デスサイス

那智 風太郎

 プロローグ 終焉の始まり

 車窓から見上げると赤みを帯びた下弦の月で夜空が笑みを浮かべていた。

 腑に落ちる。

 きっと僕を蔑んでいるのだろう。

 愚かにも行き当ての知れたこの怪しげなバスに乗る僕を。

 浅いため息を漏らすと通路を挟んだ席の彼女がクスリと笑った。

 そして咎め立てた視線にその淡い桃色のルージュを左手で覆い、声を噛み殺して僕を見遣る。


「可笑しいかな」

「だってさ……」


 云わずとも続く言葉には心当たりがある。


 たしかにそう。

 僕はピエロだ。

 夜と彼女が嘲笑うのも無理はない。


 僕は軽く唇を引き結び、ふたたび車窓の闇に目を戻す。

 あたりは不完全な闇だ。

 無限のようにたなびいていく樹林の影がまるで立ち尽くす亡霊。

 けれど時折、間隙にただ仄かな、実に仄かで頼りない月明かりが眼下に潜む谷の起伏をうっすらと紅く照らし出す。

 そしてその向こうには星屑の如き無数の街の灯。

 もうすでにあそこは僕にとって異界の地なのだと思うと刹那、深い諦観が忍び寄り、恐ろしいほど静かで濃密な雲が心を覆っていく。


 僕たちを乗せたバスはゆっくりと狭隘な山道を進む。

 フロントに目を向けると金色のカラスがブラックベリーのような瞳でこちらをそっと窺っていた。そしてヘッドライトが切り取っていくアスファルトがまるで蛇のようにのたうって見える。


「ねえ、本当にいいの」


 しばらくしてタバコを吹かしながら彼女が冷めた口調で問う。

 薄荷メンソールの匂いが鼻腔をくすぐる。

 僕は煙の揺蕩う薄暗い蛍光灯を見上げてうなずいた。


「ああ、いいんだ。これですべてを忘れられる。そして僕は僕でなくなる。それでいい。覚悟はできている」


「そう。じゃあもう何も言うことはないわ。たすくの好きにすればいい」


 突き放すような、けれど少し寂しげな口調。

 目を向けると彼女はタバコを咥え、窓の外の闇を不機嫌な顔つきで睨みつけていた。

 僕はフッと頬を緩める。

 すると打ち明けることをためらっていた秘事が無意識に口を撞いて出た。


「実はひとつだけキミに頼みがあるんだ」

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