物なんだから自分で持って帰れよ! 人に押し付けにするのは良くないぞ!」

「はあ? クラスのこと何も知らない転校生が、黙ってくれない?」

「おまえ達がこの子に荷物を押し付けて帰るというなら、俺がそのことを先生に言いつけてやるぞ! きっとおまえ達の家に注意の連絡が届くだろうなあ!」

 そう言って睨み付けると、少女達は眉をひそめて、怯えた様子で顔を見合わせた。

「そ、それはヤバくない? あの担任イカれてるから何するか分からないよ……」

「体育の後の女子の体臭を嗅ぐのが教員唯一の楽しみだって公言してるもんね……」

「弱みを握った女子の腋に、罰と称してハチミツを塗り付けることもあるって噂が……。あんな奴に大義名分を与えたら、何をされるか分かったもんじゃないよ!」

 やっぱイカれてんだなあの教師……。何であんな奴が許されるんだろう。

「そ、そうとも! おまえらもそんな目に逢いたくなかったら、自分の荷物は自分で持って帰るんだ!」

「お、覚えてろー!」

 言いながら両腕や肩、首や耳にまでたくさんの手提げ紐を引っ掛け、さらには口にまで荷物を咥えてえっちらおっちら帰って行くいじめっ子達。

 気が付けば、騒いでいた男子たちも皆教室から出て行ってしまっている。

 残されたのはいじめられっ子の死ね子と俺だった。

 目を丸くして俺の方を見詰めている死ね子。その小さな唇が僅かに動く。

「あ、あり……が……とう」

「大丈夫だったか死ね子? ……あ、死ね子じゃダメだな。ええっと……」

 この子に限らず、俺はクラスメイトの名前をまだほとんど知らない。名札を確認しようと、俺は死ね子の胸元を注視した。

「だ、だめ……」

 死ね子は自分の名札に手をやって、自身の名前を覆い隠した。

 そして小動物のような仕草で、上目遣いに俺を見詰める。

「死ね子で良い……」

 死ね子は百六十センチの俺より十センチ程背が低い。身体つきも華奢で手足など今にも折れてしまいそうだ。肌は信じられない程白く、良く澄んだ色素薄めの瞳は大きいだけでなく潤みを帯びていて、長いまつ毛はまばたきでそよ風を起こせそうなほどだ。

 よく見ると、死ね子の目鼻立ちが無茶苦茶整っていることに俺は気づく。鼻は小ぶりだが筋が通って高くて薄桃色の唇は赤子のように柔らかげだった。やや面長で顎のラインが整っており、瞳と同様に色素の薄い栗色めいた長髪はポニーテールにまとめられ、白いうなじが覗いている。少々の頬のそばかすも良いチャームポイントだった。

 クラスでも地味めな存在だからこんなに可愛いこと気付かなかったぞ?

 い、いや、だからどうしたって話なんだけど……。べ、別に俺可愛い女子に興味とかないし! 本当だし! そういうの……キモいし! エロいし!

「と、とにかく! 何かあったら人を頼るんだぞ! 分かったな! ……死ね子!」

 そう言って、俺は強引に死ね子から視線を切って、背中を向けて教室を出た。

 ……それにしても。

 なんで死ね子は、自分の名前を見られるのを、あれほど嫌がったのだろう。


 〇


 終業式を終えた解放感を目いっぱい味わう為、近所のブックオフやスポーツ用品店と言った子供が喜ぶ店を冷やかすなど、若干の寄り道を楽しんだ。

 一人で。

 そうして帰宅した俺を出迎えたのは、玄関先の廊下で起きていたちょっとした騒動だった。

「うおおおおお! やだやだやだ! 買って買って買って!」

 一つ下の妹の霧香が、幼児のように廊下に背を付けて手をバタつかせながら、両親にわがままを言っている。

「ニンテンドースイッチ買ってくださいよぅ! わたしには夏休みマスターとして最高に楽しい夏休みを過ごす義務があるんです! その為にはニンテンドースイッチが必要なんですよ! 分かってください母さま!」

「ダメよ! 夏休みは友達と過ごしなさい」

 母さんは厳格な表情で娘を窘めた。

「しかし母さま! 転校して来たばっかりで友達なんていませんよ!」

「ならラジオ体操やら子供会やらに出て作りなさいよ。今の内にちゃんと友達を作って、将来の借金の伝手や就活や婚活のフィールドを確保しておかないと、今後の人生に差し支えるわ!」

