第3話 百年の眠りから覚めた七切姫はナキと名乗り、眠りすぎに絶望する

 幻聴は慣れっこ。


『ネイロは大事な妹でしょ? ああ、そっか、ネイロ間違っちゃった。コハクちゃんと違ってネイロは大事な妹じゃなかったもんね。コハクちゃんと違ってさ、ネイロが怪我しても叫んでくれなかったもんね。ネイロが殺されそうになっても、助けてくれなかったもんね!』


 とか、


『コハクちゃんを拾うなんてさ、おにいもバカだよね。無力なのに、何もできないのに、コハクちゃんを家族にするなんてさ。ネイロもお母さんもお父さんも殺されて寂しかったんでしょ? 寂しくて寂しくて、だからコハクちゃんをそばに置いたんだ。それだけの理由で、守れもしないのに、そばに置いてるんだ!』


 とか、


 ネイロの幻聴はずっと聞こえていたけれど、実際に彼女が死んだのは僕がまだ十二歳、今以上に何もできない子供の頃のことだった。


 当時僕が住んでいた島がどんなところだったのか詳しく思い出すことはできないけれど、今以上に魔動歩兵の危険があったのは確かで、月に一度は避難用の船までの道を確認していたし、空に真っ赤な信号弾が打ち上がったら逃げなさいと耳にたこができるくらい言われていた。



 けれど実際に空が赤く彩られたとき、僕たちは逃げることができなかった。



 村にやってきた魔動歩兵は五体。真っ黒なその体はツタのようなもので構成されていて、絡み合ったそれはまるで巨大な筋肉のように整列して一方向に流れていた。逃げ出した村人たちは、魔動歩兵に背を向けた者から貫かれ、切り裂かれ、あたりは一瞬で血の海と化した。


 片っ端から人間を殺す。


 それが魔動歩兵に与えられた使命で、その場から人間の存在がなくなるまで暴れ続ける。


 逃がすことなく、殺し続ける。


 村には常駐していた守護官が数名いたけれど、あっという間に殺されて、だから、元守護官だった父さんと母さんは僕たちを守るために戦うしかなかった。


 はじめに母さんが殺された。

 次に父さんが殺された。


 僕たちはそれを、家の陰に隠れて眺めていることしかできなかった。


 父さんと母さんは僕たちが見つからないことを願っていた。

 けれど、すぐに僕たちの存在も知られて、ネイロは僕を見上げ、言った。


「おにいは逃げて。絶対に見つかっちゃダメ。ネイロが時間を稼ぐから」


 そのとき、ネイロはまだ十一歳だったけれど、竜源刀を発動させていたし、使える能力を示す度合いである『限』も二になっていた。


 第一限身体強化

 第二限身体回復

 第三限感覚操作

 と来て、

 第四限が固有能力の発現。


 ネイロが使えるのは第二限身体回復まで。

 自分の体をある程度回復できる能力。


「ネイロは《身体回復》が得意だから。傷ついても時間が稼げるから」

「そんなのダメだ! 一緒に逃げるんだネイロ!」

「無理だよ! 見つかっちゃったんだよ!? どっちかが時間を稼がないと、逃げ切れない」

「じゃあ僕が……」

「おにいは竜源刀を使えない。魔動歩兵に立ち向かえないでしょ」


 それでも僕は、ネイロを守りたかった。やってみせると言いたかった。

 でも、そんなの無理だと言うことくらい、どんなに嫌でも解っていた。


「逃げておにい!! 早く!!」


 僕は、ネイロを置き去りにして、走り出した。


 ネイロの体がツタに貫かれるのが見える。

 魔動歩兵が一体僕を追いかけてくるのが見える。


 竜の血が流れる川に向かって逃げたけれど、追いつかれて、


 鋭い痛み。


 目の前が真っ暗になって、同時に、僕の体が竜の川に落ちたのが解った。

 干上がっていると言われたはずの竜の川に。

 体は抉られたけれど、竜の川に落ちたことで追撃はされず、そのまま、僕は流されて途中で岸に引っかかり、誰かに助けられて、そして、


 ヨヒラ島にやってきた。




 ネイロを置き去りにして、僕はのうのうと生きている。




◇◇◇

 



