第24話 覚醒と出会い
指定の日、そして約束の時間の約三十分前。『卍』一行は既に第七都市公園の駐車場に揃っていた。朝焼けがかなり色濃い。メンバーは総吾郎、アキラ、プラサート、麻酔で眠らされている女医師、アレッタ、アマイルス、そしてアマイルスの部下6人だった。大型の自家用車の中で、全員がぎゅうぎゅう詰めになって外の様子を伺っている。
「……こういう時安西栄佑が居れば、音で奴らの動向が探れたのだけれど」
アキラの呟きに、総吾郎はうつむく。栄佑は未だに目を覚まさない。それでも危険な状況は確実に脱しているらしく、彼の気力を待つのみだ。
ふと、総吾郎の手を温もりが包んだ。アレッタが、握っている。彼女を見ると、いつもの朗らかな笑顔で総吾郎を見上げていた。こんな、自分よりもはるかに年下の少女でも気丈に振る舞っている。穏やかに笑顔を返し、手も強く握り返した。
アマイルスの部下が公園の監視カメラのハッキングに成功したらしい。その映像を、空中ディスプレイに映し出した。その光景を見て、全員が絶句する。同時に、炸裂するブザー音。
「お呼び出しね。行くわよ」
全員頷く。まずはアキラ、次に総吾郎と降車する。その後にプラサートと彼に抱えられた女医師が降り、アマイルス達がアレッタを慎重に外へと運び出した。
そういえば、今回何故アレッタがこの作戦に参加する事になったのか未だに聞けていない。結局栄佑からも聞き出せていないし、アマイルスもまた目を逸らすだけだった。アキラも同じらしく、ずっとアレッタの存在を訝しんでいた。
真っすぐ、入り口まで向かう。普段は封鎖されているという門は、既に開錠されていた。
中へ踏み込む。先程見た光景と同じだった。かなり広いはずの敷地なのに、地面が見えない程にまで詰め込まれた大型戦車。ゆうに十台はあるだろう。完全に、叩き潰す気で来ているのが見える。
全員の姿を確認したのか、再びブザー音が鳴る。そして、園内放送が始まった。
『あーテステス! テステス!』
その声を聴き、総吾郎の全身が粟立った。
まさか。
『来たか「卍」のクソッタレども!! さて引き渡しの時間だ、うちのボンクラ二人を差し出してもらおうか!!』
震えが止まらない。間違いない、この、男の声は。
アキラがプラサートに目配せをする。彼は頷くと、麻酔で眠っている女医師を抱き上げて歩き出した。一歩一歩、踏みしめていく。そして『卍』一行から十メートル、『neo-J』から二十メートル程離れている時点か。そこで、だった。
「っプラ」
総吾郎が恐らく、一番初めに気付いた。そして声も一番初めに発した。
それでも、間に合わなかった。
轟音。プラサートと女医師を、地雷から発した炎が一瞬で焼いた。
本当に、一瞬の事だった。
『卍』一行が唖然に取られている中、再び園内放送。
『……おい、よくもやってくれたな』
状況に似つかわない、浮かれた声音。それは確かに、楽し気だった。
『ああまったくクソッタレだ!! ここに来て我々の約束を反故にするとは!! よもや、我々より先に地雷を仕掛けるとは!!!』
「……は?」
アキラの、声。本気で、状況が分からない。そんな中、アマイルスが一番初めに目を見開き、そして見たことも無いような憎悪を込めた呪詛を口にした。
「……ふざけている、最初からそのつもりだったのか!」
炎が、未だ揺らめいている。その景色に、よみがえる。
あの日、あの孤児院を焼いた……炎。
「アマイルスー、どういうことー?」
「奴らは初めから、人質の引き渡しなんてただの口実にするつもりだったんだ。『卍』が人質を渡さず、しかも殺したとあれば堂々と粛清対象に出来る。しかもここにいる『卍』が全員死ねば、それこそ弁明する人間がいない」
揺らめく。再び人を、焼いた。
炎。
「最初から奴らは僕達を皆殺しにするつもりだったんだ。約束を反故にしてるのは、あっちの方だ」
アマイルスの歪んだ声。
影もすべて、歪んでいく。陽炎が、揺らめく。
「成程ね。要するに、相手にとって不足は無いと。容赦なくこっちもぶっ飛ばせばいいわけね」
アキラの手が、宙を掻く。肘から、普段よりかなり太みのある蔦が伸びた。炎の壁の、更に上空から戦車の群れへと潜り込む。一つの車両を持ち上げ、他の車両へと投げ込んだ。派手な爆破音。