 小学生の内からそんなこと考えさせるなよ……。

 そんなシビアな母さんに対し、温厚な性格の父さんは「まあまあ」ととりなすように。

「霧香の言うことにも一理あるじゃないか? 俺の急な転勤で前の友達と離れ離れにさせてしまった負い目もある。寂しい夏休みにしない為にも、せめて遊び道具くらいは良いものを与えてやりたいじゃないか。……なあ純?」

 突如として水を向けられ、俺は「え、ああ。まあ」と。

「このままだと暇を持て余しそうだしな。俺も霧香もゲームは好きだし、スイッチあったら楽しい夏になるかも……」

「そうだとも。このままだと鼻糞をほぜっては練り、ほぜっては練りを繰り返すだけの悲惨極まりない夏になってしまいかねない。霧香は女の子だからそんなことはしないだろうが、純の場合は暇を持て余して、一か月分の鼻糞をため込んで何か芸術的な作品を練り上げてしまわないとも限らないだろう」

 いやしねぇよいくらなんでもそんなことはよ。鼻糞をほぜらないとは言わないけど、それは霧香も同じだからな!

 たまに隠れてやってるの、見てるからな!

「何せ、私の中学三年間の夏休みがそうだったからな……」

 父さん……。

「お父さんがなんと言おうとスイッチはダメです! 欲しいんだったら自分達でお金を出し合って買いなさい! それを禁止するまでは私もしないわ。いいわね?」

 母さんはにべもなくそう言い渡す。霧香は『やっぱりダメか』的な表情で駄々っ子を止め、太々しく唇を尖らせて立ち上がる。

 そして、父さんと共に俺達の前を立ち去る直前、母さんは俺の方を振り返って言った。

「それと純」

「何?」

「本当に、空手をやめて塾で良かったの?」

 そう言われ、俺は視線を一瞬だけ床に落としながらも。

「うん」

 と答えた。

「そう。……分かったわ」

 母さんは今度こそリビングへ消えた。


 〇


 玄関の前で二人取り残されて、俺と霧香は顔を見合わせた。

「おねだり失敗しましたね、兄さま」

「そうだな。……つか、いつまでその喋り方続けるんだよ」

「HAHAHAお兄さま、一体何を言いますやら。わたしは物心ついた頃からずっとこの喋り方じゃないですか」

「んな訳ねぇだろ」

 ネットのキャラか何かに影響されたらしく、ここ数か月の霧香は変な敬語で喋るようになっている。両親も、今のところはほったらかしているようだ。

 こんな喋り方さえしなければ本当に可愛い妹なのだ。霧香は背が低く体重も軽い幼児体系で、年齢を考えても幼い顔付きで、くっきりとした黒目がちの瞳と丸っこい顔を持っている。座敷童みたいな肩までのボブカットも相まって、黙っていると本物の日本人形みたいに見えた。

 その上、昔は無口で臆病で兄に頼ってばかりだったので、本当に可愛らしかった。それが今では変な喋り方をして、生意気を言ってばかりだから、困ったものだ。

 もっとも、仲が良いのには変わりはないのだが。

「しっかりスイッチかぁ。言われてみると確かに欲しかったかもな」

「どうせ今年の夏は兄さまと家で遊ぶしかありませんしね」

「俺は別におまえと外で遊んだって良いんだけど」

「この酷暑の中兄さまと野球やサッカーで暑苦しく遊べと? HAHAHAご冗談を」

「おまえインドア派だもんなあ。家で遊ぶんなら、やっぱスイッチくらい欲しいよなあ。買ってくれりゃあなあ」

「ですね。とは言え、最初から母さまには期待してません。駄々こねたのもダメ元です。手に入れる本命の手立ては、他にありますから」

 得意げにそんなことを言い出した霧香に、俺は目を見開いた。

「え? 何それおまえ。他にスイッチ手に入れる手立てとか、そんなんあんの?」

「お? 食いつきましたね? 知りたい? 知りたいですか?」

「何だよそのウザい態度は」

「知りたくば相応の態度がありますよねぇえええ。跪いて足を舐めなさい。このわたしの若干の汗と砂埃が付着したフローラルなおみ足を! さあ、早く!」

 俺は霧香の前に跪き、足を裏返すと、下痢をするツボを全力で親指でぐりぐりと押した。

「いたたたたたたたたた! やめてください。やめてくださ、やめ、やめてくださいお兄さま! ごめんなさい、ごめんなさい兄さまぁああああ! ごめんなさいぃいいいたたたたたたぁ!」