 それを責めるネイロの声を僕は止めることなんてできないから幻聴をそのままにしていたのに、なんだかそれよりもヤバいものに出くわしてしまった気がする。


 ついに来るところまで来てしまったか、とすら思う。


 ネイロ以外のナキなどと名乗る知らない女の幻聴が聞こえ、発動できるはずのない竜源刀が発動しているのが見える。


『幻聴でも幻覚でもありませんよ』


 これは早く帰ってコハクと遊び気力を回復しなければならない。抱きしめてコハク成分を摂取しなければならない。僕の頭がぶっ壊れてしまう前に。


『聞いてます?』

 聞こえない、聞こえない。


 また無にならなければ。

 何も考えない、何も考えない。

 そうだ素数。シズクさんから教えてもらった素敵な素数を数えればいいんだ。

 一、二、三、五、七、十一……


『一は素数じゃありませんよ』

 うるさい。僕の頭にこれ以上人は入らないんだ。僕とネイロで定員割れしてるんだよ。

『定員割れって定員に満たないって意味だったと思うのでまだ妾は入れますね』

「幻聴が揚げ足とってんじゃねえよ!」


 まずい、声に出してしまった。大人たちが奇妙なものを見る目で僕を睨んだけれど、すでに昼の鐘が鳴っていて仕事中ではなかったのが不幸中の幸い、働けと殴られることもない。


 すいません何でもないんですと謝って、僕が刀を隠すようにして後退ると、大人たちは怪訝な顔をしつつも腹減った腹減ったと言って鍛冶場から出て行く。


 危ない危ない。

 と、ほっと溜息を吐いていると、


『妾とお話をする気になりましたか、主人様』

 いや、なってない。


 口に出さずそう考えると、すでに光を消していた刀が右手の中でブルブルと震えだした。


『お話し、して!』


 突然の大声に耳がキーンと金属音めいた不調を起こし、突き刺すような頭痛がして僕は呻く。


『妾やっと起きれたんですよ! どれだけ眠っていたのかは知りませんが、最後の所有者が死んでから眠りにつくまで数年間誰ともお話できませんでしたし、誰も妾を発動できなかったんです! 妾は忘れられてしまいましたし……とにかく話すのが久しぶりなんです! 妾の話を聞いてください!』


 大声の波状攻撃に頭が揺れ、僕はうずくまって耳を塞いでいたけれど、声はやっぱり頭の中で鳴っているようでまったく減衰を見せない。すでに刀を離しているのに声止まないし。


 観念する。


 すいませんでした。話を聞きます。

 これは幻聴じゃない。これは幻聴じゃない。

『ありがとうございます。物わかりのいい主人様で助かります』


 盗賊みたいな厚顔さでナキは言う。


 というか、その主人ってなに。僕主人になった覚えないんだけど。

『何をいいますか。妾を発動した瞬間に、妾の所有権は主人様に帰属します。これは他の竜源刀でも同様でしょう? 一度発動した竜源刀は、高濃度の竜の血に浸し竜へ返還しない限り発動した人にしか使えません』

 そんな話があった気がするけれど、僕はずっと竜源刀を使えないと思っていたからそんな知識隅の方で埃をかぶっていたよ。

『妾みたいな知識ですね。妾もずっと宝物庫かよくわからない場所で埃をかぶっていましたから。……ところで今は何年なんでしょう? 妾が眠ったのは竜が妖精を滅ぼしてから十年くらい経ってからでした。妾の予想では今はそれからさらに十年後くらいじゃないかと思うのですけど』