『あーーーっそうやって盾突く気だなお前ら!! いいぜ、それなら!!』
ガチャン、ガチャン、と立て続けに音が鳴る。砲台の調整音だ。
『「neo-J」の名を以て、粛清してやる! 全員死ねやクソッタレども!!!』
勇んだ、声。しかし今度は、地響き。
『な、なんだ!!』
びしびしびし、と地面が割れる。その隙間から盛大に上がる飛沫。濁流が、『neo-J』側へと向かって流れ込んでいく。先頭あたりに居る車両は飲まれたが、後方車両は何とか逃げ延びたようだ。
炎が、消えた。ハッとして背後を振り返ると、アマイルスが地面に両手をつけていた。その顔には、脂汗が浮いていた。
「……架根さんが時間稼ぎしてくれてる間に、水の『種』を使った。ここには水脈があってね、少し刺激したんだ」
よろめくアマイルスを、慌てて駆け寄って支える。そうだ、完全に気を取られていた。
アマイルスは総吾郎に微笑みかける。
「大丈夫だ、策はある。その為のアレッタだ」
アレッタを見る。彼女は上半身の衣服を脱いでいた。そんな彼女の回りを、アマイルスの部下が囲っている。何か作業をしているようだった。
「でも、恐らくあともう少しかかる。それまでアレッタだけは死守してくれ」
頷く。アマイルスの手がポーチの中へと潜る。取り出されたのは、一つの『種』だった。
「これが、君の十八番だって聞いた。林古さんが作業時間を割いて作った、強力な『種』だ。使ってくれ」
『種』を受け取る。強く、握りこんだ。身を割くような冷気が体の中を駆ける。しかしそれでも、自らの心臓は熱かった。
アマイルスに膝をついてもらい、立ち上がる。足先から、地面の中へと神経を集中させる。朝日で温まった土の……更に奥深く。ほんの少しだけ涼しい、水の存在を感知する。
炎の気配は、無い。大丈夫だ、この存在があれば。
大砲は、明らかに自分たちに向かって何度も射出されている。しかし、どれもこちらまで届かない。すべて、アキラの蔦とそこから伸びる葉が打ち返している。アキラの顔は相変わらず無表情だったが、足が震えていた。恐らく、普段の蔦以上に消耗が激しいのかもしれない。急がなければ。
アキラに目配せし、膝をつく。彼女の蔦が、総吾郎に向かってきた弾をはじき返した。掌を地面に当て、急いで一番太い水脈を探し……たどり着いた。
力を籠める。水脈に、自らの冷気が当たった。普段の『種』なら不可能だったであろう芸当だが、それだけ強い『種』なのだろう。実際、既に腕の筋肉が吊りそうになっている。しかし、そんな事を言っている場合ではない。
「……っ!」
水脈が、せりあがる。後ろを見ると、アマイルスもまた地面に手をついていた。その目は、総吾郎に対し優しく微笑みかけていた。それを合図として受け取り、改めて『neo-J』側を向く。
アマイルスが、水脈の流れを押し上げてくれている。濁流として地面をぬかるませているのをしっかり確認し、冷気を大放出する。地底から戦車のタイヤ半分程まで、一気に浸食した。戦車のタイヤの動きを封じ、身動きをとれなくなった彼らを……アキラが打ち返した、大砲の弾がつぶした。
『――クソッタレがぁぁああああ!!!』
戦車は三分の一程機能を停止した。すると後方車両から、人影が見えた。完全に武装した、屈強な人影だ。その顔はマスクで一切見えない。
『「neo-J」が誇る最強の戦闘集団だ! いいか皆殺しだぞてめぇら!!』
返事する事なく、彼らが跳躍する。その数、恐らく十。急いで立ち上がるも、ほとんど全員がアキラへと向かっていた。
「なっ……」
狼狽する総吾郎を脇目に、アキラの蔦が彼らを薙いだ。数名が吹き飛ばされるも、残ったメンバーがそのままアキラへと向かってくる。それでもアキラは確実に蔦を鞭のように振るい、敵を弾いた。
慌てて、水を多量に含んだ土を掬い上げ冷気を込める。瞬間冷凍された土団子を、敵に投げつける。丁度頭に当たり、彼はそのまま崩れた。
「やるじゃない」
アキラの呟きは聞こえたが、すぐに彼女は目の前の敵に蔦を巻き付け投げ飛ばした。
「どうやら、あの放送の主は戦車の中にはいないようね。高見の見物ってところかしら」
その言葉に、押し黙る。もし、予想が正しければ……あの声は。
「ひとまず止んだけど、これで終わるわけない」
『その通りだクソアマァ!!!』