 涙ぐむまで下痢ツボを刺激する。兄との力の差を分からされた霧香は、息も絶え絶えに一枚の用紙を差し出して来た。

「……? 何だ、これは?」

「これは……ぜい、ぜい……。家に帰る時……ぜい、ぜい……。謎の黒尽くめの人物がくれた紙です」

 霧香は息を整えてから。

「何でも、この紙に書かれた謎を解くと、この街のどこかに隠されたニンテンドースイッチの在り処が書かれているのだとか」

「誰だよ、その黒尽くめの人物って」

「謎です。ちょっと寄り道してから帰ったらなんか家の前でハアハア言いながら待機してました。顔は覆面で、男か女か、子供か大人かも分かりませんでしたね」

「不審者じゃないのか?」

「なんか汗だくになりながら、裏返った声で『み、み、み。南方霧香ちゃんだよねぇえ。はあはあはあはあ。これさぁとっても良いことが書いてあるからさぁ。はあはあはあはあ。お兄さんと読んでみてぇええ』って言ってました」

「不審者じゃねぇか。受け取るなよそんなもんをよ」

「まあまあ。実際に害がなかったから良いじゃないですか」

 憎たらしい顔でそう言う霧香。俺は顔を顰めながら紙を開いた。

「言っときますけど、その謎解き、ドチャクソに難しいですよ?」

「は? おいおいバカにすんなよ。この一週間というもの、一人ぼっちの休み時間を少しでも潰す為に、学級文庫にあった謎解き本の類を読み漁った俺だぜ? ちょっとやそっとの謎じゃあびくともしねぇんだよ!」

「寂しい自信ですねぇ。でも、本当に難しいんですってば」

「まあおまえには難しかったんだろうさ。ま、俺とおまえは生きた時間が一年違うからな。その年季の違いってやつを見せてやるよぉ」

 俺は紙に書かれている謎に視線をやった。


 〇●●〇〇 ●〇●●〇 〇●●〇● ●〇●●〇 〇●〇●● 〇●〇●〇 〇●〇●● ●〇〇〇〇 〇●●〇〇 〇〇●●〇 ●〇〇〇〇 ●〇●〇〇 ●●●●〇 ●〇〇〇● 『〇〇●〇〇〇●〇●』 ●●●●〇 ●〇〇〇●


「……は?」

 俺は目が点になった。

 何だ……この黒丸と白丸の羅列は……? オセロかなんかか? 意味不明すぎる。

「ちなみに、もう二枚目の紙にヒントというか、解き方みたいなのが乗ってますよ?」

 紙は全部で三枚あるようだ。俺は二枚目の紙を見る。

 そこには、白い円形の肉体に、直線と曲線だけで構成された顔と手足の付いた、製作者のやる気及び画力のなさを感じさせられるキャラクターが書かれていた。

 以下はそのがっかりなキャラクターの言動である。


『やあ、僕の名前はビットくん。よろしくね! 今日は君に、教えたいことがあるんだ!』

 そう言って、ビットくんと名乗るやる気のないキャラクターは体をくるりと回し、真っ黒な背中を示して見せる。

 白い表面と黒い裏面。本当にオセロのようだ。

『ぼくの身体の表側は白、裏側は黒で構成されている。これはつまり、ぼくが前を向いているか後ろを向いているかで、二種類の情報を現せるということだ』

 次にビットくんは、くるくる回転して白黒の前後ろを見せながら、前触れのなく二つに分裂する。

『なら、ぼくが二人いると何通りの情報を現せるか分かるな?』

 鬱陶しいことに、ビットくんはさらに増殖し、三人に、四人に、そして五人になっていく。

『三通りなら? 四通りなら? 考えてみて欲しい! それが謎を解く鍵になっている!

 一枚目の紙に書かれている白と黒の丸は全部、表か裏のどちらかを向いたぼく、ビットくんだ! さあ、ぼく達は、一体どこの何を指し示しているか、分かるかな?

 分かったら、その場所に行ってみよう!