 ……竜が妖精を滅ぼしたのは百五十年くらい前の話だろ。シズクさんが言ってた。

『は? ひゃくごじゅ……は?』


 しばらくナキの声が聞こえなくなる。呆然としているのか何なのかわからないけれどこのまま黙っててくれないかな。この刀を握ってから声が聞こえるようになったから、刀をこの場に放置すれば声聞こえなくなるかな。


 とか考えていると。


『持ち帰ってくださいって言ってるでしょ、馬鹿!』


 回復した声が戻ってくる。おちおち考え事もできないな。


『え、妾、百何十年も眠ってたんですか? その間、誰も妾のこと起こしてくれなかったんですか!? ひどくね!? 起こしてよ!』


 寝坊した子供が親に向かって言う文句みたいだと思ったけれど、人間ならその年数眠ってたら子供が親になるどころか、ひ孫も玄孫もできてしまいそうだった。


 君が寝ている間に玄孫できちゃったよ、あはは、みたいな。


『洒落になってません主人様! 妾にはマジでそれが起きてるんですよ!?』

 いやうん、すまんかった。話の尺度がでかすぎてちゃんと頭に入ってこないんだよ。

 じゃあなんだ、ええと、ナキは百何十年と眠っててようやく起きたってことだな。

『情報が増えていませんよ、主人様』

 わかってる、うるさい。

 なんで今になって起きたんだ?

『主人様が起こしてくださったからです。ああ、感謝します。主人様が死ぬまでずっとおそばでお仕えいたします。雨の日も風の日も、犯罪組織の頭目の妻と巨大な街の領主の妻を一遍に孕ませ着の身着のまま地の果てまで逃げる日も、ずっとお仕えします。と言うか仕えるから持って行け!』

 なんか無駄に一つだけ具体的な日があったんですけど、それは実体験ですか。

『まんま同じではないですけど似たようなことが何代か前の所有者にありました。逃げた先でも懲りずに同じことをしたためにあまりよい最期だったとは言えないでしょう』


 ナキも苦労したんだな、と少し同情的になってしまう。


『妾としては百数十年眠ってたことに同情してほしいのですがまあいいです。とにかく妾をここから連れ出してください。おそばにおいてください。妾を発動した責任を取ってください。また眠りにつくのは嫌なんですよ! それにもう二度と起きられないかもしれません!』

 まあ確かに、今にも破壊されて他の竜源装の材料になっていたかもしれないからね。

『え! 妾、壊されるところだったんですか!?』

 と言うか僕が壊そうとしたらナキが起きたってのが正しい。僕、竜源刀を発動すると壊れちゃうから。

『なんてことするんです! いえ、この場合は主人様に救われたという方が正しいのでしょうけれど。でもでも、このままだと妾は破壊されてしまうと言うことですよね!?』

 そうなるのか。そうなるな。

『主人様! そんなの嫌です! 絶対ここから連れ出してください! 見殺しにしないで! 置き去りにしないで!』


 見殺し、置き去り……。

 その言葉には弱いけれど、でもここから持ち出すことなんてできるのか?


 ここにある竜源装は全て誰かの持ち物だ。この街の領主のものなのかそれとも守護官のものなのか、そこら辺の細かい部分は下っ端も下っ端の僕にはわからないけれど、それでもここから盗み出せばそれ相応の罰が下るのは明白だ。


 他の人に連れ出してもらうって訳にはいかないのか?

『妾の声は所有者たる主人様にしか聞こえません。妾のことを説明してくださるのなら他の方に連れ出してもらうことも可能でしょうけれど』


 説明したら僕は頭のおかしなやつだと思われて終わりだ。

 この仕事をクビになれば、コハクを育てるどころではなくなる。

 そうはいっても見殺しにはできない。


 僕がうんうん悩んでいるとナキは、




『解りました。妾にいい考えがあります。主人様、妾をお掴みください』




――――――――――――――――――――――――

次回は明日12:00ごろ更新です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る