再び、同じ武装をした集団が姿を現す。彼らは動かなくなった戦車の上から、総吾郎とアキラを見下ろしていた。
アキラを見る。彼女は全身汗だくだった。自分も、手がずっと震えている。この感触は知っている、『種』の副作用だ。
――まずい。
「そーごろ、あきら」
鈴のような、可愛らしい声。その声は、上空からだった。
見上げると、それは。
「……えっ?」
見上げた先のアレッタは、笑顔だった。いや、アレッタと認識するのにも少し時間がかかった。アレッタだった部分は、その可愛らしい顔だけだった。
地上から約十メートルはあるだろう。大がかりな金属部品を数十つなぎ合わせ、アレッタの胴体、腕、そして車輪だったはずの足を作っていた。その姿は、確実に……異形だった。ただその顔だけは、アレッタだった。
「ア、アレッタ……何それ……?」
「きょだいアレッタだよー!」
いや、そうなのだろう。確かに、巨大だ。しかし、どう考えても聞きたいのはそこじゃない。
アマイルスを見る。彼は涙目で、アレッタを見上げていた。
「すごい……すごいよ、アレッタ……君は……最高だ……」
「アマイルスさん! 何ですかあれ!!」
アマイルスは涙をぬぐいながら、総吾郎に向けて口を開いた。
「アレッタは『強くなりたい』と言っていた。だから、僕のグループ皆で、こっそり研究していたんだ」
ハッとして、アマイルスの部下たちを見る。彼らもまた疲労していた。恐らく、アレッタをあの姿にしたのは彼らなのだろう。
「アレッタは幼女だ。『種』は検査の結果適合しなかった。となると、彼女の最大の特徴を生かそうという話になった。アレッタと何度も打ち合わせし、安西さんに止められ、しかしそれでも……あの子は最高の形で成功してくれた」
「あれ成功なんですか!?」
アレッタは、その大きな掌をこちらに向けて振った。恐らくあれ程の大きさがあれば、総吾郎でも腰掛けられるだろう。アマイルスは何度も頷いた。
そして、声を張り上げる。
「さあアレッタ、君の性能を見せつけてやれ!」
「はーい!」
一見能天気そうな声。しかし、その一瞬後だった。
アレッタの口が大きく開く。一瞬だけのラグがあった。しかし、本当に一瞬だった。
「がぁっ!!!!!」
閃光。アレッタの口から目を焼く程の光が放射され、周囲を焼いた。
炎すら生まなかった。ただ、辺りを焼野原にしただけで。戦車のかけらも煤も、人の体も残っていなかった。
唖然とする中、アマイルスは泣いていた。恐らく、感動で。
「……何あれ」
アキラが目を点にして、総吾郎を見る。総吾郎もまた、首をかしげるしかなかった。
ひとまず、恐ろしい現象だったということだけはわかる。そして、呆気なかった。
上空から、何かが剥がれる音。盛大な音を立てて、総吾郎の身の丈はあるであろう金属片が墜落してきた。慌てて上空を見ると、アレッタの回りを象る部品達が剥がれていっているのが見える。そして、アレッタもまた。
「ア……アレッターっ!!!」
ひゅるるる、と音を立ててアレッタが墜落してくる。しかし総吾郎より早く、アマイルスが駆けた。アレッタの墜落位置へ滑り込み、彼女を抱きとめる。アレッタは、気絶していた。
「……やはりあのエネルギー砲は負担がかかったか。すまない……アレッタ、本当にありがとう」
アレッタを部下達に預け、彼らが公園を出るのを見届ける。
改めて、公園内を見た。アレッタのエネルギー砲により、辺りは草木を含め完全に物体が消滅していた。かなりの威力だ。
「……ずいぶん非人道的な改造をしたのね」
嫌味でも何でもないストレートな感想に、アマイルスは重いため息をついた。
「何とでも言ってくれ。それでもあの子は、強くなろうとしたんだ。皆のためにって。僕だって正直迷ったけれど……実際あの子がいなければ、僕達は死んでいた」
それは事実だ。アキラは「ええ、助かったわ」と呟く。
アマイルスは、アレッタに付くために公園を出た。残っているのは、アキラと総吾郎だけだ。
ざり、と足音。振り返ると、若い男が居た。予想通りだった。彼は忌々しそうに、総吾郎を見ている。
「声で分かった。まさかお前が、田中総吾郎だったとはな」
以前と違うのは、目の色だけだった。
「……君が、ギルベルト・カイザーか」