 ※ヒント ●●●●〇の五人組ビットくん達は、アルファベットの『A』を現しているよ!』


「……意味が分からん」

 俺はそう言って紙の前で呆然とした。

「なあ? 本当にこの紙に書かれた謎を解いたら、ニンテンドースイッチが手に入るのか?」

「そうらしいですよ。三枚目の紙を読んでください」

 俺は三枚目の紙をめくった。


 南方純様、南方霧香様へ

 謎を一つと次の謎の描かれた紙が手に入る。

 謎は全部で二つ! 二つ目の謎の答えが、この街のどこかに隠された、ニンテンドースイッチの場所を現している!

 探してみよ!

 ナシモトカズミより


 最後には差出人だろうナシモトカズミという署名もしてあった。しかし。

「意味が分からん。何でこのナシモトカズミとかいう黒尽くめの人物は、こんな暗号を解かせてまで、俺達にスイッチをくれようとしてるんだよ」

「さあ? 案外父さまだったりするかもしれませんよ? 直接スイッチを買ったら母さまに怒られるから、自分達の力で謎を解いて手に入れたことにしてくれる……とか」

「うーん……。どうかなあ。なさそうだと思うけど」

「まあどっちにしろ大人だと思います。背も結構高かったですし、この文字や文章も大人が書いたっぽいです」

 確かに字は綺麗だし大人っぽい。

「百三十センチそこそこのおまえからすれば、誰だって背が高いよ」

 とは言え大人なのは確かだと俺も思う。ニンテンドースイッチをポンとくれるだなんて、子供の財力なら絶対にありえない。

 ……スイッチが手に入る、というのが事実だとすればの話ではあるが。

「とにかく……わたしが考えてもちっともわからなかったので、一回兄さまに預けても良いですか?」

「分かった。考えてみるよ」

 どうせ暇だし。

 実際にスイッチが手に入るかどうか、というのは一先ず捨て置こう。ただ、目の前に解けない謎があるのをそのままにしておく、と言う状態が、謎解き好きとしては許せないのだ。

「期待してますよ! 兄さま。謎を解いて、二人でスイッチのある最高の夏休みを過ごしましょう!」

 謎を解けばスイッチが手に入るとすっかり信じ込んでしまっている妹が、鼻息荒くそう言った。


 〇


 

 前に住んでいた街でやっていた空手の習い事をやめた俺は、新しい街で塾に通うことになっていた。

 本日は、二回目の出席日である。

 こっちでもまだ友達はできていない。塾の教室の机で授業の開始を待っている間も、俺は一人、霧香に貰った謎解きの紙とにらめっこしていた。

 しかしまったく歯が立たないまま、一人で頭を悩ませていると……おずおずとした声が、席に座っている俺に振って来た。

「あ、あの。南方くん」

 顔を上げる。

 死ね子が俺の席の前に立っていた。

 俺はドキりとして、そしてドキマキとした。どうして塾に死ね子がいるのか?

「さっきは、ありがとうね。じ、実は、あたし、南方くんと一緒の塾、なんだ。知らなかった?」

 そうだったのか。前回出席した時は気付かなかった。

 俺が黙っていると、死ね子は「あ、えっと、その……」と照れた様子で、不安と期待の混ざったような顔で、俺の前に立ち尽くしている。

 その様子が妙に可愛かったのと、そう言わないと死ね子はずっともじもじしていそうな気がしたので、俺はつい。

「隣、座る?」

 と声をかけた。かけてしまった。

 言ってしまってから愕然とする。俺はなんで女子に隣に座るように促しているんだ?

 普通男子は男子同士隣に座るもんだろ? たまたま一緒になるのならともかく、自分から女子を誘うなんて……その、なんというか、エロいし! キモいし!

 ああ! こんなところを他の奴に見られていたらと思うと……、恥ずかしい!

 なんて嘆く間もなく、目を輝かせた死ね子が、「ありがとう」と言ってはにかんだ笑顔を浮かべ、俺の隣に座った。

 小さくだが「えへ」という声が聞こえたような気がする。

 俺の隣に座れて嬉しいのだろうか? さっき助けてやったからだろうか?

 ……それにしても。女子が隣に座っていると、あたりの空気が途端に華やかに、甘酸っぱいものになったように感じられる。

 な、何をキモいことを考えているんだ! 俺は! 

 っていうかなんかお互い黙りっぱなしだぞ? やばいぞ気まずくなるぞ? なんか心臓がバクバク言ってるし、変な汗が出て来た。このままだと妙な気分になりかねない。

 いや、妙な気分って、どんな気分だよ!