「どっかから聞いたか。はっ、大方人質の奴だろうな」
「その目の色は……」
「どうだっていい。ああ、そうかお前が」
にやり、と。歪に、その端正な顔が歪む。
「俺様の焼いた孤児院の、唯一の生き残りか」
……ぞわり、と。何かが、憑いた。
「ああ、まったく腹立たしいぜ。あの時最後に売り飛ばした純血種の金額計算してた時にゃ一体逃がしたって気付いていたが……それがお前だったとはな」
どくり、どくり、と。心臓の鼓動が、全身を内側から突く。
「周到にやったんだぜ? あのだだっ広い孤児院を燃やすにはどうすりゃいいかって、1週間かけて作戦を練った。逃走者が出ないように、全出入り口もきっちり封鎖するよう手配かけて。職員は全員燻し殺せるように、火薬もかなりの量を用意した。完璧な作戦だった。それなのに、ボンクラ一人がやらかしたせいだ。お前は結局『卍』なんてクソ組織で戦力化した」
「なんで」
声が、震えていた。それでも、聞かなければならない。
「なんで、焼いた」
ギルベルトは一瞬、止まった。しかし……何よりも、邪悪な笑み。
「もう用済みだったんだよ。あの人が『田中孤児院を他の孤児院に吸収させて、コストカットを図るか』ってな。そこで俺様の天才的な閃きが告げたのさ、ただクソ純血種どもをさっさと売り飛ばして金にすりゃいいってな! 穀潰しの職員どもも消えれば一石二鳥だ」
「短絡的馬鹿なだけじゃない。しかも目的違いしているし」
ヒートアップしているギルベルトには、アキラの声は届いていない。
ただ、総吾郎の足は進んでいた。その事にも、ギルベルトは気付かない。
「ああ、莫大な金が入ったさ! 総額で恐らく兆はいったな、笑いが止まらなかった! あの人からじきじきに褒められる事は無かったが、けれどきっと喜んでくれたに違いねぇ!!」
ざり、ざり、と。焦土と化した地を歩む。それでもギルベルトには、総吾郎が見えていなかった。
やっと、届く位置だ。
「っぐ!?」
右の拳が、ギルベルトの端正な左頬を撃った。バランスを崩し倒れこむ彼にすぐさま馬乗りになる。艶やかな黒髪を掴み頭部を固定させ、何度も顔面を殴った。
「ぐ、ぐっ、や、やめっ」
やめない。やめられない。何かが確実に憑りついていた。……否。これは、自分自身だ。
拳の皮が擦れる程、何度も顔面を撃つ。声が聞こえなくなった。それでも、止まらない。ギルベルトの顔面が、無残な程に腫れていた。一瞬、呼吸を戻そうと拳が停止する。その瞬間、胸倉を掴まれた。そのまま、後方へと投げ出される。
「っく!!」
華奢な体躯からは想像出来ないような力だった。尻もちをつき見上げると、既にギルベルトは立ち上がっているのが見える。鼻血をぼたぼた垂らしながら、彼は忌々しげに総吾郎を見下ろしていた。そのまま、腹部に蹴りを入れられる。
「か、はっ」
胃液のような、よく分からない水分を吐き出す。このまま恐らくラッシュがくる、その判断が一瞬で立ち上がらせた。舌打ちが聞こえる。
一瞬だけ、目が合う。彼の目は、コンタクトが外れたのか片方だけ……恐らく本来の、深い青に戻っていた。
「……うぉおおおお!!」
駆ける。それは彼も、同じだった。
互いの拳がぶつかり合う。顔には当たらなかった。とにかく、殴りかかる。頭を掴み合う。腹部に蹴りを入れる。そうやって、ぶつける。
あの炎の、元凶。
「あああああ!!」
自分もだが、恐らく彼もそこまで格闘慣れしていない。筋肉は無い事は無いが、それでも自分に大差があるわけではない。
顔面に再び、拳が入る。すると、腕を掴まれひねられた。怯まずにそのまま地へと叩き付けるも、滑るようにして体制を再び戻された。
しかし、逃がさない。
「くっ……!」
両手で、ギルベルトの首を掴む。ぎちぎちぎち、と音が鳴る程に締め上げる。ギルベルトの口が何度も噛みつこうと動いているが、勿論届かない。
――周囲に、冷気が満ち始めた。ギルベルトの体が震えだす。
「っソウくん! だめ!」
アキラの、声。あああの人でもそんな声を出すのか。駆け寄ってくる姿が見える。それでも、この冷たい憎悪は止められない。
ギルベルトの顔から、血の気が引きだした。もう動きも見えなくなってくる。
ああ、これで。これで皆の……。
「君に人殺しは、まだ早い」