「あああのさ、死ね子」

 俺はとにかく死ね子に話しかけることにした。死ね子は、「う、うん」と若干緊張した面持ちで返事をする。

「死ね子は、テレビとか何が好き?」

 バカかと思うほど無難な話題のチョイスである。

 まあ小学生のトークなんてそんなもんである。いや、大人がどんなトークをするかとかは、知らないけどね。政治の話とかすんのかなー?

「……あ、ええと。ニュースとか。良くお父さんと、政治の話とかするんだ」

 こいつ……マジかよ……。

「まあ、あたしはいっつも教えてもらう側なんだけどね。どの党のどの政治家がどのくらい立派かかとかさ。南方くんは?」

「お……俺も……ニュー……じゃなくてアニメ。ドラえもんとか」

 何を見栄を張ろうとしたんだ。俺は。

 俺は政治の話題はできないけど、しかしドラえもんは面白いから皆大好きだし、きっと共通の話題になるはずだ!

 そう思い、俺は尋ねる。

「死ね子はドラえもん見る?」

「見ない」

 死ね子はどこか遠い目をして言った。

「絶対見ない。何があっても見ない。あんなものを見ると虫唾が走る。全身に不快感が駆け抜けて強力な嘔吐感を覚えて気が狂いそうになる。あんなものを見るくらいなら死んだ方が絶対にマシ」

 なんか変なスイッチ入った!

 何? 何でドラえもんをそんな嫌悪してるの? 別に嫌いになる理由ないよねドラえもん。面白いよね!

「特にあのピンクの服着た女、あの子が出るとテレビを叩き割ってしまいたくなる。この世の全てが憎くなる」

 過去にしずかちゃんに親でも殺されたのだろうか、この子は……。

「あ、ご、ごめん。変なこと言っちゃって……」

 自分の豹変に気付いたのか、死ね子は顔を赤らめて、必死の様子で取り繕った。

「アニメは嫌いじゃないし、藤子・F・不二雄もすごいと思うけど、ドラえもんだけはどうしても苦手な訳があって……」

「ま、まあ好みはそれぞれだよな」

「う、うん。ごめんね。……そ、それより」

 死ね子はドラえもんの話題から逃げたがるかのように、取り繕うような口調で言った。

「ところで南方くん。いったい何をそんなに真剣に見つめているの?」

 そう言われ、俺は持っていた謎解きの紙を死ね子に見せ、事情を説明する。

「……ってことなんだ」

「へぇ。スイッチが手に入るだなんて、すごいね」

「本当かどうかは分からないけどな。とは言えこういう謎解きは嫌いじゃないし、妹はその気になってる。俺も一応、挑戦してみようかなって。……死ね子はどう? この紙見て、何か思いつく?」

「え? そ、そうだねぇ……」

 死ね子は暗号の描かれた紙をじっと見詰め、……やがて口を開いた。

「これ、二進数じゃない?」

 俺は思わず小首を傾げる。

「二進数?」

「えっと……知らない?」

「う、うん。すまん、分からん」

「そっか。でも簡単だよ。あらゆる数字を、1か0の二つだけで表すっていう方法なんだ。つまりねぇ」

 死ね子は自分のノートを取り出し、丁寧な文字で素早く時を描くという、いつも字の汚さをなじられる俺には考えられないことをした。綺麗だし、大人っぽい字だった。


 1 1

 2 10

 3 11

 4 100

 5 101

 6 110

 7 111

 8 1000

 9 1001


「こんな風に、1と0の二つの数字だけを使って、あらゆる数を表現する方法なの。例えば、1の次に普通は『2』と書くところを、繰り上がって次の位になって、『10』と書く。『3』なら『11』で、『4』ならそこからさらに繰り上がって『100』になる。分かるかな?」

「な……なんとなく。分からん……でもない?」

「この『〇』か『●』っていうのは、それぞれ二進数における『0』か『1』のどちらかに対応しているんじゃないかなって思ったんだけど……どうかな?」

 そう言われ、俺は考えてみる。

「死ね子の言う通りなら、この『ビットくん』の五人組は、二進数で表記された五桁の数字ってことになるよな?」

「そうだね。そうだと思う」

「……『●●●●〇』はアルファベットの『A』ってヒントに書いてあるよな? だったら、『〇』が『1』で『●』が『0』だ。『●●●●〇』は、二進数の『00001』だと思う」