手首を侵す、温もり。どさり、とギルベルトの胴が地へと崩れた、総吾郎の手には、ギルベルトの首から上しかない。
何が起きたのか、分からなかった。しかし、目の前に居たのは。
「……光精さん?」
彼は笑っていなかった。そうだ、この顔は。同じだ。普段の彼女と。
「手、力を緩められる?」
ハッとして、ギルベルトの首を見る。光精の手が、ギルベルトの髪を掴んだ。そのまま、総吾郎の手から引き抜く。ずるり、と嫌な感触が髄まで伝わってきた。
光精は彼の頭を、胴に向けて放り投げる。何かが潰れる音がした。
「こんな奴のために、君が咎を負う事はないよ。復讐なんて程度の目的意識なんかでは、君の心だといつか必ず押しつぶされるのが関の山さ」
「……なんで、ここに」
「君達を……すまない、ダシにした。こいつは、もう用済みだった」
その言葉を聞き、先ほどのギルベルトの言葉を思い出す。総吾郎の目を見て悟ったのか、光精は目を伏せた。
「確かに俺はああ言った。ただ誤解しないでくれ、俺はあくまで他の孤児院と合併吸収させるだけの気だった。こいつが早とちりをしてあの事件を引き起こしたんだ」
光精の傍らにいつの間に立っていた、長身の中東人が濡れたタオルを差し出してきた。受け取ると、その時初めて自分の手が震えていることに気付いた。
「それでも最終的に純血種を売買させる気だったのは事実だし、こいつを制御しきれなかったのは俺の非だ。謝って済むことではないとは分かっているけれど。それでも、君にはこんな事をさせたくなかったんだ。俺のエゴだけれど」
犯人は、死んだ。それも、目の前で。
ふと、背後に気配を感じた。アキラだった。彼女を見て光精は、笑みを消す。
「……あの時言っただろ、俺。お前に力を使ってほしくないって、死んでほしくないんだよ」
ぼそり、とした呟き。以前とは打って変わって冷静なようだが、その奥には……確かに熱い何かが滲んでいるのが聞こえた。
「アキラ。俺は」
「須藻々光精」
その声は、聴きなれたものだった。それなのに、どこか。どこかに、違和感がある。アキラを見ると、泣きそうな顔が見えた。目を、潤ませている。その姿を見、光精もまた目を見開く。
「……アキラ。まさか」
『君に人殺しは、まだ早い』
初めて人を手にかけたのは、『卍』の任務で。
その、5年前。自分が未だ自己を確立できず、ただ呼吸して何かを話すだけでも愛でてもらえていたあの頃。
ああ、あの男は確かに彼……千場樹アーデルだった。今とまったく変わらない姿の。彼を止めるには、殺すしかないと思った。だから、傍にあったナイフを手に取った。それでもやはり、届かなかった。
恐らくさっきの光精の言葉は、アーデルの蔑みを含んだあれとは違う。きっと本心から総吾郎を気遣っていた。
そうだ、彼はそういう男だ。ずっと昔から。アキラは、それを知っている。
生まれた時から。それどころか、母の胎内に居た時から。自分達がまだ一つの細胞だった時から。ふたりの人間として分かたれる前から。ずっと、ずっとずっとずっと!!!
「……オリジナル」
アキラの口から、確かに。確かに、その言葉が出た。
光精は、駆けた。アキラを掻き抱き、膝をつく。そして、泣いていた。アキラの目からも、大粒の涙が零れ落ちる。二人でひたすら、声をあげて泣いていた。
「アキラっ……アキラ、やっと……! 思い出したのかっ……俺の、俺のアキラっ……!!」
そんな二人を見、状況を読み込もうとするも、急な倦怠感。体が、崩れ落ちた。
まさか、ここにきて『種』の副作用か。確かにさっきはかなりの冷気を使った上、海を凍らせた時は気絶までした。それでも、よりによって。他に誰も今ここに居ないのに。
中東人の男が、総吾郎を支える。光精は泣き腫らした目で、総吾郎を見た。
「……ありがとう、総吾郎くん。アキラは、やっと俺のもとへ戻ってこられた。本当に感謝している」
「……こう、せっ、さん……」
「これが副作用か。ザラ」
中東人の男が、総吾郎の耳元で「すまない、君にはまだ役目がある」とささやいた。同時に感じる、首の後ろへの衝撃。
総吾郎の意識は、そこで絶たれた。最後に聞こえたのは、派手なプロペラ音と上空からの盛大な風だった。
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