 どう考えてもそうだ。『●●●●〇』は『11110』か『00001』のどちらかだけど、最初のアルファベットである『A』がどちらにふさわしいかと言われると、これはもう絶対に『00001』だと思う。『00001』ってのはつまり『1』のことだからだ。

「『A』が『1』ってことは、『B』は『2』の可能性が高いよな? 1が『A』で2が『B』でZが『26』……っていうのは、暗号の定番なんだし、その線で考える価値はあるよな」

 俺がこれまでに読んで来たたくさんの謎解き本にも、この手の問題は五万とあった。アルファベットを数字に対応させる。典型的な出題パターンに過ぎない。

「そうだね。じゃあ、その線で考えて……まずはこの『ビットくん』たちをまずは数字に直して、それからアルファベットに直してみようか」

 死ね子は二進数を十進数に直す計算方法を教えてくれる。俺と死ね子は、前と後ろから手分けしてその作業を進めていった。


 〇●●〇〇 ●〇●●〇 〇●●〇● ●〇●●〇 〇●〇●● 〇●〇●〇 〇●〇●● ●〇〇〇〇 〇●●〇〇 〇〇●●〇 ●〇〇〇〇 ●〇●〇〇 ●●●●〇 ●〇〇〇● 『〇〇●〇〇〇●〇●』 ●●●●〇 ●〇〇〇●

 ↓

 10011 01001 10010 01001 10100 10101 10100 01111 10011 11001 01111 01011 00001 01110 『110111010』 0001 01110

 ↓

 19 9 18 9 20 21 20 15 19 25 15 11 1 14 『442』 1 14

 ↓

 SIRITUTOSYOKAN『442』AN


「答えは『市立図書館』! そして『あ』と『ん』! ……だけど、間の大きい数字が分からないぞ?」

 すらすら計算して『110111010』を『442』に直したのは死ね子である。その死ね子は一瞬、小首を傾げ、小さな声で

「442……そして『あ』と『ん』か」

 そう呟いて、すぐに閃いたように目を見開いた。

「そうだ! これは多分、本の分類番号だ!」

「分類番号? ……そうか!」

 図書館に行くと、本の背表紙に、数字と著者の名前の頭文字二文字が書いた紙が貼ってある。

 それは図書館における本の住所のようなものだ。前の街の図書館でたまにハリーポッターとか借りていた俺は、それを参考に目当ての児童書を探した経験があった。

「つまり、市立図書館にある『442アン』の本を調べれば、次の謎解きが書かれた紙が手に入る……ってことじゃないかな? と、あたしは思うんだけど、どうかな……?」

 おずおずとした口調。そして俺より十センチ低い背丈からの上目遣い。色素の薄い大きな目。

 俺は思わず死ね子の両手を握りしめて、興奮した声でこういった。

「おまえ……すげぇな!」

 死ね子は驚き、戸惑った顔で……「え?」と目を丸くして俺の方を見た。

「無茶苦茶アタマ良いじゃん! すごい奴だったんだな死ね子って! 初めて知ったよ」

 本当に感動していた。あの訳の分からなかった暗号が分かるだなんて、天才だ!

 もしかしたら、この暗号も俺が子供だから苦戦しただけで、大人からしたら一目見たら分かるようなものかもしれない。しかし同じ歳の俺が何時間もにらみ続けて、何一つ分からなかった暗号には違いはない。そんな俺をすらすらと正答に導いてくれた死ね子を、俺は心底から尊敬していた。

「なあ死ね子、市立図書館なんだけど、明日一緒に行ってくれないか?」

 俺は勢いのまま、そんなことまで口にしている。

 それはつまり、女子を遊びに誘うという行為に他ならない。

 しかし、最早そんなことはどうでも良かった。それだけ、死ね子がすごくて、今の謎解きが劇的だった。その頼もしさを前にしては、女子と二人で遊びに行くのが何だか恥ずかしいなんて気持ちは、霞んで分からなくなっていた。

「う、うん。分かった」

 死ね子の頬には朱が刺していた。しかしどこか嬉しそうな表情を浮かべ、心臓を打ち抜かれそうな程魅力的な笑みを浮かべながら、明るい声で言った。

「一緒に行こう。え、えへへ。楽しみだね」

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